クロアチアの緑溢れる野山を見ながら、まずは快適なドライブとなった。
4月29日の夜10時頃やっとザグレブのホテルに着いたが、アストリア ホテルの受付の男性はとても親切でクロアチア第一夜は満足のいくものだった。
翌30日は空港まで迎えに来てくださった大柄で快活な運転手さんが再びホテルに迎えに来てくださり我々3人とオパティアまで運んでくれた。
「ザグレブは内陸性(大陸性)気候で峠を越えると海沿いの地域に入り地中海性気候で暖かくなる」と運転しながら教えてくれる。事実海沿いの町に来てそれが実感できた。確かにザグレブより気温は少し高めのようだった。
この運転手さんは話好きで、「クロアチアは日本から多くの電気製品、車、カメラなど輸入しているが、日本に輸出しているのはマグロくらいだ」と明るく喋り続ける。後日行き先によってドライバーが2人ほど交替したが皆無口で運転に専念していた。こちらの拙い英語を聞き取ろうとして、運転への注意がそらされるのを恐れて、私は助手席に座っていたのですが、話しかけるのを控えていた。
4月30日は
オパティアという高級リゾート地で一泊することになりました。海岸に面して多くのホテルが立ち並び、さながらフランスのニースを彷彿させる雰囲気でした。海沿いを歩き回ってレストランで魚料理を戴きのんびり過ごすことが出来ました。イタリア風レストランだったのですが、パスタ類にちょっと塩が多すぎるのが難点でした。
夕暮れ時のそぞろ歩きの観光客も目いっぱい多く、ホテル モーツアルトに戻って部屋でのんびりしていると、どこかのレストランかホテルのような場所からイタリアのカンツオーネが流れて来ました。しかもかなりのボリュームで。昔懐かしい「チャオチャオバンビーナ」なんかを男性歌手が歌っており、窓を開けて聞いていると、得したような気分となりました。ここはイタリアに近くイタリアの観光客が多いのだと実感した。
しかしホテル モーツアルトは少し古く、設備も老朽化していた。おまけに朝まだ早いのにメードが勝手に鍵を開けて入って来るのには驚いた。
5月1日の朝
ホテルに我々を迎えに来たドライバーは真面目で、キッチリとした性格で、無駄口を全く叩かなかった。彼がこれからのイストラ半島の旅をエスコートしてくれることになる。
半島内陸部にあり平地より2~300メートル?ほど高台にある小さな村へ向かった。予定とは違ってまずモトヴンに入る。敵からの攻撃を避けるために外壁を巡らしたように思える佇まいだった。
村の一番高いところに観光ホテルがあり大勢の観光客を集めている。中世からあるような磨り減った石畳が歩きにくいが魅力的だった。大きな藤の花が壁から垂れ下がり、道行く人の関心を集めている。高台から見下ろす平野は緑に溢れており、ユッタリとした時間が流れている。
いてグロジュニヤンへと向かう。ここも高台に位置する魅力的な村だった。古い城壁のようでぐるりと一周するのにそれ程時間を要しない。今度の旅で私が一番気に入ったスポットだった。同行の2人やドライバーを待たせて、入り組んだ路地の壁や家々の石が作り出すマチエールに魅せられて、2~3枚スケッチしてみた。これからの私の油絵の画材になりそうだった。
3時過ぎに今日泊るロヴィニのホテルに到着した。このホテルには少々驚いた。デザイナーズホテルと銘打ってあり超モダンな建物だった。至る所に鏡を設けていて、間違ってぶつかりそうになる。ホテルのダイレクトリーやその他の設備の説明も馬鹿でかいA3の二倍くらい?の代物で使いにくいことこの上ない。このホテルはデザイナーと建築家が泊り客の使い勝手を無視して、自らの大いなる自己満足と野望の為に建てたとしか思えなかった。
こんなモダンなホテルだけれど、日本が発明したシャワートイレがついていない。日本でシャワートイレに慣れていると、やはり違和感を毎朝感じるのは私だけだろうか。しかもロヴィニの町までは徒歩で優に40~50分程かかるロケーションだった。(ランドマークの教会までだが)
猫がうろつき、かもめが乱舞する海辺のレストランで夕食を頂いたが、潮風を浴びて中々良い感じだった。でも日が落ちてホテルに帰る道を少し間違えて疲れた脚を引きずりながら、超モダンなホテルへと引き返した。この日は2万歩以上歩いたようだ。
5月2日
昼頃いつものボージュダルさんが迎えに来た。今日はプーラに2時間ほど寄って、国立公園のプリトヴィッツエに向かうことになる。相変わらず無口だけれど、運転は慎重で信頼できるドライバーだ。
プーラでコロシアムと考古学博物館を見学した。考古学博物館は2時までで閉館となるので、急いで見て回った。入り口の受付嬢(といってもかなり年配のご婦人)はまだ共産圏のユーゴスラビアの時代の遺物のような存在だった。我々以外に見学者はいないが、入場券を渡してもニコリともせず全く無言で目を上げることもない。基本的な応接が全く出来ていない感じだった。昔共産圏の旅行でも同じような体験をしたことがある。
車に戻り4時間かけてプリトヴィッツエのホテル ベルビューに到着した。このホテルは日本人の団体客も大勢来ており、賑やかだった。
我々は日本人の喧騒を避けて隣にある別のホテルのレストランで夕食となった。もちろん名物の鱒料理を堪能し、ベルビューホテルに戻った。このホテルは前日の超モダンホテルとは対照的で、山小屋風だった。シャワーしかなかったが、熱いお湯はふんだんに使えた。
5月3日
今日一日この有名な国立公園を歩き回ることになる。言うまでもなく多くの美しい滝と湖、小川のせせらぎ、それにリスを初めとする小動物など自然が満載で、やたら歩いても意外と疲れを感じさせない。
一大観光スポットなので、ヨーロッパ中から観光客が押し寄せているようだ。フランスからの団体客が目に付いた。日本と同じように主に高齢の方を中心に20~30人位の一団となって進んでいくので、すれ違うのも大変だった。何しろ日本人と違って大きな体格の人が多いので。海外の団体旅行で日本人のおのぼりさんが顰蹙(ひんしゅく)を買った時代もあったが、今ではどこの国も大差ないと感じた。
公園内では色々なことが禁止されているが、タバコが許されているのがちょっと意外だった。
5月4日
お昼頃今度は若いドライバーがホテルの受付にやって来て、我々をザグレブまで送ってくれることになる。2時間半ほどでザグレブに戻って来た。初日に泊ったあのアストリア ホテルの受付は今回もあの親切な男性だった。
5月5日
早朝5時にホテルを出発して、今日一日日本への帰路につく。
行き帰りとも今回はエアーフランスだった。窮屈なエコノミークラスの座席と長時間の飛行は厳しいものだったけれども、帰りの飛行機内の映画(邦画でAlways3丁目の夕日 64年版)を観て不覚にも又涙を流してしまった。やはり団塊世代の男性には堪える映画だ。第一作もテレビで観て大泣きしたことは記憶に新しい。お陰で長い飛行も退屈することがなかった。
クロアチアは観光立国だ。
日本でクロアチア大使館から手に入れた、物凄く金のかかったパンフレットを眺めるだけで、もう行かなくても良いのではと、思ってしまったが、実際に行ってみて、緑あふれる大地、ゆったりとした時の流れに魅了された。
絵に興味ある私にはグロジュニヤンを初めとする古い中世からの村々がことのほか魅力的だった。