バスクと高級ワイン産地リオハをめぐるグルメ旅 7日間

期間:2017年9月26日~2017年10月2日
曽根 様

GON-001272

1日目:9月26日

羽田発 → 機中泊

2日目:9月27日

→ ビアリッツに到着

ビアリッツ空港からバスで市内に移動し、宿泊先の MERUCURE へ。
まだ昼の12時前だったのに、なんとチェックインができて、部屋に一旦入り長旅で疲れた体をベッドに横たえて一休み♥ なんてありがたいホテルの対応でしょう!!

フロントの担当の方は誰もが親切で、ビアリッツの主要なビュースポットを教えて頂き、少し足を延ばしてバスで行けるバイヨンヌにお出かけしました。

ビアリッツに戻り、真夏のような日差しの中で海水浴やサーフィンを楽しむ人々や高級ホテルを眺め、お勧めスポットのマリア像越しにサンセットの時間をのんびり過ごしました。

その日の夜はホテルでお勧めされた、ミシュランガイドに登録もされているバスクキュイジーヌのレストラン「 Clos Basque 」で食事。友達と魚料理と肉料理を一品ずつオーダーしましたが、盛り付けの美しさに、ソース・具材を生かした火加減・味つけ・全て大満足でした。

3日目:9月28日

ビアリッツから車でエスプレット → アイノア → サンジャンド・リュズ → サン・セバスチャンへ

エスプレットでは今年収穫したばかりの名物である唐辛子が見事に吊るし並べられていて、青空とのコントラストが印象的でした。

サン・セバスティアンには映画祭も目当てで2泊しましたが、スターの出待ちをするほどの時間は持ち合わせていなかったので、自分たちの足でレッドカーペットを歩いてみました。

4日目:9月29日

サン・セバスティアン:フリーの一日

バスで1時間のゲタリアまで足を延ばし、運動も歩くのも嫌いな友達を半ば無理やり誘って、港の近くにある山の展望台を目指して山登り。ジリジリと照り付ける日差しの中を、なんでこんな山登りなんだよ・・・・と彼女はかなりバテバテでしたが、展望台から見たゲタリアの海とブドウ畑の広がる緑の丘の景色にほんのひと時癒されて・・・・

下山後のランチと美味しいお酒のためにとにかく一生懸命歩いてくれました。

数あるレストランから選んだのは、お店の前に取れたてのお魚を焼くための焼き窯が備えてあり、なおかつ港が見えるテラスがある「 MAYHLOWER 」です。

レストランの開店時間前に行ってしまいましたが、時間までビールを飲みながら待っててもいいと言っていただいたので、汗を流し喉がカラカラの二人には絶好のチョイスでした。適度な運動のあとのビールは最高!

そして、食べたかった新鮮な焼きカレイと白アスパラを注文し、ゲタリアのチャコリを注ぎ、おなか一杯頂きました。

二日間滞在したサン・セバスティアンでの夜は、もちろんバル巡りを満喫。
二日目は金曜日だったからか、人気店の人の多いのなんのって・・・・・スペイン語でメニューをオーダーすることでさえ難題なのに、全然カウンターに近づくことさえ難しい状況の中で、何とか自力で食べたいピンチョとお酒を注文し、人々の熱気と賑わう雰囲気をたっぷり味わってきました。

5日目:9月30日

サン・セバスティアンから車でボデガ巡りしながらビルバオへ

出発前の段階でボデガはリクエスト可能ということだったので、一つはTV「旅するスペイン語」でロケに行っていたアルキサの【 Inazio Urruzola Txakolina 】ともう一つはリオハの【 Bodegas Contador 】を選びました。

【 Inazio Urruzola Txakolina 】では、オーナーの奥様であるガラシさんがとても親切丁寧に自宅兼工場を案内してくださいました。工場内には2・3日前に絞ったばかりのタンクもあり、新鮮ブドウエキスを試飲。品種違いも試飲。そして完成したチャコリも全種類試飲。「飲めるんだったら全て試飲していいのよ!」と大盤振る舞いで、私たちは二人は大喜びで次から次からタンクの前でグラスを傾け勢いよく注がれるチャコリを飲み干したのでした。

更に自宅のお店のスペーへ移動して、奥様手作りの特大スペインオムレツと、チャコリで煮込んだソーセージをつまみに、白とロゼのチャコリを心行くまでごちそうになりました。

チャコリのボデガ「Inazio Urruzoia」のオーナー婦人ガラシさん
チャコリのボデガ「Inazio Urruzoia」のオーナー婦人ガラシさん

【 Bodegas Contador 】では、オーナーのラファエルさんの案内で工場見学。世界のワインコンテストで数回最優秀賞を受賞した経歴があるそうです。美味しいワインのためにはブドウ栽培とワイン造りの作業工程だけではなく、樽を作るオークの木も栓にするコルクも全部現地に行き、厳選に厳選を重ねた良い品質の素材で最高の商品に仕上げるこだわりようで、ワイン作りへの情熱の深さが伝わってきました。

工場にも試飲室はあるのですが、リオハの町へ移動し自社のワインバーに案内されて、大勢のお客様で賑わう店内で試飲となりました。自慢のワインに熟成した羊のチーズとドライソーセージの付け合わせで頂きました。

ボデガ「Contador」の作業工程
ボデガ「Contador」の作業工程

Contadorの工場と別にある自社のワインバー
Contadorの工場と別にある自社のワインバー

Contadorの貯蔵庫
Contadorの貯蔵庫

Contadorのオーナーラファエルさんと営業マンフェルナンデスさんと
Contadorのオーナーラファエルさんと営業マンフェルナンデスさんと

ワイナリー巡りの後に到着したビルバオで、夜は旅行最後のバル巡りを楽しみました。

6日目:10月1日

ビルバオ → パリ経由

7日目:10月2日

→ 羽田の予定でしたが!!!

【番外編】がここから。
6日目の半日ビルバオ観光の後、まさか自分に起こるなど、想定外の大事件が!

ビルバオ空港で搭乗手続きを始めたら、バックに入れたパスポートがない((+_+))
探しても探しても見つからない。というか、ホテルを出るときに手提げバッグの内側ファスナー付きのポケットにしまったのは確実であり、空港に着くまで一度もそのポケットには触れていないのである。落とすはずもなければ、入れ替えることもしていない。友達と声出し・指さし確認してホテルを出たのに・・・・・盗まれた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

という、とんでもない事態に陥ってしまったのです。

友達との二人旅(ツアーだけど添乗員なし、現地係員なし)二人でいる間に旅行会社に連絡がつかないまま時間が過ぎ、道連れにするわけにいかず、自分ひとりビルバオ空港に残りました。

私はいまだにスマホではありません。国際電話やメール通信も旅行中はしたことがありません。
英会話も満足にできないままです。日本大使館へ行く手段など何もわからないままたった一人ビルバオ空港に。時間はもう夕方の5時を過ぎておりあっという間に夜になってしまいます。

自力でなんとかするしかない!時間はどんどん過ぎてしまうし、なんとかしなきゃ!の一心で日本語を話す外人を探すことに。言葉が通じないことには、手続きの方法も何もわからないしーーーー。

必死になって「Can you speak Japanese?」と空港にいる人々に尋ねて廻っても全員が「no・・」という返答。
落胆している私に一人のご婦人が「May I help you?」と話しかけてくれました。

来たーーーー!!天使だ天使。天使が現れたーーーーー!

(パスポートが無い、電話もできない・・・)と片言の英語で困った状況を伝えたら、インフォメーションに掛け合い、大使館の緊急連絡先に電話を繋いでくれて、そこから日本語の対応で帰国のための方法を知ることが出来ました。そのご婦人は「ごめんなさい。これ以上は時間がないから・・・」と空港を去っていきました。

ありがとうーーーーありがとうーーーー本当にありがとうーーーー!!!

すぐに空港内の警察でデノンシィア(ポリスレポート)を作成。
その間に離れた友達から着信があり、使ったことのない国際電話をかけてみて、通話ができることを確認。日本は深夜に2時ですが、夫は自営業で夜が遅いためまだ起きてる時間のはずである。数回呼び出し繰り返し、電話に出てくれて一安心。(身分証明のための住民票を大使館にFAXして欲しい)と伝えました。

時間はもう夜の7時になろうという時間。
どうやってマドリッドへ移動したらいいのか・・・と困っているところに、日本語が聞こえてきました。「日本人ですよね?パスポートが無くて・・・・」と事情を話したら、「え“―――――っ」と口を揃えて絶叫。

大阪から旅行にているという仲良し女子4人組は、行動が速い速い。自分たちの搭乗手続きを済ませると、もう一度私の荷物を全部広げてパスポートを探し、スマホで移動手段を検索し、より安全に過ごすには移動の時間もどの時間にしたらいいかなどを、全力で検討してしてくれました。
結果ビルバオ市内のバスターミナルから長距離バスでマドリッドへ移動し、深夜0時頃に到着し、ホテルを探し一泊宿泊するプランを立案・実行。4人に「頑張ってね。無事に日本へ帰るんだよーーーー!」と市内バスターミナル行きのバスに乗せられて見送られました。

みなさんありがとうーーーーー( ;∀;)ありがとう( ;∀;)ありがとう!

空港からバスターミナル到着までの間に、「果たしてバスターミナルで私は、クレジットカードしか使えないとう自動発券機で、マドリッド行きのチケットを買えるのだろうか? VISAのマークがついたカードを持ってきたけど通常日本では使っていないから・・・(いつも国内ではJCBを利用しているので・・)自動発券機でチケットを購入する自信がない。まずい・・・困ったどうしよう・・・不安しかない。

やはり誰かに助けを求めるしかない!

同乗していたサラシーマン風の男性に助けを求めたところ、快く引き受けてくれて、更にその人はスマホの日本語翻訳を持ち合わせていたのです。感激!心配した通り、VISAのついたカードはなぜか使えなくてやばいやばいと動揺。しかしここでJCBのカードが使えてチケット購入成功。但し、4人が熟慮してくれた時間のバスには乗れず、マドリッド到着が深夜3時便に乗ることのなってしまい・・・・ちょっと不安ながらも前進するしかないし・・・

その長身の男性は、マドリッド行きのバスのチケットの買い方や乗り場を、終始ゆったりと落ち着いた物腰で教えてくれて、その場で去って行きました。ありがとうございます(*^-^*)本当にありがとう(*^-^*)

マドリッド行きのバスは22時発で、到着は深夜3時頃。
そんな時間にマドリッドについても、そのあと身の安全や大使館までの移動手段は???とまたまた不安でいっぱい。

誰か私を助けてーーーーー

同乗していた大学生風の女性に助けを求めました。(降りる前に聞いてわかりましたが、大学生ではなく働く女性でした。)彼女は日本語翻訳ではなく英語翻訳でしたが、説明の通じない私に最後まで丁寧に優しく対応してくれました。

「don’t worry! I think・・・」

彼女はバスが到着する前に、メモ用紙に(パスポートを盗まれて、日本大使館へ行かなければならない。大使館が開く時間まで保護して欲しい。)という内容の文章をスペイン語で書き留めて、「警察に行ってこれを見せなさい。バスを降りたらタクシーを捕まえるから。」と言い、タクシーに乗せてドライバーに事情を説明し送り出してくれたのでした。

ありがたい!ありがたい!なんて親切なんでしょう( *´艸`)本当にありがとうございます!!!

深夜のマドリッドで乗ることになったのは、髭モジャで大柄な(ぱっと見強面です)タクシードライバーさんでした。「なんか・・・この人で大丈夫なんだろうか・・・・」と不安に思いながら乗ることになりました。が、ドライバーさんはスペイン語しか話せないながらも、スマホの英語翻訳機能を使いながら、私を警察に送る役目を果してくれました。

一か所目の最寄りの警察署?に入れず二か所目の警察へ移動する前に「これ以上メーターは上げないから安心しな。」と言ったらしく、20ユーロで次の警察へ行き、事情を引き継いでくれました。見た目は怖かったけど、とても心の温かいドライバーさんです。ありがとう(;_;)/~~~ありがとう(ToT)/~~~

マドリッド市内の何処の警察署かわかりませんが、数名の当直職員が対応してくれて「大使館の開館9:30までここに居ていい。時間になったら車で送っていく。」と言ったようでした。そこの警察官が空港で作成したレポートの他に、盗難届の書類を作成してくれました。警察署に到着したころには日本時間が朝になっており、契約した旅行会社にやっと連絡がつきました。

渡航書の発行のためには、帰国のための航空券が必要だそうで、その手配をしてもらい、Eチケットのコピーが大使館に送られました。警察署で待つ間に、手続きに必要な証明写真が必要だと話したところ、市内に連れて行ってくれて写真も手に入れることが出来ました。そしてわずかな時間、固い木のベンチで横になり少し休んだ後、約束の通りに大使館に送り届けて頂きました。

大使館が開館し、やっと日本人スタッフと日本語でコミュニケーションができます。ありがたい!
到着してすぐ必要書類に記載するように説明を受けました。渡航書発行のために他に必要なものはFAXも含め全部揃っていました。

初めに聞いた案内では、9:30に始めても渡航書発行までは夕方までかかるとのことで、待ち時間をどうしようか思案していました。快晴のマドリッド(訪れるのは3回目)ですが、出歩く気力はなく所持金もほとんどありません。他に行き場所がないので、「ここに居てもいいですか?」と尋ねてみたところ了解が得られ、更に「ソファーでよかったら休んでください。」と空いている応接室を使わせていただきました。

緊張と不眠と空腹で疲れていた私は、横になって休めるという安心感だけでとてもとても安らげました。予定より早く昼過ぎには渡航書が出来上がり、柔らかいソファーに身体を横たえて休むことができ、閉館する昼休み時間に、近場のお店でランチをして、大使館のトイレの洗面台で顔と頭も洗ってスッキリと。

最後の砦は、マドリッドの空港で搭乗手続きがスムーズにできるか?
もし何かのトラブルで、搭乗の遅延などチケットの変更などになったら、またどうしていいか自分でできるだろうか・・・心配したけれど、セルフチェックイン機ではなく、カウンターの担当者が対応してくれて、何も問題なくそのまま搭乗手続きを終えました。

「あーっ!無事に日本に帰れるんだー!」

パスポートが無いとわかってから、幾人もの優しい人たちに助けられ、24時間後には帰国便に乗れました。ショックで悲しくて泣くより、人々の優しさに感謝の涙で目頭が熱くなります。感激の連続でした。誰一人として、名前も聞かずに別れてしまいました。写真を撮りたくてもそれどころではありませんでしたし・・・。

こんな体験は他の人と比較も出来ないけれど、自分自身24時間で帰国に至ったのは【奇跡】だと思っています。スマホを持っていたら、もっと違う方向に行ったかもしれません。

助けて頂いたすべての人々に深く感謝申し上げます。

ツアープランナーからのコメント

お問い合わせの段階から、グルメにワインに非常に詳しく、バスクに関係するTV番組もチェックされていて、こちらも逆に勉強させていただきました。最後のビルバオ空港でパスポート盗難というアクシデントにも関わらす、すべて自力で困難を解決し、無事ご帰国されたのには、敬服いたしました。旅行会社としては反って、余りお手伝いもできず恐縮しております。

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