イタリア大周遊14日間

期間:2015年8月27日~2015年9月9日
片多様 ご夫妻

GON-001009

勤続20周年のご褒美として

会社から2週間の休暇を貰えることになったので、その休暇を利用してイタリアに旅行することにした。10数年ほど前にイタリアを父母と共に旅行し、その際に英語があまり通じなかった(特にナポリで)ことから、イタリア語をその後少々学んだ上で臨んだ旅行である。

イタリア語を学ぶ中でシチリア島などの南部に興味が深まったこと、またイタリアに行ったことのない妻がアルベロベッロにも是非行きたいとのことで、南~北の名所を周るツアーを探していたものの、なかなか見つけることができなかった。そこでパーパスさんであればあらゆる希望に応えてくれるとネットで知り、14日間をフルに使ったイタリアを縦断する旅行を組んで頂いた。

シチリア島ではまずタオルミーナに滞在。

何十年か前に見たグラン・ブルーという映画での崖に面したレストランからの絶景が印象に残っており、一度は行ってみたい町だった。

滞在したホテル・サン・ピエトロは歓楽街から少し下った高台にあり、エトナ山もイゾラ・ベッラという高名な海岸も見渡せた。朝食のテラス席からも海が見渡せ、気分は最高。蜂が多かったため、結局室内の席に移動したが、蜂がいるほどに空気が綺麗で自然が豊かだったのと思う。

ビーチの提携ホテルまでシャトルバスで行き、そこの海の家的な場所で着替えとシャワーを浴び、海水浴を楽しんだ。アフリカにほど近いこともあり9月も近かったが太陽は灼熱、しかし湿度は低いので日陰に入れば涼しかった。小石のビーチだったので、海は砂が舞うこともなく透明度もとても高く、魚もよく見えて楽しかった。小石がサンダルの間に入り込みちょっと難儀したので、マリンシューズが良かったかも。

海の家とは言ってもそこはイタリア、バールがあり休憩時にはカフェやお酒、軽食を楽しむことできた。巨大なスイカとトマトのブルスケッタが人気があった。意外だったのはアジア人が我々以外全くいなかったこと。しかも皆さんはこんがり焼けているのに我々は白くて気恥ずかしかった。イタリアでは「死人のように白い」という言葉があるらしく、白いのは恥ずかしいことらしい(バカンスにも行けないということのよう)。

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翌日は活火山であるエトナ山を観光。

一気に標高3000m 近くまでロープウェイとジープで行くので高山病が心配だったが、清涼な空気であるせいか問題なく楽しめた。活動する火山なので煙が所々から出ており、手をかざすと暖かかった。火口の周りの散策路には柵やロープは一切なく、足を滑らせば火口やふもとまで落ちてしまう可能性もあるのはさすが自己責任のヨーロッパと納得。シチリア島が見渡せる景色は素晴らしかった。

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エトナ山観光は、現地在住の日本人女性の原さんという方にルアーでお願いしたのだが、道中、イタリアの生活とはどんなものか色々教えて下さり、とても楽しかった。8月末だったがもうキノコ(ポルチーニという高級なもの)が山でただ!で採れるとのことで、ドライバーさんと食べ物談義で盛り上がっていた。

また、地元の手作りのお菓子屋さんに連れていってもらい、そこでアイスやクッキーを試食させてもらった。お土産に買ったクッキーはシチリア名産のピスタチオ、アーモンド、へーゼルナッツがふんだんに使われ、以後イタリア各地で買ったどんなクッキーより美味しく、もっと買っておけば良かったと後悔した。また原さん作成のタオルミーナの特製マップは非常に重宝し、どんなガイドブックよりも役に立つ素晴らしいものだった。

タオルミーナで特に印象に残ったのが「気遣い」である。カステルモーラという高台までホテル・サン・ピエトロからタクシーで行った後、そのカステルモーラで帰りのタクシーを拾った。来た際には広場には乗り場には1台しかタクシーが止まっておらず、帰りはどこかのバールにでも入ってタクシーを呼んでもらうしかないかな、と思っていたのだが、カステルモーラの城から下って広場に来たら、丁度タクシーが止まっていた。ラッキーと思って乗り込んだところ、「あなた達はホテル・サン・ピエトロに泊まってるかい?」と聞かれ、「え?そうですよ」と言うと、無線で「日本人2人を乗せたぞ」と仲間か本部かに連絡していた。

なぜホテル・サン・ピエトロに泊まっていることがわかったのか不思議だったのだが、どうもホテル・サン・ピエトロが我々夫婦がカステルモーラまでタクシーで行ったことをタクシー会社に連絡し、日本人2人がカステルモーラに行ったので近くのタクシーは優先的に向かって欲しい、と言ってくれていたのではないだろうか。

ホテル・サン・ピエトロの気遣いだったのか、もしかしたらタクシー会社単独の気遣いなのかはわからないが、いずれにしろ、タオルミーナという場所が本当の意味で高級な所なのだと、とても印象深かった。お客の安否を気遣うその気持ちがとても嬉しかったし、今まで色々な国や場所に行ったが体験したことのない出来事だった。

翌日はシチリアの首都パレルモまで車で移動。

3時間の予定だったが高速道路が工事中の箇所があり、途中で一般道に降り、山中の街を抜けたりで結局4時間ほどかかった。その代わり、街のお祭りの様子が見られたり、物凄く大きな岩山の間を抜けて行ったりで、面白い体験ができた。

高速道路はシチリアの中心部を通るのだが、延々と岩がちな牧草地と乾燥した農地が続き、イタリア随一の農業地帯であることが感じられた。また走っている車の平均時速は130キロほどで、それでいて車間距離は短くかつウインカーは出さない、というスリル満点なシチリアの交通事情だった。ほとんどの車が130キロ位出している横をマセラティが凄いスピードで抜かしていったが、果たして何キロ出ていたのだろうか?

無事パレルモに着き、ホテル・エ・デ・パルメで一休みした後、日曜日でも唯一午後早めまではやっているというバッラロの市場へ向かった。午後2時前位に行ったのだが、残念なことに市場は終了しており、お目当ての海産物の屋台も閉まっていた。付近ではアフリカ系の人々が大きな声をあげ集まっており、若者がラジカセで爆音を鳴らしながらバイクや自転車が走っていた。またゴミが大量に街の片隅に積みあげられており、タクシーの運転手が「気をつけて」と何度も言っていた訳がわかった。

何をされたわけでもないのだが非常に不安になり、とにかく大通りまで出なければとあせって、映画ゴッドファーザーに出てくるマッシモ劇場のある大通りまで出たら、普通のヨーロッパ+アラブ風の綺麗な町並みになった。後で調べてみると、ゴミ回収業者の給料不払いに対するストライキでゴミが溢れているそう。市場が開いていればその喧騒がかえって“活気がある”と感じられたのだと思うが、イタリアの南北問題を恒間見た気がした。

大通りに行ってみると、日曜のせいかノルマン王宮などの観光施設も閉まっていたため、街を散策することにした。大通りではアランチーニというライスコロッケを購入。日本で食べたものよりはるかに大きく、衣が薄くかつ香ばしく、中の具も多彩(10種ほどあり)かつ濃厚で、流石の味であった。

海岸沿いのバールではパーネ・コン・ミルツァという牛の脾臓のパニーニを食べてみた。チーズとレモンのおかげで思ったより癖が無く、モツ好きはいけるかもしれない。フィレンツェのランプレドットという、牛の第4胃のパニーニは食べたことはないが、あの有名なトリッパも胃の煮込みということから味を想像するに、パーネ・コン・ミルツァの方が癖は相当強いと思われた。

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翌日はシチリア島からお別れし

飛行機でプーリア州へ行き、アルベロベッロへ滞在。
アルベロベッロとは美しい木と言う意味で、きのこのようなとんがり屋根の家「トゥルッリ」が並ぶ可愛い町である。

ホテルのレ・アルコーブ自体がトゥルッリを利用したもので、可愛らしい外観と内装で、妻は大喜び。ウェルカムフルーツと、夜にお菓子のサービスもあり、女子には堪らないホテルだと思われた。トゥルッリは冷房がなくともはひんやりとしており、夏でも快適のようである。街はトゥルッリを利用したかわいい土産物屋やレストランが立ち並び、花が沢山咲いていて、歩くだけでもウキウキするような所だった。

お土産屋さんで日本語の上手い年配の女性が客引きをしており、お店の中に入るとプーリア伝統の鳥の形した笛ほか、一見して笛とは思えないようなかわいい笛が沢山あった。女性はマリア・マッタレーゼという方で、日本のテレビに何度か出ているらしく、日本人のタレントさんとの写真が沢山置いてあった。アルベロベッロの姉妹都市で、白川郷で有名な白川村に、2015年の11月に仕事で行くとのこと。

お店のトゥルッリの屋上に登らせて頂き、アルベロベッロの街を上から眺めることができた。プーリアの食事は前菜が多く、前菜とだけ書いてあるものを頼んだら何と5皿も出てきた。味の濃い野菜と、ぴり辛のムール貝の蒸し物など、プーリアの幸を堪能できた。

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夜になると、土産物屋やレストランで働いていた人達が外のベンチやバールのテラスでくつろいでおり、「あ、さっきのレストランの給仕さんだ」「さっき買った木彫りの土産屋のおじさんだ」ということが何度もあった。小さな街ゆえみんな知り合いなのか、いつまでも談笑しており、アルベロベッロの街はいつ寝るのだろう?と思うほど。

また自動販売機があり、飲み物はもちろんパニーニなども買うことができた。自動販売機は治安の問題で海外では存在自体が珍しいのだが、警官もそこら中にいるし、ここは本当に安心して夜中まで遊べる街なのだと思った。この意味でも非常に日本人向きの街だと思う。

ホテルのレ・アルコーブの朝食は、女性が一人で料理と給仕をしており、手作りのコルネットとブルスケッタが出てきて、ビュッフェ形式の多い中意外だった。このブルスケッタが最高で、単にパンとにんにくとオリーブオイルとトマトと塩だけのはずだが、食べたことのない美味しさだった。素材自体が美味しいのだろうが、ブルスケッタがこんなに美味いと知り、目から鱗の思いだった。

テラスでの食事だったので例によって蜂が飛んで来たが、給仕の女性がナプキンでひっぱたいて追っ払ってくれた。日本だと刺されるの怖くてじっとしていたが、こちらでは攻撃する姿勢を見せると蜂もひるむらしく、虫への対応もイタリアと日本では随分違うものである。

翌日はアルベロベッロを離れ、車でマテーラを経由しナポリへ。

マテーラまでは1時間。

マテーラの街は洞窟を利用したサッシという建物で構成されており、街全体が迷路のようで楽しかった。洞窟の建物の中はひんやりしており、夏でもエアコンがいらないのではと思うくらい。街は川に面した断崖にあり、高台からサッシと川を臨む景色は絶景だった。川まで降りてトレッキングしている人が遠くに見え、今度はマテーラに泊まってゆっくり全体を観光したいと思った。

マテーラでは食事をしなかったため、後で知ったことだが、この町はパンが美味しいことで有名らしく、物価も安いらしいので、ますます泊まってみたいと思った次第だった。

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マテーラで2時間観光した後、3時間かけてイタリアを横断し、ナポリへ。

途中は山と谷のアップダウンが多く、ドライバーさんも大変だったと思う。シチリアの交通事情と同じく平均130キロは出ていたが、本当にこれでよく事故を起こさないものだと関心した。しかもマニュアル車が殆どで、車の運転自体がイタリア人は好きで、それで運転が上手いかなと思った。

ナポリのホテル・ベスビオスはオーヴォ城そばの港沿いの一等地にあり、ベズビオス火山とソレント半島とナポリの町並みが見える最高の場所にあった。テラスに出てその景色を眺めていると、カモメが目のすぐ前を飛び、鋭い目つきで私を一瞥し去っていった。ナポリのカモメはなかなか粋な挨拶をしてくれるものである。

一休みした後、まずスパッカ・ナポリを散策。有名な、建物と建物の間にロープを渡し、そこに洗濯物を干したところを見ることができた。そしてピザの名店「ディ・マッテオ」でマルゲリータと揚げピザの夕食。マルゲリータは特に、生地の焦げにトマト・チーズの水分が混ざり、絶品であった。日本のイタリアンも今やとても美味しいと思うが、わずか3.5ユーロ(490円)でこの味とその大きさはとってもうらやましいと思う。

ナポリはゴミ問題もよく聞くが、裏路地に何度も入ったがゴミは特になく、10年前より信号も増え(以前は道路を渡るのも大変だった)、地下鉄も伸び、随分観光し易くなっていた。

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翌日はカプリ島へ行き、青の洞窟を観光。

10年前はポンペイの遺跡は行ったが、青の洞窟は冬で天候も悪かったせいか船が出ていなく、観光を断念したので、今回はぜひと思っていた。大船でカプリ島へ着き、そこから20人ほどが乗れる中船で青の洞窟まで向かった。

青の洞窟は入り口の高さが1m ほどしかなく、小船でしか入れない。この小船の順番待ちで1時間ほど中船で待ったのだが、そこで船酔いしてしまい、小船にやっと乗った時は息も絶え絶えの状態だった。妻は船が大好きなので、楽しくてしょうがなかったらしいが。

中船で1時間揺られて待つことを知らなかったので、船に弱い方は注意が必要とわかった。それでも吐かなかったのは不思議で、以前なら絶対戻していた。歳をとると船酔いしなくなってくると噂で聞いていたが、どうも本当のようである。洞窟内は水だけでなく天井まで真っ青に光っていて、船酔いまでしても来て良かったと思わせるものだった。

ただ時間は3分ほどなので、大船1.5時間、中船1時間、小船3分というバランスは、もっと小船の時間が増えて欲しいところ。しかし世界中から観光客が来ていることを考えると仕方ないかもしれない。そもそも青の洞窟を見られたこと自体がラッキーで、天気が良くても海の状態で観光が中止になることが多いらしく、この日は4日ぶりに洞窟に入れたのだそう。運の良さに感謝。

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夕方にナポリに帰り、そこからサンテルモ城へ夜景を見に行った。ナポリは世界3大夜景の1つであり、ナポリを見て死ね、という格言があるくらいのところである。ほかの2つはまだ見ていない(函館と香港)が、本当にそれくらい綺麗な夜景だった。夜景は前回はホテルから見ただけだが、やはり今回の高台から見る夜景は格別だった。

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翌日はナポリを離れ、鉄道でローマへ。

約1時間だったが、スナックとお酒・飲み物がサービスされ、すこぶる快適だった。ローマのホテル・スタンダールはスペイン階段等著名な観光地全てに徒歩で行くことができ、小さいが機能的で良かった。

まずスペイン階段に行き、しつこい花の押し売りをよけながら、老舗のカフェ・グレコへ。1700年代創業の老舗で、重厚な内装の中で食べるカフェもケーキも美味しかった。こういった老舗は、世界のどんな人に対してもしっかりとしたサービスをしてくれるので、気持ちがいい。

そこから定番の真実の口、コロッセオを観光した。コロッセオは3度目だが、いまだ工事中で、昔のように(約2000年前!)本当に劇場や催事場として使えるよう改良中とのこと。改良が済んだコロッセオには、トレビの泉にコインを投げ入れればまた来られるだろうか。

その後、ローマの郷土料理屋で夕食をとった。カルチョーフィのユダヤ風という、アーティチョークのフライが香ばしく美味しかった。エイのパスタ、なども食べてみたかったが、またの機会にとっておいた。

また、ローマのパンがどの店も美味しかったのは発見だった。調べてみると、ローマはパンとサーカスの都、と呼ばれていたらしい。少し焦げた皮が美味しく、今までは硬いパンが苦手で惣菜パンばかり食べていた妻が、すっかりイタリアの硬いパンにはまり、帰国後はパン屋では硬いパンを真っ先に探すようになった。

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翌日はトレビの泉を経て、バチカン市国へ。

トレビの泉は工事中で、泉は仮説の2m四方のものしかなかったが、一応コインを投げてきた。これでまたローマに来られるな。

バチカン市国では、美術館のミケランジェロの絵画「最後の審判」を鑑賞。あまり芸術に興味のないと思っていた妻が何十分も見入っていたので、それほど素晴らしい絵なのだと思う。天国と地獄が表現されているのだが、細部を見ると奥のほうに巨大な悪魔が待ち構えていたり、地獄に落とされないよう天使の足にしがみついている悪人がいたりで、見れば見るほどもっと眺めていたくなる絵であった。

その後はスペイン階段そばのお菓子屋さん「ポンピ」で、評判のティラミスを頂いた。ティラミスが立ち食いができる紙容器に入っていて、イチゴが大量に入っておりとても美味しかった。妻が「歩いている女の子がみんな食べてるから食べてみたい」と言うのだが、ガイドブックに載ってなく、スマホで調べて行ってみた。10年前だったらこんな便利なものなかったよな、ありがたいな、とスマホの便利さに感謝であった。

またスマホのイタリア語翻訳は、難しい話になった時本当に便利だった。

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翌日はローマを離れ、電車で4時間かけてベネチアへ。

途中のトスカーナ地方の綺麗な農村地帯を通り、パドヴァから橋を渡ってベネチアへ到着。

ホテル・パパドポリで一休みしてから、サンマルコ広場へ。凄まじい数の鳩がおり怖いくらいだったが、ゲリラ豪雨とともに全くいなくなった。以前来た際は冬だったせいか鳩もここまではいなかったが、朝のサンマルコ広場は満潮により水びたしで簡易的な渡り廊下が設置されていた。今回は水は特に出ていなく、鳩は多かったものの、ベネチアは夏・秋のがベストシーズンなのかもしれない。

1700年代創業の老舗のカフェ・フローリアンでカフェととっても甘いお菓子を頂いた後、ベネチアを一望できる鐘楼に登った。登ったはいいが、再びゲリラ豪雨で動けず、しばらく鐘楼にいたところ、海から2本!の虹がサンマルコ寺院を囲うように現れた。皆が「奇跡だ」と騒いでいる中、鐘楼の鐘が鳴り、何か祝福されているような気持ちになった。妻が感極まって泣いてしまったのを、スペインの観光客が抱きしめてくれたのも良い思い出である。

夕食はアドリア海の幸で、カニの和え物と、イカ墨のパスタを頂いた。イカ墨はやはり日本のものより濃厚だったが、パスタが細いタイプのものだったので、あっさり食べられた。カニはオリーブオイルとレモンと塩で和えただけだったが、シンプルで美味しかった。カニ酢もいいが、この食べ方がもっと日本でも普及しないかなと思うほど美味かった。

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翌日はヴァポレットというバスのような船で近隣の島へ。

ムラーノ島でガラス細工のお土産を買い、ムラーノ島からレースで有名なブラーノ島へ渡った。ブラーノ島はカラフルな可愛い家が並んでおり、歩くだけでも楽しかった。猫がたくさんおりのどかな雰囲気。

地元のレストランのブラーノ風リゾットが、爽やかなチーズ味にイカ墨味のせんべいのようなものがついており、まぜて食べるととても美味しかった。本土で食べたイカ墨のリゾットも美味しかったが、濃厚すぎるきらいがあり、個人的にはこのブラーノ風リゾットが気に入った。

トルチェット島とリド島は今回は行かず、ブラーノ島をゆっくり回ったが、本当にのんびりしたいい所だった。

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翌日はサンマルコ寺院やカサノバが捕らえられていたというドゥカーレ宮殿を観光。ティントレットやカルパッチョの絵画を鑑賞した。

一度行ってみたかったハリーズ・バーで名物のベリーニを飲み、3000円を超える!サンドイッチをナイフとフォークで!頂いた。敷居が高いというか場違いな感は否めかったが、給仕の方の堂々とした振る舞い、来ているお客さんの優雅さを見られただけでもいい思い出だった。

夜になると、カフェ・フローリアン前で生のクラシック演奏があり、また良い雰囲気だった。その後、バーカロというベネチア風居酒屋で晩御飯。いわしのフライのマリネ、ビゴリという極太パスタが美味しかった。

非常に人気がある店だったため、ドイツ人の年配のご夫婦と相席になった。旦那さんが物理学教授で仙台の大学に仕事でよく行っているとのことで、話が弾んだ。日本びいきで奈良・京都の好きな奥さんはお名前を UTA さんといい、「日本語では「歌」で、SONG の意味なのよね、面白いわね」とおっしゃっていた。また、お二人とも東日本大震災のことを心配してくれており、福島県出身の妻の父母・兄弟がいまだに会津で暮らしていると聞くと、心痛な顔をされていた。
世界中をご夫婦で旅行されているらしく、ドイツは行ったことがないんです、と言うと、私達が住んでいるベルリンへ是非一度来てね、とのことだった。これから歳を重ねて、お二人のような夫婦になれたらいいなと思う。


これで今回の旅は終了。

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旅を通して特に感じたのが

やはりイタリア語で話したほうがイタリア人も心を開いてくれるということ。

英語で話しかけるとツンとした感じだったのが、頑張ってイタリア語で話しかけると急に愛想を崩し、親切にしてくれることがたびたびあった。また最初は日本人だと思って英語で話しかけてきても、こちらがイタリア語を少しはわかるようだとわかると、いつの間にオールイタリア語に変わってしまうのが面白かった。

また女性への気遣い(ドアを開ける、椅子を引く、荷物をも持つ等)の手厚さ、人が困っている様子を見るとすっと助けてくれること、などイタリア人の気遣いは素晴らしいなとあらためて感じた旅だった。

イタリア人の気遣いに感謝、度々の幸運に感謝。

ツアープランナーからのコメント

イタリア旅行記を、じっくりと味わうように拝読させていただきました。思わず頷いてしまうようなエピソードが多々あり、旅行者としての観察眼には脱帽でございます。この度は弊社をご利用頂きまして誠にありがとうございました。

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