砕氷船サンポ号乗船とラップランドでハスキーサファリ!
フィンランド8日間

期間:2010年2月19日〜2010年2月26日
Y.S 様

GON-000355

2010年2月にフィンランドへ行ってきました。

北欧3カ国の中で、自分が一番楽しめそうなところを選びました。
8日間と短い旅から得たフィンランドの印象をいくつか述べるなら、「英語が通じる、食事は単調、物価は高い、土産物はバラエティに富む、自然に恵まれた北極圏」というところでしょうか。

1日目

成田からヘルシンキまではフィンランド航空の直行便。西ヨーロッパよりずっと近いし、日本人で満席。日本人向けサービスも整っているし、アメリカ西海岸行き並みの手軽さなのだと気がついた。機内温度がかなり低く設定されていて寒かったけど。

今日はロバニエミまで行く。乗り継ぎ便まで5時間もあるので、計画通りヘルシンキ市内に急いで向かった。あらためて思うのは、15:00に滑走路に着陸して荷物の引き取りはないにしても、15:20出発のバスに間に合うというのは、信じられないスムーズさである。

しかし、ここからはそう甘くなかった。ターミナルから中央駅まで35分とされているが、雪と夕方の渋滞で1時間近く消費。雪国の首都中心部なのに、道路が除雪されていないのにびっくり。スリップしてお尻ふりふりの車もいて危険。

駅についてヘルシンキ大聖堂を目指すが、一面雪で道がよくわからない。あらかじめ地図で何度も確認したのに、滑らないように足元を注意しつつ、時折ブリザードのようにたたきつける小雪の中を歩いたので、かなり遠回りをしたみたい。途中3回も人に聞いて、やっとたどり着く。



天候がよければたいした距離ではないのに、2、3枚写真をとったところで、手先がしびれてよく動かない。屋外マーケットは道の反対側だが、とても悠長に歩き回るどころではない。北国の洗礼をうけ、そそくさと駅に戻る。足元をみて首を縮めてひたすら歩く・・・「いやいや、これは大変なところだ。これから北に向かうのに大丈夫かな。。」

国内線のセキュリティはごった返して長蛇の列なのに、そのわりに係員が少ない。おまけにこの悪天候で到着便が遅れ、乗り継ぎ便は45分遅れて出発、ロバニエミについたのは22:30をまわっていた。ついていない初日に疲れが出る。幸い、空港のシャトル便はすぐに乗れたのでホテルにチェックインして、シャワーのあとおやすみなさい。

2日目

7時に起きて、朝食の前にフロントで今日の集合場所について聞く。今回の旅行の第1目的「砕氷船サンポ号に乗って、氷の海に浮く日」である。早めに出て地図を頼りに集合場所へ行くことにする。しかし、あたり一面雪でなかなか方向がつかめない。

電光掲示板は「-34℃」とある。顔が冷たく、呼吸すると冷気で肺が苦しいので、マスクをした。
が、呼気でぬれてびしょびしょ、めがねが凍る(くもるのはなく、薄い氷がレンズ一体に張り付くので、全く見えなくなる!)ので外した。マフラーで口元を覆うと、水分が凍ってシャリシャリとした氷が張り付く、まつげも凍る。すごい体験だ。手袋は1枚では5分で指先の感覚がなくなる。鼻の中も氷が張り付き、パキパキしているのがわかる。ここまでくると思考回路もとぎれる。

バスの姿はないし、手先はしびれ、眼鏡も凍ってよく見えず、近くの店に飛び込んで聞こうにも、言葉がでてこない・・・小さな脳は、体温保持の指令を体中に出すので大忙しで、文法を考える余裕がない。しばらく休んで、手足の感覚と顔中の霜(氷)が溶けるのを待つ。

何度も聞いてやっと分かったのは、「車体にsampoと書いてあるはずのバス」は、普通の数名乗りのバンで「停まっているから行けばわかる」ようなものとは大違いだったということ!

ここは不安だったので、日本を出る前も何度も確認し、実際に自分で来て、たまたまここに飛び込んで聞いたから分かったようなものの、この厳寒の中ウロウロするのは不安だったしかなり辛かった!(事前にいろいろ情報を見ていたので、店の名前を見たときアクティビティをアレンジする会社だとすぐ分かった。ここの主催とは直接関係がなさそうだったが、たまたまバンのことを知っている人がいて教えてくれた。)

団体は大型バスで、ホテルから送迎されるからどんな天候でも問題ないが、個人で行く人は要注意!「だから言わんこっちゃない!」ぶつぶつ・・・

本日の客はイタリア人カップルと私の3人。通常は砕氷船の後にIce Castleに行くが、なんでも電車が遅れて間に合わない客がいるので出航時間を30分遅らすことになったらしい。よって、先にIce Castleを午前中に行くことになったがこれは正解。夕方はすぐ薄暗くなるので、午前中の明るいうちに行けてよかった。

12:30に乗船したらすぐ出航だった。中国の大団体、スペイン人団体、イタリア人が何人かと、日本人は私1人のようだ。それぞれの言語のガイドが船内案内をするが、英語は私1人でラッキー!図らずもプライベートガイドとなった。

まずはランチということで、ガイドと一旦別れる。4人がけのテーブルがあらかじめ私用に名札つきで確保されていた。ランチはトナカイスープ、ジャガイモを練りこんだ平たいパン(塩味付)、コーヒー。

食後は2F甲板に出て砕氷の様子を見る。甲板にも雪が積もって凍り、1歩1歩慎重に。。つるつるである。船は氷を割りながら進んでいくが、かなり大きな音がする。周辺はまっ白の雪原。通り道だけが割れていく。



13:45にガイドと再会し船内を案内してもらう。1960年建造、全長76m、幅17m、本日のスタッフ(船員・ガイド・レストラン関係)計20名とのこと。古いコントロール室(旧式のボタンが並んでおり、かつてはここで操作していた。)。下のエンジンルームとその監視室(ものすごい大音量。耳栓がないと通るだけで難聴になりそう)、エンジンルームに2名、監視室に3名いた。お疲れ様です・・・

その後14:45から待ちに待った遊泳。沖で停泊して、タラップを雪原に渡して、防水スーツを着て降りる。ガイドは遊泳タイムは別の仕事があるらしく別れた。スーツは完全防水の密着型なので、自分ひとりでは着られない。脱ぎ着を手伝う専門の2名が張り付き、戦場のようだった。1回海に入り、陸に上ると前面に氷が張り付く。誰かが着た凍ったものを着たくはない。

水際まで行き背中を押してもらって海の中へ。不思議な体験である。一面凍りついた雪原に、船の通り道だけ海水がのぞいている。全く寒くない。スーツがなければ水の中に入ったとたん凍りつく氷海にプカプカ浮いているのだ。自分の周りには割れた氷の塊がいっしょにプカプカ。おもしろい。もっと浮いていたかったが、次の人と交代させるべく大きなJ字の引き寄せ棒で手繰り寄せられてしまう。


船に戻ってスーツを脱がせてもらい、また雪原に降りて踏みしめる感触を楽しむ。普通の陸の大地と変わらないが、自分は今凍った海の上にいるのだ。しばらく歩くと手先がしびれてくるので船内に戻る。

16:30ごろ船は再び動き出し、ガイドと再会し、船首の操舵室の見学に連れて行ってもらう。他の団体さんは遊泳の前に見学はさっさと終わっていたらしく、今度はゆっくり一人だけ。船長と握手してご挨拶して、話を聞きつつ写真とり。港に戻って接岸までずっといられた。なかなか見られないところだから物珍しくてあっちこっちキョロキョロ。50歳の船なので、操舵室もかなりレトロである。昔ながらに海図を広げてコンパスで確認して、木製の壁に掛かった計器類も年季が入っている。

「これ何ですか、あれは?」、船員やガイドの所属先とかいろいろ聞いても、皆迷惑がることもなくとても和やかにすごせて、本日1番満足できた時間だった。一人旅はとかく割高であるが、こういう体験があるからやめられない。団体でくるっと一回りしたのでは、説明もよく聞き取れないし、何にも心に残らないだろうと思う。


通常の航行中は、操舵をクルーに任せているが、接岸時は船長が微妙なところを部屋から出て、甲板にある操舵で調整する。行ったりきたり結構時間がかかった。港に迎えの大型バスやら車が集まっているのが見えた。我がバンも見えたので、「見えるかなあ」と思いつつ、ドライバーに手を振ると彼も振り返してくれた。

無事に接岸完了した時、船長が「いやー、やっと(接岸)できた。氷が厚くてなかなか割れなくて、船を進めたりバックさせたり何回もやらなければならなかったよ~。」とほっとしていうので、こちらもにっこりして「今年は寒くて、氷が厚いんですってね。どうもお疲れ様です~!」とねぎらった。船長はやっぱり頼もしい。最後にお礼と、挨拶をして握手して下船。記念の乗船証書を受け取ってバンへ。

帰り道、車の中でイタリア人カップルの女性の方が、勧めてくれた悪評高い「サルミアッキ」のキャンディを一粒つまむ。ほんの2-3mmの小さな粒でつまむのにも苦労するほどであったが・・・・その味は・・・聞きしに勝った。これを食品と呼べるのか、「間違って化学物質を口にしてしまった」と思うのが正解だろう。吐き出すわけにもいかず、もっていた水で口をゆすいだが、いまだに思い出すとのどにつかえている気がする。

何をどうしたら、こういうものができて、しかもしれが「国を代表する菓子類」として販売されているのか、全く理解に苦しむ。今までさまざまな国でご当地ものを試してきて、もちろん好きなものも嫌いなものもある。その中で「二度と口にしたくないもの」かつ「味を思い出したくないもの」がオーストラリアの「ベジマイト」であったが、今回ひとつ増えた。

・・・・ちなみに後日スーパーでサルミアッキのグミを1袋買った。なぜって?そりゃあ、もちろん、職場の同僚に配るんですよ!思い出は共有しないとね。

ロバニエミに戻ったのが午後7時ちょっと前。電光掲示板は-24℃とある。朝より楽だ、が、郷土料理のレストランがみつからない。市内中心部の大通りを歩いているのにレストランがあまりない。道の両側を探しながら歩いてきたらもうホテルまで来てしまった。

もう暗いし、人通りもあまりない。仕方ないので道沿いのケバブ屋に入る。ケバブは元々大好きである、しかし・・・ここは、単なるファーストフードだった。ピタパンサンドにフライドポテト、サラダにコカコーラ、、、、全くなさけない。なぜここまで来てこんなディナーか。

旅の終わりごろに気がついたことがある。普通(多くの国では)、ホテル内のレストランは高くて一般的な料理しか出さない。イタリアンや寿司等に特化していれば、もちろんそれ専門で高級ホテルになればなるほどこの傾向が強まる。よって、ご当地ものが地元値段で食べたければ、市内のレストラン(国によっては居酒屋風になることもあり)がベター。という経験側が成り立たなかった。

ヘルシンキ市内ならば、見つかったかもしれないが、滞在した場所で分かったことは「まともな食事はホテル内のレストランのみ可能。ただし値段は高く、品数は少ない。」ビュッフェディナーでメインが1種類というのは初めてみた。

3日目

今日はサンタクロースビレッジに行く。昨日最寄りの路線バス停まで歩いていって思った。スーツケースを転がしてここまで来て、しかも時間通り来ない1時間に1本のバスを待つことは節約か・・?

もちろん季節がよければなんてことない距離である。問題は-30℃の世界と凍結した雪道。昨日の状況で荷物をもっては、とてもまともな選択肢とは思えない。だいたい道を歩いている人など誰もいない。団体客用の大型バスはホテルの玄関先に30分以上前から止まってエンジンをふかしている。(フロントの忙しい彼女はYes,you can.と事も無げに言ったが!)

チェックアウトしてタクシーを呼んで貰い(10m先から来るのに€8も加算されている!)、ビレッジ正面に乗りつけた。北極圏到達証明書やら、今年のクリスマスに届けてくれるはがきを書いたり。
しかし驚くのは、各国からここのサンタ宛に届く手紙である。国別の棚には日本からの郵便物もたくさん。誰かスタッフが読むのだろうか。何人いるか知らないが、サンタ役も語学トレーニングを受けて各国からの客にそれぞれの言葉で挨拶しなければならないから大変だろう、とつい現実的なことを考えてしまう。

外の温度計は-18℃。体も慣れてきてこのくらいは余裕である。小屋のようなところでサーモンのグリルが食べられるというので楽しみにしてきたが、季節営業なのかクローズ。他のカフェはありきたりのものしかなく、朝食の食べすぎもあってランチ抜き。今日向かうファームは夕食が午後4時らしいから、まいいか。

14:00に迎えが来て(ドライバーとあったが、どうみてもファームのお父さん。・・実際そうだった・・。フィンランドはどこでも英語が通じるが、さすがに年配者は無理のようだ。)途中、トナカイ牧場でそりに乗る。森の中を疾走するのをイメージしていたが、サーメ人の民族衣装をきた係員の引きそりである。トナカイの毛皮の上に座り、トナカイ毛の手袋を貸してもらい、トナカイにそりを引かせ、昨日はトナカイスープを食べたっけ。(動物愛護団体に何かいわれそう。)トナカイ様々である。


15:00ぐらいに牧場を後にしてファームへ。しっかし両側は雪の中、雪道をお父さん、110km/hですっとばす。助手席でメーターをちらちら見ながら、よくスリップしないものだとひやひや。途中で小さなスーパーでお父さん買出し。もしかして、明日の私の食事か、と思いつつ、トナカイ肉の缶詰とホテルの朝食で意外にいけたライ麦クラッカーを発見し、迷わず購入。

16:00ごろファーム到着。さすがに昼抜きでおなかがすいていたので、長男ヤンネが出迎えてくれて夕食の用意ができているといわれてにんまり。つづいてあった人にあいさつすると、フランス人のマリー。3週間滞在予定で2週間過ぎたところという。高校でドイツ語の教師をしていたが3年前に退職して、毎日暇なので、という。

ディナーは、ビーフとポテトのスープ、パン4種、定番付合せ(トマト・きゅうり・ピクルス・チーズ・ハム)、デザートはアイスクリームとシロップつけフルーツ。今日で3日目であるが、この「定番付合わせ」は朝昼晩を問わず出てくるとは想像しなかった。これで何回目だろう・・お父さんはさっさと食べて席をたち、つづいてヤンネとマリーと私と3人、ヤンネと交代に奥さんのヤッタが席に着くという、せわしない展開。

宿泊棟はいくつかの建物に分かれていて、私はドミトリー式の棟に一人であった。シャワールーム2つ、トイレ2つ、自炊用キッチン、大きな娯楽室兼食堂、それに7部屋(収容人数25人)の建物を独り占めだ。なんと贅沢な・・建物全体が暖められているので、日本の自宅よりよっぽど暖かい。周辺は森しかない。隣の家は何キロ先。雪にすっぽりうずもれている。こんな日々を2週間・・・私も大勢でわいわいより、一人静かな方を好む人間であるが、ちょっと耐えられそうにない。

夕食が早い分、夜8時にはティータイムがあるということで、それまでキッチンで湯を沸かし、もってきたコーヒーを入れて、これまでの旅行記を忘れないうちに書いておく。静寂、一面の銀世界、平穏・・・日本にいたときの仕事のごたごたとは全く無縁。ストレスフリーというのはこういうことかな。

20:00に母屋に行く。クラッカー、ハーブティー、ブルーベリージュースのかかったおかゆのようなものを食べつつ、ヤンネにいろいろ聞いた。フィンランドの言語、教育、医療、税金事情。平均寿命の男女差は10歳とヨーロッパで最も格差が大きいそうな。
政府は70年代に英語教育に力を入れ始めたらしい。隣の大国ロシアでなくて、英語だったのは正しい選択だったとヤンネは言う。そのとおりだろう。小さな国なのに各国の観光客を受け入れ、こんな田舎のファームステイでも世界の共通語で意思疎通ができるからこそ成り立つのだ。私も地元の英語の観光パンフを話のネタに持っていったので、逆に質問されたり時間があっという間に過ぎた。

部屋に戻ってシャワーを浴び、旅行記の続きを書く。
このバスルームがちょっと変わっている。トイレとシャワーの床は全く段差なし、ビニールカーテンが天井から1枚ぶら下がっているだけ。大きな水はき棒が立てかけてあるのは、万が一水が床中にまわってしまった時用らしい。これがフィンランド式のようだが、究極のバリアフリーというところか。

20年以上通い続けているマリーいわく、1度夏に来た以外は全て冬とのこと。夏は蚊が多くて、しかも好かれて大変なことになったらしい。これだけ開放的な建物だと防ぎようがないだろう。極寒でも冬に来て正解。


4日目

朝7時をすぎるとぼんやり明るくなってくる。ポールに掲げられた旗が翻っている。風がありそう。牛舎は明かりがついている。朝は5:30に乳搾りだとヤンネが言っていた。一仕事終えたころかな。ロバニエミのホテルは2重窓だったが、ここは一重。でもヒーターが一晩中ついていて暖かい。

8:30母屋へ。マリーと食べていると若者3人組がやってきた。ロシアのムルマンスクから車で夕べ遅く着いたという。朝食後すぐにロバニエミに向かうらしい。遠い日本からよく来たと、目を丸くしていた。直行便の北周りがあるから実際は近い。朝食後、マリーについてスノーシューズ(現代風の軽量アルミ製)で一回りする。近くの湖は完全に雪原化、動物の足跡がてんてん。2kmほど歩いたら、体はぽかぽか、手足は感覚なし。

戻ってすぐ、今度はヤンネとスノーモービルで森へ。かなり昔、カナダのウィスラー(正に今年オリンピックが開催されたその場所)で、自分で運転したことがあり、今回は後ろに乗っているだけなので、たかをくくっていたらとんでもなかった。雪の深さが比べ物にならない。

あまりの雪の深さに何度もモービルが埋もれ、そのたびに彼が全体重を片側にかけて、エンジン全開にして傾いた車体を元に戻した。モービルの足元は雪に埋もれ、金属ハンマーでかき出す。木々の枝が時折、顔面を直撃する。1度は完全に立ち往生し、エンジンを切って、彼は雪の中に「飛び込んで」モービルの下にもぐり込み、掘り出さなければならなかった。

手袋を二重にしたが、役に立たずしびれて感覚がなくなりつかまっていられなくなったので、そう言うと「寒さに慣れていない人は、血液循環がうまくいかないから」と素手で片手ずつ暖めてくれた。ありがたかった・・・ジンジンしていた手先に感覚が戻ってくるのがわかった。ここの自然は、全く「そのまま」である。ウィスラーのように平らに踏み固められてはいない。


この後のティータイムで冷えた体を温める。生き返る。ここは昼食というものがない。朝食と夕方早い夕食の2食で、その他に2回ティータイム(クッキーとコーヒー/紅茶等)がある。よって、夕食はかなり待ち遠しい。朝夕にたくさん食べておかないと。

コーヒーのあとはクロスカントリースキーを初体験。飼っている犬がお供である。誰もいない雪原では、つかずはなれず目の届く範囲にいてくれるのが心強い。一回りすると、午前中にぬれた手袋が冷たくてギブアップ。冬のアクティビティは、服装より手足と頭の保護が第一なのだと分かった。防水手袋であるべきだった。

15:30 ディナー。今日は自家製サーモン(幼魚を近くの湖に放して、成長させて釣り上げたもの)のグリルと、ポテト・にんじんの付合わせ、サラダ、デザートはリンゴンベリーとストロベリー。お腹ペコペコでバクバク。ふと顔を上げると窓の外をトナカイが歩いていく。

その後、牛舎で乳絞りを見学。お父さんとヤンネが、搾乳機を1頭ずつ充てていく。足を踏み入れてしばし絶句・・・あまりスペースがないので余計なものを踏んづけないように、そそそっと歩くのだが湯気をたてて目の高さから排泄物が音を響かせて「降ってくる」ので、しぶきがかからないように気が気ではない。

だいたい牛舎に入ったとき、皆さん(牛達)食事に夢中なのだが、あの巨大な頭がいっせいにこちらをむいて「あんた、見かけない顔じゃん。何者?」といわんばかりにぎょろっと見るので、「ど~も~・・失礼しま~す・・・」と顔がひきつる。背を向けてたっていたら、うしろから鼻でつつかれ、びくっとしてつま先歩きになる。「お願いだから触らないで。。。」

これは大変な労働だ。男手2人は最低限必要だろう。生まれて1週間という子牛でさえ、大型成犬並みだ。毎日2回、365日。とても自分には勤まらんわ。。普段は牛乳は全く飲まないが、ここに来て飲むようになった。新鮮で、余計な冷蔵庫の臭いがしないし、薄すぎず濃すぎずちょうどいい。彼らの重労働のおかげである。お疲れ様です。

18:00 自家製サウナ。ミルカとマリーと3人で。湖に直結しているので夏ならば、そのまま飛び込める。冬でも大きなふたがあり、穴が開いているのでハシゴをおろして雪の下の水に入りたい人はどうぞ・・・。
80-90℃のサウナなのでそれほど熱くない。1時間ほど出入りして、体中ぽかぽか。軽装で部屋に戻る。しかしながら、どうも牛の臭いがプーンとただよう。防寒着とズボンをクンクンしながら部分洗い。困った・・それらしきしみはないのだが臭いがとれない。(その後臭いがとれるまで2日間かかった)

5日目

8:00朝食。昨日食べてみた伝統食のニシンの酢漬けはやめておく。しめさばも嫌いなので、どうもいかん。
ヤンネとヤッタはこれからロバニエミに行くというので、これでお別れ、お世話になりました。いろいろ話せて、現地の生活も体験できて本当によかった。


昼のティータイムの後、お父さんに近くのバス停につれてってもらう。5分遅れで大型バスがやってきた。言葉は通じなかったけれど、御礼を言ってお別れ。今日はサーリセルカに向かう。途中の休憩地点で急いで軽食を買い、バスの中でぱくつく。

15:00過ぎほぼ時間通り、到着。ホテルの前で降ろしてもらう。チェックインして荷物をおいて、すぐ周辺散策。なんせ方向音痴なので、明るいうちに土地勘をつかんでおかないと夜間動けない。帰りの空港へ向かうバス停をフロントで聞いたが、これまた説明がアバウトでよく分からない。通行人に聞いて、さらにもう1度別のまともそうなフロントで再確認。念には念をいれて。

スーパーで土産になりそうなものを下見。商品の説明がフィンランド語とスウェーデン語なので、原材料が全く見当つかない。何の缶詰なのか、甘いのかしょっぱいのかも分からないものが多い。これだけ皆英語を話すのに、不思議。

近くのレストランはまだ時間も早く誰もいなかった。今日と明日は何が何でも郷土料理を食べなければ!久しぶりにフルサービスのレストランの食事となった。もっとカジュアルかと思っていたが、お値段もかなりである。(またまたミスチョイス。どうも食事に縁がない旅だ。)
日本では何かのお祝いか記念日にしか入らないだろう。間違っても一人で入るようなところではない。ま、歳相応にこれまで旅先でいろいろな経験をしてきた。(ドレスを着て高級ディナーから、橋の上で焼き魚をかじまで。)まあたいがいの場面でなんとかなるものだ。

ウェイトレスと会話しながら選んだのは、トナカイのフィレ肉グリルともろもろ付合わせ。これにセージ入り自家製パン、高級店ならではのキッチンからの「おまけ」(スープとおつまみ)がついた。肉は非常に柔らかく、beefやvenisonに似ている。臭みのことを言う人もいるが、ソースの風味が強くて気にならない。

雷鳥を是非と思ってきたが、ここまで地元の人数人に聞いてわかったこと。もう一部の高級レストランでしかお目にかかれない非常に高価なものということ。乱獲なのか環境変化なのか、森にいないらしい。聞いた人誰もが「食べたことない」というのだからどうしようもない。

夜シャワーを浴びて一騒動。例によってバスルームの一角にシャワーがあり、天井からカーテンがぶら下がっている。しかし、小さなバスルームでカーテンのすそが短く、注意したつもりが水がまわりスリッパがびっしょり。ドライヤーで乾かす羽目に・・・

これはお国によるもので、外国人が文句を言う筋合いはないのだが、正直不便極まりない。床からほんの15cm囲いを立ち上げて、カーテンを内側にたらせばいいのに・・・と思ってしまう。そうすれば、この邪魔な水かき棒は必要ない。毎日誰かがシャワーを浴びるたびに洗面所の床がびしょびしょになると想像してもらいたい。明日はスリッパをバスルームの外で脱ごう。

6日目

7時過ぎ朝食へ。誰もいない。例の定番付け合わせを食べる。毎日必ず食べる羽目になっている。いい加減飽きてきた。プレーンヨーグルトと3種のベリーが良く合う。(ストロベリーは凍っていたけど)。

外気温は-20℃。短時間ならセーター1枚で行き来できるようになった。我ながら順応力に感心する。

10:40 ホテルロビーで迎えを待ってハスキーサファリへ。3つのホテルから日本人カップル、ロシア人(?)一家5人と私を乗せて犬牧場へ。到着すると、既にお揃いの防寒着を着た1群、十数人がいた。どうやら皆日本人のようだ。貸しブーツ・防寒着・手袋にフェイスマスクに着替えて合流し、ガイドの説明を聞く。ブレーキのかけ方、ハンドサイン等々、2人1組で一人はドライバー、一人はそりに座る。途中で交代。最初にドライバー役。

リーダ犬2頭を先頭に犬5頭で人間2人を引くのだが、我がチームの犬達はやけにパワフルだ。すぐ前チームに追いついてしまうので、ブレーキをたびたびかける。後のチームははるか後方。
後でこの理由が分かった。犬にもいくつか種類があって、我が犬達はレース用だった。走りたくて走りたくてしかたないのだ。ブレーキをかけると「なんなのさ!」といわんばかりに後ろを振り返る。停まっているとキャンキャンほえるほえる。「走らせろ!」に聞こえる。

だいたい5頭のうち1頭は、走り出す直前にロープを解いて森に消え、ガイドが大慌てでスノーモービル全速力でおいかけ、連れ戻した「脱走兵」だ。そりを停めるたびにこの「脱走兵」は背中のロープを噛んで外そうとしている。やれやれ常習犯なのね。犬は元気でもこちらはたまったものではない。
30分もこのスピードで走ると、手足の感覚はなくなり、フェイスマスクは呼気で凍って一面に氷が張り付き、シャリシャリと冷たくて仕方がない。途中で全チームストップして、ガイドが順にまわって写真をとってくれた。


一回りして、伝統的な小屋「コタ」で冷え切った体を、温かい飲み物とクッキーで温めながら、ガイドの話を聞いた。こういう時、日本人は皆静かである。そり犬のことはあまり知らなかったので、いろいろ質問した。もっと話を聞きたかったが、ホテルに戻るバスが外で待っているとせかされ、Fさんとはホテルで会う約束をして別れた、

貸し用具を戻しているとき、ガイドといろいろ話した。今度日本へ観光に行く計画を立てていて、2-3ヶ月かけてあちこちまわりたいのだという。よって、目下日本語の勉強中だが、文字数が多くて難しいという。確かに、片言でも現地語がわかるのと分からないのでは、大きな違いが出てくる。個人で地方に行くならなおさら。でも彼なら、フレンドリーだし日本人の同僚兼友人もいるだろうから楽しめるだろう。お礼と楽しい旅行を祈って、お別れ。

ホテルに戻りすぐランチへ。もう14:00近くになっていて、Fさんとの約束時間までに急がねば、と食べるところを探したが、我がホテルのランチはFさんが酷評していたので避けたい。結局近くでサンドイッチとフライドポテト。どうも食事にかすってばかり。どうせなら、トナカイバーガーと思えば、開店時間が16:00だったり、日本やアメリカのようにいつ行ってもレストランが皆開いていて、あるいはコンビニで豊富な商品が手に入ることがどんなに便利なことか・・・まあ、こういうパターンは初めてではないけど。

その後ショッピングセンターで土産を物色し、ホテルに戻ってサウナ。サウナの時間が限られているため、時計を気にしつつ行動。すでに2-3人いたが、しばらく汗を流してホテル内のレストランでティナー。昨日のうちにメニューはチェック済み。この国は行き当たりばったりだと、いろいろかするので、計画を周到に。

最後の夜はトナカイスープに、トナカイ肉のソテー。ウェイトレスは「メインをソテーにするなら、スープはサーモンにしたら」と提案してくれたが、サーモンはファームで食べたし、だいたい日本の地元でもいつでも食べられる。「いいの!今日はトナカイづくしにする!」と決めた。魚のグリル等もあるが、どこでも食べられるものは避けたい。

果たして、トナカイスープはサンポ号でも食べられたが、料理の仕方でこんなに印象が違うかと驚き。
今日のは澄まし汁タイプで臭みを消すためにセージを、これでもかと入れてある。塩味もきつい。ソテー肉はマッシュポテトの上に湯気の立った、ゆでトナカイ肉の細切れがのっている。まあ、シンプルにやや塩味でゆでただけだから、beefでもporkでもそれなりに肉の臭いはするだろう。昨日とは全く別の肉みたい。料理の仕方によって「トナカイ肉」の評価が分かれるだろう。付合わせはまたピクルス。今日は朝から3回目・・もうしばらく見たくもない。

食に関しては、残念ながらあまりバラエティに富んでいるとはいえない。

7日目

最後の日。7時朝食。12:00の空港行きバスまで時間があるので、スーパーで最後の買出し。

パン大好き人間の私は、どこへ行っても必ずご当地パンを持ち帰る。ここはあまり気に入ったものもないが、それでもジャガイモ入りの平たいパンと、牛乳粥をのせた「あわびパン」(大きさといい、ひだひだの形といい、あわびに似ているので勝手に命名)を買った。こういうものはできるだけ新鮮でないと長時間のフライトに耐えられない。何のかんのといってスーツケースはかなり重い。瓶入りジャムとトナカイの缶詰か・・近年は航空会社も重量に厳しい。ま、言われたら取り出すかと覚悟する。

チェックアウトして、坂道をバス停へ。雪道はスーツケースは転がらない。よって、20kgをずっとひきずって行くこととなる。米の10kgを2袋分である。重い重い。途中で休み休み、引きずる腕を交代しつつたどりつく。・・・ちなみに、これを書いている本日は昨日帰国して2日目だが、まだ腕が筋肉痛である。「あわびパン」はレンジでチンしてシラス干と食べたらなかなかいけた。

いろいろなことを経験し、学んだ8日間でした。世の中には、まだまだ自分の知らないことが多い。引き出しがまた増えました。

ツアープランナーからのコメント

お帰りなさいませ、いつもありがとうございます。Y.S様の旅行記は読んでいると自分も一緒に旅行したり、現地の方と会話をしてきた気分になります。個人旅行、1人旅ならではの良さってたくさんありますよね。今回はとにかくお写真が一面まっ白でまず驚きました!寒いからこそ出来るアクティビティをたくさん体験されて、とても羨ましいです。私も次回はサンポ号に挑戦してみたいです!

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