2017年3月27日(月)
成田13:15発のローマ行きが大幅に遅れ、ローマから乗り継ぎのトリノ行きに乗り遅れ荷物はミッシング、ハイヤー会社にたどたどしい連絡をし、23:00過ぎドライバーさんが WATANABE の名札を持ってトリノ空港で直立して待っていてくれました。
グランドHシテアは格式ある、それでいて気さくな良いホテル。まず睡眠。
期間:2017年3月27日~2017年4月6日
渡辺 様
GON-001192
成田13:15発のローマ行きが大幅に遅れ、ローマから乗り継ぎのトリノ行きに乗り遅れ荷物はミッシング、ハイヤー会社にたどたどしい連絡をし、23:00過ぎドライバーさんが WATANABE の名札を持ってトリノ空港で直立して待っていてくれました。
グランドHシテアは格式ある、それでいて気さくな良いホテル。まず睡眠。
朝食中パーパスの西澤さんより電話でアリタリア航空ストで帰りのローマ発が一日遅れてミラノからの出発に変更の連絡。
ホテルからゆっくりと歩きだし、広場3カ所目、サンカルロ広場のカフェサンカルロの美しい天井を眺めながらお菓子のようなカプチーノの美味しさ。
次は、昔、元ユダヤ教会が有名な建築家に依頼したが、金が続かず市が引き継いだレンガ造りでは世界一高いモーレアントネッリアーナへ、2年前も休館、今度も丁度同じ火曜日で休館。
市電に乗りポー川河畔を散策へ、アルプスからの豊かな水量と上流に雪被った長く続く山々。うららかなポー川の岸辺にしばらく腰かけて日向ぼっこ。雪解け水は豊富に下流の街村へ大きな恵みを与え、ポー川流域に機械技術、経済、芸術の発展をもたらしました。浅黄色に輝く芽吹きのグランマーデラ丘を遠くに眺め、さんさんと陽射しを浴びてヒアペットロ広場のカフェでビールと白ワイン数種盛り合わせのつまみで休憩。午後2時ホテルへ戻ってもバックは未だ。
夕方7時もう何度もお世話になっているガイドのジャンカルロ氏の懐かしいお顔にロビーで再々会。トリノ一伝統のあるレストラン、デルガンピオへ統一イタリア王国の首相カブール伯爵が向かい側の王宮に住む皇太子を監視するため通った(?)所。ノーネクタイは駄目(でも荷物着かないから駄目)、しかし入れてくれました。タキシード姿の大勢のスタッフが行ったり来たり、結局この人たちのお給料払っているような、代金は一級、料理は二番手でした。
午後11時過ぎ荷物が着きました。
朝9時ハイヤーが迎えに、ドライバーはジャンパウロさん、典型的イタリアン、バローロに向かって出発。
ピエモンテ州の名酒バローロはクネオ県、丘又丘見渡す限りのブドウ畑、途中に世界のスローフードの発祥地、アルブラ氏がイタリア半島で消えつつある農産物を復活、周りの食べ物で生き継いできた生き物のDNAを大切に伝統的野菜の継続を願って活動している。
バローロ村に到着し古い歴史を持つマルケシ社、地元領主(伯爵)とフランス人の夫人との間でバローロワインが生まれ、夫亡きあと改善を加えて良いワインが作られるようになった。1929年夫人亡きあと、遺言により地元の慈善団体へ畑、会社が遺贈された。飲めるもので一番古い1938年ものとか。ワインではめずらしい18度~20度。2016年は最高の年とのことです。
夕方アルバ到着、民宿らしく狭い部屋ともっと狭いシャワー室、受け付けは時々いないので自分で玄関開けて入って下さいと裏口の鍵を渡され老夫婦にはつらい2日間でしたが2人のスタッフは自然体の良い人達でした。それでも白トリュフの季節は満員になるとか。
出発前、夫はミシュラン赤を熱心に読んでいたのでその中のレストラン、エノクラブを8時に予約、名物の牛肉たたき、ホロホロ鳥のポアレ、真がれいのクリームソース、その他、ワインはもちろんバローロ、ご主人スタッフの気さくでいて行儀良いサービス味ともにほぼ完ぺきなレストラン。
朝10時ハイヤー迎えでグリーンサーネカブール村(カブール伯爵の城)からワイン畑を望む。
うねる様なワイン畑の海、息を飲む春の景色、豊かな農村が眼前に広がり畑が世界遺産になるなんてと思うがこれほどの景色は生まれて初めて、山一つへだてたバローロとは値段が全く違って安価で気の毒です。クネオ県ランゲ地方はワイン、トリュフ、ヘイゼルナッツの一大産地、白トリュフのオークションで最高は握りこぶし大のものを95,000ユーロで香港人が落としたとのこと。中国人は何所でも大活躍です。
昼食はドライバーさんの案内のアルプスを遥かに望むオステリア・ダ・ジェンマ、世界でも有名になったジェンマおばさんの卵めんパスタ、ほか山のような大型サラミ、ラビオリ、ポテトサラダ、パン、これからメイン2品、デザート3品ですとのことは断りました。イタリア人の太り方はこれが原因でしょう。
ハイヤーの迎えでアスティー迄、列車でジェノバ到着ホテルへ、港の前に豪華絢爛のガレイ船が停泊していて皆の目を奪っています。ハリウッドの映画でも使用されて有名だとか。ホテルはその真ん前。部屋も広くゆったりとくつろげました。お昼は調べていったソーホー、魚料理専門店。
いわしの網焼き、鯖の網焼き、タコのマリネ、魚介のクスクス、ペンネのジェノベーゼ、どれもおいしい、ワインは地元の白、これが良い味。Eataly で私の畑で毎年栽培しているバジルで作るソースのため松の実を求める。日本では最近すべて中国のものになり、この辺りの松の実を求めるのは至難の業。毎年苦労しているのでこれを買うためジェノバに来たようなものです。
ゆっくり坂道を登り赤の宮殿、白の宮殿へ海洋貿易で大富豪となり、その後銀行業をなし、今はジェノバ市の記念館、その道路一帯の屋敷群が世界遺産。市庁舎、スイス銀行、ドイッチェバンクが元個人の家で営業しています。
その後、江戸から明治にかけて日本の紙幣を作ったジェノバ人キオッソーネが明治政府の招へいで日本に住み、その間に収集した日本の古美術すべてをジェノバ市へ寄付したものが東洋美術館としてオープンしており、仏像青銅器、漆器、掛け軸、多岐にわたった収集品はその数何万点、時期を変えて展示している。
ドカーレ宮殿でめずらしいモジリアーニ展へ、若くして逝った画家は生涯でデッサンも入れて作品300点、終始悲しそうな目をした首の長い主に婦人像、日本ではこれほど集められないでしょう。見たことのない素晴らしいものばかり。死ぬ少し前まで街角を親友のピカソと二人で歩いていた姿をよく見かけたそうです。彼が死んだ後すぐピカソが画商から求め生涯持っていたという婦人像も展示されて、沢山の人が立ち止りました。左横の入り口から入ると20世紀を代表した写真家、アンリブレッソンの展示会。光と影の芸術、白黒で世界中の人々の一瞬を見事にとらえたもの数十点。
昼も食べず歩き続け夜8時まで休憩。Eataly で夕食。トリノのレストランと違ってジーパン姿のお姉さんたちがキンキン、ザワザワと給仕、料理もさすがに貫禄ないけれど、若い日本人女性が厨房で一生懸命下働きの姿が見え、帰りに声かけて励ましました。
朝列車でチンクエッテーレへ出発。文字通り1000年前からゲルマンから身を守るのに山に張り付いたように続いている5つの街。五つ目のリオマジョーレ迄でそこから観光船で5つの港へ寄港する。60度程の急斜面に段々畑のブドウ園、このだんだらに続く押さえの石組み7000Km。ブドウ畑と5つの街が世界遺産。海から眺める山と街は幽鬼漂う景色。
明日の仕事のために一旦帰宅するジャンさんと駅で別れて、夫はホテルへ Eataly で買い物、豊富なチーズ、生ハム、スモークサーモン、蜂蜜、クロワッサンなど買い込み、部屋で風呂上り後、冷たいビールでくつろぎ乾杯。
9:18分の列車に乗るためジェノバ出発。列車の1時間ほど旅日記書き、ものすごい速さで漢字横書き文体を向かいで見ているイタリア人は驚くみたい。(普通に書いているのだが、漢字は縦書きの字なので横に流れるアルファベットと違って速く感じるよう)
ミラノで乗り換えてレッチェ行きに乗るため高い列車のステップからバックおろしている最中に仙台の親戚から電話。今ミラノ駅で荷物おろしてるからまたあとでと答え、えーっとびっくり、隣へ行くみたいにイタリアへ行くのねと驚かれたけど2年ぶりです。
パルマで降りホテルマリアルイジアへモダンアンティックで広々した二階建てメゾネット、上下の部屋にそれぞれダブルベッド4つ星ホテル、狭過ぎ広過ぎ旅行はいつも色々なめぐり合いです。
休んでいる夫を置いて住宅街中裏通りをてくてく歩きまわり、案外近いホテルの裏のトラットリア・イルピアンネッティーが何となく匂いがしたので夕食行ってみたら当たり。一人前なのに大皿に山のようなプロシュットミスト、リゾットと真っ赤のプロセッコ(パルマ名産)
朝、ガイドのジャンさんがモデナから通勤して来てくれました。
大聖堂でコレッジョの昇点図を下から見上げる。
その後マリアルイジア記念館へ夫ナポレオンがセントヘレナ島へ流された後、ウィーン会議でマリアはパロマへ残るのを許されこの町を約30年支配、記念館に思い出の美しい品々が残されこの時代の上流の生活ぶりが伺える。
夫は早くホテルへ戻りまだ時間があるジャンさんが私のつまらない買い物にも付き合ってくれました。ご自分の家にもパルマのハム屋さんでプロシュットミストのお土産を買いました。専門家の方々の仕事の多い彼が、退屈な老人二人の旅に仕事とはいえ、親切に付いて来て下さったけれどこれで最終、もういいですからと言っても奥まったホテルのエレベーター前まで送ってくれてお別れしました。サヨナラ。
今日帰国の予定が、飛行機ストのためミラノにもう一日延びてミラノ見物となりました。ドゥオーモは前回とは比べられないほどの観光客。広場は中国人のバス何台もの団体。春休みで世界中から。
市電でスカラ座前で降り、今年はトスカニーニの生誕150年にあたり、トリノで訪ねたトスカニーニの生家を思い出しながら近くのベンチでコンサートの観客を見物。この日は彼のお気に入りのワーグナーの演奏、5時間以上に及ぶ演奏を聴くために全てドレスアップのお客様を見ているだけで豪華な気分になり、ヨーロッパは演奏家への礼儀があり身なり整えての鑑賞に感心します。
タクシーでリナーテ空港へここから帰国準備ローマへ。
この度もパーパスの西澤さんの並々ならぬ配慮とお手配。ジャンカルロさんの身内と変わらぬ付添のおかげで年寄二人無事に楽しい旅を終えることができました。大変有難うございました。
このたびは、行きも帰りもフライトのトラブルに見舞われてしまいましたが、それでもご旅行を楽しかったとおっしゃっていただき、大変うれしく思います。海の景色、ブドウ畑の景色、そして美術館と、充実した時間をお過ごしいただけたようですね。春の北イタリアの穏やかな陽光がたっぷりと降り注いでいる風景が目に浮かんできました。ありがとうございました。