「ル・コルビュジェの3つの礼拝堂見てきました」
私は普段は東京の荻窪でプロテスタントの教会の牧師をしている者です。
十数年前に礼拝堂を改築した際に、関係した設計者がル・コルビュジェの設計の影響を強く受けていたこともあり、熱く語る言葉を聞いているうちに、いつか彼の設計した3つの礼拝堂を訪ね、出来るならばそこで持たれている礼拝を経験したいものだと思い続けてきました。
3つの礼拝堂とは、巡礼地ロンシャンにあるノートルダム・デュ・オー礼拝堂(1955年)、ラ・トゥーレット修道院(1959年)、廃炭鉱町フェルミ二のサン・ピエール礼拝堂(1965年コルビュジェの逝去で中断、没後5年たった1970年に再開するが、1978年に資金難で中断、再再開と繰り返され2006年ようやく完成)のことです。
近代建築の祖として世界中のその後の設計者たちにコルビュジェが影響を与えたというのは当然だとしても、面白いのは彼自身が死ぬまで「無神論者」を明言、標榜しており、そのことを知りながらわざわざ彼を指名して3つの礼拝堂を作らせたカトリックのドミニコ会のアラン・クチューリエ神父のような存在があった事実です。カトリック当局にも、最初は嫌がっていたコルビュジェ自身にもクチューリエ神父が忍耐強く食い下がり説得し、今から思えば奇蹟のようなプロジェクトが始まったのです。
3つの礼拝堂の中でも特に修道士養成の神学校を兼ねたラ・トゥーレット修道院建設はもめ続け、「キリスト教徒の芸術が、〔ルネッサンスの時代のように〕敬虔で才能に富んだ聖者のような信者によって実現すれば、本当に理想的である。しかし、そのような人材がいなければ、その時には、ルネッサンスの栄光を再現するために、信仰を持つ無能な建築家ではなく、信仰を持たない天才を招聘すべきだ」と1953年2月3日にクチューリエ神父の名演説により、賛成7票、反対4票、棄権1票というぎりぎりの投票結果で決まったようです(S・フェロ他著、中村好文監修、青山マミ訳『ル・コルビュジェ ラ・トゥーレット修道院』TOTO 出版1997や范毅舜著田村弘子訳『丘の上の修道院 ル・コルビュジェ最後の風景』六燿社2013、千代章一郎著『ル・コルビュジェの宗教建築と「建築的景観」の生成』中央公論美術出版2004等)。
毎週の礼拝に追われ、国内ならまだしも海外の礼拝堂を訪ねるのはなかなか困難な私でしたが、本年2016年の7月にスイスのバーゼルで開かれた国際神学学会に出席する機会を得たので、その合間を縫って3つの礼拝堂を強行軍で回る旅行をパーパスジャパン社にお願いすることにしました。
3つの礼拝堂共に観光とは無縁の大変な僻地であり、更に学会の合間を縫うようにスイスのバーゼルを往復し、ラ・トゥーレット修道院では宿泊も…、といった大変わがままな要望に応え、経験豊富な通訳の方と専用ドライバーをつけてくださり、本当に感謝しています。
丁度コルビュジェ建築が世界文化遺産に登録決定される直前で、私たちが帰国した直後に追いかけるように決定のニュースが流れました。決定後はおそらく世界中のコルビュジェファンや建築マニアが押しかけているのでしょうから、
私たちは嵐の前のまだ静かな時期に回ることができたのも幸いでした。