ギリシャ・スーパーリーグ第23節
「パナシナイコス vs OFIクレタ」観戦の旅
期間:2013年2月21日~2013年2月26日
K.A 様
今回ギリシャに旅行するにあたって
第一の目的はギリシャスーパーリーグに移籍した梶山陽平の出場試合を見ること、次は、私が人生で最初の海外、32年前にヨーロッパ旅行をした時に最初に足を踏み入れた国がどのように変わっているのかを見ることでした。
結果的に言うと、観に行った試合には梶山陽平が出場しなかったため、第一の目標は実現しなかったのです。しかしながら、客席で梶山と会って一緒に観戦できたし、翌日にも観光することができたので良しとしました。第二の目標である「ギリシャの変化」についてですが、それは一口で言い表すことができません。
私が最初に渡航したときには、成田空港は遠くて交通の便が悪く、自家用車で送ってもらうかエアポートリムジンを利用するしかなかったのです。今回、往路は成田エクスプレスを、復路は京成スカイライナーを利用しました。早くて快適で、何よりも駅を出たらそこはすぐ空港だという利便性に驚きました。
ただ、機内はちがいます。当時は南周り航路でジャンボジェットと呼ばれた機種を利用して行ったのですが、エコノミークラスにもかかわらず足元は広くて、隣で寝ている人を起こさずにトイレに行くことができました。
当時に比べると、機内設備や機内食は格段にグレードが上がっているのかもしれませんが、エコノミークラスの座席の前後の狭さは、長距離バスの方がまだましと感じるほどでした。大量輸送によって燃料の節約をして運賃を抑えようとする航空会社の苦労を実感しました。
しかしながら、往復すべてエミレーツ航空を利用して本当に良かったと思います。何よりドバイ空港の巨大さ、便利なこと、今後、もしまたヨーロッパに行く機会があったら、迷わずエミレーツ航空を選ぼうと決めています。
今回は、真冬の日本から初春のギリシャへの旅行でした。
成田で厚ぼったいコートを脱ぎ、スーツケースに入れてから荷物を預けたので、あとは空調のきいたドバイ空港で冬用の装備を脱いで手荷物にしまうだけでした。2月末の日本とギリシャでは気温が10度違う日もありました。
往路は、機内で過ごす時間が長かったのに下着や靴下などの着替えを手荷物に入れ忘れ、ちょっと不快だったので、復路は、ドバイ空港や成田便で下着だけでも取り替えられるようにちゃんと準備をすることができました。
ドバイには誰でも利用できるシャワー室があるので、次がもし暑い季節なら空港のシャワー室を使ってみたいです。今回は、トイレに設置してある、ムスリム用のシャワー(ビデの代わりと思われます)を使って足だけ洗いました。冬なので、たったそれあけでもさっぱりした気分になれました。
ギリシャの空港に出迎えてくれた現地コーディネータ Thanasis 氏は、タクシーの中でさっそくギリシャの基本情報から観光案内まで色々話してくれました。高速道路なのに途中徐行してアテネ市を一望できる路肩から翌日に行くオリンピックスタジアムを見せてくれたり、市街地に入ってからは名所等も紹介してくれて、大変楽しめるドライブでした。
私たちは時間がなく残念ながら利用できませんでしたが、島めぐりのクルーズも企画しているとか。次は是非利用したいものです。
ホテルでまたビックリしたのですが、ホテルの側で部屋をグレードアップしてくれていたのです。3階の角部屋で、目の前に国立庭園の緑がいっぱいに広がり、広いバルコニーに出ると、議事堂、その上にリカベトスの丘が一望できます。
ベッドも、シングルとは思えない広さで、それが2台にサブベッドが1台置かれていました。1月に都内のホテルのダブルルームにサブベッドを追加して泊まり、その狭さにうんざりした記憶があったので、今回のアマリアホテルの部屋の広さ、ホテル側の厚意がうれしかったです。
バスルームのアメニティもとても充実していて、湯量は豊富だし浴槽は清潔、掃除も行き届いていて何一つ不満はありませんでした。
クリーニングの際に、タオルの追加やコップの補充など、「ギリシャ語指さし辞典」という本を見ながらメモ書きしてチップ(5€)と一緒においておけば、至れり尽くせりのサービスでした。ちょうど日本でノベルティにもらった2色ボールペンを何本か持ってきていたのでチップと一緒においたり、最終日には「ひなあられ」を置いて、その説明をギリシャ語で書いておいたりしました。
着いた日の午後、パナシナイコスのオフィシャルショップに行こうとしたのですが見事に道に迷ってしまいました。そこでまず地下鉄の駅を探しました。町で出会った人たちはみんなとても親切で、地図を見ながら教えてくれました。
さんざん歩いていざ駅についてみると今度は切符の買い方がわかりません。券売機(らしき機械)を前に3人でごそごそ相談していたら、とても親切な女性が現れて、目的地を聞いて懇切丁寧に仕組みを説明してくれました。そして乗るホームまで付いて来てくれました。雨が降って来て冷え込んでいたのですが、ほっこりと暖かくなりました。
地下鉄の車内は日本と変わらず、4人掛けの対面式シートが多いほかは電光板や車内アナウンスなどもちゃんとあって、観光客にはわかりやすいと思いました。外装も変わった所も無く普通でしたが、翌日乗った路線は、街でよく見かけるグラフィティが一面に描かれていて、ちょっと驚きました。
日本と決定的に違うのは、切符と改札の仕組みです。2時間券、24時間券があって、改札は券に打刻する場所であって、合法な券かどうかチェックする場所ではないのです。改札の機会はまるでパーキングメーターのような形をしていて、それが広い通路に15機位並んでいますが、ほとんどの人はその機械に目もくれずにすっと通りすぎて行きます。後でわかったのですが、金曜日の夕方なので定期券で通る通勤客だったのだろうとのこと。
それでも、私達には奇異に映りました。時間などいくらでもごまかせるのでは?検札が来れば取締りがあると言ってもあまり頻繁ではない様子だし・・・現に、翌日乗った車両には物売りが入りこみ、2駅間歩き回って何事かをがなりたてて降りて行ったからです。彼らは無賃乗車なのでした。
一旦ホテルに戻ってお土産を置いて、ビザンティノという、Thanasis 氏が勧めてくれたレストランに行きました。メニューに書いてある日本語には笑ってしまいましたが、魚介類は美味しく、軽いテイストのビールととてもよく合い、フェタチーズも思ったほど臭みを感じることなく、満腹になりました。
その後、夜まで開いているとガイドブックに書いてあったプラカ地区に行ったのですが、雨が降っていたせいか8時にも関わらず、ほとんどの店は閉まっていました。その中で開いていた、観光客だけではなく地元の人も入ってくる食品雑貨のお店で、いわゆる「バラマキ系」お土産をたくさん買うことができました。
ホテルに帰ってお風呂に入り、寝心地の良いベッドで朝までぐっすり眠りました。
朝、鳥の声で目が覚めました。国立庭園に集まってくる鳥でしょうか。こんな都会の真ん中で、まるで高原の朝のような目覚め方ができるとはびっくりです。夜が明けたころにベランダに出てみたら、シンタグマの議事堂とリカベトスの丘が朝焼けの中でくっきりと見えたので、思わず写真を撮りました。
朝食はふつうのバイキングなのですが、本当にとても美味しかったです!噂に聞いていたギリシャヨーグルトを食べてみました。濃厚で、酸味が少なく、ギリシャ名産の蜂蜜、その蜂蜜に漬け込んだダイダイの皮、シリアルやドライフルーツなど、バリエーションも豊富なのでいくらでも食べられます。3人とも食べ過ぎてしまいました。
2日目はまず国立庭園を散策したのち、東に抜けて大統領府に出ました。土曜日だったので衛兵の軍服は紺色でしたが、ちょうど移動していて、とても面白い動きをカメラに収めることができました。
そこから歩いて、リカベトスの丘に向かいました。でも3人で歩いていると、誰かがあっちに引っかかり、この店をのぞき込み、スマホで写真を撮り、となかなか道のりがはかどりません。でも、自由な旅行なのでそれが楽しいのです。シーズンオフの今の時期は歩いている観光客の姿があまり見られません。オープンカフェのテーブルに陣取っている地元の人たちもなんとなくのんびりしているようでした。
リカベトスの丘はかなり急で、民家の間を大理石の石段でまっすぐに登って行くのです。後ろを振り返って絶景にため息をつきながら、道端のベンチで猫をなでながら、ゆっくりのんびり登って行きロープウェイに乗りました。残念ながら山腹の地中を通るので景色が見えませんでしたが、丘の上について、一歩踏み出した時に、なぜトンネル式なのかわかるような気がしました。本当に絶景です。
久しぶりに晴れた空の下で、ガラス窓に遮られることなく、向こう側を覆い隠すようなガラス張りの高層ビルもない市街地を、アテネの丘の上から一望することができたのは、本当に幸運でした。素晴らしいの一語に尽きる体験でした。
山頂で若いころに撮った丘の上の聖ゲオルギウス教会を、同じ角度から再度カメラに収め、満足しました。
次に方向を変えて、リカベトスの丘をコロキナ地区に向かって下りました。
途中で甘い物やスムージーなどを買って食べ、また道を聞きながら中央市場まで行ってみました。大通りには、デパートのような大きな建物が建ち並び、テナント式なのでしょうか、高級ブティックが入っています。その向かいに靴、服、バッグ、寝具、食器、それぞれ家庭で使うような商品を並べた専門店がずらっとあります。
市場というのは1軒の建物を言うわけではないようです。皮製品、陶器、手芸用品、いろいろなお店がぎっしりと立ち並んでいます。たとえば手芸用品は、日本人だったらユザワヤとかオカダヤとか、一軒の総合店舗の方が便利ではと思ってしまうのですが、ボタン屋さん、生地屋さん、毛糸屋さん、コードやチェーンのお店、帽子の飾りだけ売っているお店、そこにアテネマダムやお嬢さんたちがたくさん群がっています。自分のお気に入り、行きつけのお店があるのでしょう。
一本道を曲がると、電気製品の街路。次には陶製品の街路。ちょっと奥まった道には金製品のお店がひっそり並んでいる・・・その区画に来れば多分日常必要なものは何でもそろうのでしょう。その「なんでもストリート」を抜けナッツやオリーブを売るお店がたくさん並んでいた角を入るとそこには・・・・・・
日本では絶対にお目にかかれない、一匹まるごと「ぶた」「ひつじ」「にわとり」「うさぎ」が皮を剥かれて吊り下げられていて、ギョッとしました。思わず目が合わないように、わき目も振らずにすり抜けてみると、今度は魚市場です。氷の上に、魚、たこ、いか、えびが所せましと並べられています。塩辛声のおじさん達がどんどん声をかけてきます。
「China?」「ニイハオ?」「Chinese?」
「no!!Japanese!!」
高い天井、塩辛声、どんどん声をかけて来るなれなれしさ、世界中どこに行っても市場って変わらないものだと実感しました。
野菜売り場は通りを隔てた別の一角にあります。日本と決定的に違うのは、その時期に取れる野菜しか売っていないということです。そのかわり、安いのです。完熟トマトが1キロ2€??日本の1.5倍の大きさのズッキーニは5本で1.5€?クレソンに似た葉野菜がどこに行っても置いてあったのですが、ひと箱いくら、という感じで売っていました。
本当はオリーブを買いたかったのですが、どの店でも最低でも20種類くらい置いてあって、試食させてもらおうにもオリーブだけでお腹いっぱいになりそうな気がして、今回は断念しました。
土曜日だったせいか、街中に家族連れがたくさんいて、どのお店にも人がいっぱいでした。日本よりも家族単位で行動することが多いとは聞いていたのですが、ここまでとは思いませんでした。
その後ホテルに一旦戻り、スタジアムに向かいました。もちろん地下鉄です。シンタグマから乗った線はごく不通の地下鉄だったのですが、郊外のオリンピックスタジアムに向かう線路にはビックリしました。乗った車両もすれ違う車両も、アメリカや日本、ヨーロッパ各地のビルの壁や高架橋などの建造物の側面に見られる「グラフィティ」で極彩色に彩られていたからです。
さらにオリンピックスタジアムの最寄り駅に到着してびっくりです。人がいなかったからです。
日本でJリーグが開催される日の最寄り駅は、双方のチームカラーを着たサポーターで何時間も前から一杯です。特に FC 東京という、日本の首都である東京にあるチームのサポーターからの視線で見ると、アテネという首都の、しかもチャンピオンズリーグに出場したこともあるようなクラブの試合がある日だとはとても思えないほどの閑散とした様子。少し心配になって何度もチケットの日付を確認してしまいました。
スタジアムに近付くにつれて、アテネオリンピックの時に建てられたたくさんの施設と巨大なモニュメントが見えてきて、その威容に打たれました。ちょうど月も昇って来て、巨大生物の肋骨のようなオブジェの上に出たので、写真を撮りました。
スタジアムに、盾を抱えた機動隊が何十人も行進していて物々しい雰囲気でした。ゴール裏のサポーター席では発煙筒を焚き、轟音を立てる爆竹を何発も鳴らして応援するのですが、観客席が何千人という少なさで、試合の始まる30分前になっても客席が埋まることがなく閑散としていたのが、ものすごい音と裏腹に寂しい限りでした。ふと振り返ると、さっき盾を抱えて行進していた警察官たちが何人も並んで観戦しているのです。この日本では絶対にあり得ない「職権乱用」には笑ってしまいました。
メインスタンドの指定席のチケットを取ってくれていたのですが、座席はとても汚れていて、なんだかベタベタしていたので、日本人である私たちはとても直に座る気になれず、仕方なくシートやビニール袋を敷いて座ることにしました。また、スタジアムの壁も床も階段もひびが入ったりブロックが脱落したりしていました。
またトイレのフラッシュバルブのボタンも完全に取れてしまっているので、どうやって流したらいいのかわからなくて、結局壁の穴から飛び出したバネの付いた金属の棒を恐る恐る押すと水が流れる、というマンガのようなシーンがあったりして大笑いしました。
アテネオリンピックってたしか12年前だったはず・・・12年も補修も何もせずにいれば、どんなきれいな施設でもこうなるよね、と、皆で納得してしまいました。
試合そのものは、梶山選手も出場せず、内容も低調でしたが、パナシナイコスの勝利で終わりました。
その後、ホテルからほど近いプラカ地区でパン屋さんを見つけて入り、夜食を買って帰りました。きのこや鶏肉、ホウレンソウの小さなパイですが、パイ生地が案外しっかりしていて、パラパラ崩れることなく、また翌日も食べたのですがガチガチ固くなったりせずに、美味しかったです。
日曜日は、朝早起きしてアクロポリスに登りました。大通りを回るのでは面白くないので、まだどこの店も開いていないプラカ地区を抜けて、丘の南東側に出ました。普通の住宅やお店の間の道を行くと、たくさんの猫たちと出会うことができました。
プラカ地区を抜けてアクロポリスの丘に立ち並ぶ民家の中を通り抜けながら登り始めたのですが、観光地なのに一般の人々の家がたくさんあって、本当にここは世界遺産なのだろうかと思ってしまいました。よく見れば、どの家々も綺麗に塗り分けられていて、道も敷石が外れたり欠けたりしているところは丁寧に漆喰で補修されていて、地元の人の手造りの看板が掛けられていて、世界遺産に住むとはこういうことかと理解しました。ここにも猫がたくさん住んでいて、道案内してくれました。
その後昼食にと、お手軽マクドナルドに入ったのですが、ここでも驚きがいくつかありました。注文している私の後ろから、おじさんがどんどん店員に注文し出すのです。また、アメリカでビックリしたことがあったにもかかわらず、実際にまたハンバーガーの直径を見てその大きさに改めて呆れました。
何と言っても一番驚いたのが、トイレを自由に使えないことです。前日、リカベトスの中腹でカフェのトイレを借りた時には快く貸してくれたことを考えると、その落差に首をかしげてしまいます。トイレの入り口にキーパッドが設置してあって、暗証番号を入力しないと個室どころかトイレのある区画にすら入れないのです。そこではたまたま出てくる人がいたので利用することが出来ましたが。
翌日入ったスターバックスも同じ仕組みのキーパッドだったので、他のお客さんに聞いてみたところ、お店で品物を買った人だけが利用できるように、使いたいと言えば「今日の番号」を教えてくれるんだそうです。私たちはコーヒー等を買っていましたので、今度はちゃんと暗証番号を教えてくれもらって、無事に利用することが出来ました。きっと、綺麗なお店の綺麗なトイレを無料で利用とする人たちがあとを立たなかったんだろうなと考えてしまいました。ギリシャのゆるさの陰に、それを制限しようとする他国(アメリカ資本)の厳しさを実感した瞬間でした。
アクロポリスは以前見たときよりもクレーンなどの機材が目立ち、少し興ざめしてしまいましたが、胸壁の上からの市街地の眺めは絶景でした。それにしても、この修復作業はいったいいつになったら完全に終わるのだろうと心配になってしまいました。行ったのは日曜日だったので作業そのものは休みでしたが、平日に行ったら修復の巨大クレーンが稼動しているわけですから、もし日本だったら立ち入り制限されそうな気がします。でも何と言ってもここはギリシャ。そんなことはなさそうです。
一休みしてから徒歩で国立考古学博物館に行き、ギリシャ彫刻をたくさん見ました。その後、地中海の見えるお勧めのオープンカフェでのんびりしました。いくら暖かいとはいえ、泳いでいる人がいたのには驚きましたが、監視員などいないし誰も気にしていません。ウェイターさんもすぐに注文を取りに来ることもなく、30分以上待たされ、せっかちな日本人は落着かない気分になりました。注文をしてからさらに30分以上待たされ、やっとありついたチョコレートスフレが本当に美味しかったです。
ギリシャでは、待つこと、待たされること、待たせることに何の苦情も出ないようです。急いでいる人は、マクドナルドのおじさんのように、後ろからどんどん言うし、また言われても前の人は気にしないようです。日本と時間の感覚が違うということに気づかされました。
話は前後しますが、ホテルのエレベーターに「開ける」ボタンはあっても「閉める」ボタンがなかったのにも同じ感覚があるのではないかと思います。また、地下鉄にも発車ベルというものがありません、その以前に「時刻表」がないのです。駅の行き先表示の電光板にも「行き先」だけ書いてあって「発車時刻」はありません。
最終日には
ひたすらお土産や自分たちのために買い物をしました。その時に Tシャツを買ったお店で言われたことが印象に残りました。
「あなたたちは日本人でしょう?」
それまで、どこに行っても「ニイハオ、Chinese?」と声を掛けられてちょっと面白くない思いをしていたので、「なぜ分かるんですか?」と逆に問い返してみました。
「日本人は、全体的に見てとてもバランスの良い服装をしている。それに物静かに歩いているし、店員と気軽に話をする。買いたいものだけじっくり見て、必要なものを買って行く。それに、スターバックスのカップを持ち歩くアジア人は日本人しかいない。中国人は、スターバックスは割高だと知っているからまず入ることはない。お土産店に入って来ても自分達だけで話していて、見るだけ見て出て行ってしまう。大声で話すし、あちこち指さすし、試食を出すと群がって、集団の全員がいくつでも食べて、そして買わない。中国人はあまり好かれてはいないけれど、最近では日本人があまり来ないから・・・・・・。」
確かに、私の若いころ「ノーキョー」と海外で軽蔑的に言われていた日本人観光客ですが、顰蹙(ひんしゅく)を買いながら、旅行会社や旅行雑誌などの啓蒙で一生懸命マナーを向上させて、40年以上かけて海外でも立派に通用する行動をとれるようになったのです。それは、もともと日本人は配慮や慎みという言葉を知っている民族でしたから、短期間で可能になったのだと思います。もちろん全ての日本人がマナーを守っているわけではないこともわかっていますが、ギリシャで少しでも日本人のイメージ向上に役立ったかなと、ちょっぴり嬉しくなりました。
経済の低迷や治安の悪さを取りあげられて、日本では人気のないギリシャ、今回梶山選手が移籍することがなければ、おそらく行こうとは思わなかったと思います。でも行ってみて本当に良かったと思っています。
治安も、アテネ市内はとても安全に感じました。観光立国である以上、治安が悪いと言われるのは死活問題だと思います。夜の9時過ぎは深夜とは言えないですが、女性3人でプラカを歩いていても何も不安を感じませんでした。確かに人通りもハイシーズンよりもずっと少なく、スリや押し売り等も近くまで寄ってこられないからでしょうか、怪しい人も見かけませんでした。経済面はどうかと言うと、問題山積と感じました。
表通りのビルには空室が目立ち、多分ギリシャ語で「テナント募集」と書いてあると思しき看板や紙が張り付けてあるのをよく見かけました。裏通りの建物は、一つ一つが独立しているわけではないので、日本のように一角だけポカリと空き地になっている、というようなことはありません。でも近くによって見ると窓には板が打ちつけられ、隙間から中を覗くと天井も壁もなく青空が見え、完全に廃屋になっているのがわかります。そんな建物が何軒もあるのです。
コロキナ地区から市場に向かう途中では、これも推測ですが「歴史的建物復元工事中」と書いてあると思しき看板を掲げて作業している由緒ありそうな建物も見ましたが、プラカでは崩壊寸前といった建物を何軒も見ました。
道が大理石で舗装してあるのには驚きましたが、縁石が欠落していたり、舗装敷石の下の地面が沈下して歩道の真ん中に大きな窪みが出来ていたり、足首まで浸かりそうな水たまりになっていたりしたところもたくさんありました。歩道も車道も平らではなく、車もバウンドしたり坂の下ではおなかを擦ったりしていましたし、まっすぐ歩けないような場所もありました。日本であれば、観光用の貸自転車が流行りそうな面積のアテネ市内ですが、自転車やベビーカーには非常に「やさしくない」街だということがよくわかります。バリアフリーという概念もあまりなさそうです。もちろんアクロポリスやリカベトスには車椅子では登れません。だからと言って助け合いの精神がないということではないのです。車椅子の人や杖をついた人、困っている人には必ず声をかけ手を差し伸べる、そういう姿を何度か見かけましたから。
それに、生活必需品や食料品については市場で見かけた通り、本当にとても安いのです。日本とは決定的に違って、市街地にはコンビニが一軒もありません。デパートはありますが、大型のスーパーマーケットは郊外の住宅地近辺にしかありません。銀行も、金曜日の2時まで営業すると、土日は完全に閉めてしまいます。住民には場所がわかる、ATMのような支払機は稼働しているようですが、建物の外側にむき出しで機会が設置してあって、強盗やひったくりの心配がないか気になるところなのですが、利用している人たちは一向にお構いなしのようです。
まず街中のいたるところに、肥えた犬が放し飼い状態になっていたのを見てとても驚いたのですが、立派な首輪に鑑札をつけていたので、保護されている「公認街犬」だとわかりました。手厚く保護されているので、大統領府前の公道のど真ん中で悠然と座り込んでいても誰も、衛兵さんたちでさえ追い払ったりしないですし、シンタグマに面した一流ホテルの玄関先でドアマットを別に与えられてその上でごろりと寝ている姿を見ても、いじめたりする人が誰もいないことがよくわかります。公道を走る車さえも、ちゃんと避けて走るのです。日本では絶対に見られない光景でした。もちろん、猫も同じです。日本でも、街猫が人を恐れず幸せそうな顔をしている街は住みやすいと、一部で言われているのですが、ギリシャの街猫はみんなとてものんびりした表情を見せてくれました。埃だらけではありますが、みな一様にいい顔をしているのです。住んでいる人たちがかわいがってくれている証拠だと思いました。
若いころには、「外人」「日本人」というきっぱり分けたものの考え方をしていたように思うのですが、半世紀以上生きてきて、親になり、今ではとりあえず人生経験もある程度積んできて、アテネやドバイで民族・人種が違う大人・子供たちの中に、自分が経験したような、同じような姿を何回も見ました。駄々をこねたり叱ったり、楽しそうに笑いあったり、子供がおばあちゃんに何かをねだってお母さんがすごい勢いでおばあちゃんと言いあったり・・・・・・何を言っているのか正確には分かりませんが、おそらくこんなことを言っているんだろうな、と自分の経験から推察がつくだけに、ほっこりと暖かな気持ちになりました。人間はどこに住んでいても同じ人間なんだと実感しました。
さらに、「普通って何だろう?」と、考えることが出来ました。
「あれがなくちゃダメ、これが足りないと生きられない」「時間がない、早くしなきゃ」「順番を守らない人には腹が立つ!!」「待たされるなんて許せない!」と、いつも追い立てられるように、また自身を急かすように暮らしてきた私に、小休止の大切さや急がない生き方、何かがなくても生きていけるんだよ、と教えてくれたような気がします。
郷に入っては郷に従え、そうすれば本当に楽な気持ちで偏見なく物事をとらえられる、そんな素直な気持ちになれた3日間でした。
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