ウイスキーの本場アイラ島&スペイサイドを巡る
スコットランド旅情9日間【後編 - 4/18~4/22 -】

期間:2017年4月14日〜2017年4月22日
加藤 貴史 様

GON-001211

◆ウイスキーの本場アイラ島&スペイサイドを巡るスコットランド旅情9日間◆
【 前編 - 4/14~4/17- 】はこちら >>>

【 4月18日(火) 】

7時40分起床
「もうこんな時間か」今までの疲れが出て、寝坊をしたのかもしれない。急いで着替えて下に降りる。食堂には誰もいなかった。外に出てみると、突然の寒さで目が覚めた。青年が通りから玄関に通じる石段に腰掛けて、薄明るい朝日を背景に静かに波打つ青白い海岸線を眺めながら煙草を吹かしていた。

「おはよう」
「おはようございます」
「よく眠れたかね」
「ベッドに入った途端、眠ってしまいました。あんな豪勢な夕食と、暖かいバスタブ。それに柔らかいベッドに入れたのは久しぶりでしたから」

この若者は、今まで随分に苦労して旅をしてきたのかと推測する。冷え冷えとする朝の空気にたまらず、二人室内に入った。青年は2つのメニューを、自分は魚のメニューをオーダーしていた。

アンドリューが食堂に入ってきた。両手にはいつものようにボウモアとグラスを持っている。

「おはようございます、ありがとう」
「ところで、昨日の旅はどうでしたか?」
「とても満足しました。あれじゃ、とても自転車まして徒歩なんて島を回るのは無理ですね」
アンドリューはうなずく。

「なんにもない所でしょう」
「とんでもない。今までこんなに自然に浸れた旅をしたことはありません。一人ポツンと大地に立っていると、雑多な日常から解放されて心が洗われます」
「そう言ってもらえると、嬉しい」
彼の目をみながら、つい自論が出てしまった。

「人間は、日常の忙しさに追われている時、先の事は頭に描けない。しかし、こうして広い大地の中に身を置いていると、過去は勿論のこと目先の事や将来の行く末なんてどうでもよくなるものです」
「それは?」
「ええ、気の持ちようで世界感が広がっていくということです、人生観というか。心の器が大きくなっていく気がするというか・・・ そうすれば自ずと先が見えてきます。人はもっと先を見なければいけないということです」
アンドリューはじっと自分の目を見つめている。

「あなたは実によい事に気がつきましたね。ここに住んでいると何もありませんが、私たちはこの自然とスコッチがあれば他に何もいりませんよ。常に一緒の友達だから」
「すばらしい!」

青年にアンドリューとの記念写真を撮ってもらった。食事を終えて、お互い再会を誓って握手をした。

朝食:ボリュームコース2(Y・N氏のオーダー)真ん中にハギス
朝食:ボリュームコース2(Y・N氏のオーダー)真ん中にハギス

朝食:コース3(必ず、スコッチ2杯がサービス)
朝食:コース3(必ず、スコッチ2杯がサービス)

10時05分発
ブルイックラディ方面行きのバスに乗り蒸留所を目指した。車内は自分の他に、若い女性が最前席で運転手と世間話をしているようだった。

「今日は、昨日と打って変わって寒い一日になりそうだ」

車窓からインダール湾を左手に見ながら、バスはゆっくり島の南西部へと走って行った。右手には広々とした荒野が続き、ところどころに牛や羊の群を見る。小雨が降ってきて、窓ガラスに当たり始めてくる。息を吹きかけると外の景気がぼやけてみえた。まだその女性は運転手と話し合っていた。

10時25分
ブルイックラディ蒸留所前に到着した。バスを降りると海から強風が体を突き刺すように冷たかった。しばらく海岸線や周りの景色をデジカメに収めたものの、あまりの寒さに我慢できず蒸留所の敷地に入った。ショップの入口を見つけて思わず飛び込んだ。

「(暖かい・・・)」

店内は暖房が効いていて7、8人の観光客が店内のお土産品を手に取り、カウンターでは4、5人の人たちが女性からボトルの銘柄説明を聞いていた。右手の棚に並んでいるボトルの色は透明だった。

「(そうだ。ここの蒸留所はこの島で唯一、ジンを製造していて有名だったんだ)」

暖を取りつつ土産品を眺めていると、ある商品に目がいった。

「あっ、マフラーがある。これは必需品だ。記念に買っていこう」

そのデザインは、この蒸留所のカラーである明るい青色を基調に細い線でチェック柄になっていて一目で気に入った。スコットランドで購入した品は、6年前にエディンバラのロイヤル・マイルストリートのハンチング帽で、モスグリーン色を基調に落ち着いたチェック柄の物だった。マフラーを£25で購入したが、£50のマフラーもあった。素材がカシミアだったので高かったが予算の関係で£25のほうにした。今となっては、無理してでも生地の柔らかいカシミアの方を買っておいたほうがよかったかと少々後悔している。

すぐにマフラーを首に巻いて外に出た。相変わらずの寒さであったが、帰りのバスが到着するまで1時間近くあったので、建物の横にある小道を散策することにした。坂を丘の方へと進む。両側には民家が並んで建っていたが家人は出掛けているのか人気はなかった。2、3分ほど行くと広大な丘が開けて、所々に牛や羊の放牧姿が見える。風の音しか聞こえない静けさの中で、次第に体温が下がっていく感触を覚える。

「困ったな、もっとセーターと厚着のシャツを持ってくるんだったな」

日本を発つ時には寒中の厳しさに覚悟をしてはいたが、こんな環境であるとは予想していなかった。時折と小雨が降り注ぐ。

「(探索はこれで終了。ボチボチ戻るか・・・)」

再度ショップへ行って、トイレで用を足す。外国では日本のようにあちこちにトイレ所はないので、早め早めに済ませておくに、こしたことはない。体を温めるのに、1杯スコッチを注文しようかとは思ったが我慢した。5分前になったので、そろそろ停留所へと向かう。

ブルイックラディ蒸留所の入口
ブルイックラディ蒸留所の入口

蒸留所内のショップ
蒸留所内のショップ

ブルイックラディ蒸留所
ブルイックラディ蒸留所

12時15分
停留所に行くと、一人の若い女性がスマホをいじっていた。一緒にバスに乗る。
また、車内で行きの運転手と世間話をしていた女性にあった。ここからまだ西へ迂回すると、もう一つ蒸留所があるが島の南西部の先端に位置しバスはそこからUターンしてきたのだと思った。

途中、大きな広場がある停留所にバスは止まった。民家が多く、”SPAR”の看板を掲げた食料品店の前だ。3人ほどの初老の男性達が乗り込んできた。と、運転手が席を立って横の建物へ入っていった。どうやらトイレタイムだったようだ。

「(こういうところも、日本とは違ってのんびりとしているな)」

ようやくボウモアの町中に戻って来た。ボウモアハウスの前を通り過ぎた時に、その3人組はなにやら運転手に話しかけた。途中でバスが止まり3人降りる姿を見た時に、3,400人強しか住んでいない島人同士は仲間のようなものだと感じる。

12時36分
中央の広場に到着する。
14時30分のボウモア蒸留所ツアー時間に集合するには、たっぷりと2時間はあった。ホテルはチェックアウトしていたので、仕方なく町中を探索することにした。例によってショップでミネラルウォーターとサンドイッチを購入し、食しながらぶらぶらと歩く。この町を一周したとしても40分とかからない。停留所があるメインストリートが町中を二分して、丘の上には有名なキウロウ教区教会が聳えていた。建物の様相は、両サイドの屋根を鳥がはばたくように見せているが、これは悪魔が通り過ぎるようにするために造られたと聞く。

ツアー予約を確認するのと、暖を取るためにボウモア蒸留所へ行った。“BOWMORE”のロゴをあしらったモニュメントを横切り入口を入るとカウンターがあって、3人の女性がツアー客の対応をしていた。ここはレギュラーツアーと、オプションツアーとがあり、後者は蒸留所内での説明を受ける際に蒸留する作業を幾つか体験でき、最後に何種類かのボウモアウィスキーをテイスティングすることが出来るという内容だった。アンドリューの予約ではレギュラーコースのようで確認した後、再度町中に出た。建物右横の坂道をゆっくりと歩く。その先に学校の建物が見えてきた。

「(だからこの道は、スクール・ストリートと言うのだな)」

建物を左に曲がると幼稚園があり、若い女性の先生が10人くらいの園児と遊ぶ姿を見る。さらに進むと広いグラウンドが見えてきた。両端にはラグビーポールが立っている。すると先の建物から中学生らしい男女20人くらいが一斉に飛び出して来た。ボールを足で蹴っているのでサッカーをするのだろう。倉庫の軒先には、監督のような中年の男性が腕を組んでなにか叫んでいた。生徒たちの出で立ちはユニフォームとパンツのみで、この寒空の中、頬っぺたを真っ赤にしてグラウンドへ気勢を揚げながら元気よく走っていった。

「まぁ、あの子たちはなんて元気なんだろう。こんな寒さの中でもへっちゃらだ」

いくら天候に慣れてはいるといっても、彼らの若さには感服した。あまり歩いていると体力を消耗するので、岸壁に行き何枚かデジカメに収め、蒸留所へ戻る。

14時20分
あと、10分ほどあったので歓談室へ行き、若い男性所員に写真を撮ってもらう。それからカウンター付近に立ってツアーの呼び出しを待っていたが、アナウンスはなかった。さきほどの男性が2人の客を蒸留所へ導いているのを見かけ、このツアーだと勘違いして後を追い建物の中に入った時、男性になにか問われたが全く言葉がわからなかった。と、カウンターの女性がやってきてツアーのコースを間違ったことを聞かされ、恥ずかしい思いで待っていた本来のツアー客に混じった。

約1時間の蒸留課程の説明を20代後半くらいの女性から受けたが、口調が早口で、おまけに言葉が固有名詞以外は全くわからなかった。しかし、蒸留所の中を歩いてついて行くとラフロイグ蒸留所の時と同様になんとなく意味は理解出来た。

「(言葉はわからなくても、この雰囲気を体験できるだけでもいいな)」

最後に、倉樽を貯蔵している薄暗い建物に入った時、スポットライトが当たっている樽に目がいった。表面に”佐治なにがし2013”と日本語で書いてある。

「これは、サントリー社長ご夫婦のサインですか?」
「そうです。ボウモアは1994年、サントリーの資本傘下に入り存続をしています」
「そうなんですか。噂は聞いていましたが・・・」
「ボウモアに限らず、このアイラ島の蒸留所は戦後に経営難を何度も繰り返しては生き永らえてきました。ブレンディッドが一般化した現在でも、アードベッグは原酒を他の蒸留所へ供給していません」
「そうなんですね、アイリッシュの蒸留所もそうだったみたいですね」
「ええ。その昔、禁酒法が制定された時に当時の職人達は蒸留酒を樽に詰めて山奥に隠し、ウィスキーを守り続けて来たのです。結果、そうして今のスコッチウィスキーが誕生しました」
「そうですか、これはよいことを聞いた」

その小柄な色白で鼻筋が立ち、目元がキリッとしていかにも”スコットランド娘”と思わせる女性は気が強そうで、その口調はハッキリとしていた。

ツアーの説明が終わり、テイスティングルームへと向かう。大きな窓から湾が一望でき、テイスティング用に細長いカウンター席が備え付けられていた。曇り空ではあったが最後に振る舞われたボウモア12年物を一口含んだ時、世界が一瞬にして明るくなる心地がする。テーブルにはボウモアのロゴが入った陶器の水差しにスポイドが置いてあった。

「そういえば、ウィスキーに水を2、3滴垂らすと香りが引き立つと何かの本に書いてあったな」

スポイドで水を垂らしたスコッチを口に含むと、強烈な香りが鼻から抜けて脳裏に突き刺すほどの衝撃を受けた。これは新しい発見だった。ちょっとしたことで“心の世界“が広がるとは・・・

「すばらしい、これが本来の味なんだな。これは早速、日本でもやってみよう」

丁度、隣のカウンターに座っていた男女と言葉を交わした。さきほどのツアーで同行したカップルだった。金髪の長い髪を後ろに束ねた背の高い男性に声を掛けた。

「楽しかったですね」
「ええ、始めてのツアー参加で感動しました」
「見学中に、何度か質問をされていましたが言葉はわかったのですか?」
「ええ」
「私は全く」
男性は、横に座っていた女性を見ながら苦笑する。

「ところで、どちらから」
「ドイツです。フランクフルトから」
「そうですか。ドイツと言えば2009年にシュツットガルト。2011年にはドレスデンを訪問しました。どちらも戦争で大きな傷跡を残しましたが、よく復活しましたね」
男性はうなずいていた。

「そうですね、市民の力でドイツは敗戦から這い上がったのです」
「それは日本も同じです。ドイツの方は皆、勤勉だから」
女性は身を乗り出して、話を聞いていた。

「その時計は?」
「これですか、ユンカースです。ドイツ製の」
男女はニコッと笑った。あらためてグラスに残ったボウモアを楽しむために乾杯した。

ブルイックラディ → ボウモア経由のバス
ブルイックラディ → ボウモア経由のバス

ボウモア
ボウモア

ボウモア蒸留所のテイスティング
ボウモア蒸留所のテイスティング

佐治翁のサイン
佐治翁のサイン

ボウモアの街並
ボウモアの街並

ボウモア蒸留所
ボウモア蒸留所

ケイティ―
ケイティ―

ボウモア酒の貯蔵庫
ボウモア酒の貯蔵庫

16時00分
カウンターの女性に礼を言って蒸留所を後にした。すぐ脇にある防波堤へ行く。ここは何度も足を運んだ場所で、このボウモアの世界が手に取るように見渡せる格好の場所である。今まで、数多くの旅人達がここで雄大な景色を眺めたことだろう。

17時ホテル出発まで1時間あったので、暖かい飲み物でもと思い、気になっていた”ケルティハウス”に入った。広場の角に建っており立ち寄る時間がなかったのだが、1階に置かれている土産品を眺めながら時間を潰す。ケルト民族や文化に関しての商品が多く並べられていた。2階に上がると喫茶室となっており3組の客が席に座っていた。カウンターに行って壁に書かれたメニューを見た。飲物の他にパン類やサンドイッチも書かれていた。

「何にしましょう」
アラブ系の50代の女性が声を掛けた。

「(パンはもう、いいな・・・)コーヒーラテをください」

ヨーロッパではホットコーヒーやブレンドコーヒーという概念はなく、いつもラテをオーダーした。一口飲んだ。ホッとする。体が熱くなるようで寒さから疲れがとれる心地だった。

「(ボウモアの人達にとって、ここは昼間の社交場なのだろうか)」

丸いテーブルの椅子に座って、今日の行動をメモに取り始める。店内のBGMがアイリッシュミュージックからビリー・ジョエルの曲に代わった。"UP & DOWN GIRL"だった。英国にやってきた実感が湧く。過去の旅の時も、ホテルやレストランで気に入った曲がBGMで流れてきたことを思い出す。懐かしかった。よい思い出になると思う。

女性がラテを持ってきてくれた。

「はい、どうぞ」
「ありがとう、この曲はビリー・ジョエルですね」

女性は微笑んでうなずいた。

ケルトハウス&コーヒーショップ
ケルトハウス&コーヒーショップ

寒中での一休息
寒中での一休息

16時50分
店を出てホテルへ向かう。くだんのタクシーには17時に迎えに来てもらうようにしている。ホテルに着いた時、脇の道からタクシーが坂を下りてきたところだった。運転手には少し待つように言い玄関に入った。中は人気がなかったので声を掛けた。

「ただいま。アンドリュー? アリソン? いますか?」
しばらくしてアリソンが2階から降りてきた。

「あら、予約の時間なんですね」
「ええ、もうタクシーが来てしまって。アンドリューは?」
「あの、・・・ちょっと出掛けています」
「そうですか、3日間いろいろとありがとう。楽しい旅が出来ました」
アリソンは少しはにかんで、下を向いた。

「それはよかったですね」
「アンドリューによろしく」と言い、感謝の握手をしてホテルを後にした。

玄関までの石段を下り、タクシーに乗った。50代のラフな格好をした運転手は、助手席を勧めてくれた。シートベルトをして、ふとため息をつく。これで彼ら家族ともお別れかと思うと、3日間の滞在が1ヶ月にも思えてくる。

タクシーは静かに曇天の国道846号線を一路南下し、アイラ空港へと向かった。フロントガラスに小雨があたる。

「どうだったかね、アイラは」
「楽しかったですよ。好きなスコッチも堪能できたし」
「ほう、それはよかった」
「(ここを離れる時間が惜しい)」
「・・・、静かで退屈だったろう?」
「そんなことはなかったですよ。東京にいたら、こんな環境には疎遠で」
「疎遠? 東京ってとこは、どんな」
「大都会で、うるさいだけの所です。やたら、ネオンに看板だ、ハイビジョンのスクリーンだと興味を引くだけの場所といったらいいか」
「へぇ、アイラにはそんな場所はないな・・・」
「だから、逆にわたしはこうした素朴な場所が好きなんです」
「・・・・・・」

17時20分 アイラ空港着

ディパーチャー時刻までは1時間あったが、その日の天候次第で飛行機の離陸がキャンセルになることは知っていたので、早めに搭乗チェック・インをするためタクシー予約をしていた。

「着きましたよ」
「ありがとう。おつりは、いいですよ」
「こりゃ、どうも」

運転手にはアイラ島での最後のセッティングをしてもらったので、挨拶をしてタクシーを降りる。外気は相変わらず寒かった。薄暗い雲が低く感じ、飛行機が2機待機していた。周りの景色を記念にデジカメで動画を撮る。ファインダーから覗いた景色は灰色の世界だった。横風に混じって小雨が降ってきたので空港内へ入る。

扉を開けると20名ほどの人が搭乗待ちをしていた。友人と会話をしている若い女性達、読書にふける老人など、待合室にのどかな空気が流れる。平屋のこじんまりとした建物で、売店にスコッチの各瓶が飾られているショーケースがあるだけの空間だった。

「フライトまで、まだ時間があるな・・・」

その間、また今日一日の出来事の続きをメモ帳に記す。

17時55分 搭乗チェック・イン
出島手続きのカウンターに50代の女性が2人立っていた。

「こんにちは」
左側の小柄な女性が話しかけてきた。

「★○※~◆◎、□×●↓▲? ※☆▼■、※★~●△・・?」
「?・・・・・、」

自分の怪訝な顔を見ていた隣の大柄な女性が、話しかけてきた。

「荷物はこの2つだけですか?この中にウィスキーが入っては?」
「は、はい。ウィスキーは持ち込んではいません」

多分、左側の女性は”スコットランド語”で聞いてきたのだろう。相手に言葉が通じないと悟った隣の女性は”イングランド語”で『通訳担当』をしたのかと思う。少々、イングランド語での会話に自信が持てた。

「(こんなサプライズもあるんだな・・・)」

しかし後で考えてみると、彼女達はケルト民族の末裔ではなかったのか。とすると、ゲール語を使ったのかもしれない。グラスゴーのホテルのウェートレスにボウモア蒸留所の案内係の男性もしかり。

18時25分
BE6228便は発った。これからグラスゴー空港へ向けて約40分間のフライトだが、予約席に座り目をつむると3日間の出来事が次から次へと蘇る。アンドリュー、アリソンにエリザとリリー。K氏・青年のN氏にハーベストとミージー、それに・・・

ついつい眠り込んでしまった。

アイラ空港 → グラスゴー空港へ
アイラ空港 → グラスゴー空港へ

19時00分
予定通り、グラスゴー空港にアライバルタラップを降りて空港内ゲートへの移動バスに乗る。空港からリムジンバスに乗ってグラスゴークィーンズ駅へ。この間、全く記憶が飛んで今でも思い出せない。意識が朦朧としていて、アイラ島での出来事が頭の中から離れないままだったのかもしれない。

19時46分
うとうとして、気がついたらグラスゴー駅終点停留所に到着していた。バスを下りると外はまだ明るく、クィーンズ駅の周辺を行き交う人々を見ると、数日前のように雨が降っていなかったせいか、その足取りは軽く見えた。

「(あぁ、今日は暖かいな。3日前の寒さが嘘のようだ・・・)」

クィーンズ駅の入口に設置されていた喫煙所で一服する。次第にアイラ島のことが脳裏から離れていった。グラスゴーの街並の環境に感化されていると感じる。エディンバラへの列車出発時刻が21時であることを予め確認していたので、ジョージ・スクエアへ足を運ぼうとも思ったが、左肩のバッグと右手のソフトケースが重たく感じ、一端くだんの構内の売店で喫茶休息でもしようかと思い、駅内に入り電光掲示板を見た。

「あれ? 自分が乗る列車が、1時間前の20時にも発車するじゃないか!」

思わず横の乗車発券カウンターへ行き、係の男性に持っていたレジベーションを見せた。

「21時発のエディンバラ行き指定席券を持っています。これです」
カウンターの40代の男性は、マジマジと見る。

「今発車しようとしている20時発の列車に乗れませんか?」

男性は自分の顔をみてうなずき、ボンと証明印を押してくれた。
「今行けば、間に合う」と列車の方向を指さして促してくれた。

「ありがとう!」

急いで改札口へ走った。時計を見ると19時59分を指していた。改札口に立っていた駅員に証明書を見せて20時発の列車に急いで向かった。列車は出発の合図もなく、ゆっくりとグラスゴー駅を発って行った。

「間に合った!」

1等席は20人くらいのスペースだったが、誰も座っていなかった。飛び乗った車両は2等席で混雑していたが、移動して自分の(1時間後の)席につく。2009年の渡欧の時に、宿泊先のアムステルダムからロンドンへ行って、申し込んでいた「夜のパブ巡りツアー」に参加し、宿泊した次の日のフライトでヒースロー空港からスキポール空港へと戻る際、ディパーチャーターミナルを間違えた。やっとの思いでアムステルダム・スキポール空港行きの搭乗手続きカウンターへたどり着く。機転ある女性職員の誘導があって(職員専用通路を横断しながら)何とか飛行機に搭乗できた出来事を思い出しつつ、列車はエディンバラへ向かって順調に進んで走った。

「なんとか・・・、1時間も得をしたな。これもハプニング!」

夕暮れが車窓に迫ってくる。柔らかなオレンジ色の光が次第に薄暗く紫色に変化し、窓から見る景色は明るさを失っていった。広大な農地にその影が覆い尽くすような風景を見るに、アイラ島とは一風変わった印象を受ける。

「グラスゴーを訪れてよかった」

2011年、エディンバラを訪れた際にグラスゴーへの訪問も計画していたが、エディンバラの歴史の重みにひかれてつい行きそびれた。しかし今回はそのリベンジというか、たまたまアイラ島への訪問がメインで、そのハブとしてグラスゴー空港があったということだ。

21時19分
エディンバラ・ウェバリー駅へ到着。日本で借りたWi-fiが英国本土に着いてから機能するようになったが、時間に追われてメールのチェックをすることを忘れていた。LINEに多くのメールが来ていた。日本とは時差が8時間あるので、今は昼過ぎの頃だ。返信をし、仲間達とのやり取りをしている内に列車がウェバリー駅に到着していることに気づかなかった。ふと頭を上げると2等席にいた乗客が次々と降りていく姿を見て、あわてて降り支度をする。懐かしい駅だった。駅内の雰囲気は6年前と全く変わっていなかった。

1時間得をしたので気持ちに余裕があり、これからは急ぐ旅でもないのでゆっくりと改札口へと向かう。改札に立っていた駅員に"証明印付きのレジベーション"を見せて挨拶する。

「こんばんは、エディンバラ」

駅員は笑っていた。

「ようこそ」

目指すホテルはここからほんの5分とかからない場所にあって、旅行会社には感謝した。右方向先のエスカレーターで上がり、通路を右に曲がって階段を上がればジェフリー・ストリートに出る。ホテルはその道沿い右側にある。しかし6年前を懐かしむように目の前にあるCROSEの石段をゆっくりと上がった。オールド・タウンのハイ・ストリートに出て右折しノースブリッジを駅の方へ歩く。

「あぁ、ヒルトン・エディンバラ・カ-ルトンホテルだ。以前と外観は変わっていないな、それと玄関も」

それから引き返して、先の大きな交差点を渡りハイ・ストリートをエディンバラ城の方へ歩いてみた。パブやレストランの軒先には客があふれ、ビールを片手に談笑している。通りは観光客で溢れかえっていた。

「(もうこんな時間なのに、みんな楽しんでるな・・・)」

と、今朝のブレックファスト以外に、まともな食事をしていなかったことに気づく。引き返しゆっくりとホテルへ向かうことにした。オレンジ色の街灯に包まれた街の懐かしい余韻を肌に感じながら勿体ぶって遠回りに進むのは、なんと心地よいことか。

グラスゴー → エディンバラへの列車
グラスゴー → エディンバラへの列車

エディンバラ:ウェバリー駅構内
エディンバラ:ウェバリー駅構内

21時30分 ジェリーズ・インホテルに到着
チェックインを済ませ、部屋に荷物を置いてそそくさと出掛ける。ロイヤル・マイル沿いの店に幾つか入ったが、中にはアイリッシュやスコットランド音楽のライヴ中の店もあった。しかし、どの店も22時近くになっていてイート・インは断られた。

「困ったな、時間が遅かった」

21時55分
やっと、ディナーにありつける店を見つけた。くだんの大きな交差点から西へ下って、最初の細い道を右に曲がった広場の一角にある場所だ。街路樹は、これで今年最後の葉をなんとか地面に落とさないように踏ん張っている。地面の石畳を見ると、あえなく散った落ち葉がエディンバラの街中に溶け込み、街灯の光が淡いオレンジ色を放ち旅人になにかしら告げているかのように見えた。地面に塗れた石畳は自分になにかしら問いかけているように思えた。

「なぁ、君。よく来たな。どうだい、この雰囲気は以前と変わってないかい?」

ピザハットはあったが今さら入る気にはなれず、同じ並びにピザ屋があったので、こちらの方がましと思い、扉を開けた。

「いらっしゃいませ」
店内は薄暗く、壁に備え付けられた"ハイネケン"の緑や"バドワイザー"の赤い明かりがアルコールと食欲を呼び起こしそうだった。真ん中に大きなテーブル席が3つあり、周りに4人掛けのテーブルが並べられていた。店内には3組のパーティが談笑していた。入口横4人掛けのテーブル席にした。

「何にしましょうか」
30代のようで、目のクリっとした小太りなアラブ系の女性が聞いた。

「時間は大丈夫ですか?」
「ええ」
「じゃ、ビールをください。それとピザの種類は・・・」

女性はいろいろと説明してくれたが、今一言葉がわかならかった。ニュアンスから想像して質問した。

「このマルガリータの大きさは?」
再度、聞いたが言葉がわからないので、ゆっくりと質問をした。

「(ちょっと、量が多すぎるようだな・・・)小さいサイズはありますか?」
「それでしたら、ハーフサイズに出来ますよ」
「じゃ、そのハーフサイズでお願いします」

女性は終始、愛想がよく、微笑みに溢れた表情を見て旅の疲れがふっ飛びそうに思えた。缶ビールの350mlが置かれ、キャップを思いっ切り引いた。

「プシュー!」

最初の一口を喉に流し込んだ時、目の前に閃光が走り、周りの世界が一瞬輝いて見えた。肩から一日の疲れがドッとすり落ちる心地だった。

「スコッチもいいが、缶ビールもいいもんだ!」

薄い生地のピザをナイフとフォークで切り分け手に持ってほおばると、有名レストランで豪華なディナーを食している気分になった。なんの変哲もないビールとピザの取り合わせだが、とりあえずエディンバラまで戻ってスコットランド本国の夜に味わう食事もまた一味違う。

「すいません!! ビールを」

店内のBGMは、ブリティッシュロックだった。たたがビール、たたがピザだった。されど、この時の美味しさは生涯忘れないと思う。

23時10分
店を出る。グラスゴーの時とは違って、外気は冷たくなかった。目の前の小さな広場には、酔った若者たちが奇声を上げて騒いでいる。少し酔いが回って来て、エディンバラに再度訪れた嬉しさも手伝い、エルトン・ジョンの“ユア・ソング”を鼻歌交じりにしばらく街中を探索した。

23時45分 ホテル着
バスタブにお湯を張り、静かに体を沈めた。今までの出来事が頭の中を過ぎる。今日は、午前中と午後にアイラ島の南西部蒸留所を2ヶ所訪れ、夕方のフライトでグラスゴーへ。その足で列車に乗りエディンバラに着いた。もう3日間くらいかけて旅をしたように思える。

「(充実していたのかな・・・)」

あとは残すところ3日間だ。今回は羽田からの夜間フライトにして帰国も同様にした。

「(これで、半日くらいの時間を多く滞在することが出来る。明日はのんびりとエディンバラ市街地を探索でもするか)」

0時40分 就寝

ジェリーズ・インホテル
ジェリーズ・インホテル

夕食:エディンバラ市街地で
夕食:エディンバラ市街地で

【 4月19日(水) 】

5時40分
起床窓のカーテンを開けた。裏庭が見える。昨晩、ディナーの帰りに下りて来たCROSEが目の前にあり、その石段の辺りは日陰となって落ち着いた深緑の色合いを見せていた。空は太陽が薄明るい光を放ち初めている。部屋は2階だったので周りの建物に囲まれていたが、右側建物の窓ガラスに朝日が当たってキラキラと光輝いていた。7時10分一服しようと建物の裏扉から外に行った。はやり外気は冷たく、吐く息は白い。

「(カールトン・ヒルが見える。懐かしいな・・・)」

隣には70代の女性が同じく一服していた。朝の挨拶をする。

「寒いですね、どちらから来られたのですか」
「ニュージーランドからです」
「ウェリントンですか?」

女性は住まいの首都の名前を言われてか、にっこりと笑ってうなずいた。

「一昨日に、パリからこちらへ。あなたは」
「東京から来ました。グラスゴーからアイラ島へ渡り、昨晩こちらへ」
「まぁ、スコットランドの旅なのね」
「ええ、まあ」
「ところで、東京へは行ったことがないのですが、美しい街だと聞いていますよ」
「そうですか、機会があったら来てください。京都も広島も食べ物は美味しいですよ」
「それでは是非!」

女性の煙草が消えかかっていたのを見て、声をかけた。
「これをどうぞ」
携帯用のシガレットケースを差し出す。

女性は一瞬、驚いた表情をみせたが理解した。

「これはすばらしい。いいアイデアですね」
と言って地面で火を消し、ケースに入れた。

「よい旅を」

部屋に戻ったが、暖房の掛け方がわからず依然として室内はひんやりとしていた。毛布を1枚多く掛けたものの効果がなく、それとヘアドライヤーも動かなかったので風邪をひきそうになった。

8時00分
エディンバラでのブレックファスト1回目。1階のレストランへ行く。ちょうどジェフリー・ストリート沿いに面した窓側の席が空いていたので、そこに座った。窓から5つ星のバルモラルホテルの荘厳な姿が見えた。屋根にはスコットランドの旗が大きくたなびいている。

最初にコーヒーを取りに行き、エディンバラの情景を楽しんだ。ここもバイキング式だったので、大皿の中央にハギスを置き、他の食材を順番に盛りつける。グラスゴーやボウモアハウスでも同じような内容だったが、所が変われば、また一層と食したくなるのも旅での醍醐味だ。

朝の景色が変わるのを楽しみながら、ゆっくりのんびりと食事をした。いつの時も、ホテルに泊まった最初の朝の食事はワクワクする。自分で盛り付けた食事ならば、楽しさは尚更だ。

レストラン内が徐々に混み出してきた。いろいろな国から訪れているようだ。ブレックファストは一日を歩き回る原動力として目一杯腹に入れるようにしている。そうすれば夕方まではもつ。小腹が減れば屋台のサンドイッチかマックに飛び込めばいいことだ。

エディンバラの気温:11℃
エディンバラの気温:11℃

朝食:1日目(バルモラル・ホテルを眺めながら・・・)
朝食:1日目(バルモラル・ホテルを眺めながら・・・)

朝食:1日目(やはり“ハギス”を中央に盛り付けて)
朝食:1日目(やはり“ハギス”を中央に盛り付けて)

10時10分
フロントへ行き、部屋の暖房とヘアドライヤーの調子が悪いので調べてほしいと言い残し出掛けた。

部屋から見えたCROSEを上りロイヤル・マイルに出る。右折して15分も歩けばエディンバラ城に着く。この辺りの土地勘はあった。あいにくと道の真ん中で工事をしていたのでデジカメのファインダーに入らないように周りの風景を撮る。

「アムステルダムの時もそうだったが、街並は6年前と変わってないな」

通りは観光客でゴッタ返していた。アジア人の団体をよく見かけたので、写真に入らないように撮る。

エディンバラ城の広場についた。ここでもアジア人の連中がたむろしていた。城の中は前回に見学したので城壁から見える眼下の街を眺め、時を過ごした。反対側のニュー・タウンのプリンシズ・ストリートを路面電車が走っている。

「(おや? この風景はチューリヒのリンデンホフ公園から眺めたリマト河沿いの景色にそっくりだ!)」

広場にケルトの塔が幾つか立っていたので、これもデジカメに。その脇に下りの坂道があり前回は歩かなかったので赤や黄色の花畑を鑑賞しながら進んだ。

「これがプリンシズ・ストリート・ガーデンか」

見上げるとエディンバラ城が頑丈な岩に守られてそびえ立っている姿を眺めるに、難攻不落だった話を思い出す。下から登ってくる人達とすれ違う。公園の並木が連なっている間を横切り、横断歩道を渡ってニュー・タウンに入った。丁度、路面電車が交差点を横切ろうとしていて"エアポート行き"の電光版が目に入った。

「そうだ、知人からエアポート行きの路面電車を紹介されてた!これに乗って明後日は空港へ行こう」

少々、足に疲れを感じ暖かい飲物を求めてスターバックスに入る。スマホをいじりながら時を過ごすのもいいものだ。ランチは抜きにした。

それからエディンバラ・ナショナルギャラリー・ミュージアムの建物を横に眺めながら、一旦ウェバリー駅の方へ。ロイヤル・マイルに出てホテルの方へ戻り、2つ目の大きな交差点からセント・ジャイルズ大聖堂を眺めながら右周りに街中の探索をした。途中、大きな広場に出てテラス付きのレストランで食事をしている人達を横目で見つつ前に進んだ。

「ここは、アムステルダムのレンブラント広場に似ているな」

途中、有名な忠犬ボビーの像に再会し裏手にある小さな教会墓地にも足を運ぶ。用を足したくなったので、先の城へ向かう石段を上がり無料公衆所に入った。ここも昔に利用したので覚えていた。坂の途中に芝生があったので、しばらく足を延ばして仰向けに寝ころんだ。青空には白い雲が転々と浮いていて、しばらくの間、のんびりとした自分だけの時間を満喫することができた。これも一人旅ならではの息抜きで、前の方で同じく寝転がっているヒッチハイカーのような男性をみていると、アイラ島で知り合ったN氏のことを思い出す。

「(アムステルダムのフォンデルパークやロンドンのハイドパークでも、こうして時を楽しんだな・・・)」
こういう過ごし方も、旅の記憶としていつまでも残るのではないか。

エディンバラは頑強な岩山の頂上に城が建てられ、下は谷底のような地形に鉄道が引かれた街である。数km先の北海に面し、市内のカールトン・ヒルからの眺望はすばらしいものがある。街の中心部は城から南の端に造られたホーリー・ルード宮殿までのメインストリートであるロイヤル・マイルを境に旧市街のオールド・タウンと、近世にウェバリー駅の東側に建てられたニュー・タウンとに別れ、その周りに金融・証券などの商業施設や住宅地が建ち並ぶ都市だ。スコットランドの首都で、グラスゴーに次ぐ第2の都市に発展していったがイングランドとは今でも一線を張っている。特に、紙幣や硬貨はスコットランド仕様で製造されており、スコットランド紙幣はイングランドや日本でもイングランド紙幣に換金出来ない状態が続いている。

そうした言わば難攻不落のエディンバラ城を中心に形成された街なので、谷底からメインストリートへ登るために幾つかの石段(通称「抜け道」:CROSE)が造られた。石段を上がると通りに面した建物の下に小さなトンネルがあり人がすれ違うには狭い。路地ごとに"●●STREET"と名称が付いていて、初めてそのトンネルをくぐった旅人は、この先どうなっているのだろうかという好奇心を抱くに違いない。その風景はそれぞれ異なった顔を持ち風情に味わいがある。特に、石段全体に深緑の苔が覆ったCROSEは中世の香りがするような面持ちであり情緒がある。

前回訪れた時にはあまりにも感動し、時間を忘れて探索したためにグラスゴーを訪問出来なかった経緯があったので、今回の旅はゆっくりとしたエディンバラ市街訪遊が出来た。

エディンバラ城
エディンバラ城

エディンバラ城公園からニュー・タウンを望む
エディンバラ城公園からニュー・タウンを望む

エディンバラの街並
エディンバラの街並

ロイヤル・マイル
ロイヤル・マイル

聖ジャイルズ大聖堂
聖ジャイルズ大聖堂

チャムパース・ストリート
チャムパース・ストリート

エディンバラ城の西公園より
エディンバラ城の西公園より

エディンバラ城から北海を望む
エディンバラ城から北海を望む

エディンバラ市街地の風景
エディンバラ市街地の風景

ちょっと足休み:スターバックスにてラテを
ちょっと足休み:スターバックスにてラテを

ロイヤル・マイル
ロイヤル・マイル

CROSE:通称「抜け道」
CROSE:通称「抜け道」

広場の風景
広場の風景

ノース・ブリッジの様子
ノース・ブリッジの様子

20時20分
ホテルに戻る 途中、街中のスーパーでパンとソフトサラミ、ミニサラダと500ml缶ビール2本を購入した。自室で今日一日のメモ整理と明日・明後日の行動をイメージトレーニングする。一人旅、特に海外ではなにが起こるかわからないので、行動は自己責任だ。不測の事態も念頭に置いて旅をすることが上手な過ごし方と思う。

「そうだ! ボウモア蒸留所でもらったウィスキーがあった」

バックから50mlの小瓶に入ったボウモアとミニテイスティンググラスを取り出し、机に置く。グラスに継いだウィスキーを胃に流し込むと一日の疲れが飛ぶ。これが至福の時だ。酔いが進むにつれてふと、アイデアが浮かぶことがある。目の前が明るくなり、頭の回転が速まるためだ。一日の限られた時間を有効に使うためにはどうしたらよいか。アウトラインは日本で練ってきたとしても、現地を訪れると良い方向に思うような行動ができないのは過去の"実績"が物語る。

まず、一日の行動時間を12時間とし、午前と午後に分ける。それからどこに行くかを優先に考え、そのルートをイメージする。そうすると、どういう手段で目的地まで行くかが具体的に決まり、後は1時間単位で予想到達地点を割り出し、骨子が固まったら前後30分単位の余裕をみてプランでの予備行動を考慮しながらホテルまでの帰りのルートを見つけるのである。

21時10分
ふと気が付くとTV番組で「ケルト人の痕跡」についての特集番組を放映していた。画面を見た時にハルシュタット湖畔の映像が映っており、パンをかじりながら見た。歴史学者や地理学者に地質学者達は、ケルト人たちが住んでいた洞窟跡や湖面の風景をバックに説明をしている。

「そういえば、この旅はケルトの文化に触れることもテーマにしていたが達成できなかったな」

アルコールが次第に効いてきて、うとうととしながら睡魔に襲われた。

22時00分
フロントに依頼したヘアドライヤーは交換されていたが、室内の温度調整はそのままで肌寒く感じた。夜中に何度も目が覚めてゆっくり眠れなかった。

エディンバラの夕暮れ
エディンバラの夕暮れ

夕食:パン食にも飽きてきた・・・蒸留所でサービスにもらったボウモアがサラミに合う!
夕食:パン食にも飽きてきた・・・蒸留所でサービスにもらったボウモアがサラミに合う!

【 4月20日(木) 】

5時10分 起床
なんだか鼻がむずかゆく、どうやら風邪を引いたようだ。用意した常備薬を服用し、外に出た。外は相変わらずひんやりといている。空は薄曇りだったが風はあまり吹いていなかった。朝のTVで天気予報は、今日は曇り後晴れと言っていた。最高気温は14℃で最低気温は8℃なので、今までに比べると少しはマシだ。

7時10分
2回目のブレックファストでは少し皿に盛るアイテムと量を減らし、小麦とライ麦のパン2枚を焼いてマーガリンとジャムを脇に添える。この日もレストラン内は満員状態だった。

朝食:2日目(量を少なくした)
朝食:2日目(量を少なくした)

今日は、「スコッチウィスキー蒸留所巡り」のツアーだ。エディンバラから北西部のハイランド地方への蒸留所2ヶ所と、途中、有名な国立公園に立ち寄りそこでランチを。バスで移動しながらの旅だったが、これも予め旅行会社へツアーのリザーブを依頼していた。

9時20分
ニュー・タウンのとある集合場所へ行ったが、ツアーの旗かプラカードを持ったツアー職員の姿が見あたらず少々焦る。場所はわかっていたので安心と油断からきたものだと後悔した。

「(9時30分出発だったな、どこに集合しているのだろう・・・)」

その場所には大勢の人達が集まっていたが、他のツアー者のようだった。ふと建物の前に立っていた女性と目が合って聞いた。

「あなたですね。こちらです、付いてきてください」

集合場所から道路沿いに1分ほど行った先に、黄色のツアー会社のロゴマークがついた小型バスが停まっていたのがわかった。先に来た客はこうして誘導されたのだなと気づく。

「間に合いましたね、よかった」
と、ガイドさんがにこやかに言った。20代で濃いブロンズ髪にパーマがかかりポニーテールしている。少々ふっくらさんだったが愛嬌がよかった。色白の頬が赤く、青い目がクリッとして、いかにもスコットランド娘といった印象だった。グラスゴーのホテル案内嬢、アイラ島のボウモア蒸留所ツアー案内嬢にこの娘さんもそうだが、皆"スコットランド産牝馬"という容姿顔立ちが強烈だった。性格も強そうだった(これはどこの国にもいえることだが)。

9時30分
バスは予定時間に発車した。乗車が一番最後になったせいか、負い目を感じて先に乗り込んでいた客たちに会釈をしながら一番後ろの席に着く。

「みなさん、おはようございます。今朝は快晴の日よりで、みなさんが待ちに待った蒸留所巡りにふさわしい一日となりそうですよ!」

ハッチャキなバスガイドさんは、運転手台後ろの地図を指さしながら一日のコースを説明した。

「それではこれから、皆さん一人一人に自己紹介をしてもらいます」
「(えっ!)」

左前方席の参加者から挨拶の言葉が続く。その間、ガイドさんは相づちを打ちながら笑って応対をしていた。皆、簡単に済ませたのであっという間に自分の番が回ってきた。

「あのぅ・・・、おはようございます N・Yといいます。日本の東京からやって来ました。"? ジャパニーズ・サムライ!!"。今回で3回目の訪問です。英語はさっぱしわかりませんが、今日は皆さんと楽しんで・・・、ニンジャ・シュッシュッ?」

咄嗟に思いついた最後のオチが受けたのか、ガイドさんは大笑いをして参加者に話しかけていたが言葉は全くわからなかった。参加者は地元イングランドの人やアメリカ人・ドイツ人・オーストラリア人達のカップルに、台湾の親子連れもいた。

ツアーの集合場所
ツアーの集合場所

ハイランド地方の大地
ハイランド地方の大地

ウィスキー蒸留所巡り一日ツアー
ウィスキー蒸留所巡り一日ツアー

ツアーバスは午前中に、小高い丘に聳(そび)える古城が見える道路の前での写真撮影を。それから最初の訪問地、グレンゴイン蒸留所へと向かった。

10時50分 到着
バスを下り、肌寒い小雨が降る中で、皆は建物まで急いで行った。ここでは工場内が撮影禁止と聞いた。一通りの説明を聞いたが、相変わらず言葉はわからなかった。それからローモンド湖国立公園へ。

13時30分 到着
バスを下りてしばらくは湖畔から遠くの山々が見渡せる場所へ移動しながら散歩をした。20分ほど探索しただろうか、静寂の世界が目の前に広がりゆったりとした心地になった。時折、小鳥達の鳴き声が聞こえる中でハイキングに訪れた人達と出会い、写真を撮ってもらう。

それからバンガロー風のレストランへ行き、ハンバーガーセットとコーヒーラテのランチを急いでオーダーし済ませた後に、バスは次の場所へ出発。

グレンゴインの入口
グレンゴインの入口

ローモンド湖 国立公園
ローモンド湖 国立公園

昼食:美しい湖と、緑々した木々を眺めながら・・・
昼食:美しい湖と、緑々した木々を眺めながら・・・

ハイランド地方の大地
ハイランド地方の大地

グレンゴイン蒸留所
グレンゴイン蒸留所

昼食:ポテトフライにケチャップで
昼食:ポテトフライにケチャップで

食後、ラテを頼んだが集合時間がヤバイ!定員が「もうお済で?」飲んで、そそくさと会計
食後、ラテを頼んだが集合時間がヤバイ!定員が「もうお済で?」飲んで、そそくさと会計

移動の間、車内のBGMはスコティシュロックが流れた。陽気なガイドさんは、昔の物語を一人二役で面白く語っていたようだ。

「なぁお前、このお城を知ってるか?」
「知ってるともさ、ジェームズさんのお城だろ!」
「ジェームズさんって、お前 誰に向かってホザいてんだ?」
「・・・」
「ジェームズ3世閣下だぞ」
「閣下? あのオッサンが」
「オッサンとは、なんだ!」
「だって、額縁の人物見て」
「お前ほんと教養ないな?」
「うるせぇな、ほっとけ!」

と、言ったかどうかはわからなかったが、彼女の口調からそう聞こえた。
参加者から時折、笑いがこぼれる。

”ウィスキー! ウィスキー!!、ウィー・アー・ウィスキー!!!”

この音楽が車内に何度流れたことか。スコティッシュロックバンドが奏でる演奏にバックコーラスの歌声が流れる度に、ガイドの彼女は演奏に合わせて首を横に振り、復唱しながら右手を大きく振り回しながら歌う。

「(彼女は本当に、ウィスキーをこよなく愛してるんだな・・・)」

バスは最後の訪問地、ディーンストン蒸留所に着き一通りの説明を受けたが、さすがに蒸留所での説明にはもう飽きた。ツアーを終えて、早めに建物に出て周りの景色をカメラに納める。

駐車場へ向かった時にバスの運転手が喫煙所へ向かっているのが見えたので、一緒に”同席”することにした。40代の後半に、濃いブロンズの髪は短く中肉中背で、顔の表情から見て落ち着いた面持ちだった。バスを乗り降りする時や、ランチの席でもガイドさんとの席の隣だったので、彼は自分のことを端から見ていたと思う。もっとも東洋人の顔立ちは西欧では目立つので致し方ない。

「あなた、日本の方でしたね」
「そうです」
「実は、昨年に日本へ行ったのです」
「本当ですか! それはうれしい」
「日本の料理は最高です」
「そうですか」
「それにウィスキーが非常に美味しかった」
と、ここまで聞いて思わず”響”と尋ねた。

「・・・ ? ヤ・マ・ザ・キ!」
「おう、ヤマザキ!」

思わず、握手をした。
(実のところをいうと、”余市のニッカウィスキー・シングルカスク”と言いたいところだったが)

こういう場面で、たまたま知り合った同士が同じ価値観を共有することなんて滅多にないことだと思った。これがこの旅での成果だと思う。自分が予期しない所でもたえず、地球の自転は自然に作動している。それに自分が一緒についていけてるか。

「(こんな出会いもあるもんだ。旅はこうでなきゃ楽しくないもんだ)」
と、心の中で叫んだ。
彼は、スコッランドが輩出した英雄で永遠の映画俳優ショーン・コネリー似の人物に思えた。

バスは次に最後の訪問地であるディーンストン蒸留所へと向かう。車窓からの風景は、今ここにいるせいかもしれないがスコットランドの大地そのものだった。オランダやスイス、チェコそれにドイツで眺めた風情とは少し違った印象を受けた。

「(これはなんでなんだろう・・・)」

前者たちのようにアルプス山脈を背景にして眺めるのとは対照的に、英国独特の荒々しい大地を見るにつけ、同じヨーロッパ大陸の一部とはいえ全く印象が違って思える。

「(放牧されている動物達が、違うのかな?・・・)」

ヨーロッパ内地でも羊の放牧姿はあちこちで見えたが、違いはわからなかった。ただ、英国の緑の色が深く鮮やかであったイメージは今までの旅と同様にある。 大きな山がなく牧草地が延々と続き、牛や羊達が放牧されている、そんなのどかな風景だった。晴れ間が出たかと思うとしばらくして曇天の空に変わる。時折小雨が降ってはすぐに止む。そんな気候が独特でまさに今、スコットランドに来ている実感が湧くのである。

「ウィスキー! ウィスキー!!」

この音楽を聴くと、この地のスコッチウィスキーが全世界の人達の賞賛を得ていたのだと思う。自分もその中の一人であると勝手に自画自賛する。

ディーンストン蒸留所
ディーンストン蒸留所

ハイランド地方の大地
ハイランド地方の大地

蒸留所の貯蔵庫
蒸留所の貯蔵庫

ハイランド地方の大地
ハイランド地方の大地

暮れかけた夕陽を背に、トボトボとウェバリー駅の方へと歩いた。外気は少し生暖かだった。幾度かバスの方向を振り返ったが、往来する人通りに消されてバスの姿も次第に小さくなっていった。

「(そう言えば、彼女の名前をうっかり聞きそびれてしまったな・・・ 多分、"キャッシー"という名ではなかったのかなぁ・・・)」

心の中で勝手にそう思う。陽気で闊達、活舌に秀でて誰からも影響を受けない。自分の信念を持ち合わせた偉大なスコッティ娘だった。

18時35分
ニュー・タウンの電車道沿いにある長細い公園へ行く。夕暮れのひとときを人々は散歩しながら楽しんでいた。エディンバラ城を背景にデジカメに撮る。しばらくベンチに座って今日一日の余韻に浸った。

「時間だ、ここを出て行ってくれ」

中年の警備員らしい男性が近寄って言った。時計を見たら19時近くを差していた。どうやら閉園時間になっていたようだ。慌てて園外に出て、スマホで翌日のエールフランス航空ディパーチャー予約席の手続きをしようとしたが、手がかじかんで思うように動かない。一旦ホテルに戻って自室で操作予約をすることにした。

19時10分
なんとか、羽田国際空港へのフライト指定席が取れた。機内後方の通路側だ。後を気にしないでのんびりと足を延ばして座れる。足が吊っても後ろのトイレ辺りで足を延ばせばよい。旅行会社のI氏から、フライト30時間前からネットでのリザーブが可能と情報をもらっていたので助かった。

20時00分
ディナーの買い出しに出掛けた。レストランやピザ屋はあるものの、日本と違って、いろいろな料理店やコンビニエンスに自動販売機もない。以前は小さな店で、サンドイッチとチーズに缶ビールで済ませた。その店がもうなかったので、昨晩と同じスーパーで同じ食材を購入することにした。

滞在最後の夜なので少し遠回りをして散歩をすることにした。スーパーから3ブロック先の交差点を右折してくだんのボビー像の方へ歩く。人通りは少なく、行き交う車はまばらだった。石畳にタイヤの音が当たり"パタパタ"と鳴り響く。これもヨーロッパならではの音響効果と思う。

日本のようになんでもあり、欲しい物はいつでも手に入る。昼だろうが夜だろうが、買物に不自由はしない。帰宅時にちょっと疲れたと感じた時は息抜きにサウナがある。カプセルホテルだってあるし、シティホテルに1泊してもいい。映画館もあればパチンコ屋も大盛況である。こうした日本の文化がいいかどうかわからないが、外国の人達からしてみると街中の華やかなネオンの多さや交通機関の便利さに皆、驚愕しているようだ。美味しい日本料理がどこでもいただける、こんな国は世界中を探してみても数えるくらいしかないだろう。

「(この不便さもヨーロッパのよさの一つか・・・)」

ホテルに戻ってゆっくりとバスタブに浸かり、0時10分に就寝した。

ニュータウン:プリンスズ・ストリートガーデンより
ニュータウン:プリンスズ・ストリートガーデンより

夕食:まともなビールが飲めて、ハムとフルーツが美味しい
夕食:まともなビールが飲めて、ハムとフルーツが美味しい

夕暮れのエディンバラ
夕暮れのエディンバラ

【 4月21日(金) 】

4時40分 起床
「なんか・・・喉が、いがらっぽいな」

ヘアドライヤーは交換されていたので使えたが、部屋の暖房は相変わらず操作方法がわからず、そのままにして眠ったので夜中に体が冷えたのかもしれないと思った。ウトウトして二度寝をしてしまった。

7時10分
3回目のブレックファスト さすがにメニューにも飽きた。もうメインディッシュの真ん中にハギスはいない。一回り小さな皿にしてチーズとハムにビーンズ、それに焼いたトースト2枚にジャムとマーガリン。これで十分だった。そそくさと済ませて部屋に戻る。

TVで今日の天気予報を見ながらバスタブに湯をくべる。少しでも体を温めようと思った。トイレの流水は心なしか、勢いがなくなってきたようだ。

朝食(3日目):もうこれで充分
朝食(3日目):もうこれで充分

8時30分
今日のスケジュールをイメージしながら外出の準備をする。バッグ2つの衣服類や小物類はすでに納めた。あとはウィスキーのミニボトルを購入して完了だ。天気予報では時々晴れ間が出ると報じていたが、窓からの眺めは曇天だった。

「独特の天気なので、その内に晴れるだろう。念のために傘を持っていくか」

もう何日同じ格好をしたのだろう。スラックスとシューズは何度か履き替えたが上着は持ってきた分の全部を着たものの春先の薄着だったので、外気にさらされるとさすがに堪えた。しかし、アイラ島で購入したマフラーはゴワゴワしたが大活躍した。

「まずはカールトン・ヒルから行ってみるか」

14時までにはエディンバラ空港へ着かなければならなかったので、荷物を預けたホテルの近場での探索に留めた。オールド・タウンへ寄ってウィスキーの買物をし、トラムに乗って空港へというスケジュールだった。

まずはカールトン・ヒルへ。今にも雨が降ってきそうな空模様で、気温は低かった。今頃は10℃を下回っているだろうと思った。6年も経ったが記憶は残っているもので、当時と全く変わっていないことに懐かしさを感じる。丘に上がると数人の観光客がいた。当時は中国人が多かったが今は見かけない。

時折横風が吹き身震いをする。頂上から一周して眼下の情景を眺めた。

「当時と全く変わってないな。これがヨーロッパなんだな」

観光客の人に写真を撮ってもらう。一通り回って下の脇道へ行った。石段を下りて右に折れると細い小径があり遊歩道になっている。以前にも訪れた場所だ。しばらくの間、下界の街並を眺めていたらこの旅の終わりを感じる。

「(もうおわりか・・・)」

ジェフリー・ストリート
ジェフリー・ストリート

カールトン・ヒル
カールトン・ヒル

カールトン・ヒルにて
カールトン・ヒルにて

朝焼けのエディンバラ
朝焼けのエディンバラ

カールトン・ヒルの小径
カールトン・ヒルの小径

CROSEからJURY'S INNを望む
CROSEからJURY'S INNを望む

1993年 オランダでのデン・ハーグ公園で遠くの宮殿を背景に静かに暮れていく夕暮れを見て哀愁を感じた。2009年は同じくフォンデル公園にて暮れてゆく空を寝ころんで眺めた記憶、2010年はスイスのローザンヌを訪れた時に、夕日に落ち葉が舞い散る中で歩いた坂の小径、2011年は最初の訪問地チェコの最終日、雨のプラハで城からの石段をゆっくりと降りていた時に感じた哀愁。それとロンドンのハイドパークで見た大きな夕陽。どれも懐かしく想い出される。

旅をする時に、予めその土地を連想するミュージックを決めていた。昔はウォークマンだったが、今はICプレーヤーを絶えず身につけて音楽を聴く。帰国した後に聴き直すと、旅先で見たこと感じたことが脳裏を過ぎり感慨にむせることができるのである。アムステルダムでは「山下達郎」、チューリヒは「小野リサ」、シュツットガルトでは「T・スクエア」。そして、ジュネーヴのロマン湖畔は「ミッドナイト・JAZZ」ロンドンやエディンバラでは「エルトン・ジョン」。今回のアイラ島は「ジェームズ・テイラー」だった。

12時10分

ホテルに戻り、預かってもらっていた荷物を受け取った。

「グッバイ、エディンバラ!」

12時50分
トラム停留所にあった自動販売機でチケットを購入しようとしたら£5、5だった。小銭入れには£4たらずしかなかったので、目の前のセント・アンドリュー・スクエアの脇にあったコーヒーショップでラテを頼み、小銭を揃える。

この場所も昔、最終日に立ち寄った場所だ。当時は公園内のベンチで若者がハンバーガーを頬張っていた時に、カモメが横にやってきてお裾分けをねだっている瞬間をデジカメに収めた。散歩をする若い家族連れやカップルも被写体に入った。今回も何枚が写真を撮る。

しばらくテラスの椅子に座り、空を見上げ流れゆく白い雲を眺めながらのラテは美味しかった。その時、もうこれで本当に終わりなのだという切ない実感が湧いてきた。

13時19分
サッサとトラムに乗り込む これで予定の14時前にはエディンバラ空港に到着出来る。トラムの窓は大きく、太陽の光が車内に降り注いでいる。乗客達はのんびりと窓の外を眺めていた。

セント・アンドリュー・スクエア
セント・アンドリュー・スクエア

トラム:エディンバラ市内 → エディンバラ空港
トラム:エディンバラ市内 → エディンバラ空港

セント・アンドリュー・スクエアでの風景
セント・アンドリュー・スクエアでの風景

13時52分 エディンバラ空港着
あっという間に着いた。ゆっくりと車窓からの景色を眺めていたつもりが、この8日間の想い出に浸って、頭の中がグルグルと回り全く覚えていなかった。辺りは入国した人や出国する人達で溢れている。寝ぼけ眼を擦りながら、重い足取りでトボトボと港内の入口に向かった。

14時15分
とりあえず、出国出続きを最初にしようと自動発券機の所へ行きボーディング・パスを入手する。16時40分ディパーチャーまで少し時間があったので、ランチがてら喫茶コーナーに入った。思わず小銭入れの中身を数えながら、"スコットランド硬貨"を使い切らなければならないと思った。紙幣は午前中に購入したスコッチのミニボトルセット3箱分の支払いでなくなっている。

まず、目についたハムサンドをトレイに置いて、残りの硬貨で足りるドリンク類を見定める。後ろに立っていた男性客は、怪訝そうに自分の後ろ姿を眺めていた。うまく勘定が想定内に納まってレジで精算し窓際の席についた。外は相変わらず沢山の旅行者が行き来している。後ろを振り返ると、2階立てのリムジンバスが見えた。

「(そういえば、6年前はあのバスの2階席で小雨が降る中、エルトン・ジョンの“ユア・ソング”を聴きながら市内に向かったんだなあ・・・)」

ジで会計をした時に、若い女性が「今、暖めますね」と言ったハムサンドがテーブルに運ばれる。口に入れると非常に美味しかった。こんがりと焼けたトーストに挟まったロースハムとチーズが、うまく解け合ってなんだか幸せな気分になる。しかし、それと一緒にオーダーした7'UPサイダーいちご味は合わなかった・・・

「さぁ、行くか」

15時30分
出国出続きで列に並ぶ。手荷物及び身体検査機の横に立っていた検査官達の目線は一応に厳しかった。最後に渡欧した2011年以降、ヨーロッパやアメリカの主要都市で頻繁に発生したテロによるソフトターゲット襲撃事件は、警察官・検査官達にとっては威信にかけてでも犯行を阻止しなければならない。特に液体の機内持ち込みには厳しい規則が設けられ、20cm四方の透明なビニール袋に一人一個が制限とされた。身体検査機械にパスしてもさらに男性職員から呼び止められ、脇の下から股の間まで手で触られてチェックする念の入れようだった。

「あなた、ちょっと待って。この荷物はあなたのかね?」
40代で背が高く、赤ら顔の目元がきつい検査官から呼び止められた。

「なにか」
「バッグから荷物を出して」

ウィスキーのミニボトルが検査に引っかかったと思った。入国の際にジェル類で機械に引っかかったがパスしたので、これしかないと思った。ミニボトル3箱を出すと検査官はあらためてバッグを機械に通した。それを見て職員室からビニールの袋を持ってきた。

「これに入るだけの瓶しか持ち出せない。詰めてくれ」

しぶしぶ箱の蓋を開け始めた時、検査官はしびれを切らして中に入っていたボトルを一個ずつ外し、袋に詰めていった。

「(6年前は許してくれたのにな・・・)」
月日の流れを感じる。

「(あぁ、残りのウィスキーは、この職員が自宅ででも持ち帰って賞味するんだろうな・・・)」

16時40分

AF1487便は、定刻通りのディパーチャー

18時30分
シャルル・ド・ゴール国際空港にアライバル しかし、時差の関係で実際は19時30分となる。その間、機内で何を考えていたのか思い出せない。頭の中は没収されたスコッチウィスキーのことで一杯だった。

20時00分
"L24"ゲートと電光表示板に出ていたので移動することにした。この空港は広すぎて、ヒースロー国際空港と同様に迷子になりそうな造りだった。現在のKゲートからの移動のためトラムに乗る。

「そう言えば、ヒースロー国際空港からアムステルダムへ戻る際に、ターミナルを間違えてトラムを乗り換え、冷や汗をかいてえらい思いをしたな。あの時は、持ってきた扇子が大活躍したっけな」

20時20分
Lゲートに着き、早速トイレで着込んでいたシャツやタイツを脱いでソフトケースに仕舞う。体が軽くなった分、重苦しかった気持ちも少し楽になる。近くの売店でお土産品を購入しても時計を見たら、まだ21時30分だった。

「(ディパーチャーまで、あと2時間か・・・)」

広い空港内でカートを押しながら"探索"するにも限度がある。段々と店の明かりが消えていき、世界各国へ向かう乗客の数も次第に減ってきた。ベンチに座り、ミネラルウォーターを飲みながら今日の行動をメモに記録したが余り身に入らない。23時近くになって取り残された乗客は、自分たちと韓国の仁川空港行きへの乗客のみとなる。

エディンバラ空港
エディンバラ空港

スコッチウィスキー
スコッチウィスキー

23時25分のフライトを待つ
23時25分のフライトを待つ

エディンバラ空港内(昼食):店員さんが温めてくれた“ハムサンド”は美味しかった
エディンバラ空港内(昼食):店員さんが温めてくれた“ハムサンド”は美味しかった

シャルル・ド・ゴール国際空港:21時36分
シャルル・ド・ゴール国際空港:21時36分

23時25分
AF274便は元気よく飛び立ったが、心の中は待ち疲れて元気がなかった。真夜中近くのフライトだったので機内も外も暗い。唯一、最後部座席の右通路側を確保出来たのが救いだった。行きと同様に、日本人の中に外国人の姿を多く見る。彼らはこれから日本の旅を楽しむことだろう。

目が覚めた。窓側の窓が少し開いていたのでおぼろげながらに見たら外は快晴のようだった。トイレに行って足の屈伸運動をした。横に女性の乗客と女性のアテンダントがなにやら話し合っていた。席に戻り、デジカメを持って窓から写真を撮る。女性は自分の行動が目になったようだ。彼女と目が合った。非常口の小窓から外の写真映りを気にしているようだったので、ファインダーを見せる。

「ほら?」
「まあ、きれい」

透き通った青色の空を背景に、白い雲が筋状に写す出された画面を見せられた女性は感激してくれたようだった。その女性は、通路を行き来する度に自分を見てニコッとしてくれた。

青鮮色の天空
青鮮色の天空

【 4月22日(土) 】

18時20分
定刻通り、エール・フランス機は羽田国際空港に到着した。ハッチもすぐに開き、乗客達は次々に機内を出ていった。今回の旅は、夜から夜への離発着便だったので今までの感覚とは違う経験をした。以前であれば明るい朝に到着したので気にはならなかったが、体が夜の環境に慣れていないように感じた。

「(これって、逆時差ボケってやつか?)」

羽田国際空港は、これから海外へ旅立つ日本人や入国した客達でゴッタ返していた。アジア系の団体旅行らしい人達の中に欧米人の家族連れの姿も見た。

「まだ、19時前だからな」

毎回のことだが、帰国した記念に空港内で勤務している職員さんに写真を撮ってもらった。今回は、JALの窓口に立っていた女性にお願いした。

「すいません、帰国した記念に写真を撮ってもらえませんか?」
「・・・、いいですよ」
「ありがとう!」
「い、行ってらっしゃいませ!」
「あのう、今帰って来たばっかしなんだけど」

                                     終

羽田国際空港着:18時40分
羽田国際空港着:18時40分

【 おわりに 】

今回の旅のテーマは二つあった。一つはアイラ島の蒸留所巡り、それとスコットランドでのケルト文化に触れること。あっという間の9日間で後者は達成できなかった。考えてみれば約1,000年に及ぶケルト民族の文化をたった9日間で知ろうという考えは、浅はかだったと言える。しかし、たった半日だけだったがアイラ島の原野を歩いてみて、なんとなく彼らの足跡がおぼろげにわかったような気がした。これも体験である。言葉で的確に表現できないが、なにかしら心に響く彼らの叫びの一端が垣間見えたように思える。

最後の渡欧は2011年9月で、58歳の時だったので、この間の6年間はあっという間であった。これから先の6年間もあっという間に過ぎ去っていくであろう。ボーッとしている暇はない。ボーッとする暇があるのなら次の手を考えるべきである。衰えかけていた感性が少し蘇り、新たな挑戦へと継続していく。日本でのいわば単調な生活から飛び出て非日常的な世界に飛び込むことが必要だと思う。自分の信念に"世界への挑戦"がある以上は、進んでいくしかない。それに飽きたら終わりというところまで信念を貫いてこれからも邁進してみたいと思う。

実は、前回の3年間連続の旅で一応は海外の旅も満足した。ところが今回、あるきっかけで企画してくれた旅行会社の社長S氏の著書 "理想の旅は自分でつくる!"を拝読して気が変わったのである。いや、今まで眠っていた気を目覚めさせてくれた。

「あなた、いつ海外へ旅に行くの?」
「・・・・・」
「もう行かないの?」
「・・・、」
「行く気ない?」
「そうか、今行こう」

人生にはある時に、ちょっとしたきっかけがもとで物事は自分の予期しない方向に進むことがある。人との出会いや感性の閃きで先だと思っていたことが、まさに目の前に存在していることに気づくのである。それに気づくか気づかないかは、その人の感性の持ちようではないか。常日頃、感性とは何かと自問自答しているが、なかなか回答を見いだせない。それだけ哲学的で精神的な要素が含まれている心理学の範疇なので、人それぞれに回答があってこれだという答えが出ないのではないか。

ディパーチャーからすでに2ヶ月経ってしまったが、今感じるのは本当にスコットランドを訪れたのだろうかと思う。しかしこうして記述しているとその当時の出来事が脳裏に焼き付いているが、そのうち日常の生活に追われて記憶は次第に薄れていくかもしれない。

「なにをして来たのかな」
旅をするたびにそう思う。やらなければいけなかったことに対してうまく事が運ばなかったので、その分悔いが残るのが今までの感想だった。だから今度は悔いの残らないように旅をしようと。100%満足出来る旅は難しいので、旅人はまた挑戦をする。これは永遠の課題であり、達成するのが難しいからこそ尚、自己の成長を目指して挑戦する。これが旅の本質だと思う。

最後に、旅行業会社P・J社長のS・S氏、そして詳細な企画を提案していただいたM・I氏に感謝を申し上げたい。旅をする価値観を共有できたこともさりながら、現地で体験した人達との出会いはこれから先の糧となるであろう。

「また、旅をしよう!」
実は、これから成すべき事を3年前から企てていることがある。今回の旅はその予行練習だと思っているが、とりあえずはこのあたりで筆を置こうと思う。

                                     完

ツアープランナーからのコメント

素敵な旅行記、お写真ありがとうございました。正にこれこそが「旅」の良さですね!!いくつかのハプニングもありましたが、帰国後は想い出として記憶に残る旅も良いものです。
何よりも旅を通しての人との出会い、そして第1の目的でもあった「ウイスキー」、蒸留所を巡り、本場で味わうウイスキーは格別だったことでしょう。この度は、ありがとうございました。

ページのトップへ