勝手に「結婚40周年記念」と銘打たせていただいて
ポルトガルの旅13日間(現地11日間)を満喫してきました。
パーパスジャパンの芦村さんには往復のルフトハンザ機、現地のホテル、1日専用車ランドクルーズをご手配いただき、あとはポルトガルの風に吹かれて(全日快晴!)自由気ままなシニア夫婦の2人旅でした。
帰宅してゆっくり写真の整理。名所旧跡・路地裏散歩、あれうまかったこれ買った、あんな失敗こんなドジーーー。いろいろ思い出しますが、ふしぎと心に残っているのは、ポルトガルの人々との触れ合いです。これまた勝手に「英語コミュニケーションの達人」を自認している私としては、願ってもない本領発揮(!?)の場となりました。
リスボン5泊のあとは専用車で一路西へ。
サンタ・クルス、アルコバサ、ナザレ、オビドスを巡るランドクルーズです。メルセデス・ベンツにサングラス姿で私たちを出迎えてくれたドライバーのディノ( Dino )さんは40歳。幼馴染の奥さんと猫5匹をこよなく愛し、この仕事のおかげで英・仏・西・伊の4か国語をあやつれるようになったという博識の頑張り屋さんでした。
ナザレの浜辺のレストランで名物のイワシの塩焼きを一緒に食べていたときのこと。
ディノさんの携帯に奥さんから電話。ディノさんがいたずらっぽく「いい考えがあります」と言って携帯を私に渡します。
「コンニチワ!私たちは日本から来た観光客です。」
「ーーー。」
「きょうは一日ご主人をお貸しいただき感謝しています。」
「ーーー。」
「おかげでいまナザレで至福のときを過ごしています。オブリガード。アリガトウ。」
携帯を引きとったディノさん、妻は何が何だかわからず、間違い電話と思ったとか。
このやりとりを聞いていた隣のテーブルの人々が私たちを見て、親指を上に立てて笑っていました。忘れ難いひととき。
家内はいつでもどこでも日本語一本槍です。
リスボン大聖堂の前でチンチン電車を待っていたときのこと。両手で持ちきれないほどの荷物を抱えたおばさんがやっとやってきた満員電車の運転手さんに乗車拒否されました。不満顔のおばさんに家内が「頑張ってね!」と声をかけると、おばさんはニッコリ笑ってコックリとうなずいていました。
ロカ岬の焼き栗売りのおばさんやナザレのナッツ売りのおばさんには「いっぱいおまけしてね」と言ってはしっかりおまけしてもらっていました。
オビドスに一泊したあと、次はコインブラかアヴェイロにしようかと迷っていたとき、家内がもう一泊オビドスに泊まりたい由。オビドスはポルトガル王国の歴代王妃が愛でた直轄地だったとのこと。
ホテルの女性マネージャーに「我が妃の思し召しに余は従うのみ」と私から願い出ると、マネージャーの喜ぶまいことか。ポルトまでのタクシー、バスをテキパキとアレンジしてくれて、翌朝はスタッフ全員で(といっても3人でしたが)見送ってくれました。
ポルトガルでは所によって入場料や電車・バスのチケットなどにシニア割引があり、助かります。
ただし、証明書(パスポートなど)の提示が必要。シントラでアメリカの観光客とおぼしき男性が隣の窓口で「私は1946年にアメリカの○○○で生まれた」と大音声を張りあげていました。私も負けじと「シニアで、結婚40周年――」と言いかけたところで、家内からみっともないからやめなさいと制止されました。以後、「結婚40周年」は禁句となりました。
ポルト4泊のホテルは「インファンテ・デ・サグレス」。15世紀に始まる大航海時代の先駆けとなったエンリケ航海王子の別名です。チェックインのときの部屋番号は111。カウンターのマネージャーにポルトガルでは犬は何と吠えるのかたずねてみると「ーーー?」。
「日本では犬はワンワン。だからこれ(111)はワンワンワン!」
以後、私たちが外出から帰ってくると、みんな笑顔でワンワンワン!と言ってカギを渡してくれました。
夜になってこの部屋が本当に「ワンワンワン!」の部屋であることが判明しました。
下の路地をはさんで向かい側の同じ3階のベランダにドーベルマンのような大型犬が2頭あらわれて、下の雑踏を見て吠えているのです。路地の辻々にはカフェやスポーツバーがあり、夜が更けるにつれ若者たちが路地にあふれワイワイやっています。
この日の夜は週末で、おまけに地元のサッカーチーム「ポルト」の試合があったようで(負けたらしい)、「ポルト!ポルト!」の連呼と犬の吠え声が終夜響き渡っていました。私たちは歩き疲れたのと寝酒のポルトワインのおかげで早々と寝つきましたが、頭の奥の方では朝方まで「ポルト!ポルト!ワンワンワン!」「ポルト!ポルト!ワンワンワン!」が響いていました。
朝食のときフロントでやんわりと部屋替えをお願いしたのですが、満室で無理とのこと。マネージャーの「犬に罪はありません」の一言に観念し、「ポルトの若者がハッピーであれば、私たちもハッピー」と見えを張るほかありませんでした。翌朝、トイレの水が流れなくなってしまいました。万事休す。仕方なくフロントで自分のお尻を指さしながら「わが旧友は消え去り難し」( My old friend won’t go away. )と訴えました。フロントの面々は笑いをかみ殺してうつむくばかり。
外出から帰ってくると、マネージャーが別の部屋が用意できたのでベルボーイをさし向けるとのこと。新しい部屋はエンリケ航海王子の像が立つ中庭に面した快適な部屋でした。それからの2日間、私たちは「昨夜はよく眠れましたか?」「あなたの旧友はグッドバイと言ってくれましたか?」と声をかけられながら快眠・快便、このうえなく快適に過ごすことができました。
4月5日、日曜日。
ポルト大聖堂で午前11時から行われた復活祭のミサが今回のポルトガルの旅を締めくくるにふさわしいハイライトでした。
金色に輝く中央祭壇。ステンドグラスから差しこむ陽光の束。深く厳かなパイプオルガンの響き。聖歌隊の透き通った讃美歌。それに唱和するかのように、天井のドームの外からポルトのカモメが鳴いていました。クリスチャンでなくとも、人間存在の悲しみ、喜び、いとおしさが心の底から魂を揺り動かし、涙が湧いてきます。いい旅をありがとうございました。
それにしても、ポルトガルの人々はみんな穏やかで何といい顔をしていることでしょう。飾り気のない善意も身にしみました。おかげで私たち夫婦のきずなも強まったような気がしています。神仏に感謝。すべてに感謝。
パーパスジャパンの芦村さん、旅行中もご心配をおかけしましたね。ありがとうございました。
ご同輩のシニアのみなさん、いつでもどこかにぶらりと出かけてみませんか。