シルクロードは、中国の長安(現在の西安)から
ヨーロッパまでの交易路の総称です。今回パーパスの迫田さんに連れられて訪問したのは西安と、天山山脈の南側を通る路(天山南路)の、トルファン、コルラ、クチャ、カシュガル、でした。この地域(天山南路)はかつて西域とよばれ、現在は新疆ウイグル自治区と呼ばれている地域です。面積はなんと日本よりも広いのです。
旅の楽しみは、非日常の体験です。史跡訪問、自然美の鑑賞、人びとの生活風景、料理…….と、切りがありませんが、その国/地域の社会制度を知ることも楽しみの一つでしょう。各訪問地の印象は添付した写真に語らせることにし、ここでは、訪問地で私が感じた、制度、に対する印象のみを記すことにします。
西域という言葉から、辺鄙なところを想像していました。辺鄙とは、ロバに引かれた荷車が土も路を走っている、とか、そんなイメージです。昔見たテレビ番組の印象のせいでしょう。そのイメージは完全に覆されてしました。ウイグルのどの都市も近代都市なのです。高層ビルが林立しており、その中に一部、レンガ造りのくずれかかった家が見えはするものの、道は舗装され、車が走り回っていたのです。ホテルの高層階から眺めると、どの街も同じに見えます。街に特徴がないのです。上記の都市はどれも数百万の人口をかかえ、辺鄙どころではありません。これは日本を圧倒している、そんな印象を持ちました。
9月5日(トルファン)
高昌故城
次なる驚きは安全管理の徹底ぶりです。
ホテル、レストラン、市場など不特定多数のヒトの出入りする場所には、空港の手荷物検査の機械と同じタイプの機械が置いてあり(X 線検査)、スーツケース、手荷物はそこを通さないと入れないのです。ヒトも検査gateを通らないと入れないのです。ピィ、ピィと鳴るのです。Police の服を着た人が見守っているのです。
「安全検査」というのですが、これの凄まじいのが鉄道駅と道路です。
鉄道駅の駅前広場は柵で囲まれていて、入り口は1カ所、一度に通過できる人数も一人。ヒトも手荷物も空港の検査と同じ検査機器を通過しなければならず、ヒトは(外国人は)パスポートの提示が求められるのです。さらに駅舎に入るにあたって同じ検査がされます。つまり、手荷物とヒトの検査は2回、パスポートも2度ださないといけません。この検査をしているのは公安です。彼らは防弾チョッキを着ています。Gateは1カ所しかなく、一人ずつしか通れないので、駅舎にはいるのにものすごく時間がかるのです。東京駅の駅前広場が柵で囲われていて、そこにgateが1カ所しかなく、手荷物検査を受け、身分証明書を見せねば広場に入れず、その先の駅舎に入る時も同じことをしなければいけない、という状態を想像なさって下さい。駅舎に入っても改札は閉まっているのです。改札前でまたねばいけません。東京駅でも、大阪駅でも、駅舎に入れば改札を通れるわけですが、新疆の駅ではそのようなことはできないのです。
かくて改札口前の広い空間(事実上の待合室)はヒトであふれ身動きがとれません。列車が近づくと改札が開いて改札を通してもらえるのですが、入ってもそのままホームにはいけません。通路で待たされます。ヒトがホームにたどり着けるのは、入線した列車が完全に止まってからのようです。ナルホド、こうしておけばホームからスーツケースを投出たり、自らが飛び込んだりして列車妨害することはできないわけで、良く考えられた「安全管理」です。
なお、利用した駅、トルファン、コルラ、クチャ、カシュガルにはエレヴェータ、エスカレータはありませんでした。トルファンではスーツケースを持ったまま階段で、徒歩で駅の3階まであがり、そこからホームまで徒歩で3階分下るというありさまで、腕に力なく、足がふらつくヒトには難しい旅と思えました。将来エレヴェアータが敷設される時には、エレヴェータの乗り降りに、「安全検査」がもよおされるのでしょう。駅前広場のgateの上には網でかこった見張り櫓があり、そこに銃を構えた公安さんがいるところもありました。ものものしいです。この地域では鉄道は特別なもので、日常の生活用品ではないのかもしれません。この地で暮らしている人びとはこれを当たり前に思っているはずです。彼らが日本に来て鉄道に乗ったらどのように感じるのだろうとおもいます。ご招待したいですね。
9月12日(カシュガル)
印象深かった3件のことを述べましょう。
一つはクチャからキジル千仏洞にいく時の「安全検査」。クチャの街を出たところに検査場があります(日本の高速道路の料金所のような感じでできています)。運転手さんと現地ガイドさんが出かけて行って手続きをします。我らはバスの中で待機。そこで止まること15分ぐらい。何を検査しているのか分かりません。次はキジル千仏洞の近くで(キジルという村に入るので)検査。我々はバスに乗ったまま。待つこと40分ぐらい、ようやく通行許可がおりました。クチャからキジル千仏洞まで3時間強、そのうち1時間以上は安全検査の時間でした。
安全検査に何時間かかるか分からないので旅の予定が立たないのです。しかも何を検査しているのかも極秘のようです。何を検査しているのかが知れ渡ると、その裏を書かれるのをおそれているのでしょう。帰りも同じ場所で検査があるのですが、帰りは短時間でおわりました(2カ所いずれも、5分ぐらいずつでした)。私の邪推かもしれませんが帰りの通過時刻が指定されているのではないかとおもえます。どこそこに出かけ、見学して戻ってくるなら、何時何分にここを通れるはずだ、と。
カシュガルからカラクリ湖に行くときの安全検査はもっと大がかりでした。5カ所だったかの検査場がありましたが、最初の検査場で各検査場を通過する時刻を決められてしまうようです。スピード違反の防止に役立ちます。最後の検査場では、我々もバスを下り、パスポートを見せて、徒歩で検査所を通過。バスはすぐ来たのですが、発車しません。運転手さんと現地ガイドさんは書類を持って検査場のgateにでかけたまま。我らはバスに乗って待つこと1時間の上、ようやく通行許可がでました(帰りは10分ぐらいで通行許可がでました)。この検査場にはやはり、銃を持った公安さんが高いところから見張っていました。地上にいる公安さん(我々の通路のそばのひと)の銃には剣まで付いていました。皆さん防弾チョッキを着ています。我々以外のバスは10分待ちぐらいで通行許可の出たのもありますので、我々にはなにか問題点があったのでしょう(それが何だったのかは不明なままです)。東京から東名で富士山にいく時、東京を出る時安全検査、神奈川に入る時に安全検査、神奈川出る時安全検査、静岡に入る時に安全検査でそれぞれ30分かかる、場合を想像してみて下さい。
日本人は「平和ボケしている」「警戒が国際基準(global standard)にほど遠い」と言う意見があります。ウイグルの「安全検査」こそ学ぶべき「お手本」ということなのでしょう。
安全検査は、旅の日程がたたないという不便さと、これによって安全が保たれる、という二律背反の関係にあります。ウイグル自治区を旅して、もっとも印象深かったのは、仏教遺跡でも、イスラム文化でも、ウイグルの大地/自然でも、おいしい食べ物でもなく、社会制度、「安全検査」でした。いや〜、来てみるまで分からないものですね。勉強になりました。