ツール・ド・フランス2009観戦の旅 9日間

期間:2009年7月20日〜2009年7月28日
渡辺 恭子 様

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憧れていたツール・ド・フランス

数十年前から黄色のマイヨジョウネを着てシャンゼリゼで凱旋する自転車競技の選手を興味を持って見ていたものの、実現するとは夢にも思っていなかったのが思いがけずネット上でパーパスジャパンさんのツアーを夫が見つけ、申し込む事になりました。考えられない事で申し込んだのは私ども夫婦2人だけ。

3,500kmを走りぬくという世界に並ぶもののない過酷なスポーツ競技は最近日本でも沢山の人がテレビで観戦するようになったものの、ではそのためにだけ行ってみましょうという人は少ないようで、普通の観光旅行とは違い全く勝手が分からない訳ですから、旅行社からなかなか返事がないので半分諦めたり希望を持ったりして待ったところ、係りの西澤さんの奔走で実現し、7月20日成田を出発しました。


ウィーン経由ジュネーブからシャモニーへモンブランが目の前にそびえ立つホテルに落ち着き、ガイドの斎藤保さんのアドバイスを受け21日のフリーの日バスで16ステージのモンブラントンネルを通りローマ帝国時代ジュアス・シーザーがアルプス越えの基地とした、イタリアのアオスタへ出かけました。街の中はローマ時代の、長い朽ちた城塞や教会建築中に地下から掘り出された回廊など沢山の遺跡が大切に保存され当時の面影がしのばれます。

午後3時、1時間ほどキャラバン隊が賑やかに盛り上げ、トップの選手に続き一段となって選手が坂道をまっすぐに私の方に向って降りて来ました。その速さと言ったら2時間も待って、首をぱっと横に振るだけです。

私は古い日の丸の国旗を持参して広げました。一段となった選手の中でランス・アームストロングの顔が見え、そのあとに新城幸也君の顔が見えました。あちらも下りてきた正面で日の丸が拡げられていましたからきっと見えたと思います



2日目は

高級リゾート地、ミジェーブです。昔、銀行家のロスチャイルド家が開発したリゾートで小型ジェット機が着陸するプライベート空港も有る風光明媚な山間地で周りにある店先に並ぶ品々が非常にグレードの高い高級店ばかりです。

ここにガイドの斎藤さんが日本食のテイクアウトのお店を持っておられて、それが街の交差点のところにあり、そこから道路に椅子を並べて下さり、久しぶりのお寿司のお弁当とビールを片手に貴族の気分でキャラバン隊を待ちました。

小学校が夏休みに入り5年生くらいの綺麗な男の子がこの遠い日本から来たおばさんにボンジュールと声をかけてくれて、日の丸の端を持ってくれたりしながら最後まで一緒に観戦しました。


3日目は

アヌシー、美しい湖と街の中を流れる川の中に昔牢獄だった建物が川の両側に並ぶ洒落たレストラン街の独特の眺めとなって残っています。

この日は個人タイムトライアルで街の中が騒然としていましたが、まず驚くのは一緒に走るメカニックの凄さ、一台100万とも200万とも云われる自転車とその部品を車の屋根に付け選手の動向を克明にかつ、すかさず見つめながら一緒に3,500kmを走り続けるのは、一人の選手を走らせるのに何十人の影の力が休みなく動いているのかを見せつけられます。

美しい市役所の建物前の正面道路がスタート地点、日本人選手では新城君が早めのスタートで40kmの湖の周りを走り近くの公園に戻って来るのでそちらに移動し彼のゴールを見て川沿いのレストランにランチに向いました。


前日ジュネーブから

TGVでパリのリヨン駅に着き凱旋門近くのホテルで落ち着き、最終日26日は朝食後シャンゼリゼに出て見たところ午後4時の到着に、もう前日からバリケードが張られた沿道はもう場所取りの人達であふれています。

国旗で作ったジャージーに身を固めた人、黄色のツール・ド・フランスシャツの人、約4km有るシャンゼリゼの広い通りは人で埋まっています。午後3時いつもよりさらに華やかにキャラバン隊が通り、4時半選手が入って来ました。最後の力を振り絞り全速力で凱旋門からコンコルド広場までの円周約8kmを8周してデモンストレーションし沿道の観客を沸かせゴールに入りました。

全世界の人たちが見ていた通り総合優勝はアスタナのコンタドーレ、しかし競技の優勝と云うのは、数えきれない程の訓練と努力とそして幸運、走りぬいた全員が勲章をもらうほどの競技でした。

日本の別府君。新城君がシャンゼリゼに戻ってきた姿を見たとき、私は思わず涙がこぼれました。良くやった2人の日本人選手。

それにもまして、フランスの国を挙げて子供も年寄りも金持ちも貧乏と思い込んでいる人達も、心を一つにして沿道で声援した人たちのフランスの豊さ、フランスヘ信頼、フランスの誇り、これは長い間ツール・ド・フランスの競技へ憧れた67歳の老女の別の意味での驚きと帰国しての懐かしい憧れで有りました。

日本は台風、地震、そして人口に比例して耕作面積の狭さとこの過酷な島国の条件の中でアジアの中でこれ程の繁栄を成し遂げたことをもっと誇りとして、日本人が心を一つにして日本の国のために努力することを心から願っています。

お陰さまで楽しい旅となりました。有難うございます。



ツアープランナーからのコメント

感動が伝わる紀行文とお写真をありがとうございました。現地に足を運び、レースの迫力を肌で感じていただけたことを嬉しく思います。今後、もっと多くの方にレースの感動を味わっていただけるよう、私どもも努力してまいります。

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