PUMA協賛 爽やかなニューカレドニアを走ろう!
第26回ニューカレドニア国際マラソンに参加する6日間

期間:2008年8月20日〜2008年8月25日
福島走ろう会 大滝史郎 様

GON-000227

時は早く流れますね~。

1ヶ月が過ぎるのが早い、速い。7月の猛暑の中、夜叉ヶ池マラニックを走ったなあと思っていたら、もう8月のお盆が過ぎ、次の大いなるイベント「第26回ニューカレドニア国際マラソン」への旅立ちとなった。

8月20日(水)、自宅を10:30に出てJRの青春18切符を利用して成田に向かった。7時間の長旅であるが、大して苦にもならない。この切符は夜叉ヶ池の時にも利用しており実に割安で重宝。これがあるから夏は行動範囲が広い。自宅から成田まで7時間かかるのに成田からニューカレドニアのヌメアまでは8時間というからビックリ、翌日には異国の地を踏んでいる。

18:00少し前に成田に着き、程なくして会長さんはじめ 6名の皆さん方に会う。次いでツアー会社の責任者に会い、搭乗券などを受け取った。揃って機内に入る前にラーメンを食べて腹ごしらえする。

0:40に搭乗し飛び立ったのは21:08頃。ワインを食しながら機内食を食べ室内が暗くなったのは22:00を過ぎていた。機内の座席は狭くそれに背もたれがそれほど下がらず、また、子供の泣き声もひっきりなしに聞こえたため熟睡はできなかった。



ニューカレドニアのトントゥ-タ国際空港に

着いたのは21日(木)の現地時刻で7:30、日本時刻よりも2時間早い。当地は冬で朝晩は長袖が必要とパンフレットに記されてあったが、その日は朝から日差しが眩しかった。

入国審査に1時間を要し、迎えのバスに乗ってヌメア市内の観光に繰り出したのは8:40を過ぎていた。湾を一望できるFOLの丘やココティエ広場、朝市会場などの観光の名所を巡った。

朝市ではベトナム料理のクレープのようなものを食した。次いで宿泊するホテルがあるアンスバタへ。ウアントロの丘で海の景色を堪能した後、マラソンコースの下見をした。最後には疲れてバスの中でコックリコックリ。

ホテルに荷物を預け、近くでランチ。1740フランなり。この分だと空港で両替した2万円もすぐになくなってしまうと心配した。手持ちが11000フラン足らずになってしまったのである。(1円が0.69フラン)




3日目(22日)

早朝にアンスバタ海岸沿いを5kmほど走り、朝食。ホテルのバイキングでお腹一杯食した。

この日はアメデ灯台日帰りツアーに参加した。

バスが8:20に迎えに来て、いくつかのホテルを回り、昨日立ち寄った朝市会場近くのヌメアの船着き場に。40分の船旅の後、小さな島に到着。

まずはグラスボートに乗り珊瑚礁や小判ザメ魚や小さな魚の群、次いで、バリアリーフでのサメへの餌付けを見学したあと、タヒチアンショーを見ながら肉や海鮮料理のバイキング。

お腹一杯になった後、浜辺でシュノーケリング、石垣島では青色の小さい魚が一杯見えたが、こちらではそれより大きく白い魚がたくさん見えて感激した。

灯台はナポレオン三世が1865年に建築させたものでフランス本国で製造して移築した53mの建造物である。青い空と海に白い砂浜と灯台がよく映えた。232段の螺旋階段を登り、絶景を見学、風が強く吹いていた。

ホテルに戻り、夕食はイタリア料理店でナポリタンを注文。これが芯のないものでまずかった。






4日目(23日)

早朝マラソンで1時間30分ほど、この大会で難所といわれる坂道を含む14kmを同室の佐久間さんと走る。彼とはスピードが全く違うので最初から一人旅ではあったが・・・。

ところどころで写真を撮った。

朝食はいつものごとくバイキングでお腹一杯に。

今日はお昼に大会参加者のためのカーボパーテーがあったが、佐久間さんからお誘いをいただき、往復1200フランなりのプチトレイン(汽車の格好をしたバス)に乗って森林公園に行くことにした。

乗り場の待合い所では浜津さんご夫婦と一緒になった。

それから浴衣姿のご婦人二人も乗車され、聞くところによると明日フルマラソンを走るとか、和服を持参するその意気込みに圧倒された。





森林公園の入園料400フランなり。

10:30に着いて、プチトレインの帰りの時刻14:20までゆっくり散策して回った。

国鳥のカグー、色鮮やかな各種のインコ、猿、ダチョウ、イグアナ、などなど。この日は日の光が眩しく、ところどころで休みながら回った。

帰りのプチトレインでは疲れからかコックリコックリ。バスを降りて皆と別れてホテルで休んだ。

この日の夕食は中華料理店に行ってチャーハンを食べた。850フランなり。





5日目(25日)

朝3時40分に起床。同室の佐久間さんがスタート3時間30分前には食事をするというので前日は20時30分には床に着いた。しかし、すぐには眠れずただ目をつぶっていた時間が随分長かったように感じた。

6時40分頃用意をしてスタート地点であるホテルのすぐ向かいにある競馬場に行くと雨足が強くなって、これでは雨の中を走ることになると思いホテルに引き返してカメラを置いてきた。(ということで走りながらの写真はありません。)

アクアという日本人が経営している店の店長さんから記録を狙うなら前の方に並んでいた方が良いというアドバイスどおりに3列目あたりからスタートした。押し倒されないか心配だったけれど大丈夫だった。

フルは120名、ハーフは170名の参加で一斉スタート、ニューカレドニア国際マラソンと銘打っているが、アクアの店長さんがいうように、規模の小さい地域の大会である。

最初の折り返し地点では、同じ走ろう会のメンバーでサブスリーにあと3分に迫る勢いの佐久間さんとそれほどの差がないように感じられた。しばらくして、会長がゆっくり走っておられ、向かい側から写真を取って頂いた。

7,8kmの坂道も容易にクリアして5分/kmを維持して10kmも進むと、周りの数人は同じスピードになっていた。11kmくらいまで進んだあたりで、道を左に折れてしばらくして佐久間さんに会い、折り返しが近いことを察知したが、なかなか折り返しにならないので2km弱の差かなと推察した。佐久間さんと私の間隔と私と浜津さんとはほぼ等間隔かなと思った、佐藤清さん、横山範夫さんと続いた。

雨が降って体は冷やされてはいるものの、2.5kmごとに交互にある水とスポンジのエイドでは、水を少し飲み、頭にもかけながら進んだ。5kmも進んだあたりで佐藤会長に会い、また写真を撮るよと構えられたが丁度フィルムが切れたということだった。残念。後方にはハーフの最後尾を走っている日本女性がいた。

ハーフの地点はホテル近くのアンスバタビーチで1時間47分で通過、ハーフの選手がいなくなったら途端に前の選手が遠くなってしまった。エイドでは水のほかにクッキーもあった。この辺では何とか3時間30分台が望めそうな勢い。これまでよりも調子が良いなと思った。

24km辺りが第二の折り返し、ここでも佐久間さんとはそれほど差が広がっていないと感じられた。小さな大会であったせいか行き交うごとに日本人に限らず、グッドジョブ、頑張れーと声を掛けた。通りの声援はそれほど多くはないが、ところどころでアレアレー(Allee Allee 行け行けと言う意味か?) という声を掛けられ、そのたびにイエーと右手親指を立てながらその声援に応えた。自分でもアレアレーと外国の選手に呼びかけたりもした。

30kmの折り返しでは佐久間さんと大分離れたなと気づいた。後ろからは横山さん、浜津さん、佐藤清さんと続いた。このころになると前に2,3人が見えれば良い方くらいだったが、追い抜くという感覚ではなく置いて行かれまいと必至に走った。逆に折り返し地点では離れていた人から追い抜かされる始末。

追いつこうにも追いつけない状態のまま40km。あの最後の上りを迎えた。3時間40分台の後半は望めるか、それでも2年前の記録に並ぶのでまあまあか。競馬場の入り口を入って両手を挙げてゴールに飛び込んだ。3時間47分39秒。

後半のハーフは2時間で走ったことになり、前半との落ち込みの差は13分。元気なころはほぼイーブンだが、最近では30分も差がある時があったので良しとしよう。

参加賞をいただき、 ホテルに戻り汗を流し北京オリンピックの男子マラソンをテレビで見た。フランス語の解説でよく分からなかったが、日本選手は高速レースに追いつけず、ワンジルら外国選手の独擅場で残念であった。





フルを走った3時間後の午後1:30頃おみやげを買いにホテルを出た。明日は帰国である。

今回はフルを走ってもそれほどのダメージはなく、筋肉痛はあるもののゆっくりならば走れそう。それだけ今回は調子が良かったのか、それとも全力を出し切っていなかったということなのか・・・。

スーパーまでの道のりに小さなショップがあったので覗いてみたら、日曜日の午後は閉店とあった。
程なくして道沿いにベンチが置いてあって、日本の街の公園にないような大木に目を奪われ、何度もシャッターを切った。

スーパーは案の定お休みで仕方がないので街中をぶらぶら歩いて景色を撮ることにした。

教会では自然と帽子を取って中に入った。

海岸にでも行こうかとも考えたが、アンスバタからヌメア市内までは6km位なので、このまま方角を頼りに歩いて、ようやく朝市会場に到着。

セント・ジョセフ大聖堂やココティエ広場を見た。ここでも大きな椰子の木などがあり、街の公園に大木があることに感動すら覚えた。

日曜日の午後というのに閑散とし、いや、日曜日だからこそそれぞれの時間を有効に過ごしているのだろう。VIPはヨットでクルージングを楽しんでいるのであろうか。





18:00には戻らなければならないので、16:30頃そろそろバスに乗って帰ろうかと思い、バス停を探しアンスバタ行きと思われるバスが来たので運転手に合図をしたら、ノンとでもいうように手を横に振られてしまった。こちらのバスは時刻表がなく日曜日は30分間隔で運行している。

次にいつ来るかも知れないバスを待つより、今度は海沿いの道を走って帰ることにした。海を望むビーチではベンチに腰を掛けて子供が戯れている姿を写真に収めたり、写真を撮ってもらったりした。

アンスバタに着いてパームビーチショッピングセンターを覗いてみたらお店が開いていたので、アロマ、ニアウリなどを買ってホテルに戻った。

18:00、競馬場で表彰式。

佐久間さんは50代で2位、横山さんは60代で2位、佐藤会長は頑張って完走され70代1位をゲットし、20:00からの大会ツアーの完走パーティーでもわが福島走ろう会は大いに名を挙げた。私は、完走者119名中43位、50代で5位、私の上位はすべて私より若年者だった。

翌朝、アンスバタビーチを望める高台のウァントロの丘まで軽くジョギングをして最後の朝食を食べ、9:30にホテルを出発して空港に向かいニューカレドニアを後にした。





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