期間:2016年12月26日~2016年12月30日
匿名希望 様
GON-001262
「地獄の門」って聞いて、思い浮かべるのは、ダンテ・アリギエーリの叙事詩『神曲』にでてくる地獄への入口の門やロダン作のブロンズ像門などが有名かと思うが、まったく違う、砂漠の中にあり、炎に包まれている「穴」!です。
その「穴」は、日々、燃え続けていて、地元の住民が「地獄の門」と名付けた場所。
炎が燃え続けている発端は、砂漠の中の「地獄の門」がある場所は、トルクメニスタンのダルヴァザ付近にある広大な砂漠地帯で、地下には豊富な天然ガスが埋蔵されている。
当時のソ連の地質学者がボーリング調査をしたところ、天然ガスを発見し、掘削作業に入るはずが、作業の過程で落盤事故が起きた為、直径50〜100メートルにもなる大きな穴が開いてしまった。
その大きな穴からでる豊富な天然ガスの放出を食い止める為、仕方なく点火することになったが、可燃性ガスが地下から絶え間なく吹き出る為、延々と燃え続ける事態となり、今に至っている経緯となる。天然ガスの燃焼を食い止めることは技術的にとても困難な為、また、天然ガスの埋蔵量自体が不明なため、今後、いつまで燃え続けるのかもよくわかっていない。
しかし、トルクメニスタン政府が穴の封鎖を検討する報道があり、近々、見れなくなってしまう懸念もあるので、今回の旅のテーマ「「地獄の門」を見る」が決まった。
しかし、場所が場所だけに、航空券や現地の手配が全く不明!
そんな中、仕事で関係がある旅行会社「パーパスジャパン」にダメ元で、聞いてみたら、あっさりと「できますよ。」と一言。とっても簡単に、秘境のトルクメニスタン行きが決定してしまった、、、。旅行会社「パーパスジャパン」は、希望に合わせて、全てを用意してくれる旅行会社で、全世界をカバーしているので、とても頼りになる旅行会社です。
さて、ここからは、実際の渡航写真を、時系列にお伝えします。
「地獄の門」があるトルクメニスタンのダルヴァザは、陸路でしか入れない為、まずは、お隣の国「ウズベキスタン」へ。大韓航空でソウルを経由し、タシケントに入りました。
タシケントの空港では、必ず、チェックポイントがあり、不審者や密入国者をチェックしていました。
タシケントのホテル到着。
ホテルのスタッフは感じ良かったですが、社会主義国の為か、室内や設備は殺伐としていました。
朝一番の国内線に乗り、空路、ウズベキスタンとトルクメニスタンの国境に一番近い、ヌクスへ。
ヌクス空港着後、国境のあるホジェリへ。
着後、パーパスジャパンの真々田さんに用意してもらったビザを見せ、いざ、トルクメニスタン入国!
そして、世界遺産の街「クフナ・ウルゲンチ」へ。
丁度、お昼になったので、ここでお昼を食べる事に。
昼食後、ガイドのロマンと待ち合わせし、世界遺産「クフナ・ウルゲンチ」観光!
たっぷりの観光後、旅の目的地「地獄の門」へ!
しかし、これが予想外に地獄だった、、、
そして、約5時間後、よーやく、到着!
そして、砂漠の中にある為、当然のことながら、ホテルの様な施設はなく、テント泊!
夕食は、BBQ!
夕食後は、文明が無い為、特にやることなし、、、。けど、満点の星空観賞は、一見の価値ありです。安々のデジカメでは写真に撮ることができず、残念。
日の出を見る為、朝日が昇る前に、またまた、「地獄の門」へ。
お分かりの様、砂漠のど真ん中なので、とても寒いです。
けど、天然の焚き火となしている「地獄の門」は、近づく程、温か。
そして、夜が明けてきた!
朝のユルタ(テント)と朝ご飯。
さらに、砂漠で迎える日の出!
朝食後、明るくなった「地獄の門」を拝みに行ってきました。
夜は、神々しく燃えていたのが、見違える程、静かに燃え続ける炎が、とても印象的でした。
さて、とても名残惜しい心残りの中、荷支度をし、テントを出発。
「地獄の門」ならず、「地獄のロード」を約6時間走破し、トルクメニスタンとウズベキスタンの国境へ戻ります。途中、のんびりとしたラクダたちが羨ましい、、、。
約6時間を掛け、シャヴァットの国境到着。
そして、一路、約1時間先にある街「ヒヴァ」へ。
まずは、ヒヴァのホテルに到着。とても質素だが、砂漠のテント生活に比べると、とても、ありがたい。
とっても嬉しかった。テーブルで食べれる夕食。
夕食は、小麦を使った「ナン」。ヒヴァのナンは、薄くて大きいのが特徴でした。
メインは、「サモサ」と呼ばれるパイの包み焼き?、ピロシキっぽく、パイ生地の中に、肉や玉ねぎのみじん切りがあり、「タンデュール」と呼ばれる地下に掘られた窯で焼いた郷土料理です。
夕食後は、移動の疲れもあり、贅沢なベッドで爆睡でした。
朝、ホテルでの朝食。
ホテルオーナー(!?)のお父さんもお友達と一緒に、朝ごはん。
朝食後は、タシケントへのフライト時間まで、ヒヴァの市内観光!
ヒヴァの街は、砂漠への玄関口として栄えた街らしく、とても大きく、2重の城壁に囲まれた街で、街全体が「博物館都市」と呼ばれる程、世界遺産にも登録された街です。
ヒヴァの街を代表するミナレットと呼ばれる塔は、6塔あり、20以上のモスクや城壁などが残る遺跡観光が数多くあります。
西門=「オタ・ダルヴァザ門」とも呼ばれ、ヒヴァの正門の様な場所です。門の中にチケット売り場やガイドさんたち(!?)の待合室がありました。
ムハンマド・アミン・ハン・メドレセとカルタ・ミナル=「ムハンマド・アミン・ハン・メドレセ」は、中央アジアでもっとも大きい神学校らしい。今は、ホテルとなっている。「カルタ・ミナル」は、未完成の塔で、「カルタ・ミナル」の「カルタ」は、現地語で、「短い」の意味らしい。
キョフナ・アルク=17世紀に建設された「古い宮殿」と呼ばれる。
アクシェイフ・ババの見張り台=キョフナ・アルクの宮殿内にある見張り台で、ヒヴァの全景を見渡す事ができます。城壁にも上る事ができます。
イスラーム・ホジャ・メドレセとミナレット=ヒヴァで一番高いミナレット(塔)で、1910年に建てられたらしい。「イスラーム・ホジャ・メドレセト」は、ヒヴァで最も高い建物として有名な霊廟で、まだ完成して、100年足らずの新しい建物らしい。
いざ、ミナレットへ。
ここで、午前の観光終了。お昼ご飯。
ヒヴァの午後観光の一発目は、聖人マフムドのお墓がある「パフラヴァン・マフムド廟」へ。
「パフラヴァン・マフムド廟」=ヒヴァの大臣かつ庇護者として尊敬されていた人物が眠る霊廟で、ヒヴァで一番大きな青いドームが特徴の建物です。
「パフラヴァン・マフムド廟」の中庭ある井戸。衛生的に試飲は不可のようだが、この水の飲むと、男性は強くなり、女性は、美しくなると言い伝えがあるらしいので、こっそり、飲んでみた。
途中、ラクダも一緒に宿泊できるというキャラバンサイトの「アラクリ・ハン・メドレセ」。今は、自由に見学できる織物工場の訓練センターになっているらしい。
「パルヴァン・ダルヴァザ門」=東門
東門を抜けると、大きなメイン通りとなっていて、左右には、露天商が建ち並んでいました。
露店を通りすぎると、今度は、バザールの市場があります。
そして、市場の賑わいを見ながら進むと、大小163の部屋がある宮殿「タシュ・ハウリ宮殿」へ。
「タシュ・ハウリ宮殿」=公務を行う謁見や儀式の広間があり、宴会や接待など、政治的な活用に多く使われた宮殿で、木枠と青いタイルの幾何学模様を組み合わせた豪華さは、キョフナ・アルクに匹敵する程でした。
「タシュ・ハウリ宮殿」の観光後、石畳の通りを進み、ジュマ・モスクへ。
「ジュマ・モスク」=彫刻された柱が無数に立ち並ぶ、中央アジアで最も有名なモスクの一つらしい。約3m間隔に、高さ5mの柱が213本立ち並ぶ光景は必見でした。
「ジュマ・モスク」の見学後、北門へ。
その後、北門の側にある「ヌルッラバイ宮殿」へ。
しかし、残念ながら、休館でした。
「ヌルッラバイ宮殿」=ヌルッラバイと呼ばれる商人が建てた宮殿で、クリスタルのシャンデリアや陶器で見事なお部屋を見学できるようです。南門や街外れから見た城壁も見応えあり。
そして、ヒヴァの夕日と夕暮れ。
途中、日本人が経営していると言うホテルを通り、最後の夕食。
夕食後、国内線にて、タシケントへ。
タシケントのホテルで就寝です。
ホテルの朝ごはんとお部屋からの眺めです。
ホテルは、ウズベキスタンの首都タシケントだけあって、しっかり。
チェックアウト後は、日本へのフライト時間が夜なので、タシケント観光を満喫!
タシケントの夕暮れ。
またまた、名残惜しく、、、日本へ。
* * *
あとがきパーパスジャパンの真々田様、この度は、色々と、ご親切にご対応頂きまして、
ありがとうございました。
急なお願いだったにもかかわらず、柔軟にご対応頂いて、感謝しております。
来年も御世話になりたいと思いますので、どうぞ、宜しくお願いいたします。
この度は、ウズベキスタンとトルクメニスタンへのご旅行につきまして、各ご旅行のお手配をご用命頂きまして、ありがとうございました。旅の目的「地獄の門」をご満喫頂けました様で、嬉しい限りで御座います。次回のご旅行、秘境でもどこでもお役に立てる事が御座いましたら、お気軽にご相談下さいませ。引き続き、宜しくお願い申し上げます。そして、色々と、ありがとうございました。