大自然を満喫!アイスランド9日間の旅

期間:2011年4月28日~2011年5月6日
Y.S 様

GON-000463

2010年4月の火山大爆発からちょうど1年。

日本同様、活火山が全国に分布するアイスランドに行くなら今がチャンス、と計画した目的地。見込み通り1年前の空の大混乱とは無縁の平静を保ってくれた。さらに、帰国1ヵ月後には、また別の火山噴火でレイキャビクの空港が閉鎖、火山灰はヨーロッパに拡散の様相を呈している。まさに火山活動の隙間を縫っていいタイミングだったとしみじみ思う。

しかしながら、今回の旅行はハプニングとアクシデント満載の印象深いものとなった。

ダイジェスト版は以下の通り。

1日目: レイキャビク悪天候の為、コペンハーゲン→レイキャビク便が2時間以上遅延。ホテルチェックインは深夜0時をまわりへとへと。
2日目: 疲れと睡眠不足か、ゴールデンサークル見学中に岩の上から落下、顔面・両手・足指負傷。
3日目: 氷壁クライミング中、足指の負傷が悪化、内出血で爪がはれ上る。
4日目: 季節外れ(と地元の人も言う)大雪の中、シュノーケリング。
5日目: ツーリストインフォで念を押したにもかかわらず、バス乗り場の位置違いで野外博物館のガイドツアーに間に合わず。

【 1 日目 】

朝5時前起床、準備不足のまま成田へ。仕事多忙、休日なしで取るものとりあえず出発。
なんと今日はスカンジナビア航空日本就航60周年とかで、チェックイン時に記念品をもらった。「なんか幸先いいかも!」・・と思ったが、後から考えると幸運をここで使い果たしたみたい。

いつもは往路は元気いっぱい、映画三昧なのに、この日は全く見る気なし、食事以外は眠りこけ、コペンハーゲンまでの10時間半があっという間。

コペンハーゲンについて、レイキャビク便が2時間遅れのタイム表示。「ああ、なんてこと・・」
だいたいついていないときは重なるもの、ここで両替できるということだったがIskrは金融破綻以来国際取引されていないとのこと。「入国してから両替すること、余ったら国外に出る前に必ず再両替すること」と銀行員に念を押され、「ってことは、今日到着するのは夜遅くで、銀行は閉まっているから両替は無理。」と初日からいや~な予感。今までの経験からして「そんなはずは・・」と歯車が狂い始めると、次から次へ予期せぬことが起こるもの。

空港での待ち時間が長くて、何か食べたい、しかしデンマーククローネの相場など調べていかなかったから買い物するにも見当がつかない。銀行の為替相場を見て計算。パンと水をカードで買って隅っこでかじる。しかし物価が高い。

22時過ぎにやっと搭乗。成田からの便で近くの席にいた、大荷物の日本人をここでも見かけたので話しかけたら、彼女も一人旅との事。国内周遊型でかなり強行軍のよう。「小柄なバックパッカー、がんばれ!」

レイキャビク到着は23時過ぎ。バス乗継ホテル着は深夜0時過ぎ、疲れ果てシャワー、ベッド直行。

【 2 日目 】

7時 朝食へ。食べていると続々人がやってきて満席。皿に食べ物をのせたままうろうろ席を探す人もいて、大混雑。早く来てよかった。メニューは思ったより豊富、パン好きには焼き立てパンがうれしい。プレーンヨーグルトと野菜がありがたい。

8時 pickup、8:30ゴールデンサークルツアー出発。大型観光バスがほぼ満員の目玉ツアー。
まずはシンクヴェトリル国立公園、ギャウ(北米・ユーラシアプレートがここから分かれて反対方向に移動していく)。両側が切り立った崖の底を歩いて下っていく。

結構急勾配の砂利道で、写真を撮ろうと後ろ向きに歩き出したとたん、つまづいて派手に尻もちをついた。そばを歩いていた同じツアーの人が“Be careful”と抱き起こしてくれた。注意散漫なのかな、不吉な出だし。手袋をしていたので、両手をついたわりにけがなし。

次に運命のグトルフォス(Golden Fall)である。滝見学とランチを兼ねてバス集合時間までフリー。
日本人らしいカップルが集合時間の聞き取りに難儀していたようなので「ちょい、ヘルプ。」こういうときはお互いさま。自分もかつて世界のあちこちで見知らぬ人に助けてもらったから・・

滝に近づくにつれて水しぶきが猛烈に。風雨の中濡れながら下っていく。大きな岩場の上に人がいるのが遠くから見えたが、そばに来てちょっと見上げるほどと気付く。

Gullfoss
Gullfoss

Gullfoss
Gullfoss

滝を見下ろすにはこの岩場を登らなければならない。軽やかにホップ、ステップ、といったところ3歩目でアクシデントは起こった。バランスを崩した後はどう体が宙を舞ったのか覚えていない。気づいたら地面にたたきつけられ、横たわった自分。不思議なことに真っ先に気になったのは目を開けた先に落ちた眼鏡。「こわれたか」と飛び起きて拾い上げたら、形はとどめている、「良かった、レンズも外れなかった」。

と思った瞬間、何か顔半分と手がしびれている。元々滝の水しぶきでぬれている上、寒くてちょっとこわばっていたけど、赤いしずくがたれてくるのでティッシュを取り出し顔をなでると、真っ赤に染まる。
頭の中は“Oh, my god!やっかいなことになったぞ・・”

周りに人がいないので、自分がどうなっているかわからない。しかし、ティッシュの出血がひどい、手を広げると右手から血が滴っていた。どうやら右手の手のひらを深く切ったようだ。バッグから何とかバンドエイドを取り出して貼る。しかし、水しぶきで全身ミストの中にいる状態、バンドエイドが見る間に赤く染まる。とりあえず2度と滑らないよう1歩1歩戻る。足ががくがくしてよく歩けない。

寒くて手がかじかんできた。「どうして手袋していなかったんだろう、していれば怪我しなかったのに」と思って手袋を取り出してやめた。触ったところに血痕がすでについている。血だらけの手袋になりそうだ。

しばらく歩いて何とかレストランにたどり着き、店員に「クリニックがあるか?岩から落ちた。顔はどうなっているか、ひどい怪我か?」聞いた。クリニックはないとのことだったが、救急箱を取り出し、消毒ナプキン、バンドエイドとハサミも出してくれて障害者用トイレがあるからそこで処置するよう言われた。

中で恐る恐る鏡を見てみる。右こめかみと目の脇に10cm位の切り傷が2本、1本はかなり深くて傷口盛り上がり。水で洗って消毒用ナプキンを当てると、猛烈にしみる。右手のバンドエイドも血に染まり既に役立たずで取り替える。

暖かい屋内で冷え切った体に少し体温が戻り、個室で手当てしているうちに落ち着いてきた。集合時間まであと30分。店員にお礼を言ってハサミを返し、ランチを食べることにする。
ここのラムスープが評判なのは事前チェック済み。こんなアクシデントの後で食欲もないが、ここで食べないと夜まで何もないし、と口に入れてみたら生き返った気分。ラム肉、ポテト、にんじん入りのシンプルなクリアスープだが、体が温まった。

バスに乗ってすぐにガイドのJonnに応急処置用のキットがないか聞く。目のふちの傷はあまりに目に近すぎて自分でバンドエイドが貼れなかったが、Jonnがハサミで小さく切りつつ手当てをしてくれた。「目を閉じてて。動くな、ハサミで傷つけたら大変。」と親身にやってくれた。本当にありがたい。
他の乗客は前も後ろも満席なのにみんな知らん顔。ま、他人事には関わらないのが無難ってね。一生忘れない「グトルフォスの悲劇」。

午後の観光はGeisir。英語のGeyserの語源らしいが規模は小さい。数分おきに吹き上がるものが一つあるが、米国イエローストーンにはここの一帯にあるものが、あちこちに何十と分布しており地熱エネルギー的には比べ物にならない。

最後に地熱発電所見学。
これはツアーには含まれないとの情報だったのにちゃんとルートに入っており、希望していただけにうれしい誤算。ここは職員15名で皆身分は国家公務員、このような施設は国内に数箇所だそう。
日本のエネルギー背策は今後どう展開していくのだろうか。火山国という点では共通だが、アイスランドは特に地熱発電を推進している。ホテルにも各家庭にも温水ヒーターが備え付けられ、電気エアコンやガス・灯油ヒーターは使わない。もっとも人口わずか32万人(私の地元は地方都市だが、それよりも少ない)の小国家だから、それで間に合うのかもしれないが。アイスランドの場合、緯度が高く冬の防寒対策だけしていればよいという事情もあるだろう。

帰りはダウンタウンでバスを降ろされたので、今日はもうおとなしくホテルに直帰。フロントでバンドエイドの予備をもらう。近くにいた女性客が「そっちのテープよりこっちの方が剥がすとき痛くない。」と口ぞえしてくれたので、お礼を言うと「自分も同じような怪我をした」と顔をこちらに向けた。
なるほど目の周りが黒ずみ、小さいながらテープが貼りついている。「自転車で転んで翌日は目の周りが腫上がり、2日間目が開けられなかった」とのこと・・・不安増大・・・明日は氷河トレッキングの日。目が開かなくてはムリだ。今回の主目的の一つなのに・・・

部屋に戻り、途中のスーパーで買ったサンドイッチ(ラム肉と豆サラダ)とアイスランド風ドーナツ、かの有名なskyr(クリームチーズに似たアイスランド風ヨーグルト)の夕食。それぞれ結構おいしくて満足。

シャワーを注意して浴びて、バンドエイドを取り替える。右目の下は傷はないのに黒ずんで、大きなくまになっている。かなり内出血しているようだ・・明日腫上がりませんように・・祈るだけ。

【 3 日目 】

目覚めてすぐに目をパチクリしてみた。右目は見えるぞ、鏡を見ると腫れてはいるが、「お岩さん」ではない。ほっ、よかった。

7時前に朝食へ。既に人が多い。食べ始めてすぐに人があふれて、4人がけのテーブルで相席に。スウェーデンの家族は2つのテーブルに分かれて座り、お母さんがこちらへ、そしてチェコからの姉妹と私。朝食で見知らぬ人と相席は初めて。満席で席を立つこともままならず。前の人が残した皿を脇によけて、とりあえず腰掛けて食べている人もいる。いったいこの激込みは何なんだ??
スウェーデンの家族は今日はホエールウォッチングに行くんだそうな。チェコの2人はあまり言葉が通じない。

8:00ピックアップ。バスを待っていたら、昨日のガイドのJonnがやってきた。「顔はどうした?」と覗き込んでくれた。「まあ何とか大丈夫。」と昨日のお礼をいう。誰も知らない外国で、こういうちょっとしたコミュニケーションがうれしい。
今日のミニバンには既に男性が一人乗っていたので、挨拶したがつっけんどん。どうも典型的な「アジア人(?)は相手にしない」American guyのよう。途中から乗ってきたカナダ人・アメリカ人とは普通に(むしろ饒舌に)話していた。欧米人の中にはこのようなタイプが結構いる。

2時間半ほどひたすら南部1号線を東へ走り、Myrdals Jpkullの端に到着。ピッケルにアイゼン、ハーネスをつけてカメラと水だけもって出発。火山礫の上をしばらく歩いて、氷河の端っこから上っていく。
ガイド含めて10人のparty。クレバスがところどころあるし、氷が溶けて小さな流れがあちこち。滑り落ちないように、転ばないように1歩1歩、ガイドのRobertの後を必死についていく。

トレッキングシューズではないので足首が不安定。大またで歩くと危ないので、アイゼンが氷に食い込むように上から足を踏みおろしながら1歩1歩。実際、3人が足を取られて転倒。こっちは既にけが人だから、転んだ人にぶつけられても大変、とにかく全神経を集中して歩く。

途中、命綱1本をハーネスにつけて一人ひとり氷壁クライミング。最初にRobertが手本をみせる。実際やってみると人のを見てるよりずっと難しい。靴のつま先を直角に氷にキックして、両手のアイスピッケルを頼りに1歩ずつ上る。しかし氷が硬くて引っかからない。何度も何度もキックして、ピッケルを振っていると、両腕が疲れて動かなくなってくる。体重を支えられなくて、そのうち片足が氷から外れて滑落、命綱でブランとなって止まった。這い上がろうとしたら、右ピッケルを打ち込んだところの氷がバラバラと多量に落ちてきてまた右目に当たった、目にも入って冷たい、痛い。

ずっと蹴りっぱなしの左足つま先がジーンと痛い。爪がまずいことになってそうだが確かめることもできない。何とか我慢してその後もかなり歩き、約3時間後車に戻る。軽食のサンドイッチとジュースを取ってシートに座り、靴下を脱いで見る。出血はないが左足親指がかなり痛む。

on the glacier
on the glacier

ice climbing
ice climbing

夕食は事前チェックで評判の良い「Fish&Chips」へ。痛む足を引きずりながら、しかも冷たい雨の中。まあ、言われなければ気づかないほどひっそりしたレストラン。魚の種類は選べる、ポテトはざく切りのナチュラルスタイル。「う~ん、まあ悪くないけど」が正直な感想。量のわりに割高である。しかし、今日はもう疲れたし、寒いし、食べてさっさと戻ることに。

ホテルに戻って足をみてみたら、内出血で爪全体が薄黒くなっていた。「ああ、やってしまった。」爪の中で血が固まり圧迫しているようで、盛り上がり親指も腫れぼったい。全く怪我の多い旅行だ。テープで保護して触らないように、「これ以上ひどくなりませんように・・・」 日程はまだまだ始まったばかりなんだから。

【 4 日目】

朝起きてびっくり、窓の外真っ白??隣の建物の屋根に雪がかなり積もっている。どおりで夕べ寒いはず。今日は川のシュノーケリングだというのに、雪ですか・・・ 何かついていない。顔の深い傷はまだ真っ赤だし、目の下は紫色、足の爪もさわるとズキン。はぁ、思わずため息。

7時ちょっと前に朝食へ。ダイニングルームのドアは閉められていて、その前で大勢が待っている状態、階段の上まで人。世界広しといえど、こんな状況初めて。一人に話しかけて事態が理解。この激込みの原因はチェコからの大団体様だ、どうやら航空機一杯でやってきた様子。せわしなく、養鶏場の鶏の気分で朝食を済ませ、8時過ぎロビーに降りたら、今度はそこが人であふれてものすごいことになっていた。皆さん大荷物もってcheckoutだ。やれやれ少しは静かになるかな。

Out door museum
Out door museum

今日のガイドはPalli。ドイツ人カップルと私の4人。少人数でちょうど良い。このカップルはフレンドリーでよかった。日本からというと、災害の状況をみんな聞いてくる。
途中コーヒーショップで着替え。もこもこのスリーピングバッグのようなつなぎを着て、そのうえにドライスーツ、顔からすっぽりマスクをかぶり、その上からゴーグル、防寒手袋。完全防備だ。それもそのはず、水温1℃の川へ入る。首周りと手首からの水漏れが心配。万が一隙間から水が入ってきたら、5分ともたないだろう。Palliも「防寒手袋は防水ではないから、水がしみ込んでくる。体が冷えて震えがきたらすぐに知らせること。我慢してると危険。」と皆に念を押す。顔のバンドエイドをできるだけ触らないように手伝ってもらって宇宙飛行士のような格好に。

両手を後ろ手にして水につからないように腰の上で組んで、ゆっくりフィンを動かす。深さ24mの川の流れに身を任せる。大きな岩板の底に青く深い谷が続いている。「死の世界」だと思った。何も聞こえない、生物もいない、ひたすら冷たく青い静寂の世界。すぐに顔があまりの冷温に痛くなってきた。ドライスーツのブーツが大きすぎて、フィンに力が入らない。流れが変わるところで体の向きをコントロールできない。ドイツ人カップルはダイバーのライセンス保持者といっていたから大丈夫だろうけど。Palliに後ろからフィンを押してもらって進む。

水の上に出している手の指がかじかんで動かなくなってきた。地下湧水のためここは年間を通して水温1~2℃で一定なのだそう。シュノーケリングは世界のあちこちで体験しているが、こんな環境は初めて。世の中にはまだまだ知らないことがある。水から上がると、低温のため皆顔が真っ赤。「ゆでだこ」ならぬ「凍りカッパ」の面持ちだ。顔の傷は何とか持ちこたえたみたい。ほっとする。冷たい死の世界からの生還だ。

着替えてランチ。どんぶり容器のラムスープ、パン、コーヒーで一息。3人はアイスランドのEU加盟の是非について話が弾んでいる。いまやアイスランドクローネは「ただの紙ぺら」と、Palliが言う。そうでしょうね、だって国内でしか通用しない、国際取引されない通貨は危険すぎる。まあしかし、経済破綻しても火山大爆発してもなお、こうやって外国人が普通に旅行できて、国内もいたって平穏、何も不都合ないのだから不思議。

さて、午後は洞窟体験だ、今日は盛りだくさん。雪道を車でひた走り、止めてからもずんずん歩いて(といってもぬかるんでひどい足場。行き違った別のグループはおそろいの防水つなぎ服にブーツのいでたち。ちょっとうらやましい。足元を確認しつつ、滑って転ばないように、しっぱねにも気を遣いつつ、3人の倍の時間をかけてゆっくり。)

平原にぽっかりとあいた穴が洞窟の入口。雪の傾斜に石がごろごろで、また滑り落ちたら大変と、Palliに手を引いてもらってやっと下に下りる。ヘルメットにヘッドランプをつけて、軍手をして、中に入ってびっくり。真っ暗闇のうえ、大きな石というか、岩板が下に散乱。左足がちょっとでも触ると飛び上がるほど痛い。全神経を集中させて1歩ずつ前進。天井がいきなり低くなって、頭をぶつけることもしばしば。ヘルメットは必需品。

洞窟は結構好きなので、日本を含めいくつかの国で、もぐっているが普通は鍾乳洞なので、天井は高く、照明設備もある。アメリカにいたっては車椅子でもアクセスできるよう整備されているので全く問題ない。しかし、ここは溶岩洞窟のうえ、照明など一切ない。健常者でもなかなか大変。がけくずれしたままの真っ暗闇を腰をかがめて手をつきながら進む。大人がしゃがんだ状態でやっと通り抜けられる狭いところが2箇所ほど。しかも段差がある。こんなところでつまづいたら、石と岩板でどこを怪我するかわかったものではない。

2~3箇所は見所でチェーンが張られていたが、何せ暗くてヘッドランプでぼんやり、暗闇に羊の白骨。「自然の状態」とも言えるが、まあ多くの国ではこのような状態では危険すぎて観光には開放されないだろうと思う。貴重な体験だ。

洞窟の一番奥まで行ったところで小休止。Palliがいつのまにか持ってきたhot chocolateをふるまってくれた。冷えた体にしみこむ。彼の合図で一斉にヘッドライトを消す。完全な闇の世界。全く光がないと、すぐに方向感覚がわからなくなる。
Palliが昔から伝わるという怪談話を聞かせてくれた。ひとつは、「昔、ある母親が望まないわが子をだましてここに連れてきて、かくれんぼをしながら置き去りにした」という話。う・・・ん、これは子供の霊がどうのというより、現実にありえる犯罪で恐ろしい。大人でもランプなしでは、今来たところを引き返すこともままならないもの。

3月の震災後の計画停電では、星空でもないのに、外が意外に明るいことに気がついた。ここは全くの暗黒の世界。今日のツアータイトルは“Blue&Black”、まさにそのとおり。合図でヘッドライトをつける。ほっとする。来た道を同じようにそろそろと、頭をぶつけながら戻り、出口に近づくと、外の光がなんと明るいことか。溶岩洞窟と石灰岩の洞窟がこんなにも違うのだと、よくわかった。いや今日は「慣れているはず」が実は「初体験」を2つも。またまた目からうろこ。少人数でフレンドリーな仲間と楽しい一日。

17時前にホテル着。今日のdinnerは港近くのSea Baron。評判のロブスタースープとPalliお勧めのミンク鯨の串焼きを注文。スープはなるほど美味。鯨肉は固くて、プラスチックのナイフとフォークで格闘することしばし。ついにフォークが突き刺さったまま折れた・・・後ろの客に笑われつつ、新しいフォークをもらってギコギコ10分以上格闘。前の客もさっきから同じ姿勢で、足を踏ん張り前後に腕を動かしている。隣の彼女はあきれて傍観。我が肉も全く筋が切れない。そのうちどうにも腕と、ナイフを握りしめた手が疲れた。(だいたい手の平はバンドエイドがべたべた)おまけに強火であぶるから、表面はこげているのに中は生で血がしたたるし・・・もう血は見たくない。

再び席を立って、焼き直しと小さくカットしてくれるよう頼んだら、しばらくして、金属のナイフとフォークを出してくれた。ああ、最初からそうして。 しかし、それでも結構ギコギコ。いやいやこんなに固いとは・・・だんだん笑えて来た。 切ってもなお大きな肉の塊をほおばると、あごまで痛くなるし。何十回も「あぐあぐ」して、無理やり飲み込む。味はほとんどない。まるでサバンナのライオンの気分。

とっても充実した、体のあらゆる部分を酷使した1日が終了。お疲れ様~・・・

【 5 日目】

7時ちょっとすぎに朝食へ。今日はがらがら、やっぱりチェコの大団体が混雑の原因。やっと落ち着いて普通に食べられる。考えてみれば、昨日から5月で宿泊料金は4月の倍額となっている。オンシーズンといわれればそれまでだが、同じ部屋で前日の倍かかるというのはため息ものである。まあ、この平和な朝のひと時をその差額で買ったのだ、と思うことにする。

9時にツーリストインフォへ。日本も消費税値上げで喧々諤々だが、世界的に見れば5%というのは全く低率である。この国はなんと25.5%。
旅行者は手続きをすれば少し戻るので、行ってみた。買い物をした店で確認したら、そこでもらったレシート等だけでいいとのことだったのに、窓口で違うことを言われ、出直す羽目に。とりあえず、今日1番の目的である、野外博物館に行く方法を確認して、バス1日券を購入。

まずはハットルグリムス教会へ。町の景色を見ながら、シャトルに似た景観で有名なランドマークである。展望台へ上がってみる。風が強いが町全体が良く見える。

Reykjavik
Reykjavik

その後、町一番の繁華街をぶらぶら、大好きなスーパーへ、入ろうとして目が点。営業時間が何だって?「11:00~18:00」??これがこの国一番の大手チェーンスーパーである。日本だったら商売にならんでしょう。11時まで同僚への土産選び、開店直後にスーパーで買い物、大急ぎでホテルに戻って荷物おき、早ランチを済ませ、12:13のバスに乗るべく教わったバス停へ。

ここで、本日最大のハプニング。乗車時に運転手に行き先を確認したら、言葉が通じない。身振り手振りで「野外博物館行きは反対方向なので、道の向こう側のバス停から乗れとのこと!」インフォのお兄ちゃんはここって言ったのに!そういえば、バス時刻表にわざわざ「運転手は英語を話せないので、つり銭のないよう小銭を用意すること。」って書いてあったっけ。
それはどうでもいいけど、とあわてて別のバス停に行くとNo.12バスは出たばかり。あと30分待たないといけない。がーん、この時期博物館のガイド付きツアーに参加するには13:00についている必要がある。12:44のバスではどうやっても間に合わないじゃん!しかも、やってきたバスに乗ったら、目的地まで45分もかかり、急いで博物館に向かったが誰もいない。チケット売り場の建物は鍵がかかっているし、後からでもツアーに参加できればと思ったけど人っ子一人いない。はあ~がっくり。

事前準備の段階から、現地の生活の様子を知りたくて、パーパスジャパンの担当の方にも交通手段とかいろいろ調べてもらったのに。
しかたないので、敷地内をぐるっとまわり、建物は窓から中をのぞいて歩く。夏は民族衣装を着たボランティアがデモをするそうな。でも今は雪が残ってるし。まあ、昔の村の生活と、部屋の様子は窓越しでもなんとなくわかった。入場券代が浮いたと思うことにしよう。やれやれ、ついてない。

町に戻るバスをしばらく待ってまた45分のバス旅である。ちょっと離れたバスターミナルで降りて、繁華街を逆方向から歩いてみることにする。途中眼鏡屋を見つけ飛び込む。岩から落下したとき、やはりフレームが曲がったらしく、ずっと気になっていた。両側の耳に均等にかからないので相談してみると、すぐ技術者が対応してくれた。しばらく待つと、きちんとひずみを直して戻ってきた。細かい幅の修正をしてもらい、完全に元のようになって感激!日本円で¥700ぐらい。レンズの傷はしかたないとして、帰国後眼鏡屋に行かなくちゃならないかと思っていたので、うれしい、これで心配の種が一つ減った。

安心したら、おなかが減ってきた。かの有名な、クリントン大統領が買ったというホットドッグ屋を探して、一つ食べてみる。普段はこのソーセージなるものが苦手で食べないから比べようもないが、味はまあまあ。国民食らしいので、試さないと。おなかの足しにはならないけど、なるほどやや甘みのあるソースは、アメリカのケチャップやマスタードとは別物で、独特。その後ケバブ屋で、チキン&ビーフのwrapとフライドポテト、ダイエットコークという典型的な即席ランチ。味と量は普通、値段はどこでも高めである。

アイスランドと日本の共通点がもう一つ、「水がただ」。これは旅行者にとってはうれしい。しかも、レモンの薄切りも取り放題だったりする。良質の水に、安心して入れられる氷とレモン。ありがたい。国によっては、毎日の水代が馬鹿にならないところもあるから。食べているうちに若者のグループで混んできた。土産屋をあちこち寄りながら、ホテルへ。

ロビーのTVでビンラディンがどうのと聞こえた。わさわさと周辺がうるさいので良く聞き取れない。フロントの女性に聞くと「米軍に殺された」とのこと!やっぱりそうだったんだな。今朝の朝食のとき、隣のテーブルのファミリーのお父さんらしき人が、その名前を口にしていたっけ。アイスランド語で内容はわからなかったけど「朝食の話題にビンラディン?何かあったんだ、もしかして・・・」と思ってた。その後ネットで確認。いやいやこれは大ニュース。

部屋のTVが映らずちょっと不便だったが、今回はソープ補充なしやら、電球切れやら、湯沸しポット故障やら、毎日何か取り替えてもらう羽目になっていたのでちょっとうんざり、TVはあきらめた。だいたい夜は早めに休まないと、けが人だし・・・
いつものようにシャワーの後、消毒とバンドエイド交換。足の爪は盛り上がったまま。触らないようにテープで保護。これこそ帰国後、医者直行だなあ。

【 6 日目】

朝から快晴、目のさめるような青空。アイスランドについて初めてだ。レイキャビク最後の朝食へ。2,3組しかいなくて静か、いい朝だ。メニューは5日間、何一つ変化なし。

今日は午前中何も予定がないので、チョルトニン湖まで散策。青空を見上げつつ、まだひんやりとする朝の空気が気持ちいい。こうでなくちゃね。路地が入り組んでいるので、方向音痴だからすぐまごつく。でも通りすがりの人でさえ、皆英語が通じるのでありがたい。
国の人口をはるかに超える観光客が世界からやってくるアイスランド。世界の共通語がどこでも通じるというのは大きな強み、振り返ってわが祖国。日本語が全くわからない外国人が一人町を歩けるか?観光立国も今や放射能で頓挫しているが、観光名所だけでは客は増えない。

市庁舎も国会議事堂も湖(というか大きな池)周辺にこじんまりと建っている。皆が驚くように塀も門も守衛もない。こんなオープンなところは世界でもここぐらいか。だいたい道から事務室の椅子や机が見える。まだ皆通勤していないのね。
引き返しながら、ツーリストインフォにtax refundのリベンジ。9時からというのに窓口は閉まったまま。別の係員に聞くと、電話で呼び出してくれた。10分遅刻で係員出勤。自分の労働環境を思い出し、こんなきれいな建物の中で、のどかにゆったり仕事できていいな、とうらやましくなる。

ホテルに戻る途中、スーパーで買出し。なんせ、今日移動するブルーラグーン周辺は何もない。しかし、今日はブラウス1枚で歩いて汗ばむくらい暖かい。防寒着でぶるぶるの先日がうそのよう。部屋で荷物整理、迎えのバスに乗ってバスターミナルへ。乗り換えてブルーラグーンへ1時間弱のバスの旅。ついうとうとして気づくと、辺りは別世界。ゴツゴツした茶色の溶岩台地がずーっと広がっていた。

14:00 Northern Light Inn チェックイン。溶岩台地がホテルの敷地を囲んでいる。というか、「溶岩をかき分けて、ホテルを建てた。」というのが正しそうだ。ホテル周辺は荒涼とした風景、太いパイプラインが大地を這っている。部屋の窓からは高さ2m超の溶岩の塊が自然の塀と化して、何も見えない。

荷物をおいて、すぐブルーラグーンへ。シルキーブルーの巨大温水プールといったところ。シリカ泥の容器がおいてあるところに行って、顔に塗ってみる。傷口に触らないようにそろそろと。真っ白の泥で粘着性がある。風強く、湯から上がるとブルブル。レイキャビクはあんなに天気良かったのに、こちらは曇り空。

案内板には、地下深くから高温の海水をくみ上げ、真水を混ぜて供給しているとある。確かに塩味がある。石灰で白濁し、わずかな青色は水中に生息しているバクテリアのため。残念なことに詳しい成分表はどこにもない。途中採水している係員を見かけたので、定期的に水質検査はしているようだ。ま、公衆衛生のため当然だろうけど。

Blue lagoon
Blue lagoon

bathing at Blue Lagoon
bathing at Blue Lagoon

夕方ホテルに戻り、ロビーにPC発見。メールとニュースのチェック。上司に「時々は日本の様子も確認するように」と念を押されてきた。日本のサイトは震災・原発、USサイトはビンラディンのことでもちきり、好対照だ。

平屋建てのホテルは部屋まで結構距離がある。途中に休めるソファや椅子の部屋がいくつかあり、話し声がすると思ったら男性ばかりのグループががいた。ドイツ語のようで内容はわからないが、なにやらディスカッション、何かの研修か、仕事がらみのようだ。

ホテルにもレストランがあるので、一応メニューをチェック。う~ん、目ぼしいものなし。部屋に戻ってレイキャビクで買い込んだもので夕食。

日没は何と22時過ぎ。いつまでも明るいので、時間の感覚がなくなる。部屋のTVを見たり久しぶりにのんびり。

【 7 日目】

もう1週間すぎたのだと、しみじみ。朝からどよーんと厚い雲。気分も晴れませんな。
7時朝食。ダイニングルームに入って、一瞬ぎょっとする。ミリタリー迷彩のつなぎ軍服の一団が一つのテーブルを囲んでいた。昨日の男性グループは、軍人だったんだ。皆黙々と食べ、仕事顔になっている。こちらは窓際の一等席を陣取り、外の荒涼とした溶岩台地と、ブルーラグーンの施設を眺めながらのんびり。

クロワッサンがおいしい。アイスランドのパンは、素朴だが焼きたてはついつい、食べすぎ。だってクラストかりっ、中はふんわりまだ温かいって、何より最高、ジャム類も手作り風でさっぱり。砂糖とペクチンで固めた出来合いのとはわけが違う。・・・・これを書いていても思い出して、生唾もの。ああまた食べたいなあ・・・。

食べているうちに雨が降ってきた。やれやれ、ほんとに天気がめまぐるしい。ブルーラグーンは10時オープン。大きなガラス窓に面したソファにうずもれて、足を放り出して、市内で手に入れた旅行雑誌を読んでうとうと。こんなにのんびりは震災後初めて。帰国後はまた目の回る日々が待っている。今だけ貴重なひととき。

10時過ぎ、ブルーラグーンへ。再び泥パックを念入りにぬったくっていると、男性がひとり近づいてきた。二人で顔を真っ白にしながら立ち話。カリフォルニアから昨日ついたばかりという。顔の怪我のこと、日本の災害のこと、アメリカの失業事情のこと・・・たわいのない世間話だが、一人旅にとってはたまに、まとまって人と会話するのは楽しい。

温泉規模はかなり広いので、足をかばいつつ湯の中をあちこち歩く。場所によって湯温に差がある。白濁して中は全く見えないし一面湯煙で真っ白。ライフガードが常駐して移動しながら監視している。確かにこれでは誰かが湯の中に沈んでいてもわからないかも・・・

2時間も湯の中に浸っていたらさすがにふやけてきた。そそくさと建物に戻り、シャワーを浴びて着替え。何せ海水主体なので、髪の毛はぎしぎしにこわばる。備え付けのシャンプーとコンディショナーで丁寧に洗う。

食事は2箇所で可能、どちらも割高だが周辺には店も何もない。温かいものが食べたくてレストランへ。クラブサンドイッチにフライドポテトがついて¥1500ほど。味も量も普通。大食いには物足りず、隣のカフェテリアでソフトクリームをペロっと。

15:00すぎホテル戻り。ソファで紅茶を飲みながらぼーっと本読み。しばらくして、またミリタリー服の一団がチェックイン。この民間ホテルを拠点に何の活動だろう。みんなで集まってきてミーティングを始めた。興味津々だけど言葉が理解できない、残念。

明日は早くも帰国日。5:00朝食、5:30出発とのこと。荷物をまとめ今日は早く寝ることにしよう。

【 8 日目】

05:00 朝食へ。出発時間に合わせて朝食を準備してくれている、ありがたい。メニューもひととおりそろっているが、クロワッサンがなくて残念。すぐに男性客が一人やってきた。「あら、この人も早い便で出発なんだ。」食べ終わると同じバンに乗り込み、空港へ。話してみると、Iceland Airのアメリカ人パイロットだった。かなり年配だし、私服なので気づかず。昨日着いて、一晩泊まり、今日はロンドン行き便のシフトだそう。定年退職後、第2の職場とのこと。

まずは空港の裏側へ、施設ゲートのセキュリティを通って彼を降ろす。思いがけず普段入れないところを車窓見学。“Safe trip!”とお互い挨拶して見送る。ドライバーが運転しながら、日本の様子を聞くので少し説明。とても気の毒に思ってくれて「アイスランドは人口が少ないから、日本人が住む場所に困っているならここに移住すればいい、ウェルカムだ。」といってくれた。旅行中感じていたが、ここの人はみな「誠実で親切」である。アジア系といって色眼鏡でみられることも、扱いに差を感じることもなかった。何か聞けば皆きちんと対応してくれた。これは本当に貴重なお国柄である。ずっとこのままでありますように。

空港で降ろしてもらってお礼をいってドライバーと別れる。中に入ると、チェックインカウンターの前の長蛇の列。まだ6時ちょっとなのに、何列にも折れ曲がった列が延々と。ちょっとめまいがする、いったいどのくらいかかるんだろう・・・
帰りは定刻どおり飛んでいるみたいで一安心、でも急げー。コペンハーゲンで言われたことを思い出し、とにかく残りのクローネを使い切るのに必死。時間との戦い。最後には財布の中身を出してみせて「これで買えるか計算して!」とパン売り場で聞いて、残り手持ち81krで終了。我ながらすばらしい出来!

急いでゲートへ。搭乗してシートに座ったとたん疲労が押し寄せてきた。左足も痛む。伸ばして一息ついていたら、後から乗ってきた子供が脇を通るときにペットボトルの飲み物を落として、何と左足先に命中。「痛ったーい!!」と涙目。靴は履いていたが、よりによって何でここで落とすのよ!全くついていない・・・頭の中は「成田についたら即空港クリニック」。

【 9 日目】

コペンハーゲン経由で無事成田着。もうへとへと。しかし空港クリニックへ。が、「ここは内科医しかいないから」と断られ、地元に戻ることに。
帰宅後、疲労もピーク、しかし明日は医者も休み。最寄りの病院を調べて受診。「爪が死んでいるからいずれにしても取らないと下から生えてもぶつかる」、ということで、麻酔注射2本(これがまた顔が引きつり、思わず声が出るほどの痛み)のあと、爪はがし。

その後は仕事と通院の日々。爪の生え代わりにはまだまだ時間がかかりそう。顔の傷もそのままくっきり、人相最悪。ハプニング満載の旅行でした。

出発直前まで本当に行けるかどうかも不透明な中、パーパスジャパンの横田さんには親身に相談と調整をしていただき感謝しています。お世話になりました。

ツアープランナーからのコメント

お帰りなさいませ。そして、いつもながら一緒に旅をしている気分になれる旅行記、ありがとうございます!アクシデント続きだったということでしたが、それでもなんとか、アイスランドの自然を満喫していただけて良かったです。今後とも、よろしくお願い致します。

ページのトップへ