福祉の国・フィンランド ヘルシンキで学ぶ
北欧福祉施設視察ツアー5日間

期間:2011年4月11日~2011年4月15日
田中 様

GON-000459

【 目 的 】

・福祉先進国と言われている北欧の福祉情勢、現場を学ぶため
・日本との違いを見つけ出す

4月11日(月)

AM11時成田出発 → ヘルシンキ空港へ
日本時間PM21時、現地時間PM3時到着
税関を通過してシティバスにてヘルシンキ中央駅へ

フィンエアーバスを利用しようとするも乗車場所が分からずキオスクの店員に聞きシティバスの乗車場所を教えてくれた。フィンランドのバスは行き場所を運転手に告げ運賃前払い。支払いを済ませてバスに乗り込むと既に様々な国籍であろう方が多数乗車していた。日本のバスに比べ中は広く対面の席があり驚いた。自分が降りる場所が何番目の停留所かきちんと把握しておかないと車内では一切音声ガイドは流れない。

周りの景色に囚われ皆が一斉に降りたバス停で自分も降りてしまい、地図を眺め暫く歩いてみた。オリンピックスタジアムは越えていたのが分かってはいたので勘を頼りに進むも間違ってしまい混乱する。通行人の女性にヘルシンキまでの行き方を聞くと快く教えてくれた。その通り進み無事にヘルシンキ中央駅付近の宿泊するホテルにやっと到着。(PM4:30チェックイン)

持参した携帯電話が使用できず何とか日本に電話をしなくてはと思いホテルのフロントで聞くも繋がらず。ホテル付近の地下鉄駅や街中に公衆電話を探しに行くも見当たらない。ヘルシンキ中央駅に行くとやっと公衆電話発見。家族、知人に無事到着した旨を伝えることが出来てやっと一安心。

駅構内のお菓子屋さんでお土産を購入する。中央郵便局、国立劇場、公園広場を周りホテルへと戻る。PM8時でも外は明るい事に更に驚く。

ヘルシンキ駅から見た国立劇場
ヘルシンキ駅から見た国立劇場

4月12日(火)

6時に起床しシャワーを浴び朝食を摂る。朝食はバイキング形式でパン、ソーセージ、チーズ、サラダが主にありそれぞれ数種類用意されていてとても美味しく、日本人の味覚にも合うと感じた。

8時半にヘルシンキ駅で通訳と待ち合わせとの事で少し早めに到着しトイレに行くとトイレの前に自販機が置いてあり1ユーロを支払わないとドアが開かず中に入れない。コインを払うと自動でドアが開いて中に入ることが出来た。8時半になり駅構内1F、ツーリストインフォメーションでサミ・セッパネンさんと会い本日、明日のガイドをしてくださり流れを教えてくれた。

まず、電車に乗りヘルシンキ郊外のヘルスケアセンター(DEBORA)を視察。ヘルシンキから15分程電車に乗り駅から徒歩1分ほどでDEBORAに午前9時到着。エリザベス(施設長)、サリ(コーディネーター)が対応して下さる。DEBORAは主に4つのサービスを担っている。

①HOIVA KOTI(ホームケア)②アパート型のグループホーム(ハーモニー)③PT(理学療法士)によるリハビリ④行政など外部から人手不足の際の派遣。

11時半過ぎまで説明、質疑応答の後、下の階にある②のグループホームの見学を行わせて頂く。

フィンランドのグループホームは施設入所者の状態に応じて行政により認知度がどの位か見極めて判断する。それにより人員配置も異なってくるとの事。ハーモニーは中度と判断されている為人員配置は0.6人と決められている。各個室にトイレがあり、トイレの横にはシャワーも配置されていた。

視察先 デボラにて
視察先 デボラにて

フィンランドの施設での一般的なトイレ
フィンランドの施設での一般的なトイレ

DEBORA見学終了後は電車を乗り継ぎESPOO(エスポ市)というフィンランド第二の人口が多いと言われる町に到着。バス停から徒歩15分ほどでVILLA TAPIOLA(ビッラ タピオラ)というグループホームにたどり着いた。フィンランド第二の人口がいる町だが郊外に施設があり施設の周りは森林。

施設長のテュ―ラーさんが対応してくださる。ハーモニー同様に各居室にトイレがありシャワーも完備されている。ここの施設はサウナがあり利用者は洗身後に入るとの事。サウナはフィンランドの伝統で各家庭に設置されているものだと言う。サウナに入ることで血行を良好にし身体を保温する効果が期待出来る。歩行困難な利用者にはシャワーチェアーに座り入る。

ビラ・タピオラ グループホーム内の中庭
ビラ・タピオラ グループホーム内の中庭

特浴チェアー
特浴チェアー

フィンランドの伝統サウナ
フィンランドの伝統サウナ

ここの施設は四角に構造されており、四角の外側を利用者の居室、内側には中庭があり、更に内側の角4点にはリハビリ器具があり決まった時間にナースにより行われている。器具自体は日本の方が新しいものを使用している様に思えた。30人の利用者が入所(満員)しており、重度と判断されており人員配置は0.75と決められていて現在20名の職員がシフト制で勤務。

建物を造る際フィンランドの法律で60㎡以上の場合は建物内に避難室を作ることが義務付けられている。この法律は第二次世界大戦の時に作られた法律で国民を守る為の法律だったという。現在はその法律は不必要だと市民は思っている様だが中々撤回にならないとの事。国のあらゆるところで避難所と呈した地下通路があり現在は主に病院や施設を結んでおり救急車も通っている。

テューラーさんに代わり次はナース歴20年のピーラーさんに話を伺った。20年のキャリアを持っているピーラーさんでも認知症のケアの難しさ(主にアセスメント)を感じていると言う。やりがいに感じていることは認知症なだけに毎日異なる表情をするので何かを発見出来る。また新しい職員を教育することで毎日の業務をこなせている。

施設見学、質疑応答が終了すると昼食をご馳走してくれた。メニューは本日入居者が食べたものと同じ。マッシュポテト、サラダ、豚肉スープとても美味しく頂いた。職員も同じものを摂取している。

二時半、施設を後にしてバスにより20分ほどでヘルシンキ駅へ。セッパマンと別れホテルへ。
荷物を置き市内観光へ出かける。

元老院広場、大聖堂、ウスペンキス教会、カナバ・ターミナルを海沿いに散歩。引き返しマーケット広場にてコーヒー休憩。天文台、ヨハネ教会、エスプラーナーディを観光してストックマン、キオスク、ディスカウントショップにて買い物をして7時半ホテル到着。1日良い天気だったが湿度が低くからっとしており喉が渇きやすかった印象を受ける。

4月13日(水)

6時半に起床し身支度をして朝食を食べホテルを出る。昨日と同様8時半にヘルシンキ駅でセッパマンと待ち合わせ。

午前中の視察はKELA(国民年金協会の略)という国が運営する協会で開発チーフのマッテラさんとの対談となる。ヘルシンキからバスを利用し15分ほどで着いた。
まず今日のフィンランドの福祉が確立するまでの歴史等を学び、福祉に関する法律、KELAの役割、現在フィンランドが抱える福祉の問題点等の話を聞き質疑応答の時間となる。フィンランドの福祉がここまで充実しているのは所得に応じて税金の差を付けることの徹底、いつまでも自宅で生活を送るという健康に対しての意識を国民が高く持ち、持病に対しての研究・福祉の現場における教育の力を入れている為だと話された。時間がオーバーするまで質問に答えて下さった。

KELAの視察後はトラム、電車を乗り継ぎ30分程でFOIBE(フォイベ)というデイケアセンターでの視察となった。対応して下さったのは施設長のピリョさん。FOIBEは1989年に設立されたがそれ以前にはキリスト教徒が生活困窮者に対して無利益で身の回りのお世話や生活する場所を与えたのが始りとの事。
FOIBEは主に①PT(理学療法士)によるリハビリ、②大食堂での食事、③デイケアサービス、敷地内にあるグループホーム、高専賃でのケア・配食サービスとなっている。日本のデイサービス・デイケアとは大きく異なる。基本的に持病のリスクがある方や感染症を患っている方以外は誰でも利用出来る。

フィンランドには介護保険法が無く日本の様に介護の区分訳がない。またヘルパーという資格が1999年代で消え、ラヒホイタヤ(日本で言う准看レベル)、ナースが福祉の現場で主に従事している。
1990年頃にフィンランドで今の日本の介護現場が抱える在宅生活などで介護士が行えない医療行為にあたる事で在宅生活が困難になる高齢者が増えている問題になりラヒホイタヤという新たな資格が確立した。

障害者法はあるが、高齢者の為の福祉法はないフィンランドがここまで福祉が充実している理由が今回の視察で少しではあるが理解出来たのではないかと思える。福祉先進国フィンランドでの研修中で日本の福祉に対しての考え方、どの様なシステムにすることで国民全員が安心して過ごせるのか、国民一人ひとりがきちんと考えなければならないと強く思う。財源的な事の問題も切実であり、やはり国が福祉に対しての意識、本当に介護が必要な利用者の事を最優先に考えなくてはならない。

デイケアセンターでの視察が終わると同敷地内のグループホームの見学もさせて頂いた。日本のグループホームの入所する基準は認知症を患っているかどうかがまずポイントとなるが、フィンランドのグループホームは介護が必要で在宅生活を営むのが困難と判断され入所する意思がある場合にグループホームへの入居が可能だと言う。

視察終了後電車にてヘルシンキでサイッツマンと別れる。国会議事堂、国立博物館を見学してシベリウス公園へ。地図を見るも迷いながら目的地に向かい何とか到着した。公園の広さ、芸術に驚く。その後郵便局博物館で買い物をしてヘルシンキに戻り再度お土産の買い物。七時半にホテルに到着。

4月14日(木)

午後のフライトまでフリーだったので、朝食を摂り荷物をまとめてチェックアウトをしてホテルに預けてヘルシンキの観光をする。ヘルシンキ中央駅からスウェーデン劇場、エスプラナーディー、元老院広場ヘルシンキ大聖堂、ムーミンショップ、JGショップにて買い物。

昼食をカフェで摂り、午後2時のバスでヴァンダー空港へ向かう。3時に到着しチェックインを行い午後17時15分出発。9時15分のフライトで東京に到着。

ヘルシンキのメトロ
ヘルシンキのメトロ

ヘルシンキ大聖堂
ヘルシンキ大聖堂

4月15日(金)

午前9時成田空港到着となる。

視察1 【 DEBORA 】

・1999年設立 30km圏内がサービス区域 民間、公的両方対応
・ホームケア(ナース、PT(理学療法士)による個々のケア) → 在宅で長生きする事がコンセプト
・サービス対象 → 高齢者、※1 ベテラン、障害者、子育て中の親
・主なサービス内容
 ①ホームケア(訪問)
 ②施設ケア(グループホーム)
 ③PT(理学療法士)によるリハビリ(来所、訪問両方)
 ④派遣(他の機関で人手が足りないときに)
・上記いずれかを現在200名以上の利用者がサービス利用中
・職員はナース、※2 ラヒホイタヤ、PT(理学療法士)で60名
・年間400万ユーロ程の利益
・サービスの利用料金は所得(年金)に応じて支払われている。最高が所得(年金)の80%、最低は全額国が負担となる。

①ホームケア
ナース、ラヒホイタヤが自宅へ訪問しケアを行う。きちんとケアプランに沿ってケアが行われている。ナース、ラヒホイタヤがサービス提供を行うので日本と違い行えない事はまずない。必要ならばコミュニケーションだけのケアも存在する。食の確保の為に配食サービスも行われており食事を自宅まで運んでいる。福祉用具に関してはPT(理学療法士)と相談しながら検討し提供。(リストバンドにボタンが付いており押すとDEBORAに繋がるようになる緊急通報システムが出来る)1日100回程派遣回数がある。
Ex. 薬局に薬を取りに行く、通院、傷の処置等、特に出来ないケアはない。

②施設ケア
グループホーム(ハーモニー)でのケア。総勢40人2ユニット(1ユニット20名)が入所しており満床。2009年に設立される。職員は、ナース、ラヒホイタヤ18人、事務員3人と21名。日本のグループホームは認知症が入所の条件だがフィンランドは基準がなくケアが必要と国の機関、DEBORAが認めた利用者のみ入所可能。国からは現在入所している利用者のレベルを総合的に判断され中度と結果が出た。レベルの判断に応じて人員配置が異なってくる。ハーモニーは中度で0.6。利用者ごとの評価をAVIという国がグループホームを管理する団体に定期的に提出している。

③リハビリ
DEBORAの会社内に2部屋配置されてサービスを提供している。定期的にRAVAという国の身体レベルを把握する機関に情報を送り国とDEBORAと利用者ときちんと把握出来るシステムにある。

④派遣
人手が足りない施設等に人員を派遣しケアを行なう。

 ・サービスまでの流れ→フィンランドにはケアマネージャーがいない。また介護保険法という法律が存在しない。基本的に生まれたときから誰でもサービスを利用出来る権利があるので介護を必要と感じたら、行政ではなくまず施設に直接連絡をしてアセスメントを行い契約。ケアプランをDEBORAのマネージャーと個々に関わるサービス機関(理学療法士、言語聴覚士、ドクター等)、ファミリーと本人、全員で作成する。(施設マネージャーもナース、ラヒホイタヤとして勤務をしていた) 作成後サービス実施となる。

 ・ケアプランは3ヶ月で見直しになり、RAIという国のパソコンシステムで作成される。RAIは全ての福祉機関に取り入れられており、身体レベル、精神レベル、コミュニケーションレベル、家事レベルを5段階で評価するシステム。

 ・利用者にアンケートを配布してケアの質の向上を検討しており、年に1度行政を含めてカンファレンスが行われている。質の向上だけでなく情報の共有も行政を含め取り組まれている。

 ・高齢者のケアの為、職員はフィンランド語、英語、スウェーデン語が会話出来る事が必須。

※1 ベテラン → 第二次世界大戦を経験した人々。フィンランドではベテランと呼ばれており、特別優遇される事が数多くある。
※2 ラヒホイタヤ → 准看護士の様な資格。医療行為も可能。

視察2 【 VILLA TAPIOLA 】

・民間のグループホーム
・30人が入所しており現在満床 7割が女性 平均年齢84歳
・国からはやや重たいレベルと判断され人員配置は0.75、20名のナース、ラヒホイタヤと事務員が交代制で勤務している。
・27名がエスポー市(行政)からの紹介で入所となり、他の三名は家族から直接入所希望を受ける。

・各居室は電動ベッド、マットレスのみ施設のを使用する。その他の家具は基本的に自分の今まで使用してきた物に愛着があり、ここが自分の部屋だという事を認識する為もある。
各居室にはトイレ・シャワーが必ず完備されている。自力で入浴出来る人は現在おらず、介助または見守りを要する利用者が入所されている。自室以外にも入浴室はあり、脱衣所、浴室がある。日本と異なる事は、入浴室以外にサウナがある。サウナはフィンランドでは伝統的なもので各家庭に必ずあるとの事。自力歩行出来ない入所者には特浴チェアーを使用してサウナの中に入る。サウナはやはり保湿効果や血行促進の効果が大きい。

・建物は四角で造られており、更に内側に四角く中庭が造られていた。外側の四角は入所者の居室となっており、内側の四角の4角はくつろぎスペースやリハビリ器具が置いてあり、アクティビティの時間になるとナースによりリハビリが行われる。器具は主に電動自転車や平行棒、懸垂棒があった。

中庭へは自由に行き来出来る様に施錠はしていない。なぜなら中庭で迷っても何処かしらの内側の4角に辿り着き外へ出ることはないため。中庭では天気が良いとお茶をしたり、歌を唄ったりと有効的に使用している。夏にはバーベキューも行われる。

中庭の他に更にもう一つ庭がありそこはきちんと施錠しておりまた、高い塀があり徘徊防止をしている。その庭は‘おばあちゃんの庭’と呼ばれている庭で家庭菜園をしている。

・RAIのシステムで半年に一回入居者のレベルを行政に報告しており、職員は入居者を担当制にして、RAIシステムを作成している。ケアプランは全員で作成しており、半年に一度見直しをしている。行政に提出の義務はないが、1年に一回監査がチェックに来る。

・VILLA TAPIOLAの様に600㎡を超える建物を建てる際は必ず同敷地内に避難所を造る事を義務付けられている。この法律は第二次世界大戦に出来た法律で国民を守る為に立案された。平和になり、また避難所を造るともなると高額で国民はこの法律が不必要だと訴え続けているも中々政治の中で撤廃にならない。VILLA TAPIOLAでも施設奥の廊下を過ぎると避難所があった。更衣室、トイレ・シャワーや生活用品や食べ物もストックされていた。

・メインルームから中庭以外の外に出るには必ず鍵がかかっており施錠している。職員の指紋データに記憶されており、職員の指紋でのみドアの開閉が出来る。

・職員の1人 ナース歴20年のピューラーさんに現場の話を伺う → 20年の経験があるも認知症のケアの難しさ、ケアの相手は年配で生きてきた経験や細かいアセスメントをすることの難しさを感じている。しかし、認知症は毎日違う表情で毎日が異なる。その対応が遣り甲斐へと感じており、その経験を新しい職員に伝え教育することが楽しいと話して下さる。

視察3 【 KELA(国民年金協会) 】

                            健康安全調査部 開発担当チーフ マッティラ氏

・国民が、在宅生活を健康で長く営んでいく為に保障をする機関。財源は国からの税金で予算が決められている中で出来る限りの保障を国民にしていく。保障も様々な保障があり該当していれば保障がKELAからもらえる。
Ex.2 医療費の補助 → 通院の際は672ユーロまで自己負担で支払わなければならない。しかし負担の42%をKELAが負担し672ユーロを超えた場合は全額KELAが負担する。

その他、移民の為の保障や戦争生存者への保障、子供が成長する事への保障、家族介護をしている世帯への保障(約750ユーロ~約1000ユーロ程の支給。自治体によりばらつきがある。又介護負担軽減の為にショートステイの利用)等。家族介護をしてKELAから保障をもらっている世帯は約3万5千人。まだまだKELAの保障制度を理解している国民が少ない。

・今後は議会で可決されたら‘サービス券’と言われる券を発行して国民に配布する予定。‘サービス券’とは利用者自身が、自分にはどの様なサービスがいつ、どの位の頻度で必要かを決めることが出来、それによりケアを支援していく。これは、100%の利用者本意であり福祉サービスを更に充実する狙いがある。

・人口が南下してきており、都市部に集中している為地方の自治体は財源的に厳しい状態となっており、国民への保障や施設への援助も厳しい。また特に人口が減少している東フィンランド、ラップランド地方は失業率も高く更なる悪循環を招いている。

財源が生まれない為、ケアが行き届かず、ケアを受けたくても受け入れる施設・サービスが無いという利用者側の問題、近年福祉サービスは公的機関から民間へと移行してきており、財政的に厳しい自治体から十分な支援を受ける事が出来ない民間福祉サービス側の問題と双方が不安を隠しきれない状態にある。

社会問題となっている現在、予算案の見直しを議会で求め続けている。4月17日(日)がフィンランドの選挙で、選挙の結果次第で今後の福祉情勢や法案が大きく変わる可能性がある。

視察4 【 FOIBE(デイケアセンター) 】

・VANTAA市に位置し1989年設立
・元々はキリスト教徒が無利益で福祉サービスを提供していたことが始まり。現在も10名の理事のうち8名が議会議員、2名が元々のキリスト教徒で財団法人として運営している。
・2010年には利用者人数は120名(デイケア利用者、グループホーム入所者)、215名(高専賃入所者)
・施設の主なサービス
 ①デイケアサービス
 ②アクティビティーサービス(外部からもOK)
 ③施設サービス(グループホーム、高専賃、ショートステイホーム)デイケアの施設内に18のグループホーム
・収益は上記の利用料で、年間500万ユーロ
・2000年に施設拡大があり現在の規模へなる。今後グループホーム、高専賃、ショートステイホームを更に増やしていく計画

①デイケアサービス
基本的に市民全員が利用出来る。対象は市民であり、“家から外に出る”という目的の元に1990年にサービス開始となる。催しやイベント事が多数企画されていて、その時のみ人数制限があり予約制となっているが、それ以外はいつ、だれが参加しても良い。(宗教的なイベント、運動を取り入れたイベント、等) その為契約もない。しかしドクターの診断書が無い、感染症の場合はデイサービスに参加することが出来ない。

デイサービス内ではパソコン教室やビリヤードルーム、プール、手工芸ルームがあり自分で選び好きな事が出来る。プールによるリハビリやリハビリルームでのトレーニングはPT(理学療法士)指導のもとに行われており、Drの診断書の提出が義務付けられている。日本のデイサービスとは違い好きな時間に好きな事が出来る。比較的自立している方々が多く、また軽度の方でないと、職員が常に目が行き届いてはいないので様々なリスクはある。

現在では10名程毎日ベテラングループが参加している。職員はナース、ラヒホイタヤ、理学療法士、事務員がいる。利用者にケアプランもなく評価もない。ただし、ベテランのみケアプランがあり、評価もしている。

②アクティビティーサービス
・“高齢者学校”と言われる高齢者向けの講座が多数あり、一般の市民も誰でも利用できる。(EX.精神疾患の勉強会、IT技術講習、携帯電話・Eメール・デジカメの使用、操作方法、英会話、栄養学、異文化講座等) 講座の際は専門家を招き、ボランティアではなくきちんと報酬を支払い講座を担当してもらっている。
・美容室、ネイル室もあり、入浴、サウナ、プールを使用出来、またPT(理学療法士)によるマッサージも受けることが出来る。
・食堂もあり、デイサービス利用者と同じメニューだが注文して食べることが出来る。FOIBEの高専賃にも届けている。

③施設サービス
グループホームへの入所条件は特に無く、介助が有すると判断されれば入所することが出来る。ケアはナース、ラヒホイタヤが行っている為日本の様に出来ること、出来ないことの垣根がない。従って自立支援の為ならば必要に応じて全ての事が行なえる。各居室にはトイレ・シャワーが設置されている。その他に入浴室があり、サウナもある。入浴は週に約3回。

また、各居室は電動ベッド、マットレスのみFOIBEが支給しそれ以外は自前。自分の家具は愛着や思い出があるので極力自分の家具を持ち込む。無い場合はFOIBEが用意する。オムツ類は入所料金に含まれている。

建物は四角く造られており、4つのコーナーにそれぞれ色で分けたダイニングが設けられている。認知症の方が色で判断できる為にその様な工夫もしていた。またウッドデッキ、ソファールームがある、リラックススペースもある。3階建てで2階3階がグループホームになっている。身体的には現在の段階は軽度とアセスメントをしているが認知症、パーキンソン病の方が多く入所しているので変わる可能性がある。現在の人員配置は0.5。49歳~100歳までの方々が入所をしている。

1階は高専賃になっており、個々の身体状態等に応じてケアを行なう。また入居者全員にリストバンドを巻いており緊急通報システムが設定されており、FOIBEの事務所につながりナース、ラヒホイタヤが訪問する。

【フィンランドが現在に至るまで】

1860年
介護はファミリーが看るという歴史があったが、教会が貧困層の市民に支援していくようになる。
少しずつ教会から行政が支援するシステムへと変わっていくが、1800年代の行政は財政難で、金銭的な支援は殆ど出来ず食事のみしか支援をする事が出来なかった。

1920年
地方に貧困層対象に施設を設立し始める。
やがて貧困層、高齢者、障害者、孤児等、全てのハンディーキャップを負った全ての人が一緒に暮らす施設を設立

1937年
国民年金法が立法される。職業、土地、家柄に関係なく国民が皆平等に一律の手当てが貰えるようになる。
→ 基礎年金

1960年代
行政により地方に高齢者、障害者、孤児、貧困層等を分けた施設を設立していく。

1963年
基礎年金+所得に応じた年金(給料の60%)が国民全てに支払われる法律を立案していたが議会で可決されず。

1975年
施設における長期ケアが主流になる。

1977年
可決され、更に細かい手当てを支払われる方へと改正される。

1980年
地方自治体が、自治体ごとにどの様なサービス、施設設立の基準、予算等を決められるようになる。しかし人口が都市部に集中しており、各自治体によりサービスの提供者、受ける人数、サービスの種類等が異なる。その為予算のばらつきが出てきてしまう。
施設から在宅ケアへと変わる。
最期まで在宅という言葉をコンセプトに大規模施設から小規模施設へと移行される。今までは隔離というイメージがあったが最期に住む家というイメージへと変わる。

1987年
障害者が都市部に集中してしまい障害者法が設立される。障害者法には高齢者も対象となっている。身体状態により自立生活が営む事が困難な者にヘルパーの派遣、移送サービス、施設入所のサービスが更に強化されるようになる。自治体は予算が無くてもどこかの財源を削ってでも障害者、高齢者等を支援しなくてはならないという法律が義務化される。

1990年
ソ連が終わり、フィンランド国内にも不況が再び訪れる。
失業者が増え、財源不足になり福祉サービスの質が落ちてきた。

1993年
自治体が国からの補助金を自由に使えるようになり福祉に力を入れる。

2000年
景気が少しずつ回復してくる。
福祉サービスは主に公的サービスとしていたが、段々と民間サービスへと移行される。(高齢化に伴い自治体では賄いきれない為)
景気が良くなることで貧富の差が出てくるようになる。

2005年
地方の失業率が悪化、都市部に人口が流れてしまい地方の自治体は財政難になり統合するようになる。
現在は8割以上が民間サービスへとなっている。

2010年
ベテランを対応するゲロノミ(専門学校卒で取得可)という新しい資格が確立。

【フィンランドが抱える問題点】

・人口が都市部に集中している為、施設・サービス提供機関も都市部に集中。郊外の国民がサービスを受け難い。フィンランドの国土は日本とほぼ同じ。人口は520万人で60%が都市部に集中している。(日本は66%) また、地方から都市部に人口が流れてしまい、地方の企業は倒産が相次ぐ。

・高齢化
2000年 → 2030年 
14.9% → 25.8%(フィンランド) 平均寿命 男75歳 女81歳 
17.2% → 30.4%(日本)                    男78歳 女85歳
今後フィンランドでも寝たきりの高齢者が増えてくると見込まれ寝たきりの高齢者への福祉サービスの質の向上が課題となっている。

・サービス提供者不足
高齢者に伴い、福祉の担い手が少なく足りない。交通機関等にもラヒホイタヤの募集が掲示されている。

・移民が増えたことにより、言語・宗教・異文化の対応。主にルーマニア人が多く、フィンランドに来れば保障をもらえ生きていけると考える人が増えている。その他アフリカからの移民も多い。

・利用者が安心して平等にサービスを受けられることにより、より良いサービスを求め続けてしまう。

・定年前の失業率が高い
企業は若い人材を求めているので退職金をもらう前に失業し、失業保険(給料の60%、500日のみ)で生活しなくてはならない。生活は厳しいので現在はKELAから1日25ユーロの支給があるが、それでも生活は厳しく貧しい人が増えている。→貧富の差が広がってきている

・高齢者への直接な法律がない
障害者法、国民健康法、特別医療法で自治体と福祉サービス機関が連携してサービス提供を行なっている。

・ナース、ラヒホイタヤの給料面
賃金を巡りDEHI(ナース組合)がストライキを起こすことを計画した後、少し改善

・フィンランドの平均月収400ユーロ → ナース、ラヒホイタヤ300ユーロ

・フィンランドは消費税が22%、食料品・日用品は17%、医療品は8%と高い税金を国民が支払っているが、保障や医療、福祉サービスが手厚いので不満もなく安心した生活が送れている。保障と福祉サービスを重視しており、一定の生活レベルを保障するために市民全員に年金制度が保障されている。

・1990年代にフィンランドも今の日本の様な問題を抱えていた。ヘルパーという資格もあったが、利用者のニーズに応えることが全て出来ない。また施設ケアから在宅ケアへと移行されるようになり痰吸引や傷口の処置等医療行為が必要不可欠となり、ラヒホイタヤという資格が確立。(日本の准看護士と同等)それにより日本の様な介護士が出来ること、出来ないことの垣根が無くなった。

・サービスは原則として税金で賄われている。しかしサービス内容や所得に応じて負担額が異なる。

・フィンランドにはケアマネージャーがいない。ケアは自治体、ドクター、本人・ファミリー、ケアに必要な職種全員でカンファレンスを行い全員ケアプランを立案。作成はサービス提供の事業所が行う。

ツアープランナーからのコメント

素晴らしいレポートを頂き有難うございました。読ませていただき私自体が大変勉強になりました。田中様の今後のお仕事にお役に立てばと思いますので頑張ってください。

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