エキゾチックな雰囲気漂う幻想の国 モロッコ周遊12日間

期間:2017年9月14日~2017年9月25日
Y.S 様

GON-001252

1日目

羽田から11.5hr、初めてのカタール航空でDohaに到着。
機外のタラップに踏み出した途端「暑っ」。眼鏡が曇るほどの温湿度。満席のロングフライトで頭ぼーっとして空港内へ。シンボルは、電球かさをかぶった黄色いクマのぬいぐるみ、一度見たら忘れられない異様な物体(笑)。

定刻乗継で8.5hr、Casablanca ムハンマドⅤ空港にやっと着いた。
Baggageを受け取って外に出る。約束の場所にネームカードを持った人がいない・・・・ハァ~またか。思えば人生初の海外旅行からこの受難に何度出会ったことか・・キョロキョロうろうろ、日陰に行ってしばらく周辺を見渡すも見当たらない。ヤレヤレ。旅程に書いてある携帯番号に電話をかければ、呼出音と共に大きなアラビック音楽ががなり立て、何がどうなっているやら???EドライバーのYoussefが応答するまでの何秒か、ホントにドキドキ。自分の目印を伝え、見つけるよう頼む。どうやら彼が待っていたのはターミナル2、私が出てきたのはターミナル1。出口が複数ある場合は指定しないと、こういうことになります。しかもT1とT2は隣同士で、さほど離れていないなんて、こちらは知らない。会えるまでの時間、いくら旅慣れていても心臓に悪い。

ここから車でChaouenまで5時間のロングドライブ。もう17時だというのに日が高くて暑い。羽田でチェックインを待っていたら日本人女性にものを尋ねられ、JTBの有名ツアーといっしょのフライトだと知った。Youssefが近づいていたとき、傍にいたもう一人の男性がそちらの団体のEガイドだって。世間は狭い。しかしまあ、皆とばすとばす。どう見ても過積載のトラックが前を行く。干し草を目いっぱい積んで、逆台形の形になっている。カーブの度に、右に左にゆらゆら・・・オイオイ大丈夫か。お願いだから横転しないでよ。車間距離なんて概念はここにはない。よくこれで事故らないな、と思っていたら、途中いたいた。こちらに跳ね飛ばされた車と、中央分離帯に乗り上げた車。警察が事情徴収中。思わず我が車のダッシュボードに目が行く。SRS・ABS、よしよし。

途中2回休憩。1回目は市内にある、グローバルスタンダードのカフェテリア兼GS。2回目は田舎町のローカルカフェで、トイレットペーパー持参が必須。休暇の前に同僚と話したっけ、世界のトイレ事情。経験を積んで段々用心深く、用意周到になる。日が落ちて外が暗くなると睡魔が襲ってきた。時差には強い方だけど、家を出てもう35時間、さすがに疲れた。Youssefには途中で寝たら失礼と言っておいた。案の定、右に左にこっくりこっくり、Chaouenに入って起こされた。星がきれい。明日はきっと街並みがよく見えるだろう。

しかし、街中の大渋滞、というか狭い道に縦列駐車の車がびっしりで、1車線を双方向で互いによけながらのろのろ、前が止まるとその後ろにつながるしかない。やっと小さなサークルを回ったと思ったら、Youssefが窓から後方に何か怒鳴った。警察に何か言われたらしい。もう23時過ぎだというのに人・人・人、車・車・車、いったい何なんだ??やっと隙間を確保して、今日のRiadに電話。スタッフが迎えに来るのを待つ。Youssefと明日の予定を話して別れる、おやすみなさい。

何せ旧市街の迷路の中、車は入れない。スーツケースはスタッフに引っ張ってもらい、後をついていく。夜だし、階段に狭い路地、全く方向感覚なし。明日、迷わないようにしなくちゃ。

チェックインして、部屋に入ってちょっと驚く。まあ、スタンダードクラスはこんなもんか。とりあえず、きれいなタオルとトイレットペーパー、水とお湯がでればいいか。もうへとへと・・何はともかくシャワー浴びて、ベッドの中へ。00:40 ぐったり。おやすみなさいzzz

2日目

07:00前、階下の喧噪で目が覚める。朝食に降りていくと、中国人団体。ヤレヤレ・・近年は世界中どこへ行っても彼らの騒々しさに巻き込まれる。小さなテーブルが隅っこにひとつ空いていた。プレートもフォークもなくて、申し出れば、「あそこにある」。だから、ないってば!自分で実際に見ないと納得しないスタッフ。パンとコーヒー、しぼりたてオレンジジュース(果肉と種入り)、ヨーグルトは空っぽ。30分ほどして団体が出ていくと、うそのような静けさ。嵐のようだ。時間帯が同じだったのが不運てこと。

09:00 下に行くと、Youssefが待っていた。今日のEガイドのHassanに引き合わせてくれて、明日の予定を打ち合わせてじゃまた明日ね。Hassanおじいちゃん、ジュラバを着てウォーキングツアー。ネットにはChaouenの青い街並みがあふれている。表面的にはきれいな青色の「かわいい」街並みかもしれないが。正直、子供のころ、いわゆる飲み屋街を昼間歩いた記憶がよみがえった。路地に染みついた酔っぱらいの粗相の跡、すえた臭い。そこかしこにうろつく野良猫の仕業だろう。階段の上から流れてくる掃除の汚水がスルスルと急こう配の石畳を流れ下って行く。たばこの吸い殻やゴミが側溝に積り重なる。最大の救いは乾燥だろう。高台には公共洗濯場。山からの水で洗濯する隣で、オレンジを水冷。店にはChaouenブランドのペットボトル。いったいどこで水を詰めているのか。

あまり深く考えても仕方ないけど。他の旅行記がほとんど好印象なのは、逆回りでMarrakechからスタートしてここに到着したからだろうか。意外だったのは、各戸に電気メーターと水道メーターがついていること。へえ。洗濯機はなくてもシャワーはあり、水も公共蛇口から汲んで来ればただだけど、水道代はちゃんと払っているらしい。もっとも電気メータは回っていないから、待機電力を食うような電気製品はないということ。最後にベルベル人の絨毯屋に連れて行かれた。今までの経験上、警戒心いっぱい、昔ながらの機織り機、4hr/日ぐらいの男性の仕事、刺繍が女性の仕事らしい。へえ、意外ですな。羊毛・子羊毛・ラクダ毛・植物毛!(繊維を引き裂いて使用)、それぞれ見た目と手触りが異なる。ライターで火を近づけても燃えないデモも。へえ。世界中どこにでも発送すると。まあねえ、いろんなデザインがあって見ていて飽きないけど、買って帰っても置くところないし。快く見せてくれて、ミントティー(モロッコについて初めて)までごちそうになって出てきた。すみませんねえ。

約2時間歩き疲れた。Hassanおじいちゃん、別れ際に「ドライバーが待ってるだろう」と。「いや、今日は合わない。明日迎えに来る。」「また、ここに泊まるの?」とあきれ顔。って、今朝Youssefと明日の予定話しているときに、あなたそばにいたじゃん。スポットガイドの力量は本当に個人差が大きい。ハエ・蚊よけにスペイン人が使い始めたブルーの色との説明だが、根拠不明。後から別人に聞けば、ユダヤ人由来の白青色とのこと。なんだ。覚えていることはナレーションのように立て板に水でも、こちらの質問は理解不能なこともざら。モロッコには全国をカバーするNational guideと、地域限定のLocal guideがいるらしい。日本と同じ。で、彼は後者。発音のせいで、2,3回聞き直してやっと理解できることもあり、アラビア語とフランス語の影響で何かぐちゃぐちゃ。後でYoussefに「あなたがガイドすればいいのに。」と言ったら、「できるけど、資格保持者でないからだめ。」ということらしい。資格ねえ・・

11:00 Riadに戻って一休み。小さなパティオに噴水があって、肌寒いくらい涼しい。部屋の中は薄暗く、テーブルもないので、噴水そばのソファに座って旅行記を書く。外の喧噪はないし静かだし、塩素臭がわずかにするけど(掃除の時間帯なので)、メディナより空気は良い。

12:30 Riad近くのオープンレストランでランチ。モロカンサラダ、魚のタジンに水。モロッコの平たいパン、ホブスとオリーブは黙ってついてくる。サラダは玉ねぎが多すぎ。初めてタジンを食べて、昨日Youssefが行っていた意味が分かった。脂ぎっているというか、白身魚と少しの野菜のオイル煮だ。タジンってこんなんだっけ・・写真の印象とだいぶ違うな。またおなかがゆるくなりそうだ。イスラム圏に特徴的な、てんでにばらばらのよれよれTシャツに、Gパンのお兄ちゃんウェイターで、客と区別がつかん。この時間帯の外の暑さはジリジリ。レストランのシェードはほとんど役に立たないうえ、ハエを払うのに忙しい。ヤレヤレ、予想外。ランチの後は、周辺をぶらぶら。店は連なっているけど。どこも同じようなものを売っているし、値段もない。道を歩けば、「ニイハオ→ありがと→カムサムニダ→ハロー」、はいはい。相場を知るため入ったアルガンオイル店。コスメと食用スパイスと、塗料用色粉、何でも並べて売っている。いや、いくらなんでもその埃かぶった大袋の中のスパイスを買わないでしょ。この多くの店はこれで商売になるんだろうか。

Chaouenは1泊でよかったかな。ちょっと時間持て余し気味。昨日、Casablancaで1泊して、今日観光しながらChaouenに来て1泊するのが、体力的に楽。で、明日朝、Chaouen観光してそのままFezに行くのがよいと実感。カタール航空利用の場合はこれがベストルートです。

14:00にまたRiadに戻る。ひまだ・・明日も出発遅いしねえ。まあ、昨日はかなりハードだったから今日は体を休めよう。上を見上げると、3Fの上にルーフトップがあるみたい。行って見ようと階段を上がると途中で行き止まり。メンテナンス中のおじちゃんに身振り手振りで聞くと、違う階段らしい。また下へ降りていくと、このおじちゃん、上からフロントのお兄ちゃんに怒鳴って教えてくれた。

お兄ちゃんに教わって別階段を上がると、屋上に出られた。ソファセットがアラビア風、1Fの噴水の音が聞こえて、明るくさわやかな風が吹き抜ける。向こうには、斜面に張り付いた建物に洗濯物がたなびいている。いや~いいですな、こういう思いがけないゆとりの時間。誰にも邪魔されない一人旅の醍醐味。ソファにごろんと横になって、う~んと伸びてみる。気づけば、ここのRiadの屋根には瓦が乗っている。レンガ色の瓦。

昨年の今頃は、大西洋に浮かぶスペイン領、テネリフェにいた。海の向こうにアフリカ大陸、モロッコがかすんで見えたっけ。一年後にその対岸の地にいようとは、その時は思っていなかったなあ。人生って不思議。で、思い出した、この瓦。テネリフェの古い建築物に見られたものと似ている。こんな遠くで瓦、と思ったものだ。モロッコも地理的には近いし、同じ文化の影響なのだろうか・・なんて寝転んで考えていたら、欧米人の女性が登ってきて、タブレットで写真を撮り始めた。

「いい眺めですよね。」と話しかけたら、「Wi-Fi飛んでる?」「さあ、試してないので。」ふむ、欧米人は世界のどこに行ってもWi-Fiがないと満足しない。Reviewを見れば、Wi-Fiがのろいという不満が絶えない。先進国以外の国の、しかも地方に来て、自国並みのスピードを求めるのが土台無理だとは、思わない彼ら。2020年が思いやられる。モロッコは、ピカピカのアウディとロバ引き荷車、川で洗濯なのに最新スマホ、と21cと15cが混在している。日本で凝り固まった脳みそのシャッフルには、たまにこういうところもいい。誰もいないから、ソファで横になってしばらくウトウト。と、突然の大音量にびっくりして飛び起きた!アッザーンだ、16:45。初めて聞いたのはかれこれ20年前。思えば歳とったなあ・・

街に出て、早めの夕食。チキンのケバブ、野菜スープに水。パンとオリーブがいつも通り。ハリラスープがあるか確認して入ったのに、「やっぱりない」ときた。仕方なく野菜スープ。ところがこれが意外にいけた。黄色い濃厚ポタージュ風で、飲むというより一口ずつ食べる感覚。隣のテーブルからきれいなアメリカ英語。アメリカでのクリスマスの過ごし方を説明している女性。どうやらアメリカ人と現地男性のカップルだ。こんな人間ウォッチングが楽しい。食べ終わって、ぶらぶら店を見ていたら、偶然見つけたシュッべキーアのショーケース。一つ買ってデザート代わりに頬張る。思った通りの味、というか、これどこかで食べたことある・・ごま入りはちみつ漬け揚げクッキー。思い出せない・・・もんもんとしつつ、今日はもう帰って、早く休もう。

3日目

08:00朝食。今日は、アメリカ人、ドイツ人のそれぞれ団体、後ろの席2人は日本人だ。昨日はなかった種類のパンを食べてみる。途中でミントティーが出てきたが、劇甘でギブアップ。部屋に戻って支度をしていたら、腰がひくつく。何かいやな予感。

10:30 Youssef迎え、今日はFezに向かう。車まで歩くのも辛い、前かがみで腰を抑えつつ。ああ、これはぎっくり腰だ。座ってしまえば大丈夫だけど・・ 乾いた大地、オリーブの木が点々、茶色の山肌、ほとんど半砂漠だ。飛ばす車のわきを、ロバが荷物を背負ってぽこぽこ歩いている。灼熱の大地にたたずむロバ、羊にヤギも見かけた。

12:00 モーテル併設のレストランでランチ。おなかがすかない。やっと見つけたハリラスープと、ミックスサラダでいい。味付けはどれも薄め。腰の痛みがますますひどくなる。真っ直ぐ立ち上がって歩けない。大型観光バスで中国人団体がやってきた。食べて、嵐のように去っていく。レストランの椅子2つに手をかけて、ゆっくり腰を伸ばしてみる。手を離して1歩、2歩でグきっと動けなくなる。これは、困った。あまりに辛くて、このあたりの記憶はあまり定かではない。腰の曲がった老人歩きをして車に戻る。シートに座ってしまえば、痛みはないのが救いか。

途中、予定外のトイレ休憩。試しに止まった新しそうな道端カフェ。Youssefに聞いてもらったら、使ってよいとのこと。有難い。よたよたと中に入ると、アラビックトイレが一つ。バケツで水を汲んで流す方式、でもまだきれい。2か月前にオープンしたそうな。お礼を言って出る。道端では、ザクロを売っている。日本にある赤い実と、黄色い実の2種類。今まで英語だったのに、いきなり「ザクロ!」とYoussefが言うから、こちらがびっくりした。日本人以外でそんな言葉を知っている人、初めてだ。ところで、英語で何だっけ・・・ポメ・・ポメラニアンじゃなくて、あれ何だっけ・・忘れた。

16:00 Riadにチェックイン。駐車場から近くてよかった。前かがみで歩くのも辛い。しかし、3Fの部屋、エレベータなんてものはない。ああ、よりによってこんな時に。やっと部屋に入ってから、預けたパスポートを返してもらっていないことに気づく。注意力まで散漫になっている。電話機はあるけれど、フロントが何番かわからない。仕方ないので、また階段を降りて1Fへ。すると、チェックイン用紙に記入せよという、もう上に上がる前に言ってよ。パスポートを持って部屋に戻ってベッドにそろそろと横になる。明日が不安。丸1日Fez観光なのに、大丈夫だろうか・・

洗面所を使えば、排水されない。ヤレヤレ、泣きっ面に蜂。またよたよたと1Fフロントへ。英語が通じにくい。「来て見てよ。」と、お姉さん、部屋まで来てタプタプの洗面シンクを見てやっと理解。しばらくして、巨大すっぽんを持ってきた。2,3回ぽんぽん、やっと流れるようになった。ついでにシャワーのお湯がちゃんと出るかも見てもらう。

もう階段上ったり下りたり、限界。今日はチェックインしてから周辺を歩いてみようと思っていたけど、あきらめた。腰が動かない。前回は冬だった。朝、仕事に出かけて車を降りた途端グきっと行ったっけ。その前はハワイ旅行中。床の物に手を伸ばした途端だった。今回はなんだろう。癖になるとは本当だ、全くついてない。長時間のフライトにドライブ、猫背で長いこと座っていたソファ。筋肉が固まったのだろう。

ベッドに横になりウトウト。動けるうちにシャワーを浴びて、休もう。体に不具合があると、食欲もなくなる。

4日目

7:30 階下の喧噪と腰の痛みで起きる。サロンパスを貼って寝て、いろんな姿勢を試してみたけど、ちっともよくなっていない。

08:00 そろそろと階段を降りて朝食。ここは、それぞれの出発に合わせてセッティングする定食型らしい。フレンチトースト、パンケーキ、目玉焼き、コーヒー、オレンジジュース。いたって普通。どんな食事にも黙ってついてくるホブスとオリーブはもう見たくない。腰のせいで食欲もない。昨日のランチ以来、何も食べていないのにね。食いしん坊の自分としては、かなり重症だ。目玉焼きは、半熟どころか中はさらさら、と、ほとんど固まっていない。保存状態が怪しいから食べない方が無難。

9:30 EガイドのMuhammadが迎えに来た。今日1日、よろしくね。名前そのままの風貌の彼。エジプトでこういう人をよく見かけた気がする。外にはYoussefが待っていた。「腰どお?」「う~ん、サロンパス貼って、痛みどめを飲んだけど、同じ。」何か情けなくて、ため息が出る。Muhammadも心配して「前からなのか?」。「いや、昨日から。昨日起きた時は何でもなかったのに。」 

まずは、車で王宮の正門へ。観光客たくさん。国王が滞在中のみ、門が開くそうな。今日はラバト(首都)にいると。全てハンドメイドという彫刻、アラビア語のポエムが書いてある。モロッコ全国に50以上の王宮があると、Youssefが言っていた。でも父親と異なり、気さくでFez出身の一般女性と結婚、子供2人。奥さんの写真はネットで見られる。カーリー赤毛のきれいな人だ。イスラムの世界では、写真が露出するなど全くもって「普通ではない」けれど、我々西側の人間には親近感を感じる。この後、カスバの高台に移動、町全体を見渡す。右手にRif山脈、眼下には旧市街、泊まっているRiadはあの辺、と。そのず~っと先がTanger、Gibraltar海峡、その向こうにはヨーロッパ。10年以上前にスペインを旅したとき、日帰りでTangerを観光した。思えば、モロッコの地を初めて踏んだのはその時。向こうに見えるもうひとつのカスバとは地下でつながっているらしい。へえ。

ここからメディナに行って、Youssefと別れる。まずは、セラミック工場。原料から、昔ながらのろくろでひとつひとつ成形し、窯で8hr焼いて、デザイン、色付け、の工程をひとつひとつ見せてくれた。我が地元に、そこそこ有名な陶器の町があるので、工程はなじみ深い。釉薬を塗らないのと、窯焼き時間が短いのが特徴的だ。2Fにはモザイクの作業場、1度色を付けた長方形のタイルを、ノミで様々な形のピースにひとつひとつ削っていく。それを裏返しにした型に一つ一つ、表のデザインに合わせて裏側から並べてセメントでくっ付けていく。ハア、これは根気のいる仕事だ。モザイクは、ローマン遺跡~中東~北アフリカでよく見かけるが、正直あまり興味がなかった。しかし、今回初めて作り方を理解して、高額な意味が分かった。世界各国にDHLで配送するそうな。日本人の注文票まで見せてくれた。京都の○○さん。いや~、小さな我が家には大皿もポットも置く場所がありません。薬味入れやしょうゆの小皿に使えそうなものもあるが、デザインが多くて上に乗っている食材がなんだかわからないのは、好みでない。買い物はしないけど、いい勉強になりました。

この後、細い路地のスークをMuhammadの後ろをついて歩く。Fezのメディナは迷宮と言われる。あまりに狭いので、体の大きなアメリカ人観光客は通れないこともあるって、さもありなん。迷路だ・・肉屋や魚屋もあるのが不思議。常温、直置き、ハエぶんぶん、加熱すれば大丈夫なんだろうか。こういうところで鮮度を保つ方法が一つだけある。そう、生かしておくこと。鶏は生きたまま、ウサギもいた。さすがに牛は大きすぎ、ひずめのついた生足が店先に何本もゴロン、ラクダの生首はぶら下がっているし・・・いや~他国でスークというものがどういうものか知っている自分だけど、いかんせん慣れませんなあ。生首は観光客が写真撮り放題、しかし牛の生足は店主に制止された。

だんだん歩くのがしんどくなってきたところで、Muhammadがマッサージオイル屋を紹介してくれた。いったいくらかかるのか聞くと、店主曰く、マッサージは「ギフト」で製品を後で買えばいいと。だからそれがいくらかって。しかし、痛みがひどく2Fでいわれるままベンチにうつぶせになるのがやっと。こんな状態、治せるものなら治してみろというつもりだった。おじいちゃん店主が、背中を押すから「そこじゃなくて、ここだって!」「わかってるって、言うなって。今、エネルギーを送っているから。」「わかってないから言っているんじゃん、エネルギーはどうでもいいから。この筋肉だって。」とすったもんだ。ぎっくり腰を繰り返していると、どこの筋肉がダメージを受けているのか見当がつく。白衣を着た娘さんに代わって、オイルマッサージ。息が上がるほど、力を入れてマッサージしてくれているのが分かる。言った場所を繰り返し繰り返し。時間的には10分程度、でも起こしてもらうと、驚くほど。まず、真っ直ぐ立てる、動いても痛みがない。普通に歩ける!やはり自分の思った通りの筋肉だったという確信、どの程度マッサージすれば治るかが分かったし、言った通りやってくれた娘さんに感謝。喜んでいると、店主がやってきて、オイルの小瓶をふっかけてきたので、2/3に値切った。それでも高すぎだけど、おかげで楽に歩けるようになったしね。

続いて、有名なタンネリへ。昔ながらのやり方を続ける皮革作業場だ。近づくにつれ既に臭ってきた・・もう限界。持参した活性炭マスクをつけると、いやさすがの性能。普通に鼻呼吸できる。周りの欧米人観光客はよく平気だと、まじまじ見てしまう。数メートル下では、はいだ皮を鳩フンのアンモニア液につけてから、様々に染色している。染色自体は自然素材らしいが、見学用の高台ですら、この臭気なのだから、液体に浸かって作業している人はもう、鼻も利かないのだろうと思う。着衣も汗と染液でぐっしょりに見える。人力作業で、世襲らしい。まあそうでしょうね。説明の後は、皮製品のプロモ。はいはい、ちなみに値段を聞けば、300DH、はあ?帰り際にMuhammadに言うと、気に入ったのがあれば、自分が150DHで手に入れてやると。全くここは、何が真値なんだかわからない。自分がいくら払ってもいいかの基準を常に持っておくこと。なんだかんだ言っても、「サンダル」ですから。

12:45 ランチ。狭いメディナの、さらに狭い入口。入ってみてびっくり。広々とした店内、3F建ての立派なレストラン。セットメニューが6つだけ。値段もいい。日本の普通のランチ3食分か。Pastillaを食べたかったので、それがメインのセットを注文。水のボトルのサイズの事で、ウェイターと話が通じず、ああだこうだとやり取りしていたら、隣のテーブルの男性が「英語を話すの?」と話しかけてきた。すぐわかる、アメリカ英語。カリフォルニアからの男性二人旅。一人は日本に仕事で来たことがあると。「ひとりで旅してるの?勇敢だね。」と。「このレストラン、どうやって見つけました?」と聞くと、ガイドに連れられてきたと。やはりそうか。外からでは絶対わからない。きっと外国人向け高級レストランなのだ。料理が届いてびっくり。まずは小皿に8つもいろんな前菜が出てきた。思わず「え、こんなに・・」 隣の彼が笑いながら「がんばれ。」 ナスの煮つけ、ポテトサラダ、カリフラワー、ニンジンの煮つけ、ズッキーニ料理、オリーブ、後は何だかわからない野菜の煮つけ。食べているうちにもう、おなかにたまってきた。そのうちメインのPastillaが届いた。鶏肉のパイ包みなのに、表面に粉砂糖が真っ白に降りかかっている何とも不思議なご当地料理。シャウエンにいた時から絶対食べてみようと思っていた。表面パリパリで、味は微妙。味付けが全体的にマイルドなので、粉砂糖の甘みが引き立って、料理なんだかデザートなんだかわからない。水を飲んだらもうおなかいっぱい。

隣の男性二人は、「じゃ、旅行楽しんでね。」と先に席を立った・・と思ったら、すぐ戻ってきた。何か忘れ物?と思ったら、「まだフルーツがあった」って。ということは、自分もだ。皿に大盛りのリンゴ、プルーン、ザクロ、ぶどうが届いた。ざくろは、日本で見かけない中が黄色い方。わずかな甘みで酸味なし。ぶどうは劇甘。リンゴ丸ごとひとつは、もらって帰ろう。もうおなかぱんぱん、と思ったら今度は〆のミントティーとココナツ菓子。はあ・・いい値段なわけだ、ものすごい量。常に携帯している、食べ過ぎ用胃薬を飲んでおく。勝手にサービス料が加算されて請求書が届いた(笑)。立ち上がろうとして、また腰に痛み。せっかくよくなったのに。しばらく座っていると、その形に腰が凝り固まってしまうようだ、ヤレヤレ。テーブルに迎えに来たMuhammadに、ずっと気になっていた「これ(ザクロ)の英語名って何でしたっけ?」を聞くと、Pomegranateと即答。ああそうだ!さすがNational guide、モロッコ全体で50人しかいないそうな。すっかり忘れていた単語。我ながら反省//

ランチ後はゆっくりスーク歩きの続き。狭い路地にありとあらゆる店。当然埃っぽく、派手に咳き込む地元人をときどき見かける。こういうところに暮らしていると、呼吸器系を痛めると思う。腰が本調子でないので、MuhammadがYoussefに電話、迎えに来てもらいRiadまで送ってくれた。

15:00 すぐにベッドにうつぶせになってセルフマッサージ。しばらく力を込めて揉みこむと、真っ直ぐ立てるようになった。う~ん、筋肉のコリをほぐしつつ、だましだましだな。長時間、ソファのようにもぐりこむ椅子に座る姿勢が負担になるようだ。

16:00 昨日は動けなかったので、今日Riad周辺の散策をしてみる。世界遺産のメディナの入り口、Bou Jeloud門をよく見たい。帰り道を迷わないよう、後ろを振り返り振り返り、目印を覚えてしばらく歩いていくと、向こうから学校帰りの小学生たち。ひとりの男の子が、きちんとした英語で “Excuse me. Do you speak English?”と聞く。”Yes” “What are you looking for?” と言うので、答えると、こちらではなく、あっちだと反対方向を指す。ああ、またやってしまった、いつもの方向音痴。どうやら少年たちもそちら方向に向かっていて、こっちだというので後をついていく。くねくねとしばらく歩いて、やっと着いた。礼を言った途端、”Give me money”ときた。嘆かわしや。それだけ聡明なのに、君たちは。7~8歳ぐらいだろうか。あと10年もしたら、頭の中は金と女の事だけになるんだろうか・・ため息が出る。即却下、味をしめたら大変だ。複雑な思いでRiadに戻る。

5日目

07:30朝食。昨日と違うバゲットがかごに盛られてきた。これがうま。外パリッ、中ふわっ。初めて新鮮なおいしいパンを食べた。昨日のスークでも細長いバゲットが何本も売られていた。濁った苦手なアラビックコーヒーも、温かいミルクを入れると格段に風味が出ること発見。

08:00 Youssefが迎えに来た。「腰どお?」「だいぶ良くなった。まだ完璧じゃないけれど。」警戒しつつ歩く。今日は丸1日のロングドライブ、Merzougaを目指す。道中いろいろな話のついでに、どこで英語を習ったのか聞くと、どうやら学校で勉強したわけではないらしい。でもYoussefの英語は分かりやすい。Muhammadはアラビア語特有の影響、R音がRRの巻き舌になっているが、彼にはそれがない。国内の学校より、むしろネイティブの観光客を相手に慣れていった方が、発音は近くなるのかもしれない。

09:30 Ifraneで休憩。前国王が作った学園都市。この一帯だけまるで北米の大学のよう。整然とした舗装したての道、木々がさわやかに茂る公園、ドミトリーのしゃれた建物、ゴミも落ちていない。ほっとする。これが自分のスタンダードレベルなのだと、逆に気づかされる。カフェに入って、誰かがおいしいと言っていたPommes(アップルソーダ)をゲット。観光地価格は仕方ない。大型観光バスが次から次へとやってくる。周りをひとめぐりして、休んでいるYoussefに近づくと、別の男性と話していた。HISの団体ツアーのEガイドという。恰好がいかにも、だったので、挨拶してから、いぶかしげに ”Are you wearing Berber garment?”と聞くと、“Well, I’m not a blue man. I’m wearing in blue.”とおどけて見せる。面白い人だ。後からYoussefに聞くところによると、日本人団体をよく扱うが、道の途中でベルベル人が青い服をまとって、土産物を売りに来たりすると、皆写真撮りに大騒ぎとなり、無駄な時間ばかりかかって頭を抱えていたと。で、ガイドの彼自身がその恰好をしていれば、いつも一緒にいるわけだから、手間が省けるので、ターバンぐるぐる巻きの恰好を始めたそうな・・はは、good idea! 背後のホテルのトイレに行くと、日本人がいっぱい。

一足先に先を急ぐ。10:00過ぎ、公共水飲み場でストップ。山から水を引いている、いわゆる名水の場らしく、冷たくておいしいのだそう。なるほど地元人の車がひっきりなしに止まり、ペットボトルやらタンクやらをもって、水を汲んでいる。Youssefも飲んでいたが、おなかが心配なのでやめておこう。日本の名水100選だって、定期的に大腸菌検査をしている。ここでそんな管理は望むべくもないもの。

12:00過ぎ、ランチ。ホテル併設のレストラン。こんな所に立派なホテルでびっくり。結婚式もできそうな内装。後から韓国人のグループ、日本人のグループがやってきた・・あら、Ifraneで出会った団体さんだ。ベルベル服の彼に手を振ったら、気づいてくれた。ここは意外なことにマス料理が一押しらしい。マスの塩焼き、モロカンサラダに水。塩焼きは見た目の焼き加減がパーフェクトと思ったら、はらわたは取り除いてあって、代わりに香草が詰めてあった。全体的に薄味なので、持参した醤油を垂らしてみると、味がぐっと引き立った。隣のテーブルの韓国人グループは、4人がそれぞれスマホに夢中。こんな遠くまで来ても、スマホからひと時も離れられないのね。向こうの方では、日本人団体の添乗員が声高に飲み物の注文を取っている。ひとりは楽だ。ゆっくり味わって、13:00出発。

いよいよ砂漠っぽくなって、外はカンカン照り。乾燥しきった茶色の大地、車中はエアコンをガンガンかけても灼熱のよう。それでも川があったりダムがあったり、景色は変わって飽きない。しばらく田舎道を走ったら、前方に何やら車が集まっている。何事か。徐行していくと、ありゃ、事故だ。2台の車の正面衝突。片方は中国人数人のレンタカーみたい。もう一方はオンボロ地元タクシー。ボンネットがひしゃげて、くの字に降り曲がっている。これはひどいな・・道端には仰向けに横たわった男性。ジュラバを着て、ピクリとも動かない。出血はないようだ。きっとそばにいる女性のお父さん。タクシーの乗客だろう。中国人車は、我々と同じ方向を向いて反対車線でぶつかっていることから、Youssef曰く、前の車を追い抜こうとして、反対車線に入ったところにタクシーが正面から来たんだろうって、そうね。レンタカーは、外国人観光客用だからエアバッグもついているだろうけど、相手は何せオンボロタクシー。あれだけ前方がぐしゃりだと、運転手は姿を見なかったが、顔面・腹部・ひざ下に相当なダメージだろう。追い越し中の重大過失だから、もし相手死亡なら収監だって。はあ・・せっかくの旅なのにね。おそらくアラビア語もフランス語もできないのに、大体よくレンタカーを借りる気になるものだ。

そういうツワモノというか、無鉄砲な旅行者は世界の各地に、日本人にもいるけれど、自分が気を付けていても事故った時、地元警察や医者に事の次第を何語で説明するつもりなんだろうと、常々思う。しばらく走ると、猛スピードの警察の車とすれ違った。おお、ここに地元警察署があった。それほど離れていないからむしろラッキーかも。そこから30分ぐらい走ったら、今度は救急車がすっ飛んで行った。今か・・ Youssefに「お願い、安全運転でね。」。「わかってる、心配しないで。」行き違う車1台1台に、ゆっくり運転するよう、手信号を送り続けた彼。

途中休憩した直後に地元スーパーASIMAを発見。どこかで行きたいというと、「今、寄ってみる?」と止めてくれた。ありがとう。こじんまりしたスーパー、でもHarilaスープの素を発見。これで、自宅でもこの味が楽しめる。

夕方やっとElfordに入った。ここが最後の小さな集落、あと50kmで目的地。でも結構インフラあるのね。電線もあるし、ちゃんとした建物も宿泊施設も。Youssefに今日の宿の事を聞いたら、通常は客と同じホテルで部屋を用意してくれるらしいが、万が一満室の場合は別の所を探すと。ここに戻ったことも有ったと。え?私を降ろしてまた50km運転して戻るなんて、それはきついでしょう。丸一日運転しっぱなしで、疲れているはず。なぜ今問い合わせないのかと聞くと、チェックイン時に聞くのが慣習らしい。

18:00 ホテルにチェックイン。日が陰ってきたので、部屋に荷物を置いて、急いで裏手の砂丘にあるいていく。ラクダツアー用のラクダと、その遣い手がいる。フンを避けながら歩くと、その中のひとりが日本人か韓国人か、となんやかんやちょっかいを出してくるので、「ついてこないで。ひとりにして。後でね。」と振り切って、歩く。砂丘のはるか向こうにも小さな人の影。ちょっとあそこまでは無理。さらさらのきれいな砂丘の上に立って、サンセットのグッドタイミング。とうとう、サハラ砂漠の隅っこに足を踏み入れた。うすピンク色に染まる砂丘の山々に、なつめヤシの木が一本だけ、すくっと生えている。静かな、生暖かい穏やかな時間。しばらく眺めて、パウダーサンドを土産にちょっともらって引き返す。ホテルについて、正面にまわると、我が車がそのまま停まっていた。よかった、Youssefは部屋が取れたんだ。

20:00 夕食。ここはハーフボードだ。大団体がほとんどで、夕食会場は、かしましいことこのうえなし。大声で騒ぐわ、歌を歌い始める団体もある。大体どの国のレストランに行っても、「何人?」と聞かれ、「1人」というと、都市部でない限り、目を丸くされる。慣れているから、何ともない。ひとりでゆっくり味わった方がよい。料理の種類は多く、ハリラスープ、各種サラダ、肉料理もチキン、ビーフ、ラムとそろっている。デザートのケーキ類もいろいろ。久しぶりに夕食をたっぷり食べた。出来立て新鮮で、満足満足。砂漠の中にあるカスバ風ホテル。全く期待していなかったが、どうしてどうして。広い部屋、TVはCNNからアルジャジーラとチャンネル豊富、冷蔵庫もある!スタッフも海外旅行客に慣れていて、客さばきがスムーズ。快適だ。シャワーを浴びて、ニュースを見て、おやすみなさい。

Sahara Dessert
Sahara Dessert

6日目

07:00 朝食。クロワッサンがおいしい。オレンジジュースとコーヒー。

08:30 部屋の外に出ると、baggageを運ぶスタッフが待っていた。まあ、手際の良いこと。フロントでカギを返してチェックアウト。Youssefはいつもオンタイムだ。昨日部屋が取れたことを確認。「気にかけてくれて、ありがとう」と。いえいえ、何かもうツアーメイトの気分ですから。今日はカスバ街道を通って、Ouarzazateへ向かう。さよならサハラ砂漠。もう2度と見ることはないだろう、一期一会。

午前中は、車の窓を閉めたままでちょうどよいくらい涼しい。暑くならないうちに2時間ほど爆走して休憩。走り出したらすぐ警察の検問。Chaouen→Fez、Fez→Merzouga、まあひっきりなしに検問やらスピードチェックがある。車種が観光用で、隣に外国人旅行客の自分が乗っているので、今までスルー。日本でよく見かける”Baby in car”の代わりに、”Foreign tourist in car”のステッカーでも貼っておく?と笑ったものだ。ところが、である。この日は止められた。ちょっとドキ。免許証だの、何だかいろんな証明書のようなものを見せて警官と話しているYoussef。アラビア語でちんぷんかんぷん。そのうち、車から降りてパトカーまで来るよう言われたよう。ああ、どうかペーパーワークにミスがありませんように・・心の中で祈る。こういうところの警察は、失礼ながら、何にいちゃもんをつけてくるか知れたものではない。スピードは出していなかった。車にひとり残されて、心細い。こんなど田舎で、どうしよう・・と、もう一人の警官が近づいてきて、窓越しに私に笑顔で手を振るではないか?? ひきつりながら、満面の笑顔で手を振りかえしてみた。しばらくして、パトカーからYoussefが戻ってきた。どうやら問題なかったらしい。フレンドリーに警官と言葉を交わして、走り出した。あ~よかった。

「大丈夫?何がどうして私たち、止められたの?」と聞けば、「いや~別に。ホームシックだよ。」 は? どこから来たのか聞くから、Casablancaからと言ったら、「おお、Casabalanca。Casablancaの人間はいい。」、「隣にいるのは、中国人か?」、「いえ、日本人です。」、「おお、日本はいい国だ。」的な会話だったらしい。何でも、警官もCasablanca出身で、家族ともどもこんな辺鄙な田舎に赴任しているらしい。給料もいいし、住居も提供されるから不自由はないけれど、カサブランカとここでは、違う時代に生きているように感じるだろう。しかし、都市内で勤務するいわゆる「都市警察」とは、全く別組織なので、まず戻ることなないらしい。何年か経ったらまた、国内のどこか違うところに転勤かもって。はあ、子供の将来を考えれば、カサブランカのような大都市で教育を受けるのと、こんな山の中のちっぽけな分校みたいなところでは雲泥の差だろうし、奥さんにしてみれば自分の夫の職業次第で人生が全く違うものになるということだ。まあ、いろいろご事情はおありでしょうけど、おかげでこっちは肝を冷やしたわよ。日本の評判が良くてよかった。

楽しみにしていた、トドラ渓谷に昼ちょっと前に到着。観光客の大型バスや乗用車、物売りで混雑している。何か想像していたのとは違う。もっと、道なきところをずんずん進んで、岩場に出るのかと思ったら、舗装された道路からすぐなのであっけない。歩きながら写真を撮る。川の水は冷たい。日曜には地元の人がピクニックにやってくるので、さらにごった返すらしい。突き当りにある2件のレストランとホテルは今はクローズ。何でも、何年か前に日本人団体がランチ後、離れて10分もしないうちに、大きな落石事故があり、建物の天井を突き破ったそう。う~ん、切り立った崖の真下だものね、危険そうに見える。

その後近くのレストランでランチ。夕べの食べ過ぎがまだ尾をひいているのに、セットメニューか。スープ、チキンのクスクス、フルーツ、ミントティー。ハリラスープを望んでも、「今はない、野菜スープのみ」と、このパターンが多い。中国人団体客が先客。ものすごい勢いで、わーわー食べて嵐のように去っていく。いなくなって静かになった。しかし、おなかいっぱい。オレンジとぶどうはもらって帰ることにする。Efraneで会った日本人グループも後からやってくるらしい。

15:00 バラ製品の店でラスト休憩。客は自分だけ。数本パックが多いが、こういうコスメ類を土産に買って行っても、日本人女性はまず使わない。パッケージが日本の化粧品のレベルではないことと、その価値が分からないからだ。なので、自分用に1本ずつ、交渉してばら売りしてもらう。これで十分。道中、Youssefといろんな話をした。彼自身の経験、旅行業界の諸事情、モロッコと日本の相違点etc.. 

道すがらの小さな村では、女性は今でも、目だけ出した真っ黒アバヤを着ていたりする。モロッコの他の地域では、女性は結構カラフルな色のジュラバを着ているから、かなり異色だ。かと思えば、顔は出しているが、黒いアバヤの上にレースの大判白布をまとっている村もある。思わず、「う~ん、なんかカーテンみたい。」といったら、大うけ。Youssefと男仲間の間でも都市部の人間から見れば、「あそこの女性たちは、どうしてカーテンを体に巻いて歩いているんだ?」と言う話になっているらしい。で、その先はメンズトークなので、書かないでおこう(笑)。まあ、そのぐらいしか、おしゃれのしようがないのよ、きっと。

橋を渡れば、厚手の毛布のようなものがガードレールにたくさん引っかかっている。これから寒くなる前に、はるか下の川で洗濯したらしいその量が半端でない。これをたらいに入れて頭に載せて、左手で抑えて、右手は幼子の手を引いて帰っていく女性の後ろ姿。何という重労働。トヨタのランドクルーザーと、木製荷台を引いた馬車が普通にすれ違う。頭の中がシャッフル、シャッフル。どんな環境に生まれ育ったかで、人の人生はかくも異なるのだ。

16:30 Ouarzazateに到着、ホテルチェックイン。至って普通のホテル。車の中はクーラーも効かないほどの灼熱地獄だったし。ちょっと熱中症気味か。部屋の温度を20℃に設定して、急冷。体を冷やそう。なんか今朝からおなかがゆるい。食べ過ぎで消化不良か。胃薬と正露丸を飲んで、しばし仮眠。今日も夕食付だけど、パスする。大食漢の自分が、前代未聞。腰がやっとよくなってきたのに、今度は胃腸か。日本を出て初めて、バスタブにお湯をためて浸れた。あ~ごくらく、ごくらく。おなかと腰を温めて、さっさと寝よう。

View Oasis

7日目

07:30 朝食。どこのホテルもクロワッサンがおいしい。コーヒーと、シュガーレスのミントティーがあった。ラッキー。おなかの調子はあまりよくない。

09:00 出発。ホテルスタッフが、オンタイムでbaggage downに来た。どこも観光客の扱いに手馴れていて、心地よい。ホテルのすぐ近くのタウリルトカスバを外からちょっと見て、今日はMarrakechに向かう。しばらく走ると、右手に大きな、Atlas Corporation Studiosが現れた。映画撮影所だ。なぜか入口には、エジプトのファラオやスフインクスもどきが見えた。ワルザザードは、映画撮影時にはスタッフのベースになるらしい。なるほどね。

09:45 世界遺産のAit Ben Haddouに到着。大きな川の対岸にそびえ立つ、日干し煉瓦つくりのクサル。今は干上がった、水なし川。遠くに立派な橋が架かって、車が行き来している。増水時は、ラバに乗って渡るのだそう。へえ。Youssefはここで待っていると。はるか彼方のてっぺんに見える小さな四角い建物。あそこまで階段で行けるからと・・え、あんな遠く。まあ、行けるところまで行くか。

とにもかくにも歩き出す。石畳の下り坂。腰に痛みはないが、慎重に。両側に小さな店があって、なんのかんのと暇そうな店主が声をかけてくる。ずんずん下って、干上がった川に出た。こんな大きな川の川底を歩くなんて、不思議。対岸に渡って、城壁を右に回り込んで、敷地内へ。崩れかけた石段がずっとくねくねと続いている。誰もいなくて時々どちら方向に行くのか、迷う。ともかくも上を目指せ。日頃の運動不足がたたって、結構息があがる。途中の展望台に出たら、男性がひとり、一休みししていた。写真を撮ってもらう。ここからの眺望は素晴らしい。さっき渡った川底と対岸の景色、遠くの山々。モロッコのそそり立った岩肌は、地層が斜めにはっきり見えるところが多い。ここの周辺は緑色の地層帯が特徴的。化石が取れることから、かつての海底が隆起してできたのだ。地域によって、岩石の色が異なり面白い。岩石の種類は何だろう。しばし休んで、もうひと踏ん張り。汗ばみ、ぜーぜーしながらやっと頂上にたどり着いた。よくぞここまで来たものだ。車を降りたところは、はるか彼方、小さくて見えないくらい。町全体が一望できる。確かにこれは要塞だ。しばらくして呼吸が整ったので、下りることにする。下る方が、ひざと腰への負担が大きく、だんだん腰が痛くなってきた。川底を渡り、今度は上り坂。腰を押さえつつ、歩いて戻ると、Youssefが「どうだった?」 、腰がしんどく思わず「いや~、疲れた。」すると、目を丸くして「多分運動不足だね」って、全くですよ。長距離移動で、車に乗ったきりだったし。今日はいい運動になった。

しばらく走ると、いつもの検問。通り過ぎようとしたら、止められた。「え、また?」警官が、Youssef側から覗き込んで、こちらを見た気がした。その後行け、と手を振ったので「何だったの?」と聞けば、彼曰く、私が日よけのために薄手のジャケットを体にかけていたので、シートベルトをしていないのでは、と疑われたのではという。ああ、なんだ。

12:30アルガンオイル店で、実演販売。店に入ると呼ばれたのが、日本語ができる女性定員。何か余計なお世話なんですけど。これがまた早口で、機関銃のように説明する。「これが○○、これは▽▽、そっちは××、これは□□にいい・・・」。はい??  で、どの商品が何に効くって?多くの商品があるのに、矢継ぎ早に言われても、手に取る暇なし。聞き直したりして、じれったくなり、しまいには、「あなた、日本語どこで勉強しました?」「自分で、ここで」「あのね、とても上手なんだけど、早口すぎるから。もう少しゆっくり話して。」と英語でいうはめに。要は、自己流で勉強したフレーズを、何百回も繰り返していると、「寿限無、寿限無、後光の擦り切れ・・」ではないが、意味を考えずに口が勝手に動くようになる。聞いている相手の反応などお構いなしに、フレーズをわーっと吐き出す感じだ。英語は、彼女の物になっていて、ちゃんとこちらの言うことを聞き、自分で考えて応答するから会話になるということ。で、結局、英語に切り替えて自分の欲しいものに絞ることにした。スークよりは高いが、まがい物ではないのは確か。ちょっと端数を切ってもらって1本購入。

買い物の後、隣のレストランへ。さて、おなかはすかないというか、時々しくしく。何か軽いものと、モロカンサラダとフライドポテトに水。  13:30出発。アトラス山脈越えだ。2260mをピークに、後は山道のピンカーブを下って行く。いくつ目かのカーブを曲がった途端、前に車の列。Youssefが「あーあ、工事か事故だ。」前の車から人が大勢外に出て、前方に様子を見に行っている。上り2車線、下り1車線。上ってくる車なし。真ん中の車線をちょっと走って前の方に行けど、車の列は続き、全く動かない。しばらく待って、彼が車を降りて情報収集してきた。「工事だって!」はあ?

何だって観光シーズンの平日、真っ昼間に工事するわけ?見てよ、この大渋滞。はるか先の山の後ろ側に続く車・車・車。大型観光バスは身動きとれず、Youssefはついにエンジンを切った。全く、毎日いろいろ起こるな。前方では、車から降りてイスラムのお祈りを始める人も。14:10をまわり、少し動き出した。そろそろと止まり止まり、歩いたほうが早い。時間をかけてしばらく下ると、大型トラックにブルドーザーが見えた。これか!工事関係者が手信号をしている。反対車線を止めているのが分かる。しかしねえ、片側通行にしても全くやり方がお粗末だ。反対車線の列はかなりひどい。しばらく下って、また止まったところで、ちょうど隣に上りの大型観光バス。Youssefの友人ドライバーらしく、話し始めた。別の日本人団体ツアーバスで、何とここで2時間以上足止めされているらしい。

「ドライバーは、渋滞の原因分かってる?」ときくと、「うん、知ってた。別のドライバーから電話があったって。」我々とは逆ルートで、今朝Marrakechを経って、昼前にAit Ben Haddouを見て、ランチを食べてOuarzazateに向かう日程だったらしい。だってもう、14:30過ぎ。”We’re lucky”とYoussefが言う。全く。このグループ気の毒に。下りがやっと、通常スピードで動き出してしばらくすると、風のようにわきをすり抜けて、前に割り込んだ車、ヒヤッとした。「タクシーだ、全く」と、Youssefも苦い顔。このタクシー、反対車線をすっ飛ばして何台もごぼう抜き。挙句に前方で大型トラックを無理やり追い越そうとして、大きなクラクションを鳴らされていた。ヘアピンカーブで、前方が見えないのに反対車線を吹っ飛ばすなぞ、自殺行為だ。自分が事故るだけならいいが、また道をふさいで渋滞に巻き込まれるなどまっぴら。全くどこの世界もタクシードライバーは運転が荒い。

17:00 Riadチェックイン。メディナの中にあるので、車を降りて歩いていく、Youssefも道を見失うほど、入り組んだ迷路の先にある、おせじにも清潔とはいえない路地を進む。野良猫がそこらじゅうにいるし、不衛生極まりない。あちこち曲がる目印は、何と巨大ゴキブリの壁画だ・・笑えない。スーツケースを転がすのも嫌なくらいの道。「考えない、見ない」と自分に言い聞かせて、Riadに入ると、丁寧なお兄さんAbbasが迎えてくれた。明日の予定やら、最終日の時間をYoussefと念押し。車に戻るときについていくからと、ちょっと待ってもらう。部屋に荷物を置いて、必要なものだけ持って、すぐ出かける。ひどい方向音痴なので、こう5回も6回も曲がる路地を一度で覚える自信がない。ひとつひとつ再確認しながら、ジャマ・エル・フナ広場に通じる道に出た。よしよし、きっと大丈夫。

のどが渇いたので、Fna広場で、オレンジジュースとアボガドジュースをはしご。戻りがてら、チキンシュワルマを食べてみる。明日もまあ早いし、今晩はこのままRiadに戻ろう。戻るとAbbasがパスポートを見せてほしいというので、小さな事務室に入る。彼が番号を書き写している間に、部屋を見渡すと監視カメラの映像がいくつも。安心、安心。どおりで、呼び鈴で開けてくれた時にすぐ”Your room key”と手渡してくれたわけだ。タオルは毎日取り換えてくれるのかを確認。(ChaouenのRiadは、2日目はなんか湿っぽかった) 明日の朝食は別のスタッフ、Huseyinに用意を時間通りに頼んだと。はは、アッバス議長に、フセイン大統領ですか。

このRiadは、自分で探して予約を頼んだ。他の所もリクエストしたが、満室だとかでここだけ希望が通った。蛇口は最新の混合水洗で快適。エアコンも新しそう。普通に英語が通じるのも楽だ。レビューがよかったので選んだが、もう少し、表通りに近ければねえ。奥まれば奥まるほど、周辺の環境がよろしくない。

View in Ait Ben
View in Ait Ben

Tichka pass
Tichka pass

8日目

07:30 朝食。本当は8時からだけれど、出発時間を言って早めてもらった。そういえば、どこで食べるのか聞かなかった。1Fではなさそう・・いい匂いは階上から漂ってくる。階段を上っていくと、3Fに小さな台所、男性がひとり食事の用意をしている。きっとフセイン大統領だ。”Hi, good morning!” と、声をかけてもう少し上がると、屋上に出た。おお、ここがメインダイニングか。しばらくすると、クレープ、ホットケーキ風のパンケーキ、コーヒー、オレンジジュースが運ばれてきた。コーヒーを一口飲むと、ああ、いつも飲み慣れている普通の薫り高い味、おいしい。アラビックコーヒーが常なのに、めずらしい。

08:25 ミーティングポイントに歩いていく。途中、目印の巨大ゴキブリ壁画の下で寝ている男性を見た。裸足の足の裏は、真っ黒だ。朝から心が塞がれる。このMarrakechは、昼間、観光客でごった返す道に物乞いが非常に多い。若者から老人、身障者まで。社会の闇だ。

さて、初めてRiad以外の場所で待ち合わせ、しかも方向音痴だと昨日強調したので、雑踏の中、こちら方向を心配そうに見ていたYoussefを見つけた。大きく手を振ると、安心したように振り返してくれた。今日は、大西洋に面したEssaouiraに日帰りで行く。朝のラッシュを抜けて、ひたすら東へ。広くていい道路だ。2~3年前にできたとか舗装し直されたばかりとか。片道3hr。標識は場所によって、60~100kmぐらいだ。時々、スピードをかなり落として走行、と、前にネズミとり。モロッコには、日本にないドライバー間のシグナル会話がある。「ネズミとり、いる?」「いや、いない」or「いる」、「先にネズミとりがいるよ」etc.. それぞれ違うサイン。分かるようになると、ルートによっては、かなり頻繁に「会話」するので面白い。両側には、オリーブの木、アルガンの木、羊の群れ、荷台をひくロバ。途中に名物の「ヤギのなる木」。ヤギはアルガンの実が好きなので、自ら木に登って食べるから、あたかも何匹も木になっているように見える。と、いうのがオリジナルだが、実はここではフェイクらしい。観光客がMarrakechからEssaouiraに向けて車を走らせる午前中に、ヤギを木の上に乗せると。車を止めて写真をとると、撮影代を請求されるわけだ。まあねえ、道路沿いの2本にだけヤギがたくさん、ひづめであの高さに登れないでしょ。減速して、通り過ぎる時に写真を撮ったら、傍の飼い主の憮然とした顔。

Essaouira県に入ると、青と白の建物や路肩マークが出現する。タクシーも空色だ。ユダヤ人が入植して町ができたことに由来するらしい。世界の各地で宗教対立が見られる中、ここモロッコは寛容だ。イスラム教、キリスト教、ユダヤ教、アラブ人、ベルベル人、見るからにアフリカ南部からの人たちも仕事についている。もちろん、地方の村ではその民族だけの集落があるが、都市部では、それぞれの混血も進んでいるし、分け隔てなく付き合っているようだ。

11:30やっと着いた。EガイドのAzizと落ち合って、Youssefと別れる。まずは港の見学から。木製の青い小型ボートがたくさん。18:00に出向して、夜に漁をして朝9:00に戻ってくると。へえ。売られているのは、ひらめ、タイ、アナゴ、うつぼ、いわし、カニ、うに、サザエ、ロブスター、いか、たこ、かじきまぐろ、その他名称のわからない魚がいくつも。ありとあらゆる種類がある。荷台や木製の箱の上に魚を並べて売っている。売主はどれも男性ばかりなのに、女性が2人の姿が。Azizによると、夫を海で亡くした場合は、仲間の漁師が毎日海から戻ると、木箱1~2つ分の魚をただで渡すのだそう。そういわれてよく見れば、母娘のようだ。何だかせつなくなる。男性たちが、大声で呼び込みをする中、アバヤを着て黙って座っている彼女たち、売れていなそうだ。この国では、人生もインフラもあまりにギャップが大きすぎて、いろいろ考えさせられることが多い。自分がいかに恵まれているかつくづく思うし、またそれに気づく経験ができることは、自分の人格形成に大きな影響を及ぼしているとしみじみ感じる。港の高台に上って大西洋を望み、海に浮かんだ島を眺める。強風に吹き飛ばされそうなので、足を踏ん張り、昔の流民島に思いをはせる。距離はさほどでもないが、岩に砕け散る荒波では、逃亡は無理だろう。アメリカのアルカトラズのようだ。

続いてメディナの中へ入っていく。規模は小さめで、Fezのように迷宮ではない。路地も日がさして明るい感じだ。メディナの中の博物館に行きたいと、案内してもらったら、なんとクローズ!今日は金曜日。午後3時からオープンと言うが、ちょっと遅すぎ。「午後に来る?ドライバーに言っておくよ。」とAziz。Youssefと相談せねば。スカラと言う海に突き出した、城壁からの眺めを楽しみにしてきた。ところが、現在改装中で上に登れないという。そんな情報誰も言ってなかったじゃん!全く重ね重ね、いったい何なんだ。ふと上を見上げると、垂れ下がった布にスカラと思われる写真が。「あれ、スカラでしょ。ああ、もう一生見ることはないんだ・・」と、その布を写真に収めた。Azizが“There is a nice view from Skala.” などと他人事のようにいうから、カチンと来て”It should be!” と思わず語気を強めた。Azizが余計なこと言っちゃったと言わんばかりに、肩をすくめた。全くついていないというかなんというか、と、トボトボ引き返そうとしたら、傍にいたカップルが何か話していてAzizが聞き耳を立てている。「このレストランの上から眺められるらしい。ついてって。」と。カップルについて、薄暗い狭いらせん階段をのぼっていくと、3Fの上、屋上に出られた。すると、何と壁の向こうにスカラが見下ろせるではないか~!工事のミキサー車が働いている向こうに城壁、その向こうには大西洋の荒波が白波となって打ち付けているのが見える。うわっ、これってベストポイントかも。たまたまいたカップルのおかげで何てラッキー。スカラに立つことはできなかったけど、それより高い位置から全体を見渡せた。階段を下りて、下で待っていたAzizに両手親指を立てて見せた。

最後はシルバーウェアの店。店のスタッフが流暢な英語でユダヤ人の歴史を説明してくれた。1949年の顔写真入り証明書のコピーが入口に貼ってある。この時モロッコは、まだフランス領だった。この地にヨーロッパから渡ってきたユダヤ人がシルバー細工を始めて、1956年に独立。やがて彼らの80%はイスラエルへ、20%はカナダ、モントリオールへ移住したそう。へえ、知らなんだ。展示のブレスレットも、ベルベル風、アラブ風、ユダヤ風と、それぞれ特徴的で面白い。日本では全く話題にならないが、ユダヤ系の人々の歴史と問題は、非常に複雑で根深い。店の男性陣は、この系の顔立ち、英語が驚くほど流暢で、この店内だけ別世界のようだ。商才があり、成功者も多いユダヤ系、さすが。通常、加工は男性の仕事らしいが、ここでは女性にその機会を与えていると。なるほど、目だけ出した女性が素手で、手を黒くしながらひとつひとつ研磨している。隣のショールームには、シルバーアクセサリーが所せましと並んでいる。う~ん、シルバーは買って行っても、結局黒ずんでそれっきりになるからね。いや、勉強になりました。外で待っていたAzizの元へ。Youssefと落ち合う予定のレストランへ歩いていくのかと思ったら、タクシーを呼んだ。え?でも、ちょっと歩き疲れで、のども乾いていたのでよかった。空色のタクシーもいい経験。

13:30 Youssefに頼んで、車から水の大ペットボトルを持ってきてもらう。頻繁に買っていたら少しずつたまって消費しきれないので、ランチのドリンクはこれで済ますことにする。今朝もあまりおなかの調子はよろしくなかったから、脱水予防の水。ミックスフライにフライドポテトをつけてもらった。小ぶりの魚の素揚げ3匹、エビ3匹、イカリングにフライドポテトと、結構な量だ。きちんとしたレストランの割にリーズナブル。日本では揚げ物は一切食べないが、シーフードをいろいろ食べてみたくて、これにした。魚は小骨が多く、ナイフとフォークでは食べづらい → こういう時のために箸を持参した。こまごましたものを食べるにはこれが一番。外のテラス席に座ったので、風が強い。前のテーブルでは、グラスの水が倒れたほど。こんな所でも、向こうから黒づくめの女性が道路側の席ひとつひとつに、手を差し出していく。首をふりつつ、ため息。国王殿、53の宮殿もいいけど、何とかしてこの状況。物売りは他国でも見かけるが、これほど物乞いが多い国も珍しい。

Youssefの姿がないので、道路に出ると車にいた。14:30出発。博物館のことはAzizから聞いてないらしい。まあ、ローカルガイドの責任なんてこんなもん。あきらめるか。戻る途中、Amlou(アルガンオイルベースの食用ペースト)をまだ買っていないと言ったら、「え、アルガン店に行ったときに買わなかったの?味見用に3種類あったでしょ。」とYoussef。ああ、あれね。だって例の早口お姉さんが、置いてあったパンを両手でわしづかみにして、引きちぎって「ほらっ」といわんばかりに目の前に突き出すから、食気も失せた。それがAmlouとは知らなかったし、売っているのも知らなかった。”You didn’t ask her.”といわれ、ちょっと憮然。大体、説明の途中で入り口付近の男性と、どっちがきれいだ、かわいいだでふざけていて、こちらの質問も聞いていなかったし。あの時あきれて日本語で「そんなの、どっちでもいい!」と言ったほど。ヤレヤレ買い損ねた・・と意気消沈していたら、ここは道沿いにアルガンショップがいくつかあるんだった。その一つに、「ここで聞いてみる?」とYoussef. こちらがピンポイントで商品を聞いたので、値引き交渉にもならない。手ごろな大きさだったので、値札通りでひとつ購入。ジャム・ペースト類とすれば、感覚的には日本の3倍ぐらいの値段だ。まあ、アルガンの木は、モロッコだけしか生育していないので仕方ないと思うことにする。ともかくも、欲しいものは手に入った。きちんと対応すれば、昨日の店でコスメ共々買ったのに。適当に仕事をすると、客も逃がすということ。

しばらく走ると、救急車のサイレンの音。え、また事故?と思ったら、「ああ、誰か死んだんだ。」とYoussef。亡骸は専用の救急車に乗せて、墓地まで移送するらしい。そのあとを、家族・親族の車がテールランプを点滅させながら、全車線に広がってゾロゾロ。後続車は、リスペクトして追い抜かさず、後に続く。先頭の救急車はノロノロ。毎日いろんなことがある。今日は葬式渋滞か。乗用車もタクシーも、トラックもみんなゾロゾロ後をついていく。親族車は1列になって、車線を空かそうなんて頭にないらしい。しばらくそのまま、ラウンドアバウトで、別方向に行ったので助かった。道路わきには、ぶどう売り、黄色いメロン売り。その土地によって、商品が全く異なるのが面白い。あるところはザクロオンリー、またある区間はリンゴオンリーと言う具合。途中の小さな町は、どう見ても廃車にしか見えない車ばかり。テールランプが片方ないとか、バンパーがつぶれている、ドアがへこんでいる、窓という窓が埃で真っ白で中が見えないとか。おまけに車種が50~60年代か。車って所詮、「4つのゴムタイヤにエンジンが乗って、その周りを鉄板で覆っている」ということだわね。

17:30 たっぷり3時間かかって、Marrakechに戻った。市内に入ってから、前の車にひっつくからこちらは冷や冷やでしたよ。バイクともすれすれだし、「危ない、危ないって!」と思わず連呼。連日のドライブでお疲れかと思ったけど、市内はこういうものだと後で分かった。道の真ん中に真新しい車線。何と、電気バス用だそうな。ピカピカのオレンジ色の車体のバスが行ったり来たり、試験走行中。ZERO EMISSIONの文字に目がテン・・この交通ルールほぼ無用の町に、省エネの概念ですか・・・両極端で頭がついていかない。明日の予定を確認して、Youssefと別れる。今日はランチをたっぷり食べたので、このままRiadに戻ろう。ここ1~2日、朝起きるのが辛くなってきた。こちらも少しずつ、疲労がたまってきたかな。

fish stoll
fish stoll

Skala
Skala

9日目

08:15 朝食。今日は正規の時間なので、女性2人がサーブしてくれた。コーヒー、フランスパン、ホブス、卵ケーキのようなもの、チーズ、はちみつ、オリーブもあった。多量で食べきれない。

09:20 ミーティングポイントへ。ちょっと早かったか、Youssefはまだのよう。しばらく路上で待つと、やってきた。車を止める場所がなくて、奥の駐車スペースにいたと。あら、知らなかった。でも出てきてくれてよかった。今日は、大型スーパーへお買いもの。土曜で休日だというのに交通量が多い。とにかくMarrakech市内を外国人が運転するのは無理。赤信号無視の二人乗りバイク、ジュラバを着て、のそのそどこでも歩いて渡る人々、右から左から追い抜くタクシー。「あぶっ、危ないっ、危ないって!」と言いっぱなし。Youssef曰く、「これでもそんなに混雑していない。もし本気で交通ルールを守ったら、今いる場所にずっといることになる。」って。はは、そうですか。日本の我が地元は、実は運転マナーが悪くて知られる。他県の人によく言われる。そこに住んでいる、また各国の無謀運転事情を見てきた自分でさえ、ここの交通マナーは尋常でないと思う。で、案の定、また警察の姿。乗用車とオンボロバイクの事故だ。バイクのホイールが外れて、路上に転がっている。幸い運転手はどちらも大丈夫そう。全く、こんな状況では事故が起こらない方が不思議と言うもの。しかし、モロッコで初めて女性警官を見た。髪をアップにして、ガンを下げて、パンツ姿。アメリカの警官のようだ。へえ、いるのね。本当にこの国は、何もかもギャップが大きい。

09:45 Marrakechで一番大きいスーパー、地元系列のマルジャン。自分ではリサーチしきれなかったけれど、目的を話したらYoussefがこっちの方がと、提案して連れてきてくれた。1hr後に車に戻る約束で買い物。中に入ってびっくり。品ぞろえも、商品のパッケージも先進国並み、生鮮食品~衣服、食器、家庭用品、化粧品、ちょっとした家電まであるではないか。駐車場も広いし、非常に清潔、中にはMACも入っている。へえ~、こんなに洗練された施設があるんだ。モールとはいかないが、まあたいがいの日用品はここでそろうだろう。タジン鍋コーナーや、ミントティー用ポットコーナーがあって、面白い。しかもみんな、ピカピカの新品で箱に入っていたり。スークで埃をかぶったわけのわからんポットを、値引き交渉するより、格段にこちらの方がよい気がする。しかし、土産用の菓子類となると、これがなかなか、皆どこかでみたような、輸入品ばかり。

10:45 時間ぴったりに車に戻る。Youssefが電話中。アラビア語で分からないが、名詞からどうやらスケジュールの話のよう。と、電話を切って、ハマムに電話確認していたと、やはり。ありがとう。彼はいつもオンタイムだし、きちんと次の行動の確認を怠らないから、安心して任せられる。今時、日本人でも珍しい、ち密さが彼にはある。ちょっと予約時間に早いので、Riadによって荷物を置いてからハマムへ。

11:45 ハマム到着。伝統的あかすりコースを予約していたが、マッサージを追加したい旨聞いてもらった。しかし予約でいっぱいだと・・う~ん、ついてないですな。だいぶ良くなった腰。でもまだ完全ではないので、最後にもう一度マッサージしてもらいたかった。更衣室に案内され、ガウンとスリッパを渡された。ガウンの下はどうすればいいのか、わからないので別の客に「すみません、英語分かりますか? 下着はどうするんですかね?」と聞いてみた。「多分、いらないのでは?でも聞いたほうがいいかもね。」ということで、店員をつかまえ聞くと、必要だった。あぶない、あぶない。伝統コースは、ホットサウナ→オイル→ガスール→あかすり→シャワー→休憩という流れ。マッサージを付けないと、結局あかすり以外はほっておかれるだけ。室内は温度が高く、ベッドも加温されていて体勢を頻繁に変えないと、熱い熱い。でもきっと腰にはよかったかも。

あかすりは専用ミトンで、おばちゃんがゴシゴシ。これが痛い。英語がほとんど通じないおばちゃんに「フランス語はダメなの?」(多分)と、言われる始末。この国を旅するなら、アラビア語かフランス語が分かれば、もっともっとコミュニケーションが楽になるだろう。しばらく別室で体を冷やして休憩。誰も呼びに来ないので、時間が分からない、自分から出ていくと、更衣室に戻された。着替えていると、始まるときにもいた彼女が「どうだった?」と聞くので「まま、よかったかな。」「結構熱かったわよね。」(確かに)、「これって、アルガンオイル?」「ああ、そうそう、よかったら使って、ヘア用に買ったの」「ありがとう」(使ってみる)、「あなたも買った?どこで?」「えーと、OuarzazateからMarrakechに来る途中で」「そう、どれがいいんだかわからなくて・・」ドライヤーで髪を乾かしながら、こんなちょっとしたやりとりが楽しい。豊かなブロンドに、きれいなアメリカ風英語の彼女。平服なのに、店を出るときに髪を布で覆っていたので「あれっ」と思った。どこの国だろう・・きっと湾岸諸国だ。UAE、オマーン、カタールあたりか。

出口でYoussefが待っていた。あら、約束より10分過ぎていたので、心配されたかなと聞くと、「いや、車を止める場所があったから止めてきた。」とのこと。よかった。人を待つのも嫌だけど、待たせるのも嫌なので。彼は、私を最後にミーティングポイントに送り届けたら、Casablancaに戻る。明日は夕方の空港送迎だけなので、たかだか20分のために彼を丸一日、拘束するのは気の毒と思っていた。別の人でも構わないか、いやならば自分が、と昨日聞かれたとき、「あなたなら信用できるけれど、他の人は知らないから不安。今までいろいろ嫌な体験をしている。そこだけ担保してくれれば、構わない。」と。で、無責任ドライバーがいることは彼も重々承知していて、送迎は別の知りあいドライバーにアサインし、ホテルのレイトチェックアウトの件も念押ししたし、ホテルのスタッフもドライバーの事を知っているとのこと。Casablancaに戻っても、ちゃんと送迎まで、フォローするからと言うことで、了承。

空港での出会いはミスったけど、それから9日間ほとんど毎日一緒だった。いつもオンタイムで、誠実な彼、頼りになる存在だった。「長い旅の道中、本当にありがとう。本当によくやってくれました。」お礼を言って、握手をして別れる。「Casablancaまで、安全運転でね。」振り返って最後に、お互いにバイバイと手を振る。これまで様々な国を旅して、様々なガイドやドライバーに接してきたが、彼ほど安心して任せられる人はいなかった。出会えて幸運でした。

さて、のどが渇いたのでFna広場へ行って、ザクロジュースを注文。濃いピンク色の素敵な色。甘いが酸味はない。屋台の日陰でゆっくり立ち飲み。たくさんのジュース屋台があって、様々なフルーツが選べて一杯¥60~180ほど。昨日の屋台は対応が悪かったので二度と行かない。ついでに冷えた水のボトルを買ってRiadに戻る。マラケシュの午後は暑い。湿度がある程度あるせいだろう、汗がにじむ。今日は夕方に出かける予定なので、それまで休もう。

Riadに戻ると、出かけるときに追加を頼んでおいた小タオルが部屋にきちんとおいてあった。フロントのお兄さんに礼を言って、ついでに日本から持参のキャンディーを両手にいっぱい「よかったら、どうぞ。」答えは、彼の笑顔である。

18:00 さて、かの有名なFna広場の夕食に出かけますか。ランチは食べていないので、おなかの準備もOK。この時間帯、まだ仕込み中の屋台もあるので、ぐるっとひとまわり。リサーチ済みの好評版の屋台のNo.を探しつつキョロキョロ。しかしまあ、客引きがすごい。ひっきりなしに声がかかる。挙句、ある屋台のメニューを手渡されて見ていると、別の屋台からも誘いがあり、それぞれの客引き兄さん達の口げんかが始まった。「お前、俺の客にちょっかい出すな!」的な・・これはまずい。あわててメニューを返して、その場から逃げる。ヤレヤレ・・

1件目は、ハリラスープとラム肉のタンジーヤ。ハリラスープは、ひよこ豆が入っていていつもながらやさしい味。ラマダン明けにまず食べるというのもうなずける。とろみのあるトマトベースのこのスープは、お気に入り。タンジーヤはマラケシュが有名。しかしまたこれが、オイル煮。タジンとの違いは野菜の有無か。肉だけつまんで、次の屋台へ。名物のカタツムリ屋。小皿一杯で、¥120ほど。つまようじでほじくりだして食べる。つぶ貝よりやわらかく、中はやや苦味あり。触覚がみえたり・・先客のカップルは、二人ともおかわりして、煮汁まで残さず飲んでいる。と、白人男性が呼びこまれて、「いや~」と渋っている。思わず「試してみたら? 悪くないけど。」と声をかけたら、「OK」と座って恐る恐る口に運んでいた。

ぐるっと回って、3件目。今度は好評版のフライ屋さん。人気があり、カウンター席だけなのに人が鈴なり。と、目の前の男性が席を立った。ラッキー、すかさず座ると、注文していないのに料理がどんどん出てくる。心配になって「これ何?」ときくと、「ミックスフライ」だって。何か外国人には自動的にこのセットが出てくるよう。ま、頼もうとしていたのでちょうどよかったけど。揚げナスのマッシュ、トマトのメキシコ風サルサ、白身魚とイカリングのフライ、ポテトフライ、ものすごい量。地元の人は食事についてくるホブスをちぎって、スプーン替わりにすくったり、はさんだりして器用に食べる。しかしホブスは厚みがあって、なかなか扱いづらい。そこで持参した使い捨てスプーンフォーク。大体、こういうところの食器は言わずもがな、バケツの水をくぐらすだけの所もあるから、時間帯が遅くなればなるほど衛生面が心配。プラスチックの先割れスプーンで食べていると、目の前の地元人男の子が隣の母親に、「何だあれ」的な顔をして何やらこそこそ。珍しいよね、きっと。粗塩がちょうどよい加減でおいしいが、いかんせんおなかいっぱい。〆は、デザート代わりに4件目、ジュースの屋台で冷たいオレンジジュース。この甘みが心地よい。本日の夕食、全て¥1,200ぐらいか。おなかパンパンで胃薬のみ。

有名なマラケシュのジャマ・エル・フナ。人込みと屋台と、この雑踏の中を走るバイクや車、へびつかいや猿回しの大道芸人、毎晩お祭り騒ぎのこのエネルギーは、聞きしにまさる。日没とともに、ランドマークのクトゥビアモスクがライトアップされて美しい。ふと見上げると、近くの建物の屋上に人だかり。皆、写真を撮っている。あそこに行きたい。近くの店のお兄さんにどこから上るか聞いて、カフェの階段を上ると、ドリンクを買えと態度の横柄なウェイター。ドリンクを冷蔵庫から選んで、料金を払おうとしても同僚とのおしゃべりに夢中。1回、2回、隣に立って声をかけてもだめなので、3回目には怒鳴ったら、やっとこちらを向いた。全くこういう人間はどこにでもいる。しかも、自分が通路に立って邪魔で通れない。「そこ、どいてよ!」全く。テラスには人がいっぱい。皆フナ広場を見下ろして写真や動画を撮っている。日が落ちて、あちこちにランプがついて、幻想的。ずっと眺めていても飽きない。眼下に広がる、人々のエネルギーに圧倒される。これが毎晩繰り返されるのだ。

ふと時間を見れば、20:00過ぎ。さて、そろそろ帰りますか。

Snail stoll
Snail stoll

Fries stoll
Fries stoll

10日目

08:00過ぎ、最後の朝食。今日の夕方にはモロッコを後にする。過ぎてみれば早かった。でも、北から南まで、要所をほとんど網羅した大周遊だったな。山あり谷あり、川に海、砂漠もあり、15c~21cまでタイムマシンで行き来したような気分。今日は日曜、まだ誰もいない。みな朝は遅いのかな。今日のサーブはまたフセイン大統領。きっと女性たちは休みなんだろう。今日のレイトチェックアウトの事を念のため、彼に言えば、「??チェックアウトは12時だけど・・」って、ああ、頭痛い。あれほど何度も念押ししているのに、スタッフの間の周知徹底がなされていない。「予約表を確認せい!」と促し、やっと納得。ヤレヤレ。

09:30 まずはクトゥビアモスクを目指す。ちょっと曇り空で、まだそれほど暑くない。客待ちの観光用2階建て馬車がずら~っと並んでいる。何せ、石畳の街の中。馬の落し物の臭いが鼻をつく。信号を渡るとモスクだ。信号に車は止まるが、バイクは赤だろうが青だろうが、猛烈なスピードで突っ込んでくる。完全なる信号無視。しかも、皆がそう。Youssefにバイクには気をつけるよう言われたっけ。この国ではバイクにナンバープレートが付いていない。やっとカサブランカでその制度が始まったばかりだそうな。それは必要ですよ。地方ではあれだけ検問所が多いのに、都市部は手薄だ。

Marrakechのシンボル、クトゥビアモスクのくずれかけた外壁は修復中のようだ。欧米人のグループがガイドの話を聞いている。しかし、この国では、アメリカ人、ドイツ人の団体さんをよく見かける。アメリカ人は個人旅行派なのに、珍しい。モスクの上部には大きな拡声器が2つ。アッザーンを聞くのももう最後だな・・ふと、どうも周りにそぐわない電光掲示板が目に入った。近よると、何と現在の発電W数が表示されているではないか!え?このモスクのどこかに太陽光パネルがあるってこと??へえ、これぞ最先端。

Fna広場に戻って、スークでラストショッピング。バブーシュをまだ買っていない。キョロキョロしながら歩くと、品ぞろえのよさそうな店。手に取ってみる。あれこれ店主は熱心に口説くが、欲しいものに的をしぼり、「これいくら?」「400DH」、はは。店を出ようとすると、引き留めて「いくら?」と逆に聞く。「50」「ラストプライスを」・・なんのかんのやって結局70DHで購入。職場の内履きにしたいから、オールレザーの必要はない。ぶらぶら歩くと、もっと新しそうなバブーシュの品ぞろえを発見。気に入ったデザインと色、サイズもよい。「いくら?」「450DH」ふむ。「ねえ、これ見て。」とさっき買った袋の中のバブーシュを店主に見せる。「いくらだと思う?」「100?150?」というので、「あなたなら、いくらで買う?」「う~ん、80かな」ほら、それが相場じゃん。で「同じ値段なら買う」と言えば、店主、いや、こっちはいい品質だの、靴底がやわらかくてはきやすいだの、ぐちゃぐちゃ。「じゃ、いい」と歩き始めると、「OK,OK」と後ろから呼び止める。結局70DHで決着。あのね、私相手に吹っかけるなって。世界各国であなたみたいな人、相手にしてきたさ。本気なら、もう少し値切れたけど。最後のショッピングで、現地通貨も余りそうで、軽めにネゴ。

衣服店の前、ちょっと目を引いた上着。すぐさま、見るだけと店主が声をかけてきた。折り目もきちんとして、胸元の刺繍がちょっとエキゾチック。素材を聞くと、綿。そうか、ではそんなにしないだろう。買うつもりでなかったので、自分の相場「1000DH」と言ってみた。唖然とした店主。はは、いいって本気にしなくて。熱心にサイズ違いの別色のも出してきた。ふむ、じゃ2枚買うから1枚「1000」。とても承服できないという店主。もう疲れてきたので、はいはいもう結構、と出ようとすると、また後ろから、それでいいと引き留められた。日本でも普通に着られそうだし。ま、いいかな。交渉は、欲しいという欲を出さないこと、多少投げやりなくらいでいいのかも。

11:30 モロッコ最後の食事。モロカンサラダとファラフェルサンドイッチ。食べていると、ちょっと離れたところで大声が。スタッフまで店先に出てきて声の方を見つめる。男性同士、突き飛ばし、つかみ合いのけんかが始まった。だんだん見物人が増えていく。ヤレヤレ・・毎日いろいろあるな。デザート代わりに屋台でレモンジュース。ここで生ジュースも飲み納め。再両替するにも、残った小銭を使い切らねば。20DHで買えるものを探して、残るは紙幣だけ。後は空港に向かうだけ。

Riadに戻ってシャワーを浴びて、迎えの時間まで一休み。リストアップしたご当地名物はほぼ食べつくした。カサブランカブランドのビールは飲む機会がなかったけど。スーパーには、アルコール0.0%の各種ビールもどきは、たくさん売られていたっけ。さすがムスリムの国。普段飲まないから旅行中不自由なし。

16:30 オンタイムで部屋のノック。迎えが来たと。よかった。Riadのスタッフがリアカーにスーツケースを乗せて、運んでくれる。通り沿いのGSに泊まっていた車。窓全開で、市内を吹っ飛ばす。両手をハンドルから離しているのには、ギョッ。この時間帯の気温はマックス、座っているだけなのに汗が流れ落ちる。 復路はMarrakech空港から。チェックインをして、再両替のブースに行くと、係員が「モロッコ初めて?どこへ行ったの?」と話しかけてきた。説明すれば、自分はここで生まれ育ったが、メルズーガ(サハラ砂漠)には行ったことないと。まあ、あまりに地元で、いつでも行けると思うと、そういうものかもね。行く価値があると、強調しておいた。その後、出国検査で2回も引っかかり、ちょっとうんざり。

1回目は、バッグの中の貴重品を根掘り葉掘り。何の通貨をいくら持っているだの、ごそごそあちこち広げてモタモタするから、後ろに列。はっと気づいた係員、「ああ、早くしまって行け」って、自分で広げたんでしょうが。後ろに並んでいた何人もが、ノーチェックで素通り。2回目は、X線検査。「これ誰の?」から始まって、あれこれごそごそ探した挙句、カメラをふき取ってドラッグ検査器へ・・あきれる。どれほど高性能の機器をそろえても、使いこなすのは結局人間。女性一人だからマークされたかもしれないが、私を調べてもなあ~んにも出ませんよ。もっと怪しい挙動の人間をかぎ分ける力をつけましょう。汚い手袋であちこち無造作につかむから、壊されたり破かれたりするのではと、冷や冷や。実際、かつてそういう経験をしているからなおさら。全く・・最後に何か後味悪し。

Koutoubia mosque
Koutoubia mosque

Marrakech発Doha行は、満席。さよならモロッコ。
光と影、いろんな側面を見て、また引き出しが増えました。

いろいろな人との出会いがあった。いつかまた来ることがあれば、今度は地中海沿岸~Casablanca、Rabat、Meknes、Volubilisあたりを周ろうか。スペインから渡ってもいい。北部だけなら、英語とスペイン語で行けるかな・・・

思いを巡らせつつ、帰りも気づけば、往路一緒だった日本人団体さんと一緒のフライトのよう。世界は狭くも奥深くもある。まだまだ知らないところがあると思うと、わくわくする。

パーパスの担当の方には、いつもお世話になります。そしてこれからもきっと。
よろしくお願いします。

ツアープランナーからのコメント

23ページに及ぶ超大作、ありがとうございます。モロッコをぐるっと巡り、観光以外にも、現地での人とのコミュニケーション、ご当地グルメ、文化や考え方の違い等、五感をフルに使って「異世界」の雰囲気を楽しまれたのではないでしょうか。いつも当社をご利用頂きありがとうございます。また思い出に残るご旅行のお手伝いができることを楽しみにしております。

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