温泉と世界遺産を楽しむ ハンガリーの旅 9日間

期間:2012年4月26日~2012年5月4日
Y.S 様

GON-000546

【 1日目 】

ヘルシンキ空港の入国審査は、日本人団体客に紛れ込んだ状態。皆さん、ヨーロッパ各地へ乗継するみたい。乗継してブダペスト到着は定刻、18時過ぎ。シャトルバスのカウンターで説明を受け、指定されたバンに乗り込む。市内に入ると渋滞気味。まだ明るいが、狭い路地をあちこち曲がるので方向が混乱してわからない。明日、市内探検することにしよう。

ここまで順調な滑り出し。チェックインして、ホッと一息。お風呂に湯をためていると、電話。” Hello ”と出ると、「もしもし・・・」と流暢な日本語に目がテン。「誰??ここに知り合いはいない」・・現地手配会社の責任者から、相談したいことがあるとのことで、明日ホテル出かける前に会うこととなった。

さてお風呂、と思ったらまた電話。何か言い忘れたのかな、と思えば、今度はフロントから。さっきチェックインした時に生年月日を書き忘れたようで、「フロントに来て書くか、電話で言うか?」と聞かれ、もちろん「今言います。」もう部屋から出たくない。

やっとお風呂に入って「あ~ごくらくごくらく」。おやすみなさい。

【 2日目 】

7時朝食、一番乗りだった。コンチネンタルにちょっと温かいものがついてまあまあ、パンは日にちが経っておりますな。ポサポサのクロワッサン、明日はやめよう。

機内でも思ったが、コーヒーがあまりおいしくない。豆の種類もあるだろうが、パウダー状にまで挽くと雑味が入り、茶色く濁って、コーヒー独特のかぐわしい香りもない。海外では結構出てくるこのタイプ、期待していなかったけどちょっと残念。

8時、ロビーで昨日電話のあった現地会社の人と会う。何でも、「明日のツアーについて午後にイベントが入ったと昨日連絡があったので、馬車ツアーは午前の1回だけ」とのこと。これに間に合わせるため、出発時間を1時間早めるとのこと。ずっと前から予約を入れてあるのに、ドタキャンならぬドタチェンジは海外ではよくあること。(しかし、今回は後から知るに、年に1度のお祭りって・・・それはないんじゃない。)

この紳士、完璧な日本語もさることながら、朝食時間の心配までしてくれて、丁寧な対応に感謝。その他もろもろ、ついでに自分が今日1日行動するアクセスも教えてもらったり。方向音痴なので、地図だけでは必ず迷う。現地の人に聞くのが一番。そうこうしているうちに9:00、いかん、急げ!まずは Deak 広場に行って電車の回数券を買わねば。

教わった通りてくてく、しかし日差しが強い、暑い。地下に降りて窓口の前に2~3人。年配の女性が何やら時間がかかっている。私の後ろにも3人、前の人がイライラしているのがわかる。皆さん、通勤途中でしょうから。こちらも10:00の RiverRide Tour に間に合うかちょっとそわそわ。やっと自分の番、ハンガリー語で「回数券」と書いたメモを見せて無事購入。

さて、今来た道を戻ってしばらく歩く、通り道の大聖堂は見ている余裕なし、さっさと歩いてルーズベルト広場(昨年セーチェニ広場に変更)へ。紛らわしいからちょくちょく変えるのやめてね。

何とか間に合ってほっ。水陸両用バスは地元にもあるが、乗る機会がなく今回初めて、結構楽しみにきた。景色のいい側を聞いて乗る。ドライバー、英語と独語2か国語を話すガイド、それに水夫(船ですから)の3人が乗員として乗り込んでいる。そのガイドが出発してすぐ言うことには” Today is a special day. ” 何でも、地元TV局が取材で乗っている(確かに大きなカメラを抱えた若い男性3人組がいた)ので、TVに映りたくない人は挙手してくれとのこと。ま、「こんなアジア人も観光するほど、人気があるんですよ。」に一役買いますか。

ペスト側の主要名所を一回りして北の方でドナウ川にザブン!不思議な感覚。くさり橋まで南下して、反転して戻る。しっかし、恐ろしくのろい。水中のスピードは 13km/h だそうな。おまけに安全上の理由か天井の窓を開けて、冷房が効かない。ガラス張りのバスの中に太陽の光と水面の照り返しがもろに入ってきて、日に当たっている足は服の上からでも暑くて痛いくらい。

ヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」は日本人誰もが知るところだろうが、これはどうみても「濁った黄土色の川」ですな。ライン川の緑系とは色が明らかに違う。土の色かな。ちょうど正午ごろに元の場所に戻ってきた。いや、暑かった・・

これからくさり橋を歩いてドナウ川の反対ブダ側へ渡る。途中、プラスチックの容器を持った物乞いの老人がいた。今回の旅行直前に米系ニュースでハンガリーの失業問題を取り上げていたっけ。仕事がない、また一旦失業すると復職はさらに困難らしく、あとは転落の一途。どこの国も状況も厳しいが、ここはギリシャもひとごとではない。その後も橋を渡るたびに違う人をみかけた。どういう事情か分からないが切なくなる。こうやって旅行のできる我が身に感謝。世の中なんだかんだと言って、「健康とお金」、これが現実。

橋を渡りきると王宮に上るケーブルカーは長蛇の列。かんかん照りで脱水症状気味。水を買ったら、500mlペットボトルが約250円。暴利でしょ!全く。
ケーブルカーは1分もしないで上に到着。王宮といっても、ここは1つの町になっている。博物館が複数、教会、飲食店、スーパー、クリニック、ホテル、何でもある。従って広い。地図を片手に、石畳をあちこちうろうろ。漁夫の砦からの眺望は確かにすばらしい。さすがに王宮にふさわしい、全体を見渡せる絶好の地。しかし観光客が多い。夏はもっと増えるのかな、もうすでに限界だと思う。

疲れたので、レストランで日陰の席に座る。ハンガリーの郷土料理のセットメニュー(グアーシュ、チキンのパプリカ、スポンジケーキ)にした。その名も「ブダペスト メニュー」だそうな。味は、う~ん、そこそこかな。定番メニューなので、店ごとに味付けが違うと思う。観光客相手のレストランだしね、しかたないか。

ランチ後は楽しみにいていた王宮地下めぐり。入口がわからずうろうろして、人に聞いてやっと見つけた。地下の気温はかなり低く、持ってきて失敗だと思っていたジャケットが必需品となった。体が冷えて冷たくなるのがわかる。

入口付近では並んで入ったのに、どこにちらばったのか、ふと誰もいない、声もしない状況に。暗くて細く天井が低い回廊がくねくね。普通は緑の” EXIT ”の非常表示がありそうなものだが、何もない。2ヵ所に地下迷路全体地図が貼ってあったが、現在位置が描いていないから役立たず。ところどころに矢印があるけど、どうどうめぐりになるぞ。

どっちを見ても薄暗くて同じような光景。壁から水が染み出して床が濡れている。湿度があって冷たいせいで余計薄気味悪い。方向感覚がなくなって、ちょっと焦ってきたときに唯一の” EXIT ”を見つけて安ど。あーよかった。外に出ると明るく温かい空気につつまれた。

今度は王宮を外から見学。半日いても見切れない。いいかげん歩き疲れた。予定ではトラムに乗って中央市場に行くはず、でもその元気なし。

スーパーで買い物して、重たい荷物をぶら下げ、暑い日差しの中をひーひーいってやってホテルまで戻ってきたら、何やら音楽と人だかり。大聖堂の広場で何かやってるぞ。ちょっとだけ見るかと近づくと、軍人が大聖堂を背にお偉いさんのようだ。

広場では銃剣を持った兵士のパフォーマンス。隣の人に何のイベントか聞くと、たどたどしい英語で、今日は軍隊の何かの記念日だそうな。はあ、なるほど。しかし彼らは新兵君ですな。何か危なっかしいと思ってたら、やりました。ほうり上げた銃を取り損ねてガシャン!・・・少したってまた別のところでガシャン・・ う~ん、ちょっと訓練足りないですな。銃を落としたらいかんでしょ。しかも年に1度の式典の最中。どこかの国だったら、ただじゃすまないと思うけど。

そのあとは、軍楽隊の演奏。しかし軍服がどうもナチスを連想させる。カーキ色の上着に赤い紋章、やたらとせりあがった軍帽・・音楽自体は結構ですが。次に出てきたのが、別の制服の軍楽隊、紺の上下で海軍か?・・いやこの国海ないし・・と、後から聞くところによると、ドナウ川は国際河川のため、海兵隊ならぬ河川部隊なるものがいるそうで、それかも?ということ。

しかし、この軍楽隊に一人だけ女性がいて、これがどうも違和感あり。スカート姿で、しかも膝上10㎝ぐらいのミニ、おまけにブロンドロングヘアをさらさらとなびかせ、目立つことこの上ない。他国の軍楽隊もいくつか見たことがあるが、こういう格好はしないので、何か変と思ったら、音楽が変わり、何と指揮官の年配男性と社交ダンスを踊り始め、目がテン。ターンをして手にキスですか・・他のメンバーは笑顔で適当にステップ踏んでるし、挙句の果てには「ロッキーのテーマ」で去っていくという、まあ、およそ式典の常識を外れたパフォーマンスに苦笑、「何じゃこりゃ」。

ちょっとだけのつもりが、この笑える状況にしばらく見入って足が棒。今日一番のハプニング、中央市場に行っていたら見逃していたはず。ラッキー。

Fishermen's conbastion
Fishermen's conbastion

gun performance
gun performance

From the Place
From the Place

【 3日目 】

今日は大平原の国立公園 Hortobagy へ。
朝食を急いで済ませてロビーに行くと、ガイドの Laszo が既に待っていた。ホテルから少し離れたところに車とドライバー、今日一日よろしくね。

ハンガリー初の国立公園かつ世界遺産まで高速道路を飛ばして2時間。Laszo からハンガリーの産業・経済・植生・歴史・慣習とありとあらゆることの説明を受ける。こちらも知りたいことを質問。

国土は日本の1/4という面積なのに、見渡す限りの平原でとても広く見える。起伏のない土地で遮るものがないため。1番高い山でも1000mちょっと。ちなみに国内には原発1基、火力発電所が9基で、原発依存度は50%を超えているらしい。残りはチェコやオーストラリアから輸入。水力発電は、あまりに平坦な土地で不可能なのだそうな、なるほどね。あれだけの大河があるのにね。日本は自然の地形が生かせるありがたい環境なのだ。

失業率は11%超、まあ、人口1000万じゃ産業もなかなか成り立たんでしょう。社会主義から自由主義に代わってわずか20年。国民は正直どう思っているのか聞くと、「今は確かにお金を出せば何でも手に入るが、貧富の差が拡大して昔を懐かしむ人が少なくない。」とのこと。昔は手に入るものは限られていたけど、失業の心配はなく、皆が同じレベルで生活できた時代だという。そうなんだ・・・自由の方がいいと予想していたので、意外。

そうこうしているうちに目的地到着。まずは10:00~のプスタツアーに参加。2頭立ての幌馬車4台に分乗して大平原へ。今日のツアーはこれ1回のみ。学校の課外授業のような一団もいて人が多い。

私たちは先頭の1台に、ドイツ人グループとハンガリーの一家といっしょ。先頭でよかった。後続馬車を見ると、乾燥しきった大地を走るから砂煙でもうもう。途中、牛やら豚やら動物を見ながら進むと、民族衣装を着た3人の牧童が馬にまたがって待っていた。馬車が止まると、鞭をふるう。パーン、パーン!と鋭い音。何かに当たっているのではなくて、長い鞭の先が高速で動くときに空気が振動して、まるでピストルを撃つような音がするんだそうな。馬を寝かしてその上にたったり、犬のようにお尻を地面につけて座らせたり、独特の調教をしている。

その後、希望者を乗せて一回りさせてくれるというので、一番乗りに好きな馬を選んだ。以前は乗馬が好きで旅行中あちこちで乗ったっけ。ある時、林の中を走らせていて落馬し肩を骨折してからは、あまり乗らなくなったけど、やっぱり馬が好き。

ハンガリーの馬は背丈がわりと高く、がっしりと肉好きがよくて頑丈そうだ。ここにあるホテルに泊まって乗馬も少し考えたが、Laszo がいうには、以前ある人が一人で遠乗りに出かけて落馬、馬はそのまま戻ってきて、人間は大平原に置いてきぼり。牧場の人が戻ってきた馬に気づいて、青くなって車で探しに出かけて、反対方向にトボトボ歩いている人間を見つけたそうな。いや~、けがしなかったからよかったものの、こんな目には会いたくない。

2頭の馬に片足ずつ乗って立ったまま、馬を走らせるアクロバットは是非見たかった!前3頭、後ろ2頭の5頭立てで、後ろの2頭に一人の人間が立っている。馬は全速力で駆け抜け、上に乗っている人はびくともしない。すばらしい!まるで人間が馬に張り付いているみたい。靴の底にスポンジがくっついたものをはいて立つだけだって、バランスとるのが難しそうなのに。止まった後の馬たちの「ぜーぜーぶり」にはびっくり。ほんとに全力で走ったんだ・・ 

幌馬車での帰り道、道なき草原を横切って、砂利道に戻る手前で馬が止まった。我が馬車の2頭のうち左の馬が、でこぼこ轍を超えるのを嫌がっているようだ。御者:「ほれ、何でもないからさっさと行けっての!」、オフィーリャ(馬の名):「そんなこと言ったって、やなもんは、やだっての!」という感じでしばらくもみ合っているうちに、暴れて相棒の馬にもたれかかった拍子に、オフィーリャがバランスを崩して横向きに倒れ込んでしまった。

革ひもで体と馬車があちこち繋がれたままで倒れたから、首が紐にひっかかって宙吊り状態。自分で起き上がることもできない。他の馬車も周りで停止したまま、乗客は何事かとかたずを飲んで見つめている。我々は馬車から降りるように言われ、大の男3人がかりで、倒れた数百キロの巨体を何とか起こした。やれやれ・・馬車馬が繋がれたまま横転するなぞ聞いたことない。Laszo も「こんなこと初めて」と目を丸くしていた。けがしなくてよかったね、オフィーリャ。やっと落ち着いて走り出した後も、御者に名前を連呼され、鞭ではたかれていた。「あ~あ、またオフィーリャ怒られている・・」

町の中心に移動してランチ。土日とメーデー、その間の日も休日となり、ハンガリーでは一週間休みだそうで、レストランは家族連れで大混雑。郷土料理を、と「いちごとさくらんぼの冷製スープ」「灰色牛のパプリカスープ」「マンガリッツァ豚のグリル・ライス添え」「サクランボのパイ」・・・何人分?いえ、これ自分の分です。いやー食べ過ぎ、でも教えてくれる人がいるうちに、食べとかなくちゃ。灰色牛も豚もさっき見たもの。ごちそう様~♪

午後の予定は年に一度のパレードを見ることにした。午後のイベントとはこのことだったのだ。4月と11月に夏の放牧の開始と終了を記念して、動物のパレードやら屋台やらがでて祭りが催され、それがちょうど今日だった!なんてラッキー、昨日に続いてうれしいハプニング。

あまりの暑さに沿道のわきの日陰は待っている人でいっぱい。警察がハンガリー最古の石橋の通行止めをして、民族衣装を着た牧童が馬や牛とやってきた。沿道は見物人でごった返し、人をかき分けて写真撮り。続いてこの地方の古来種、ねじれ角の羊の一群がやってきた。広場ではスピーチが続く。いろんな屋台が面白い。チーズ、パン、菓子、革製品、特産の帽子、民芸品・・生玉ねぎを挟み込んだチーズは初めて見た。

この後鳥の病院へ。プスタに生息する野鳥の保護を目的として、傷ついた鳥の治療・リハビリを行っている。建物内は種類別の個室になっていて、なるほど重症患者ばかり。うずくまって動かない者、立ったまま一点を見つめて恍惚状態の者、翼が折れて垂れ下がったままのもの、義足のオオワシもいた。外のケージは体力を回復した者のリハビリ用。自然に近い状態で、いろんな種類が一緒に入れられている。タカとワシと、コウノトリやら小型の鳥が一緒でよく大丈夫だと思うが、皆障害を抱えているからおとなしいのかもしれない。義足患者が多い。足の長い鳥や大型の鳥は、片足では体重を支えることもままならないだろう。痛々しい限り。

こうのとりは電信柱の上に巣を作るため、時々高圧線に触れる事故が発生するらしい。そこで、似たような設備を作って弱電流を流し、「こういうものに近づくと、ビリッとくるぞ!」ということを教育訓練してから自然に返しているとのこと。

最後は野外動物園。ハンガリー固有種かつ国宝のマンガリッツァ豚を間近で見て・・・何これ?・・毛の生えた豚、しかもくるくると人形みたいな巻き毛が全身に生えている。この炎天下、暑苦しいことこの上ない。おそるおそる手を伸ばすと、毛は案外固い。体脂肪率は70%にまでなるらしい。

ランチに頂いた肉は赤身のところだけ、でも柔らかくジューシーでおいしゅうございました・・仲間をごめんなさい。

この後はひたすら飛ばしてブダペストに戻った。いやー中身の詰まった一日でした。専用車にしてよかった。至れり尽くせりの待遇に感謝。ランチが大量すぎて全くおなか減らず(当たり前って)。胃薬が今日の夕食。明日は早いし、荷物まとめて早く寝ることにしよう。

Acrobatic riding
Acrobatic riding

sit down horse
sit down horse

Parade
Parade

stork nest
stork nest

On the horseback
On the horseback

sweets shop
sweets shop

Mangalica pig
Mangalica pig

【 4日目 】

今日は6時チェックアウト。いそいそとロビーに行き、「また明後日戻ってくるから」と大スーツケースを預かってもらい、ボックスミールを受け取る。ついでに「昨日言った、ベッドサイドの切れた電球、まだ直ってませんよ。」と言っておく。私はもういなくなるけど、次の人のため。だいたい全部の電気をつけても薄暗いつくりで、机で読み書きができない。

Deak 広場から地下鉄M2ラインに乗る。う~ん、なるほどハンガリーのエスカレーターは慣れるまで怖い。日本よりスピードがはるかに速い。乗るときよろけてしまう。日曜の朝6時というのに、結構人がいる。日本と変わらぬ車内光景だが、駅のアナウンスはないので、キョロキョロ。まあ、今日は終点だから大丈夫だろう。皆が席をたったので、立ち上がる。前に座っていた年配の女性が、私の隣で足を投げ出して眠りこけていたおにーちゃんに、そっと触れて起こしてあげた。日本じゃ考えられない。

地上に出て、電光掲示板を確認。ホームにはもう列車が止まっている。いや~古い。旧ソ連製のようなエアコンなし列車。途中で列車の切り離しがあるので、目的地までいく車両に乗りたい、が、周りの乗客に聞いても言葉が通じない。ある年配女性は親切に教えてくれるが、「すいません、私ちんぷんかんぷん・・」て顔をしているのに、ひたすら説明してくれる。まあ、検札が来たら聞くことにして、出発まで時間があるから、まずは朝食。ホテルで用意してくれたものを取り出す。なんか、多量。これ2人前ありそう。でも、ぱくぱく。スーパーで買っておいたキュウリをかじりつつ、サラミチーズサンドイッチをほおばる。自分からサラミを好んで食べることはないので、よい機会。味は悪くない。

食べ終わるとだんだん込んできたので、荷物を上の棚に上げようとしてもたもた。3時間の長旅と着いてからのことを考え、水をいっぱい持ってきた。重いうえに、棚が高くて届かん!と、前に座っていた男性が目で合図してから、さっと受け取って乗せてくれた。本当にこういうところは日本人男性にはないスマートさ(失礼!)。ありがとうございます~。

出発するのもアナウンスなし、いきなりドアがバタン、バタンとしまって無言で動き出した。しばらくして検札がきたので、行き先を言うと、何かハンガリー語で言っている。後ろの席の女性が英語で通訳してくれた。「途中で切り離すから、この車両はダメ。1~3号車に乗り換えるように。でも、今はもう満席で開いていないから、2時間ぐらいしたら移るように。」とのこと、了解!安心して、そのあと眠りこけ、だいぶ経ってから起きて、今どこかキョロキョロ。バラトン湖という中央欧州最大の湖のふちを回るように進むが、駅の名前が「Balaton ○○」と似たようなものばっかり。Balatonszentgyorgy でアナウンス。あわててホームに飛び降り、切り離し係員に自分の目的地を叫びつつ、前の車両に小走り。置いてかないで~!

ケストヘイ駅からホテルまで、地図上ではすぐそこなのに、結構歩く。しかもあちこちで人に聞きつつで疲れた。やっと入り口を見つけて入ると、フロントの女性はチェックインは“ After 2 ! “とにべもない。初老の男性に荷物を預かってもらい、「どこから?」というので、「日本から」というと、ちょっとうやうやしく、親切になった。また駅まで歩いて戻ってバスを待つ気力なし。

タクシーを呼んでもらい、長旅の目的、温泉湖 Heviz 入口につけてもらう。ホテルで聞いた料金よりちょっと高め、バスの10倍ぐらいしたが時間と労力削減。11:30ぐらいでレジの前には列、「え、こんなに混んでるの?」。4時間券を買って、タオルと浮き輪もレンタルしたいというと、「中で」という。ここの特徴はロッカーまで既に割り振られているということ。普通は空いているところどこでも使えるのに、決まった番号のロッカーを探さないといけない。(後から知るに、これがこの国の標準だったけど。)このしくみを理解するのに、また何人もに聞いて右往左往。図入り説明書のようなものもないし、全く入口でちゃんと説明してよ!レジの女性は英語分かるくせに、1問1答、つっけんどん。

中に入るとまた意外な展開。ロッカーが男女別でない??今までかつてこんなところない。男性は下半身にタオル巻いて着替えているよう。女性はどうしてるの?仕方ないので数少ないトイレで着替えるから、時間がかかる。やっと着替えて中に入ると、これまたかなり歩く。タオルとタイヤチューブをどこで借りるか聞いても、通じないか知らない。

行ったり来たりしつつ、何とかレンタルショップをみつけ、生暖かい水の中へ。やれやれ、疲れた・・長い道のりだった・・。見た目はただのハスの大池。水深30m程度らしく、皆チューブにつかまって浮かんでいる。一面深緑色だが、垂直に立って自分のつま先がはっきり見えるから、結構透明度は高いのかも。ボートに乗ったライフセイバーが循環している。まあこれだけ深いと、静かに沈んだらわからんでしょう。時々足に何か触ってびくっとする。ハスの葉といっしょにぷかぷかって、面白い。日本の「温泉」とはまるで違う、一種のレジャー施設のような感じ。家族連れ、年配者、若いカップル、幅広い年齢層にうけている。泳いだり寝転んだり、一日のんびりここで過ごすのかもしれない。手ですくってみると透明なのに、硫黄臭は体からなかなか取れなかった。

しばらくあちこち浮かんだあと、遅くならないうちに外に出る。レジの女性にバス乗り場を聞いても例のごとく「そっち」だけ。あのね、影も形もないじゃん。かんかん照りで何の表示もなく、またうろうろ。歩いてくる人に聞いても通じない。中には知りもしないのに、適当にあっちと指差す人も。さんざん聞いてまわり、最後に救う神あり。キャンプサイトの駐車場の係員が、図を描いて説明してくれた。なに、温泉湖を半周まわって施設の反対側に出るって?これは信じて歩くしかない。ここでやっと理解。タクシーの運ちゃん、裏口で下したんだ!正面にはバスターミナル、レストラン、土産物店がたくさん。全く・・ぶつぶつ。最後は、バス停で時刻表にある便が出ない。またまた尋ねると、今日は日曜で(!)、次の便は40分後とな。。。。Heviz は地元人向けの施設といえる。ほとんどは車でやってくる。外国人もいるのだろうが、ハンガリー語が片言もわからない人間はあまり想定していない。今日一日でいったい何人にものを尋ねたろうか。20~30人は軽く超える。ほとほと疲れた。

ホテルにたどり着けば、ドイツ系なのかドイツ語表示が目につく。ディナーの飲み物注文も通じず、英語のわかる人を連れてきてもらうはめに。いちいち疲れるのう(でもこれは、学生時代に勉強したのを忘れた自分に非あり)。料理は可もなく不可もなく。生野菜が足りなかったので、大皿に乾燥気味のキュウリ、レタスと、なぜかあった生白菜をムシャムシャ。

食後の腹ごなしにやっと涼しくなったバラトン湖畔をぶらぶら。7時でもまだまだ明るい。多くの人が散歩を楽しんでいる。店で買い物して、ハンガリー語が通じないとわかると、ドイツ語に切り替えるのには笑えた。どう見ても、ドイツ語圏の人間には見えないでしょう。ここでは外国人=ドイツ語のようだ。

音楽が聞こえる方に行ってみると、若者グループの吹奏楽団が生演奏。オランダから来てここに数日滞在しながら演奏活動をするそうな。言葉がわかるとホッとする。湖では釣り糸を垂れている人が結構いる。お父さん、今晩のおかずゲットですか?こんな濁った湖で何が取れるんだろうと思いきや、網に30㎝ぐらいの「タイ」のような格好の魚を入れている人がいた。へえ、こんなのがいるんだ。白鳥があちこちで羽を休めたり、パンくずに集まったり。何か、平和。こういうひとときが一人旅のいいところ。好きなように、そこの空気になじむ。今日は一日、遠路はるばる疲れたなあ。何とか目的は達成。

Heviz
Heviz

【 5日目 】

5:30頃には明るくなり、6:30頃になると皆朝の散歩をしている。7:00に朝食に行くと、もう人がいっぱい。夕べもディナー時間18:00に、ドアが開くと皆一斉にレストランに入り大混雑だった。こういうリゾートホテルでは、あまり見られないことで不思議。

今日も朝からいい天気、暑くなりそう。問題はホテルも電車も冷房がないこと。夕べも窓開けて、ちょっと暑かった。冬の寒さが厳しいから、暖房設備はあるのに、冷房がない。電車は、子供のころあった上下にずらす窓。暑いんですな、既にこの時期。ま、ホテルのフロントがいうには1週間前は15℃ぐらいで、うすら寒かったのに、急にこんなに暑くなったと。まあ、雨よりはまし。

チェックアウトして駅に歩いていくと、既に3つの電車が止まっていたが、どれがどれだかわからない。窓口で聞くと、ブダペスト行は3番ホームという・・・が、ホームに番号ないじゃん。手前の電車の運転手に、切符を見せて聞くと、「あっち」だと指差した。時間には割と正確だが、もちろ定刻というわけにはいかないので、乗客にも尋ねて自分が間違っていないことを確信。わずか190㎞を約3時間半かけてゴトゴト。窓全開にして暑さをしのぐ。

連日の疲れが出て、いい休養。足を放り出して、車窓を眺めながらこっくり。布団のようなものを干している窓があり、ちょっと親近感。平屋の小さな家から、プール付2階建てまでいろいろ。ブダペストに近づくと、さすがにビルが増えてきた。国の人口の約20%が集中している首都。といっても、この首都の人口は、ちょうど我が地元県の人口といっしょ。

午後1時前、だいたい時間通りに南駅到着。さて、ここからがまた問題。トラムに乗り換えたいが乗り場がわからん。駅構内に表示もない。駅のインフォで尋ねれば、太ったおばちゃんが「下のツーリストインフォで聞きなさいよ。ここは電車のインフォ!」とのたまう。あーあ、全く、憂うつになる、こういう態度。だいたい、下にあるというそのツーリストインフォを探してもないから、両替の窓口で聞けば、「ここにそうゆうものはないから、あそこに立っている駅の係員に聞け」という。そばに行ってきくと、今度は言葉が通じなくてすったもんだした後、身振り手振りでやっとわかったトラム乗り場。まあ、何をするにもこんな具合で時間と労力がかかる。トラムの待ちブースで待ってている人にダメもとで聞く。「No.18のトラム乗り場はここでいいんですか?ゲッレールトに行きたい。」すると、英語で答えが返ってきた。「私たちもそこに行くのよ。」ラッキー!

トラムを無事降りて、ゲッレールト温泉に入ろうとして、入口で断念。入場券売り場に20人くらいの列。何でこんなに混んでるの?明後日、朝一で来よう。しかし、どこ行っても列ができていることが多い。

そのまま自由橋を渡って、川の反対側へ。外の気温は34℃の表示、どおりで暑いはず。今日も「茶色く濁ったドナウ川」。由緒ありそうなレンガ造りの中央市場でランチとショッピング。なるほど、八百屋・肉屋・土産物屋が並んでいて面白い。リサーチどおり、観光地化されていて店の人は皆片言の英語を話す。よくあるようなごみごみして、雑多な活気のある市場ではなくて、通路を広くとって整理された店がまえ。野菜くずも全く落ちていない。写真を撮りながら歩く人、日本人団体グループも2~3組みかけた。

同僚への土産を物色、パプリカ・キャビア・トリュフ。どの店も似たような品ぞろえだが、微妙に値段が異なる。こういうところは本領発揮。迷いつついろいろ質問し、まとめて買うからと値段交渉。スピードとタイミングが決めて。もちろん、やたらめたら値切っても相手にされない。他の客を観察すると、皆定価で買っている様子。国によっては半額から交渉ということもある。状況の見極めが肝心。店の人が計算機をはたいて少し負けてくれたのを、間髪入れずにさらに端数を切り飛ばして値切る。奥にいた店の主人(?)に「どお?」ときいて、OK。交渉成立。まあ、これが限度でしょう。

2Fにはフードコーナーがある。何かランチでもと行くと、いやものすごい混雑。人気店の前には列ができ、横には食事中の人、歩くこともままならない。買っても食べるところがない状態で断念。どうしてこう、どこへ行っても大混雑なのか。地下のスーパーで飲み物でも、と思ったらおいしそうなパンがありつい購入。空いているベンチを探して、パクつく。昨日のボックスミールに入っていたリンゴ、まだ食べてなかったっけ。1ℓのダイエットコーラをラッパ飲みしつつ、ベンチでパンをかじる。エレガントではないけれど全く気にしない。好きな時に好きなように、自由気ままがいい。

その後外に出てトラムに飛び乗る。今度は直接運転手に行き先確認してから。ホテルについて再チェックインしようとすると、フロントが私の名前を言ってきた。何で分かるの?ポットも準備OK、預けてある荷物は今持ってきますと、すぐ手元へ。まあ、きびきびとしてうれしくなる。

夕方も遅くまで明るいから、また外へ。西日が暑くてアイスクリームの看板の店に入ると、ケーキが目に留まった。そうだ、有名なケーキでまだ食べていないものがある。表示が読みにくく、ガイドブックを見せて「ここにあるもの、売ってます?」すると、一つ一つ「この写真は、あれ」と指差してくれた。「ゲステニェピュレー」とコーヒーを頼んで外の席で待つ。ガラスの器にでてきた、モンブランケーキの上に乗っているマロンクリームだけを取り出し、上にホイップクリームをこれでもかとのせたもの。かなり甘い、かつ何か洋酒が入っている。血糖値急上昇の気がする。なるほど、こういうものですか。今日はもうこれが夕食替わり。

最初から気づいていたが、ホテルの部屋の設定温度を5℃、ファン全開にして数時間、ちょうどいいのはどうしたことか。もうひとつ、冷蔵庫の温度。飲み物をどこで買っても、いまいち冷えていない。部屋の冷蔵庫もダイヤルを最大にして冷やしているが、時間がかかる。日本の冷蔵庫だと、中身が凍りかねないけど。まあ、ビールを常温で飲む国もあるからこれがお国柄なのだろう。でも、アイスクリームは普通に売られているから不思議。キンと冷えた冷たいもの飲みたいなあ。

【 6日目 】

今日は世界遺産ホーロックー観光の日。モンゴル人の侵攻から逃れてきたトルコ系民族が今でも実際に住んでいる村。ロビーに降りると、ガイドの Agnes が待っていた。よろしくね。大学では文学とイタリア語を専攻、本業はオペラ歌手という。しかし仕事がないので、独力で英語を学んでガイドをしているとのこと。世の中、通訳ガイドのマルチタレントぶりは珍しくない。共通しているのは本業だけ、あるいはガイドだけでは「食べていけない」こと。今日も私のガイドが終わったら、歌の勉強だそうな。いつか大きな舞台に立てますように。

ブダペストから車で約1時間。村についてまず向かったのは、砦跡。高さ360mを目指し砂利道を上る。Agnes はここのガイドは初めてらしく、こんな急な坂道聞いてないと、フーフー。二人とも息があがったところでやっと到着。堅牢な作りで、中に入ると涼しい。ハンガリーには他にもたくさん砦があったが、ハプスブルグ家に全て砲撃され、唯一残ったのがここ。13世紀によく作ったものだ。新米ガイドさん、同僚に書いてもらった地図を頼りに案内するも、表示を見過ごして通り過ぎ、うろうろ。石畳の道は傾斜もあり、歩きにくい。観光客は結構すれ違ったが、村人は連休で出かけている人も多く閑散。はた織りの家はcloseで見られなかった。

ランチはご当地ものを教わって、「パローツスープ(ビーフとインゲン豆の郷土料理)」、「ナマズのからあげパスタ添え」、「ポピーと杏子ソースのパラチンタ(ハンガリー風クレープ)」にした。ドライバーも呼んで3人で食卓を囲む。Hortobagy の時もそうだが、ここはガイドも一緒に食べるので楽しい。お互いいくつに見えるか、若く見せるため髪を染めるとダメージが大きいとか、食べながらたわいのないおしゃべり。Agnes が「それで、今日来てみてわかったのは、な~んもない退屈な村だってこと。」とぼそっといったのには、大笑いーーー・・レストラン中に響いたかも・・率直な感想ですな。まあ、そう心の中では思っても、プロガイドであるからには何とか取り繕うとするのが一般的。でもこちらも同じ感想を持っていたし、何より彼女の屈託のない正直さに、一緒にいるうちに友達の感覚になっていたから、「ほんと、そうだよね~」としかいいようがない。彼女も初場所なので、ガイディングの下調べを一生懸命したらしい。

映像で見るのは、祭日で村人が民族衣装を着てダンスしたり、観光客に実演したり、にぎやかで活気のあるところ、しかし、それは年に何回かの特別な時の話。普段はただの田舎村ってこと。はあー、今回は自分も学習。異文化に興味があるのだが、昨年別の場所で、野外民族博物館に行って、やはり「かすって」いたので今度こそと思ったのに。教訓―こういう場所は「祭り」に合わせてくるべし―

食後は、グドゥルー宮へ。悲劇の王妃エリザベートが好んで滞在したという宮殿。この貴族社会の部分がクローズアップされ、美貌の王妃は日本でもよく知られる。しかし、この時代、貴族の結婚は政治状況と深くかかわっており、薄幸な生涯というのはよくある話。建物や調度品は典型的なヨーロッパの宮殿。むしろ目をひいたのは、第二次大戦後は、一部高齢者の介護施設として使われ、その白黒映像が残っていること。大部屋にいくつものベッドが並べられて、使われていない部分は荒れ放題。壁が崩れ、建物内にがれきが散乱し、本当にひどい状況だったのがわかる。ベッドの上から何人かがカメラのほうを凝視していて、自分が見られているようで足がすくむ。このお年寄りの家族はどうしたのかな、どういう事情でこんなところに入ったのかな、などと考えてしまう。建物はその後、何年もかけて修復され、今ではひび割れもないし、ゴミひとつ落ちていない宮殿によみがえっている。いろんな時代があったのだ。

帰りはルダシュ温泉で下してもらってAgnes とドライバーとさよなら。400年の歴史を持つトルコ風温泉で、外は修復工事中。中に入ると、言葉が通じるうえ、きちんと手順を説明してくれた。タオルをレンタルしたいというと、渡されたのはどうみてもベッド用大型シーツ・・思わず「ん?これ、タオル?」といったら、「まあ、実際シーツだけどね。」って。安いからいいか。今回は段取りがスムーズ。個室付だし、Heviz よりは古めかしいけれど、こっちのほうが楽。中は温度の違う浴槽がいくつか、でも泉質は同じみたい。天井のドームには小さな丸ガラスがいくつも埋め込まれ、外の光が薄暗い浴室に筋となって差し込み幻想的。湯はわずかに硫黄臭がする炭酸泉。日本のような泉質データがどこにも貼ってないのが残念。老若男女いっぱい。今日は女性の日のはずが、メーデーで祝日のためか混浴になっている。各浴槽には、上のほうから湯がジャージャーと湯船に注がれている。

どうしても嫌だったのが、湯の注ぎ口の真下に陣取って頭から湯に当たっている人の多いこと。各浴槽で、一人いなくなれば待っていたかのように次から次へ。ちょっと、ちょっときたないでしょ!あなたの頭を洗った湯に、皆がつかっているんだから!日本では考えられない。これはなんとかしてほしい。

温泉の後は橋を渡り、トラムに乗ってホテルへ。途中開いていたスーパーに入ると、店内の客が多すぎて入口で止められた。しばらくかごをもったまま、入場制限。今日は休業の店が多く、イベント広場近くのこの小さなスーパーに、皆殺到したらしい。開いているレストランはどこも人がいっぱい。ホテル近くのアイスクリーム店はいつ通っても、店の外まで行列。見るだけでげっそり。ホテル直行。ただいまー。

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【 7日目 】

今日はラストフリーデイ。朝食後、まずはトラムに乗ってGellert 温泉へ。一昨日のリベンジ、朝一で行くぞ。平日朝8:00ちょっとというのに、窓口にはすでに数人並んでいる。中に入ると、明るく、なるほど屋内の装飾が見事。共用プールと男女別温泉、サウナ、マッサージと何でもあり。さすがに高齢者が多く、杖を突いている人もちらほら。温泉は男女別だから、水着を着ない人もいる。湯の臭いは全くなく、今までの2か所とは泉質が異なる。プールのわきで「入ろうかな、冷たいかな・・」と思っていると、一人のおばあちゃんがこちらをじろっと見ながら無言で頭を指差してとりすぎていく。「ああ、帽子をかぶれってことね。」はいはい、全く昨日のルダシュ温泉の地元客に言ってよ、「頭から湯かぶるときは帽子かぶれって!」

しかし、朝ホテルを出て30分後には温泉につかっているって、何という贅沢。この状況に感謝。明日は帰国の日。今日一日、やり残しのないようにリストアップしてあるミッション1完了。

トラムに乗って広場に戻り、地下のカラーチ売場へ直行。ミッション2.ハンガリーのスナック、棒にパン生地を巻きつけて焼く、一重のバームクーヘンみたいなもの。売り子に壱番人気を聞いて、「クルミとシナモン味」をひとつ。地上に出てベンチでパクつく。小型サイズを買ったのに、甘くて食べきるのがしんどい。

ホテルに荷物を置いてから今度は地下鉄M3へ。この広場は3路線が交わっているターミナル駅。便利だが、入口があちこちにあってわかりにくい。あちこち人に聞きつつ、地下鉄に乗る。行き先は Westend City Center、ブダペスト最大のショッピングセンター。アメリカ型のモールで外国人慣れしているのか、言葉もまあまあ通じる。さてランチ。フードコートはこれまた、よく見かけるものしかないが、中華・イタリアン・アラビック・ノルディックとバラエティに富む。が、郷土料理はなさそう。4人掛けのテーブルしか空いていなかったので、座って食べようとすると、若い男性2人が「ここいいか?」というそぶり。荷物をどけて、「どうぞ」。近くのビジネスマンらしい。お財布だけもって食べに来たようだ。ポテトを相手に勧めたりして仲がよさそう。3人で食べているような不思議な感覚。

一回りして、結局何も買うものなし。現代的な普通のモールだった。地下鉄で戻り、今日のミッション3を探して歩く。有名な「ドボシュトルタ」というケーキ、探すときは見つからない。いくつかのカフェで「置いてません。」と言われ、やっと大聖堂横のカフェレストラン。こういうところは立地が良く観光客が多いので値段は高い。とにかくもやっと目的の物がでてきた。う~ん、甘い、かつ、作ってから日にちたってるでしょ、これ!層になったスポンジがぽさぽさ。がっくり。

今日のラストミッションはドウナパロタ劇場の民族舞踊。昼間のうちに会場下見済み。既にチケットもあるため、入口の列を横目に「上階へどうぞ。」と言われ、いい気分。待っている係員は全てにこやかに” Good Evening ”、席まで案内してくれるし、本日のプログラムは黙ってても英語表記のものが手渡される。国外からの観光客が多いんだろうな。バルコニー席の真ん中、うわーい。舞台は意外と小さい。見下ろすと1階席はぎっしり、ツアー客だろう。

民族舞踊といってもアレンジは加えられているようだが、基本的に男性は乗馬ブーツ、大平原の牧童の踊りがベースか。タップダンスよりもっと力強く足を床に打ち付ける。動きはかなり激しい。途中で曲のスピードが変わるハンガリー独特の音楽、生演奏もいい感じ。

プログラムが終わって外に出ると、まだまだ人が多い。レストランの外席はどこも満席。皆さん、夜の10時だっていうのに夕食ですか・・最後の見納め、ドナウ川の方へぶらぶら。ライトアップされた、くさり橋。ふと見上げれば、月がこうこうと照っている。車と人の往来が激しく、騒がしいのが残念。ビルの高いところから静かに眺めたら、一生わすれない光景になりそう。ぶらぶらと戻ってくると、大聖堂の石段には多くの人。涼しくて虫もいない夜をくつろいでいる。夜ひとりで歩いても何ともない。このエリアのホテルにしてよかった。大聖堂の鐘の音で時間を知るって、優雅なこと。今でも耳に残る。

さてさて最後の夜はあっという間。ホテルに戻れば、フロントがにっこりと” Good night ”。あーあ、満足満足。何かずーっと、ここにいる気がする。おやすみなさい∞

Cathedral
Cathedral

【 8日目 】

朝食後、急ぎ足で近所のスーパーへ。朝7時から営業、通勤途中の人がパンを買っていく。朝一で来たら、パンの種類が多い。これから空港だから、大好きなパンを買いだめ。日持ちしそうなものと、土産の追加。急げ!時間がない。

ホテルに戻り、パッキング、シャワーを浴びて8:45ロビーへ。迎えに来たシャトルで空港へ。平日のラッシュに加えて、他に2件のホテルに寄ったから、空港に着いた時にはかれこれ1時間経っていた。チェックインカウンターには既に長蛇の列。しかも、ここのチェックインがスーパースロー。一人でシートの確認、バッゲージの重量チェックとタグ付け。エコノミーでたったの2カウンター。後ろには同僚らしき人間が複数いるのに、ただおしゃべり。たかだか20人ちょっとに1時間かかっている。やれやれ、成田に研修に行ってもらいたいですな。やっとチェックイン完了した時には、搭乗まであと30分!通貨フォリントは、これまた国外の価値ゼロ。何とか使い切るのだ。頭の中で計算しながら、ばたばた買い物。ラスト残りはコイン245Ft、探したらありました、243Ftのテントウムシ型のチョコレート、これで完全に使い切り! 我ながら素晴らしい!

ヘルシンキまでは順調なフライト。ヘルシンキ空港には多くの日本人。ムーミンショップの中には日本人しかいない・・ヘルシンキからの成田便は満席。さあ、あとひとっ跳びで日本だなあと思ったのが運のつき・・・最後の最後のハプニングが幕開け・・

滑走路に動き出した途端機長からアナウンス。挨拶はもうしたし、タイミング的に「ん?」と思ったのよね・・曰く「技術的問題発生、いったんゲートに戻る」。何かいや~な予感。こういう時の日本語アナウンスは全く役にたたん。「操縦席からの情報を日本語でお伝えします。」はいいけれど、当たり障りのないオブラートにくるんだ物言いしかしない。「まだ、不具合が解決していないとのこと。新たな情報が入り次第、お伝えします。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。」って、あなたずーっとそればっかり。この間に機長が実際に言ったこと・・・・「コンピュータ上にエラーが出ている。エンジニアに来てもらってみてもらうが、どのくらい時間かかるかわからない。そんなにかからないといけど。」、しばらくして「エンジニアが到着してチェックしているが、まだ解決できていない。これはちょっと長時間になるかもしれない。」「既にtaxingの燃料を使ってしまったので、新たに補充する必要あり」、またまたしばらくして「Bad News がある。不具合が直らないので、別の飛行機を探す必要があるが、見つかるかどうかわからない。かなり時間を要するかもしれない。」・・・・

良くも悪くも非常に率直で、何が起こっているかよくわかる。ちゃんと日本語訳してね。誰だって、これは乗務員のせいじゃないことはわかる。だいたい機内に長時間待たされ、トイレに行けば、片方のトイレの洗面所の水が出ない。「故障」の札が下がっている。コンピューターの不具合もさることながら、この水回りだってどう見ても整備不良でしょ。故障のまま飛ぶつもりだったわけ??

最悪ここに1泊かと思い始めたころ、「代替機が用意できた。これから一度降りて隣のゲート36から18:30搭乗開始の予定」。結局人間も荷物も全部積み替え、4時間遅れでやっと離陸。無事巡航高度に達してからの機長のアナウンス。「遅延についてお詫びします。しかし、我々はラッキーだった!代替え機があったなんて。普通、予備の空いている飛行機なんかないですから!」・・・はは苦笑・・まあ、そうですなあ。これも日本語訳は最初のお詫びだけ。これが日本文化ですかね。なんだかわからないけど、謝ってるから許そうみたいな。

「何が原因で今この状況になっているのか、何が進行中で、今後の見通しはどうなのか」が知りたいんだけどな。離陸したのは21:00すぎ、日が長くてちょうど日没のころ。夕日が真っ直ぐに進行方向右から機内に差し込んできた。南に離陸して東に向きを変えるんだ・・それにしてもぐったり。帰国日の予定が半日狂った。成田で乗り継ぐ人はアウトでしょう。

ついていないときは重なるもの。やっと到着しても、荷物がなかなか出てこなくて、あと10分早ければ、というところでリムジンバスに乗りそこね。次は1時間半後。家に着いたのは当初予定の6時間後、長~い一日が終了。

思ったより発見が多い旅でした。皆様お世話になりました。

ツアープランナーからのコメント

いつもありがとうございます。今回も、ご一緒に旅をしている気分になれる旅行記、ありがとうございます。今回は、嬉しいハプニング続きのご旅行でしたね!とにかくお天気も良さそうで、悪天候だった日本のGWと比べるととても羨ましいです。今回も、ありがとうございました。

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