5日目(25日)
朝3時40分に起床。同室の佐久間さんがスタート3時間30分前には食事をするというので前日は20時30分には床に着いた。しかし、すぐには眠れずただ目をつぶっていた時間が随分長かったように感じた。
6時40分頃用意をしてスタート地点であるホテルのすぐ向かいにある競馬場に行くと雨足が強くなって、これでは雨の中を走ることになると思いホテルに引き返してカメラを置いてきた。(ということで走りながらの写真はありません。)
アクアという日本人が経営している店の店長さんから記録を狙うなら前の方に並んでいた方が良いというアドバイスどおりに3列目あたりからスタートした。押し倒されないか心配だったけれど大丈夫だった。
フルは120名、ハーフは170名の参加で一斉スタート、ニューカレドニア国際マラソンと銘打っているが、アクアの店長さんがいうように、規模の小さい地域の大会である。
最初の折り返し地点では、同じ走ろう会のメンバーでサブスリーにあと3分に迫る勢いの佐久間さんとそれほどの差がないように感じられた。しばらくして、会長がゆっくり走っておられ、向かい側から写真を取って頂いた。
7,8kmの坂道も容易にクリアして5分/kmを維持して10kmも進むと、周りの数人は同じスピードになっていた。11kmくらいまで進んだあたりで、道を左に折れてしばらくして佐久間さんに会い、折り返しが近いことを察知したが、なかなか折り返しにならないので2km弱の差かなと推察した。佐久間さんと私の間隔と私と浜津さんとはほぼ等間隔かなと思った、佐藤清さん、横山範夫さんと続いた。
雨が降って体は冷やされてはいるものの、2.5kmごとに交互にある水とスポンジのエイドでは、水を少し飲み、頭にもかけながら進んだ。5kmも進んだあたりで佐藤会長に会い、また写真を撮るよと構えられたが丁度フィルムが切れたということだった。残念。後方にはハーフの最後尾を走っている日本女性がいた。
ハーフの地点はホテル近くのアンスバタビーチで1時間47分で通過、ハーフの選手がいなくなったら途端に前の選手が遠くなってしまった。エイドでは水のほかにクッキーもあった。この辺では何とか3時間30分台が望めそうな勢い。これまでよりも調子が良いなと思った。
24km辺りが第二の折り返し、ここでも佐久間さんとはそれほど差が広がっていないと感じられた。小さな大会であったせいか行き交うごとに日本人に限らず、グッドジョブ、頑張れーと声を掛けた。通りの声援はそれほど多くはないが、ところどころでアレアレー(Allee Allee 行け行けと言う意味か?) という声を掛けられ、そのたびにイエーと右手親指を立てながらその声援に応えた。自分でもアレアレーと外国の選手に呼びかけたりもした。
30kmの折り返しでは佐久間さんと大分離れたなと気づいた。後ろからは横山さん、浜津さん、佐藤清さんと続いた。このころになると前に2,3人が見えれば良い方くらいだったが、追い抜くという感覚ではなく置いて行かれまいと必至に走った。逆に折り返し地点では離れていた人から追い抜かされる始末。
追いつこうにも追いつけない状態のまま40km。あの最後の上りを迎えた。3時間40分台の後半は望めるか、それでも2年前の記録に並ぶのでまあまあか。競馬場の入り口を入って両手を挙げてゴールに飛び込んだ。3時間47分39秒。
後半のハーフは2時間で走ったことになり、前半との落ち込みの差は13分。元気なころはほぼイーブンだが、最近では30分も差がある時があったので良しとしよう。
参加賞をいただき、 ホテルに戻り汗を流し北京オリンピックの男子マラソンをテレビで見た。フランス語の解説でよく分からなかったが、日本選手は高速レースに追いつけず、ワンジルら外国選手の独擅場で残念であった。