バーゼル学会とコルビュジェ建築を訪ねる旅 9日間

期間:2016年7月5日~2016年7月14日
小海 様

GON-001101

「ル・コルビュジェの3つの礼拝堂見てきました」

私は普段は東京の荻窪でプロテスタントの教会の牧師をしている者です。

十数年前に礼拝堂を改築した際に、関係した設計者がル・コルビュジェの設計の影響を強く受けていたこともあり、熱く語る言葉を聞いているうちに、いつか彼の設計した3つの礼拝堂を訪ね、出来るならばそこで持たれている礼拝を経験したいものだと思い続けてきました。

3つの礼拝堂とは、巡礼地ロンシャンにあるノートルダム・デュ・オー礼拝堂(1955年)、ラ・トゥーレット修道院(1959年)、廃炭鉱町フェルミ二のサン・ピエール礼拝堂(1965年コルビュジェの逝去で中断、没後5年たった1970年に再開するが、1978年に資金難で中断、再再開と繰り返され2006年ようやく完成)のことです。

近代建築の祖として世界中のその後の設計者たちにコルビュジェが影響を与えたというのは当然だとしても、面白いのは彼自身が死ぬまで「無神論者」を明言、標榜しており、そのことを知りながらわざわざ彼を指名して3つの礼拝堂を作らせたカトリックのドミニコ会のアラン・クチューリエ神父のような存在があった事実です。カトリック当局にも、最初は嫌がっていたコルビュジェ自身にもクチューリエ神父が忍耐強く食い下がり説得し、今から思えば奇蹟のようなプロジェクトが始まったのです。

3つの礼拝堂の中でも特に修道士養成の神学校を兼ねたラ・トゥーレット修道院建設はもめ続け、「キリスト教徒の芸術が、〔ルネッサンスの時代のように〕敬虔で才能に富んだ聖者のような信者によって実現すれば、本当に理想的である。しかし、そのような人材がいなければ、その時には、ルネッサンスの栄光を再現するために、信仰を持つ無能な建築家ではなく、信仰を持たない天才を招聘すべきだ」と1953年2月3日にクチューリエ神父の名演説により、賛成7票、反対4票、棄権1票というぎりぎりの投票結果で決まったようです(S・フェロ他著、中村好文監修、青山マミ訳『ル・コルビュジェ ラ・トゥーレット修道院』TOTO 出版1997や范毅舜著田村弘子訳『丘の上の修道院 ル・コルビュジェ最後の風景』六燿社2013、千代章一郎著『ル・コルビュジェの宗教建築と「建築的景観」の生成』中央公論美術出版2004等)。

毎週の礼拝に追われ、国内ならまだしも海外の礼拝堂を訪ねるのはなかなか困難な私でしたが、本年2016年の7月にスイスのバーゼルで開かれた国際神学学会に出席する機会を得たので、その合間を縫って3つの礼拝堂を強行軍で回る旅行をパーパスジャパン社にお願いすることにしました。

3つの礼拝堂共に観光とは無縁の大変な僻地であり、更に学会の合間を縫うようにスイスのバーゼルを往復し、ラ・トゥーレット修道院では宿泊も…、といった大変わがままな要望に応え、経験豊富な通訳の方と専用ドライバーをつけてくださり、本当に感謝しています。

丁度コルビュジェ建築が世界文化遺産に登録決定される直前で、私たちが帰国した直後に追いかけるように決定のニュースが流れました。決定後はおそらく世界中のコルビュジェファンや建築マニアが押しかけているのでしょうから、 私たちは嵐の前のまだ静かな時期に回ることができたのも幸いでした。

本当にラッキーだったのは

ラ・トゥーレット修道院では「ドミニコ会」に関係する信者たちの修練会が開かれていた関係で朝のミサではたくさんのカトリック信者の人々と礼拝と食事(おいしいワイン付き)を共にでき、また巡礼地ロンシャンでも朝の11時からすぐ隣に引っ越してきたクララ修道会のシスターたちがミサをしてくださり、コルビュジェの礼拝堂を単に建築というだけでなく、礼拝施設として味わうこともできたという得難い旅になったことです。妻との二人旅でしたが本当に幸せな旅となりました。

いずれの礼拝堂も、さすがは「無神論者」コルビュジェらしい、「ドミニコ会」や旧来の「修道院」風のしきたりを無視したゼロからの建築語法、まことに「教会らしからぬ」原色の赤と青と緑の色と光が逆に「神聖」を感じさせる不思議さ、「モンドリアン窓」と「波動リズムの窓」、「モデュロール」と呼ばれるサイズに合わせて天井高が動線で広がっていく開放感、礼拝堂の神秘的響き、荒々しいコンクリート打ち放しの「質感」と「殺風景さ」がかえって祈りの集中へと心を向けるものだと、現場に立ったからこその感動を味わいました。スペインから来た建築家の青年は私たちと同じように3つの礼拝堂を自転車で回っているとスケッチをしながら話していましたが、普段は熱心なキリスト者でない彼も「無神論者」コルビュジェの描く「神聖」さに打たれたと話していました。

クチューリエ神父の構想であった「ドミニコ会」修道士を育てる神学校は最初の年だけ入学者があったものの、「六月革命」と称されることになったフランスの激しい「大学紛争」で修道士たちが去ってしまい実を結びませんでしたが、別の形で3つの礼拝堂が新たな実を結びつつあるように思います。

フェルミ二のサンピエール礼拝堂外観と屋外・洗礼槽
フェルミ二のサンピエール礼拝堂外観と屋外・洗礼槽

ラトゥ―レット修道院礼拝堂に向かうところです。緩やかな下りの廊下を下ってゆくと、礼拝堂があります。礼拝堂入口の扉を開けると、十字架になります。
ラトゥ―レット修道院礼拝堂に向かうところです。緩やかな下りの廊下を下ってゆくと、礼拝堂があります。礼拝堂入口の扉を開けると、十字架になります。

ロンシャン礼拝堂内。多く人が見物に訪れていました。
ロンシャン礼拝堂内。多く人が見物に訪れていました。

ロンシャン礼拝堂内。説教壇とシスター
ロンシャン礼拝堂内。説教壇とシスター

フェルミ二のサンピエール礼拝堂外観と屋外・洗礼槽(2)
フェルミ二のサンピエール礼拝堂外観と屋外・洗礼槽(2)

ロンシャン礼拝堂の中の小礼拝堂です。ここで、クララ会のシスターたちと共にミサに参加することができました。
ロンシャン礼拝堂の中の小礼拝堂です。ここで、クララ会のシスターたちと共にミサに参加することができました。

ロンシャン礼拝堂内。
ロンシャン礼拝堂内。

ロンシャン礼拝堂外観。
ロンシャン礼拝堂外観。

クチューリエ神父が同じ構想で仕掛けたモンブランのふもとのアッシーの礼拝堂(ノヴァリナ設計 ピカソ、シャガール、レジェ、ルオーといった自己主張の強い大画家たちが協力したことがかえって仇となりコルビュジェの礼拝堂のようにすっきりとせず「失敗作」と評される)や、画家マティスに作らせたフランスのコートダジュールにあるロザリオ礼拝堂(美しい壁画とステンドグラスのある傑作礼拝堂)をまたいつの日か訪ねて、そこで行われる礼拝に参加したいものだと願っていますが、その際にもまたパーパスジャパンにお世話になりたいと思っています。

ツアープランナーからのコメント

この度は大変ご多忙の中、建築へのまなざしが伝わる素晴らしい旅行記を頂きましてありがとうございました。なんという偶然か、小海様のご帰国後にコルビュジェの一連作品が世界遺産に登録されましたね。彼が採用した建築技術はもちろんですが、彼の哲学が多くの人を魅了しているのだと思います。今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。この度は弊社をご利用頂きまして誠にありがとうございました。

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