サンパウロ空港はとにかく広かった。
帰ってから行ったことがある方に聞くと昔は別の建物だったそうで、ナタールから搭乗口エミレーツカウンターまで三度係の人に聞いて「GOストレート」と向かって左に随分歩いた。ここまでは、想定内だったので、パースとスーツケースに荷物を収めてよかった。身軽だから。最初にドミナウンツと言われたのは、国内線という意味だったのですね。来た時ホワイツ(ブランコ)と言われた窓口よりかれこれ1kmくらい歩いたと思う。広いブラジル(日本の約23倍)の国内線の数の多さがうかがえる。
行くとき時間が無くてピックアップしてもらったのでリムジンバスだったのかと思ったが、帰りも少し前までの成田のようにリムジンバスで移動した。国際線側は新しく、一度下に降りて腹ごしらえをした。ピザ1/4を頼んだが、一人で食べ切れなかった。
まだ、カウンター表示がなかったのでうろうろしていると、重量計量器のところで声をかけられた。タグを裏返して「前田さん!」 まったくのブラジル人だが日本に留学したことがあり、日本語がベラベラだそうで、ここでスーツケースのカバーをしているとのこと。カバーはいらないと日本語で答えた。もう少しで帰るのに、ここで日本語を聞けてほっとした。日系人が多いと言っても日本語は全く通じない。ナタルは、80万人都市と言っても2日前にアメリカの試合があったから英語が通じただけで、ナタルタクシーの若い運ちゃんや空港のレディのようにポルトガル語だけで勝負する相手だったら、こっちがパニックになる。日本語で誰かと話すのは久しぶりだ。
宿にも日本人は数人泊まっていて、簡単な挨拶をするが、友達になるほどではなかった。1人目は、宿の待合に居た女性。最初私になりすましたわけではないか?宿の主人は私を待っていたとのことで、友達かと聞かれた。これから友達になってもいいかが、今は違うと言うと、相部屋を望むか直接聞いたが、私の言葉を察してか、もう少し待ってみるとのこと。今部屋は清掃中なのでと外食して1時間して戻ってみると、彼女は部屋が空くのをずっと待っていたそうで、ようやく部屋が空いたとのこと。とび入りで来て空いていてよかったとのこと。20日の夜にたつとのこと。
2人目は朝食7時に食堂に行くと必ず会う男性。初日は、カステラをほおばってこっちを見るもこちらから話しかけることもないと思ってやっと3日目ぐらいから世間話を始めた。それは停電があったから。3人目は2日目から朝に会う先ほどの若い男性の同世代ぐらいの人。4人目は、3日目ワールドカップ観戦6回目だというおじさん。もう10月ぐらいにチケットを購入するのだとか。リーグ戦進出を願って6/30レシフェまでいるとのこと。5人目は、フリー最終日フラッグを買って4レアルか40レアルか分からないでいると、スペインから観戦に来た日本人夫婦。スペイン語で通じるとのこと。6人目は、スタジアムで隣に座ったアメリカの商社マン。一人で行動していたから。この6人の日本人+1人のブラジル人から日本語で話せたのは、うれしかった。
ドバイのマクドナルドは、肉が炭焼きの味がしておいしかった。日本のマクドにも O-157以前はレタスがしゃきしゃきでこのようにおいしかったのに。
天気は快晴が多かった。心配したナタルの雨は、外に出なかったし、偶然行き来した道では、雨に合いませんでした。試合中雨でしたが雨よけが座席にはついていて場所によってはぬれるところもあった。