【研修レポート】 メキシコ(前編)
期間:2008年7月26日〜2008年7月31日
パーパスジャパン:米澤
4日目 / 7.29(火)
オアハカ → メキシコシティー
とうとう、オアハカ最後の日。午前中は町をくまなく歩いて、最後の買物を楽しんだ。まだまだ名残惜しい気持ちを残してB&Bのチェックアウトをする時、日本にいる時からお世話になっていたウイリアムさんといろんな話をした。もちろん仕事の話も、支払いのことや部屋のこと、クッキングレッスンについて確認した。
そして急いで空港へ。タクシーを呼んでもらい、約30分で到着。料金は150ペソ(約1500円)。行きの乗合タクシーに比べたら、少し高めだけど、物価が安いので、利用価値が高い。オアハカは少し前までは暴動、デモなどがあり、あまり治安がよくない時期もあったが、すっかり安心できる町になっていた。夜中12時近くでも町の中心には人で溢れていた。ゲラゲッツアの祭りの時期ということもあるけれど、全く心配いらない。
さて、チェックインの手続きをしていると、予約が落ちていることが発覚した。行きのフライトに乗れなかったため、自動的にキャンセルされたのが原因らしい。行きにあった出来事を説明し、それに伴った文書を渡したら、取り直してくれた。そして初の1Aという座席の搭乗券をもらった。人生で1度あるかないかの偶然さにとてもうれしくなってしまった。
小さなオアハカ空港内で搭乗を待っていると、またまた飛行機が遅れていて、まだ機体が到着していなかった。嫌な予感がしたけれども、何と手際が良く、慣れていて、機体が来ていないにも関わらず前もって、みんなの搭乗券をチェックし、あとは乗るだけという状態にして、スタンバイをした。
そして、機体が到着し、お客を降ろした後からはすばやく案内が始まった。機体の中で詰まらないように、座席番号順に小刻みにコールするなど、工夫が見られ、ボーディングから20分で離陸!すばらしい。そして、予定の到着時間には、メキシコシティーに到着していた。
スーツケースもスムーズに受取り、到着ロビーへ。そこには、メキシコ観光の中地さんがお出迎えに来てくれていた。カンクンから移動して1週間の岡崎も一緒にホテルインスペクションへ。アポの時間より、少し時間があったので、ルチャリブレ(プロレス)のチケットを買いに行くというお願いごとを聞いてもらった。
ルチャリブレは、毎週火・金に行われているので、当日券を販売しているアリーナへ。アリーナ周辺はあまり治安がよくないこともあり、中地さん曰く、日本人が窓口に行くと、相当ぼられてしまうので、ドライバーのラウルさんに買ってもらうことにした。無事にチケットを購入できたが、メキシコ人でさえもチケットに記載された金額で買えなかったようだ。いかにもラテンの国らしい出来事で、納得できた。
そして、まずは HOTEL GENEVE へ。
このホテルは老舗の格式あるホテルで、ロビーや廊下、色んな場所にアンティークのオルガン、タイプライター、電話、靴の並んだショーケースなどまるで博物館並に展示されていて、コレクターにはたまらない逸品がさりげなく展示されているユニークなホテルで、とにかくロケーション抜群が売り。
部屋は標準サイズで、バスタブもあり、衛星放送(NHK)も見ることができる。おまけに、マネジャーさんは愉快な人で、冗談ばかり言っていた。
メキシコシティーのホテルには、世界の都市や、川の名前がついていることがよくある。これは、メキシコシティーの通り名に秘密がある。例えばロッソ地区は世界の都市名。他の地域は世界の河の名前。あるところは、国名。なので、通り名を聞くと大体のどの地域なのかが分かる仕組みになっている。ホテル・ジュネーヴもロッソ地区のジュネーブ通りにあるホテルだから、その名がついている。
次に、HOTEL NIKKO へ。
以前はかなり日本びいきのホテルで、日本人スタッフや新聞など日本人向けのホテルだったが、今日ではめっきり日本人の客が減ってしまった為、ターゲットを変更している。ちょうど改装中でスタイリッシュなインテリアに包まれた部屋に全面的になる予定。今は上層部のエグゼクティブルームがこれに当たる。
専用のラウンジや朝食レストランの眺めは360度のパノラマで絶景。ゴルフの打ちっぱなしの施設などもあり、和食レストランと鉄板焼レストランが有名。
次に、CASA DE VIEJA へ。
ここのホテルは完全メキシカンスタイルの、各部屋メキシコの有名人の名前がついている。各界著名人が泊まったことのある由緒あるホテル。インテリアの全てが圧倒され、一度は泊まってみたいと思わせる。全15部屋中半分ぐらいを見せてもらうことができ、どの部屋も特徴がある。香りなどにも気を使っていて、行き届いたサービスが受けられる。
そして、私がスーパーに行きたい。というリクエストに答えてもらい、みんなで大きなショッピングセンターへ。
ここでは、庶民の暮らしぶりがわかると同時に、物価や変わった食材なども見れて面白かった。野菜や果物がとにかく安いし、高めのものは、空箱が置いてあり、それをレジに持って行き、支払った後のレシートと商品を交換する仕組みになっている。このことが、あまり治安が良くないことを示している。
そして、ドライバーのラウルさんは、私のカートにドンドン色んなモノを入れてイタズラしてきた。とってもお茶目でまるでガキみたいだった。彼は典型的なメキシコ人で、おしゃべりでイタズラ好きで、うざがられているほどだけど、憎めない。以前、典型的なメキシコ人として「あるある大辞典」に出演したほど。
その後、泊まるホテルの CAMINO REAL へ。
このホテルは、建築家ルイスバラカンの弟子とも呼ばれるレゴレッタの作品で有名。ピンク、黄色、青の色使いがいかにも。という雰囲気を出している。部屋も広く、設備が整っている。水を使ったインパクトのあるブルーなバーがかっこいいが、音楽が大音量で、夜中の1時過ぎまでガンガンしているところはマイナスポイント。
荷物を片付け、少しゆっくりしたあとで、今日チケットを買ったルチャリブレへ。
会場は治安の悪いところにあるので、行きも帰りも必ずタクシーに乗るよう強く言われたので、行きのタクシーのおじさんに終わる時間を伝え、必ず迎えに来てもらえる様、支払いは迎えに来てくれた帰りに支払う約束をした。名前を伝え合い、誰かわかる様にした。
メキシコシティーでは、流しのタクシーに乗ることは御法度。乗ったタクシーともう1台がぐるになって襲ってくるらしい。旅行者のみならず、現地に住んでいる人まで被害に遭うことも少なくない為、必ずホテルで呼んでもらう必要がある。
もう1つ注意することは、市内は通勤時間に当たるとものすごい渋滞にあう。ほんの10分足らずのところも30分以上かかる。ちょうどルチャリブレへ行く時も、40分以上掛かった。
さて、いよいよルチャリブレの会場へ。入り口では多くのダフ屋がチケットを売っていた。荷物チェックもあり、少しお腹がすいていたので、りんごと水を持っていったところ、持込み禁止だった。やさしいスタッフの人は、「いいよ。ここで食べてから入っていいよ。」と言ってくれたので、口にほおばって中に。
席はど真ん中の前から2列目で、鐘を鳴らすおじさんの後ろだった。こんなベストポジションで見たことがなかったので、余計に興奮した。場外乱闘の度に冷や冷やしたけど、楽しみでもあった。とにかく女子でも見やすく、エンターテイメント質が高いので、技も鮮やかで、すぐに誰かのファンになることができた。
うれしいことに、私が一人で見に来ているのがめずらしいのか、ビール売りのおじさんから「後ろのアミーゴからだよ。」って言って、ジュースを渡された。後ろの席にいた二人の青年がお近づきのしるしに粋なことをしてきた。素直にご馳走になり、終わった時には、友達のしるしのハグをしてバイバイした。
初めてのルチャリブレを満喫した。しかし、お迎えに来る時間よりも早く終わってしまったので、しょうがなく外へ出た。外では、たくさんのマスクやグッズが売られていた。あまり治安が良くないけれど、待つしかなかったのでびくびくしながら待っていたら、「RIKAKO~」と呼ぶ声が、ドライバーのミケランジェロは、早く終わるのを予測して、30分も早く来てくれた!おかげで、その日は無事にホテルに到着し、長い1日を終えた。
5日目 / 7.30(水)
メキシコシティー
今日は、1日ガイドの辻さんに案内してもらった。
今日はルイスバラガン建築見学と画家のフリーダカーロ博物館へ。
まずは、トラパニ地区へ。少し到着時間が予約よりも早かったので、町の中心のソカロで少し時間をつぶし、ルイスバラガンのカプチーナス礼拝堂を見学した。
入り口は、全く普通の塀にドアで、ごく普通のところにある。礼拝堂に入る空間からバラガンの意図する空間が始まる。全く光を閉ざした場所で精神を落ち着け、光とともに心を開いて建物に入ることが彼の作品には統一されているコンセプト。そして、光があたる時間や季節によって表情が変わる。礼拝堂は神聖な場所なので、特に建築全体の雰囲気が左右され、普通の教会に入った時のサーッという空気とともにステンドグラスとは異なる視覚的効果に圧倒された。
その他、礼拝堂以外の建物の中でのインテリア(家具、窓、配置、絵画)などにおいてもセンスの良さがうかがわれ、全てに意味がある。ここでは、実際に修道女の手作りの小物や食べ物や、ポストカードなどが売られ、収入源の一部となっているので、私もハンカチとポストカードを購入した。そうして、見学費用として寄付金を払った。
次に、メキシコ国立自治大学を見学した。ここは公舎の壁画が有名で、近くで見るとその絵の細部までみることができ、モザイク画としての高度なテクニックとお題に感心した。通りを挟んだ向こう側には、メキシコオリンピックの会場になった競技場があり、大学の一部になっている。開放的なキャンパスで、一般人が家庭を連れて遊びに来る公園のようだった。
次に、コヨアカン地区にあるディエゴとフリーダの家を見学した。私はメキシコに来る前に4、5年前に公開された映画「フリーダ」を見ておさらいしてきたので、鮮明に映像と現物がマッチし、感動した。実際に二人がここで暮らしていたことを考えると興奮してくる。
今は家というよりも、ギャラリーとして様々な作品が展示され、一部はアトリエとして残っているような感じ。映画の中では、だんなのディエゴがフリーダの妹とエッチしているところを目撃してしまう衝撃的なシーンにでてくる印象的なシーンがすぐそこにあることが不思議に感じた。
個人的には、家としてちゃんと残っていることを期待していたので、少しがっかりな面もあったが、ひとつフリーダに近くなれた気がしてうれしい方が勝った。
次に、急遽私のリクエストで組み込んでもらったキャンベラが建築したヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・ソエダ教会へ行った。この教会はガイドブックなどには載っていないが、メキシコ特有で、キャンベラの特殊な建築方法で建設されているとこと、ここで売られているしおりがとてもかわいいことと、外にあるモニュメントも特徴的なので、ぜひ行ってみたいと思った。
予想通り、かわいらしい教会でここはステンドグラスが色とりどりの白いイメージ。人もいなかったので、余計に厳粛な雰囲気を味わうことができた。しおりもじっくり選んで購入できた。
次は、コヨワカン地区の中心にあるマーケットでお昼を食べた。
おかずが20種類ぐらい並んでいるところから好きなだけ選べるので、初心者には見て選べることと色んな味を試すことができるので、このシステムはお勧め。
コヨワカン地区は、ちょっと前にクロヌマユウコさんというバイオリニストが書いた本「メキシコからの手紙」がベストセラーになり、この本の中で紹介されている。この本を読んだ旅行者が必ず訪れるという憧れの地でもある。クロヌマさんは、ここで日本から使われなくなったバイオリンを持ってきて、貧しい子供たちにバイオリンを教えている。彼女はこのような慈善事業を数多く手がけていることで、メキシコで最も有名な日本人かもしれない。
この地区は、高級住宅街で静かなおしゃれ地区といった感じで、ここに住みたいと感じさせる良い町だった。
次に、フリーダ・カーロ博物館へ。ここは入り口からたくさんの人でにぎわっていた。ここもフリーダの実家だった場所を改装して造られているので、映画の中ではよく登場していた。
フリーダの絵は、作品数も少なく、各国に貸し出されたり、その他のメキシコ市内の美術館に貯蔵されているため、ここにはあまり作品はないが、写真、手紙、衣装、アトリエ、コルセットなど彼女の身の回りにある様々な物が展示され、とても興味深い楽しい博物館である。何時間でも居れる雰囲気もあり、見所満載だった。彼女の作品は、彼女の生涯と性格を知らなければ理解のできない作品ばかりなので、ぜひ映画を見てほしい。
彼女は国民的英雄でもあり、私からみても尊敬すべき情熱を持った素敵な人です。誰からも愛されている理由がわかる。ここに来て、ますます好きになったし、色んな作品をもっと見たい、もっと彼女を知りたいという気持ちになった。
次に、バラガン邸を見学した。ここも学生たちが入り口に30名ぐらいいて、ゆっくり見学できる雰囲気ではなかったが、そんなことを忘れてしまうほど魅了された。
彼のこだわりの1つ位置は、椅子の位置ひとつでも揺るがないところ。食卓は7人がけが鉄則。これはお互いの話が聞き取れ、ひとつの輪になって話すことができる最大の数と考えているため、それ以上の人を呼ばないという徹底したこだわりなどが数々見られた。
庭や屋上の蔦などの手入れがもっと行き届いていれば彼が住んでいた時の完璧な状態であったのに、少し残念だったが、家を1軒見るのに1時間以上も掛かった。とにかく大好きな私にはどの部屋を見ても感動するばかりで、こんな家に住みたいという夢が広がった。写真は撮れないので、日本に帰ったら本を購入することを決めた。
次にヒラルディ邸へ。バラガンは、個人の家を設計することはまずなかったが、唯一の一軒がここだ。
ヒラルディーさんに拝み倒され、彼の情熱に負け設計することになった。ここの土地はたった10メートルの幅しかない奥行きのある縦長な土地でしかも土地の中心にハラカンダ(ジャカランタ)の木がある。しかも主のリクエストはプールが欲しいという難問の地だったが、彼はこの土地を生かし、木を切ることなく生かして設計をした。そして何よりもプールが特徴的。
この家は実際に住居として使われているため、いまやヒラルディさんではないが、別の家族が暮らし、公開してくれている。キッチンでは、普通に料理を作り食べている姿が見受けられるところが何とも不思議だが、この家を見ずとしてバラガンは語れない。3つの作品の中で、一番神秘的だと感じた。やっぱり本が欲しくなった。あの安藤忠雄も実際に見学に来ているし、彼の作品の影響を受けていることがよくわかった。
ここで見学は終わり、ホテルに戻った。そして夜は、マリアッチを聞きに「ビジャマリア」という有名なレストランで食事をした。ここでも色んな店員さんが話し掛けてくれた。漢字を書いてあげたことで、何人も書いてとメモとペンを持ってきた。人懐っこい人種なことがよくわかった。
メキシコ料理を堪能し、ここではフローズン・マルガリータが有名で、数多くの種類が楽しめる。びっくりなのが普通サイズのはずなのに驚くほどの大きさで、一杯飲むのにすごい時間が掛かるほど。でも、やっぱりおいしかった。
そして、メインのマリアッチは、イタリアのカンツォーネほど仰々しくないが、やっぱり感動した。しかも、私は日本人ということで、美空ひばりの「川の流れのように」をスペイン語と日本語で歌ってくれた。ジーンと来たね。とても新鮮で、改めてこの曲の良さとマリアッチの良さが伝わってきた。
とにかく充実した1日だった。こんなに自分の心が揺り動かされた日は最近なかったことに気づかされた。
6日目 / 7.31(木)
メキシコシティー → ティファナ → 成田
ついに最終日が来てしまった。今日は、テオティワカン遺跡のオプショナルツアーに参加した。歴史的なことだったので、日本語で参加したかったが、催行決定が出ず、ガリバーの英語のツアーに参加した。
陽気なガイドのミカエルさんが登場し、私が一番初めにピックアップされたようで、バウチャーを見せると約5時間と書いてあることに、「誰がそんなこと言ったの?そんなのわかんないよ。」と言われた。私としては、このツアーをサクっと終わらせ市内散策を予定していたのに、嫌な予感を感じた。次々と仲間が増え、ミカエルは私の紹介をいつもアルゼンチン人だと紹介して笑いを取っていた。
この日のこのツアーは本当にインターナショナルで、アメリカ人、イタリア人、オーストラリア人、ブラジル人など総勢13名ほどだった。しかも、私以外は皆カップル(おじさん、おばさん、ハネムーナーなど)で、ミカエルさんは私にとても気を使ってくれたのがうれしかった。ミカエルさんはみんなに「私はガイドではなく、みんなのアミーゴだから」と何度も言っているのが印象的だった。
さて、テオティワカン遺跡に向かう前に市内にあるトラテロルコ遺跡と三文か広場を見学。ここは文字通りアステカ時代の遺跡と16世紀建造のサンティアゴ教会と現代的な高層ビルを取り囲むようにできた広場。確かにおもしろい。
次に、グアダルーペ寺院へ。メキシコ人の90%がカトリック信者であることから、厚い信仰心をこの教会で垣間見ることが出来る。ここには、グアダルーペ聖母の奇跡という伝説が残っており、この聖母は黒い髪と褐色の肌を持ち、カトリックの聖母の中では異色の存在である。
教会の中には、1枚の絵を見に世界から足を運んでくる人が何万人といる。ローマ法王も訪れミサをしたことでも有名。ここには、旧聖堂が地番沈下の為に傾いてしまったため、隣に1976年新聖堂が造られ、円形の不思議な教会でもある。
いよいよやっとテオティワカン遺跡が見えてきたかと思うと、今度は大きなお土産屋さんに連れて行かれた。さっきの教会でもそうだったが、買い物をしている人はいつまでもしている状況で、日本のツアーのように時間が区切られておらず、誰も止めないので、だらだらとする。
このお土産屋さんには、2時間近くいた・・・。私はほとんど興味がなかったので、すごく時間を損した気分になったが、外人は何も言わない。と言うことが分かった。
そじて、みんなでメキシコ料理ブッフェスタイルのランチを食べ、いよいよメインへ。
メキシコ・シティーは、アステカ文明。アステカは、メキシコシティーだけに独立している文明で、昔は大きな湖にアステカ王国がぷかっと浮いていた。なので、このテオティワカンとは全く別ものだと言う。これも特殊で、あとになって発見された巨大な遺跡で、その当時は誰にも知られず、原因不明で滅びた。不思議な伝説を残す偉大な発見。
この時代は、神にお供え(肉と血)を献上することによって太陽が照らしてくれると信じていたから、なるべく神に近づけるように、ピラミッドを高く造った。これだけの規模のピラミッドを造ったのは、およそ20万人の規模を成した。所々、不思議な文明のすばらしさに感動した。しっかりと本を読んでみたいという気持ちになった。
そして、いよいよピラミッドに登る頃、雨が降り出し、頂上に到達する時にはかなりの雨脚で、駆け込むように集合場所へ。結局、押せ押せのスケジュールだったために、メインがあまり十分に見ることが出来なくなってしまったが、あまり気にしないことにした。
結局市内についたのは、17時ごろだった。そして、市内を少しぶらついて、ホテルまでゆっくり歩くことにした。結局ソカロの中心部をみることが出来なかったが、次回にとっておこうと思った。
服 / オアハカ
教会のしおり
クッション / フリーダ・カーロ博物館
ビニール製のテーブルクロス / オアハカ
フリーダ・カーロ博物館のガイドブック
タラベラ焼、トナラ焼
今回ガイドの辻さんと色んな話をして、より興味深くなった。
特にメキシコには日本のお盆のような「死者の日」という行事がある。この日は、骸骨をピンクや黄色の花やカラフルな飾りで飾りたて、ド派手なお祭りになる。日本のようには死に対してしんみりしておらず、メキシコ人にとっては、「死はアミーゴ!」という考え。つまり、死はとても身近な存在であり、愛すべきものとして受け入れよう。ということなのです。私はこの言葉を聞いて、「いいなぁ。」と純粋に思った。こんな風に人生を生きるのも悪くないな。と。
そしてもうひとつ気になっていたことがあった。空港、ホテル、レストラン至る所のトイレがとにかく鍵が閉まるか閉まらないかギリギリで、落ち着かなかった。壊れているのなら、まだいいが、何か理由があるのかと思い、辻さんに聞いてみると、「全然、気にしてないの。ただそれだけ。」と。確かに、開けてしまおうが、開けられようがすごく大事なことではない。日本人はキチキチしすぎているのだと思うし、当たり前のことがそうでないと怒りを覚えることもある。それって小さな人間に感じてしまった。「どうだっていいや~。もっと大事なことがある。」と思い、気持ちが大きくなった。
こうして、メキシコという国がよく分かり、とても魅力的な国だと実感した。リゾート地としても、遺跡、文化、グルメどれも何かが好きになる要素がたくさんあり、何度も行きたくなる。何よりギスギスした感じがないのが、ストレス解消や気分転換にぴったりな国に感じた。
もっともっと知りたくなったし、みんなに知らせてあげたいという気持ちが強くなった。
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