ウィーンで
ウィーンフィルハーモニカーの定期演奏会とフォルクスオーパーのオペレッタを楽しんだ後、今が旬のクロアチアへ旅しようと思った。音楽の都の方は毎年出かけているので、まあ勝手知ったる街といえなくもない。しかしクロアチアのイメージといえばサッカーかナイーフアートぐらいしか浮かばず、そのうえ言葉だってなにやら不気味?なスラブ語系というではないか。ウチの連れ合いさんは、しきりにそんな国に行くんだったらグループツアーにしたらという。
でもネ、文化遺産に登録された古い街の迷路のような路地裏で迷ってみたいし、地元の人しか入らないようなレストランでゲミシュト(白ワインを炭酸で割った飲み物)も味わいたい。幼稚園の保母さんみたいな優しくて心配性のツアコンと一緒の旅ではそんなこと出来っこない。そこでネットでクロアチアに強そうな旅の会社を探し出し、ホテルや移動手段はそこに頼む事にした。
なにいざとなったら、心細い英語とドイツ語をフルに駆使してコミュニケーションを図ればいい。それに「旅の指差し会話帳クロアチア篇」もある。結果的には会話帳の方は一度もお世話にならず全部英語で通しました。だって、とっさに「ドブラ ヴェチェール」だの「ドバル ダン」なんて口から出るわけない。
そんなこんなで親切丁寧な旅の会社パーパスジャパンが手配してくれたEチケットとホテルのバウチャーを握りしめ、6月18日OS52便で遥かなクロアチアを目指し出発したのでした。日程は13日間。
「アドリア海はしょっぱい」
ウィーンフィルの典雅で洗練された音と下町気分が一杯のフォルクスオーパーのオペレッタを後にザグレブ、スプリットとのんびり巡り、バスで最終の目的地ドブロヴニクを目指した。実はこのバスツアーも今度の旅の楽しみのひとつだった。地図を見れば分かるけれどクロアチア共和国はL字を崩したような形をしている。スプリットからバスはL字の横の線を東南へ向けて走る。所用時間約4時間30分、料金113クーナ(出発時間によって若干違う)、それにバゲージ料金7クーナ。日本円に直すと合計約2,500円。
バスのルートはディナール・アルプスがアドリア海になだれ落ちる傾斜地を走る。進行方向右手は吸い込まれそうなアクアマリンのアドリア海、左は標高1,500メートルくらいの峨々たる岩峰が連なる。その尾根はセルビアヘルツェゴビナとの国境なのだ。道は海岸線を忠実になぞる。時々、深い入江が現れ、その岸にはきまって小さな集落、白い鉛筆のような教会の鐘楼を中心にひっそりと寄り添う赤い屋根の民家がなんとも美しい。ソベ(民宿)やペンションの控えめな看板もある。こんなところに1週間ほど滞在し海で泳いだり、国境の岩峰を縦走したらどんなにか幸せだろう。
岩山と海に挟まれた細長い廊下のような南ダルマチアをドブロヴニク目指してひた走るバスは、その行程の3分の2くらいのあたりで国境を通過する。「あれっ、こんな所になんで国境?」 後で地図を広げてみたら、内陸国のヘルツェゴビナの国境が楔を打ち込んだような感じでスプリット~ドブロヴニク線の道路を横切ってアドリア海に延びている。その距離約2キロ、ちゃんとパスポートコントロール(といっても人格卑しからぬ小生を見て係官はパスポートを見せろともいいませんでした。笑い)もある。というわけでドブロヴニクはいわば飛び地なんですね。
ヘルツェゴビナの町ネウムをものの5分くらいで走り過ぎると、ドブロヴニクへのバスツアーもいよいよフィナーレ。しかし夢見た美しい街は最後の最後まで旅人の前に姿を現してくれません。これが逆の、つまり空港のある東側から入ると岬を回ったとたんにあの赤い屋根と聖イヴァン要塞の重厚な壁が目に飛び込んで来て「おっ感動!」ということになる。
午後2時半、ドブロヴニク旧市街の西にあるバスターミナルに到着。とたんに大勢の人がワッとバスのステップに殺到してきた。何事ならん!と身構えたら、口々に呪文のような言葉を唱えている。どうやらソベとかホテルアコモデーションと言ってるらしい。なーんだ駅前旅館の番頭さん達なのだ。
さて、今宵ドブロヴニクのお宿は「エクセルシオール」。堂々の五つ星ホテルを身の程もわきまえずはりこんだ。城内から東へ700メートルほどのところにある。一度泊まったことのあるローマの同名ホテルがヨーロピアンスタイルのクラシックなスタイリングだったから、なんとなくお城のようなホテルをイメージしていたら機能的でモダーンなアメリカンタイプだった。
ただしこのホテル、海岸の崖に沿って建っているので構造が少々複雑、方向音痴の人は迷うかも。
ウィーンを出発点にした今回の旅は終着のドブロヴニクまで一滴の雨も降らなかった。雲さえ出ず、まるで書割に描いたような青空が頭上に広がり、南ダルマチア地方の日中の気温はセ氏35~36度。とにかく暑かった。
ホテルの部屋へ荷物をほうりこみ、まずは旧市街をとりまく城壁を一周と撮影機材一式を担いで出撃した。50クーナの木戸銭を払ってレヴェリン要塞の門から上に登ったら、その暑いこと。しかも1,300年前に造られた城壁の上の道は数えきれない人が歩いたのだろう。鏡のようにツルツル、ピカピカである。上下から炙られて、まるでフライパンの上の豆状態だった。でも、この一周およそ2キロのトレッキングは暑さには換えられない。
眼下に広がる赤い波のような屋根が、あの1990年の独立戦争の際、ボスニア軍の砲撃でかなりの部分破壊されたとは。この中世以来の美しい町を再建したドブロヴニクの人達の故郷に対する愛情には頭がさがる。この街が砲撃のような暴力を受けたのは、街の建設以来初めてだったのではないかしら。7世紀頃から東のトルコ、西のヴェネチアという強国に挟まれながらも、戦うことを避け、知恵のかぎり尽くしてラクザ共和国を守ってきたという。政治的にも民主主義的手法を用い、住む人の福祉に力を注いだらしい。どこかの国もここをお手本にしたらと思うけど。
と、殊勝なことを考えつつも、この暑さには敵いません。2日目からは朝と夕方に出かけることにして、日中はホテルで脱力した時間を送ることにした。
まず、朝食はダイニングルームのテラスで摂る。このホテルの朝食は世界共通のビュッフェ形式、味はとりたてていうこともない。
しかし眺めが素晴らしい。目の下には濃紺のアドリア海、そういえば日本の海はこんな濃密な潮の匂いがしていただろうか?
丁度、朝日が当たり始めた聖イヴァン要塞を眺めながらコーヒーを飲む。今日一日、どうやって過ごそうか、、、などと考える少し弛緩したこの時間こそ、旅しているなという想いが最も深くなる。
午前中は、場内を軽く流し、旧港の正面にあるロカンダでシーフードのリゾットなどをいただき早めにホテルへ引き上げた。
3時頃、プライベートビーチに下りる。部屋からスイームパンツ、キャップ、ゴーグルという格好でエレベーターに乗り、そのままビーチに出られるのが有難い。
さて、ビーチといっても遠浅ではない。岸壁からいきなり2~3メートルはあろうかという深さだ。そこを一周400メートルほどのネットで囲んである。なんだか生贄の魚になった気分。岸壁の鉄格子を伝って恐る恐る水に入る。ヒャー冷たい。陸の上は焼け付くように暑いのにアドリア海の水の冷たいこと。ゴーグルで水中を覗くと黒鯛の仲間らしきのが悠々と泳いでいる。
ずらりと並んだデッキチェアーには豊胸長脚の金髪美人や胸毛密生のゲルマン男らしきのが甲羅干しをやっている。あまり海には入らない。たまに飛び込むのがいるが、怪しげな泳ぎ方で、ものの10メートルほどバチャバチャやって陸に上がってくる。
それでは、我が家の近くのジムで毎日2,000メートル、週4回は泳いでいるオジサンのクロールをご披露しようと、ネットに沿って軽く2回ほど流す。とはいってもそこは海。低いうねりがあってプールとはいささか勝手が違う。息継ぎのときアドリア海の海水をしたたか飲んでしまった。うーむ、塩気が濃くてそのしょっぱいこと。
いったん陸に上がりデッキチェアーに寝そべる。長胴短足の私はゲルマン男や金髪美人の間では逆にめだって仕方が無い。手持ち無沙汰の私のところへ、これまたアポロみたいな美形の青年がやってきて、「お飲み物をお持ちしましょうか」と恭しく聞くではないか。ちょうどアドリア海の塩水の口直しになにか欲しかった。そこで「よく冷えたダイキリを」とオーダーした。
アポロ少年が持ってきたダイキリはグラスの縁までしっかり霜に覆われていた。冷たいグラスを掲げ、サングラス越に強烈な太陽をみつめる。「ふーむ、太陽がまぶし過ぎる。」ハテ古い映画にこんなシーンがなかったっけ?
夜、シャワーを浴び軽くコロンを振りかけ、再び旧市街に出かけた。この時期空が暗くなるのは午後9時を過ぎるあたりからだ。
ドブロヴニクの目抜き通りプラッア通りの一本北側に平行してプリイェコという通りがある。昼間ロケハンしたら通りの左右はほとんどレストラン。しかも笑えるのは狭い路地一杯にテーブルを並べている。およそ200メートル連続のテーブルといっていい。
その中の一番調子がいいウエイターのいるカピタンというKONOBA(ダルマチア風レストラン)を予約しておいたのだ。約束の時間に行くと、その調子の良いウエイター、たしかミホリークという名前だったと思うが、船員帽までかぶって出迎えてくれた。
で、選んだメニューはダルマチアの白ワイン「ポシプ」、シーフードスープ、サラダ、それに清水の舞台から飛び降りる心境で500グラムのヤストグ(伊勢蝦)、しめて300クーナ、邦貨で6,000円でありました。今回の旅で一番のディナーで、ミホリークも大喜び。
ウィーンなどでは独り淋しくレストランへ入るなんてことはまず考えられないが、こうしたコトノバはいたって気楽、独りで豪快にロブスターを平らげていてもなんの違和感もないようだ。
すっかり満足して路地を歩いていたら城壁はライトアップされ、海には満艦飾の大型クルーザーが舫っている。私は現実と異界の狭間にいるような不思議な気分になっていた。