3.9 ヴァイマール
ヴァイマールを最初に訪れた28年前、サーモンピンクの壁に「BAUHAUS」と読める建物を目にして、ガイドさんに「あれは?」と尋ねた。答えは「ああ、昔あったデザイン学校で、ここから…どこかに移ったのよ」「デッサウ?」「う~ん、そうだったかな」。ツアー一行は足を止めることなく歩いていった。
そして28年後、その建物は「バウハウス博物館」に。記憶に残る壁の文字は見当たらないが、壁のサーモンピンク色は記憶のまま。
期間:2018年3月6日~2018年3月14日
K 様ご家族
GON-001316
ヴァイマールを最初に訪れた28年前、サーモンピンクの壁に「BAUHAUS」と読める建物を目にして、ガイドさんに「あれは?」と尋ねた。答えは「ああ、昔あったデザイン学校で、ここから…どこかに移ったのよ」「デッサウ?」「う~ん、そうだったかな」。ツアー一行は足を止めることなく歩いていった。
そして28年後、その建物は「バウハウス博物館」に。記憶に残る壁の文字は見当たらないが、壁のサーモンピンク色は記憶のまま。
そして、来年2019年の「バウハウス100周年記念」の準備ため休館中!…気を取り直し「バウハウス大学」に向かい門を入ると、その日は「バウハウス大学オープンキャンパス」の日。建物内にはスムーズに入れたし、在校生の作品や大学の歴史についての説明も観られた。
建物はかなりよい状態で、写真で見る創設期の雰囲気を感じられる。100年経つわけだから再現・修復されていると考えるのが自然だろう。そして、そのための苦労が並大抵ではないことが伝わってくる。
展示や設備は、日本でいう「美術大学」というよりは「工業大学」のイメージに近い。いろいろな要素が混在していることが「バウハウス」らしい。
見学後は道の向かいにある「パルク・アン・デア・イルム(イルム川の公園)」で、ローマ時代の廃墟を見たり「ゲーテのガーデンハウス」を覗いてのんびりと過ごす。気づくと、ホテルに預けた荷物を取りに行く時間になっており「ハウス・アム・ホルン」(バウハウスの建物の一つ)の見学は断念、後悔することになる。
なるべく早い時間に行く予定が、Sバーン時刻表の最終確認を怠ったため時間がかかり、到着したのは午後1時過ぎ。受付でチケットを買おうとしたら「これで充分」と、半分ほどの料金のものを提示された。欲しかったのは施設全部を回れるオーディオガイド付きのもの…一旦は言われた通りにしたものの、交渉して「日本語オーディオガイド」を借りた。
しかし、実際に回ってみてわかったのは、受付の女性が「親切」で言ってくれていたこと。希望していたチケットなら、料金の半分は無駄に。結局、回れたのは「バウハウス本校舎」と「マイスターハウス」。もし全部の見学を望むのなら、「ゲストハウス」に泊まり、2日は充てなければ無理だろう。
ベルリンの「バウハウス資料館」に出かけたところ、残念なことに、ここも来年の準備のため休館中。私たち以外にもどんどん見学客が…唯一開いていたカフェ併設の売店に人が集まって来ていた。
ところで、バウハウスはベルリンに移転してきて一年で閉鎖されたが、それについて。この建物は「ジーゲスゾイレ(戦勝記念塔)」の見える場所にある。バウハウス閉鎖の理由は、ナチスから「退廃芸術」「ボルシェビキ的過ぎる」と非難され圧力がかけられたことにあるが、「ここではちょっと持たなかっただろうな」と、感覚的に納得。来たことは無駄ではなかったと思えた。
こうして「バウハウス」の旅から学んだ多くのことをもとに自分の興味を追究し、数年後にまた彼の地を訪れ、今回の「こころ残り」を晴らしたいと思う。そのためには、まずは「歩く」力を今以上につけておかなければ、と思っている。
「原稿用紙一枚くらい」との条件なので。それでも長いのですが…その他に印象的だったことを書きました。ご参考になればと。慌ただしく、いろいろお世話になったお礼です。
28年前、私は「トーマス教会」に入ったのだが、添乗員さんの興奮する様子しか印象にない。今では私も大のバッハファン。どうしてももう一度彼の眠る場所に行きたかった。
入り口のポスターで「明日コンサートがある」のはわかったが、中に入ると素晴らしい音楽が!明日のためのリハーサルだった。演奏家も少年たちも平服で、時々指揮者の指導が入り中断はするものの、私には充分。バッハの埋葬されているスペース前の階段に座り、その音楽を聴くことができたのだった。音が教会の天井の一点に集まり、そこからまた降ってくるのが見えるよう。トーマス教会のためにバッハが作曲した音楽をこの教会で聴く。これに優ることがあるだろうか…。
教会の向かいには「バッハ博物館」、その窓からトーマス教会の全体を眺めていると、改めて感謝の念が湧きあがるのだった。
ドレスデン再訪の第一目的は「ケストナー博物館」。また、同行の息子は今年大学院修士課程を終え就職するのだが、テーマは「E.T.A.ホフマン」。彼の作品で私が一番好きなのは『黄金の壷』、これはドレスデンのエルベ川のほとりから話が始まる。なので、息子の興味にも少しは配慮しよう、と考えてのこと(?)。
それと、28年前にツヴィンガーで聴いた鐘の音(カリヨンの鐘だったらしい)をもう一度聴きたかった。門を入った瞬間、あの鐘の音が花びらのように舞い降りて来た印象が残る。もう一つは、アウヴストゥス橋を歩いて渡ること。
「ケストナー博物館」は、エルベ川を渡ったノイシュタットにあり、現地で入手した交通路線図を見ながらトラムでアルベルト広場へ。途中あることに気づく。エルベ川を渡るのに、「テアタープラッツ」駅を通過しアウグストゥス橋を通る路線が中断されている!
橋の「工事中」は、駅も閉鎖し電車も通さないのだ。驚いたが、逆にここまでしなければ、ドレスデンの美しい町並みは保てないのだと納得。そういえば、どこの街でも工事風景が必ず見られた。「保存」に力を注ぐドイツ人気質の象徴なのかもしれない。
博物館は、とても楽しい空間で、世界各地で出版されたケストナーの本(もちろん日本のものも)や、内容ごとに色分けされた引き出しに整理された資料を手に取って見ることができる。元はケストナーの伯父さんのアウグスティン氏所有の建物だが、この伯父さんについてケストナーがお母さんから聞いた話があって、知っていると面白い。職員による解説もドイツ語か英語で聴くことができた。
ケストナーは、作品はもとより戦時中の活動なども高く評価されている。ライプチヒの街の誇りになっている。街角の書店のウィンドウにも多くの本が並べられていて、ファンの一人として嬉しかった。
アウグストゥス橋を歩いて渡るという希望は、「工事中」ではあったが実現。ただ、美しくはなかった。アルテシュタットでは、ツヴィンガーのカリヨンの鐘の音を聴くことができた。衝撃を受けた最初の音とは違っていたが、これもまた仕方がない。贅沢を戒める。
ツヴィンガーでは「数学・物理教室」を見学。時計や機械仕掛けの人形、アストロラーベ等、収集当時の最先端技術。興味深かった。
ところで、ドレスデンにはかなり「理系」の施設も多い。その一つが「衛生学博物館」で、ここには息子の希望で訪れた。前述の「数学・物理教室」と共通しているのは、日本だと「国立科学博物館」に近い印象。
後で息子に「何で知ったの?」と聞くと、「指導教官の最近著(石原あえか著『日本のムラージュ』)で」とのこと。「ゲーテ研究者」なので、やはりカバーする範囲が広い。日本のガイドブックで紹介されることはないようだが、私が数年前に「ドイツフェア」で入手したパンフレットには詳しい記述、帰国後気がついた。
当日の企画展は「ペット(愛玩動物)」だったが、先日HPを見ると、次回企画展の関連で「ハンナ・アーレント」についての講演会のお知らせ。「あれ?」…ちょっと考えて納得。彼女の『全体主義の起源』は「ユダヤ人差別」から始まる。「人種差別」をテーマとする展示にはピッタリなのだ。こういう展覧会、日本ではまず見られない。
本好きなので、「アンナ・アマーリア侯爵夫人の図書館」へ。書架の様子が素晴らしいのは勿論だが、「本の修復」に力を注いでいる様子に感銘を受ける。修復道具の展示の中には日本の「刷毛」もあった。
保存・修復の作業には、専門的な知識・技術が必要だ。地味で目立たず、しかし失敗は許されない忍耐と困難を伴う作業をコツコツと積み重ね、伝えていく人々の存在をしっかりと感じることができた。
28年前には「博物館の島」に上陸できず、「アレクサンダー広場」から、まずはそこに立つことを目指し歩く。見学は一つしか無理だろうと当日選んだのが「ドイツ歴史博物館」。
「ドイツ歴史博物館」では企画展「1917年ロシア革命とヨーロッパ」会場に。他の所同様ドイツ語と英語の解説が読める。が、解説の位置がどうも低い…しばらくして納得した。来場者はほとんどが年配、平均年齢は60歳を超えていただろう。ほとんどが折り畳み椅子を持って歩き、展示・解説の前でその椅子に腰かけ、時間をかけて観賞するのだった。
昨年が「ロシア革命100周年」とは、日本では報道されることもなかった気がする。ここに来なければ意識することはなかっただろう。見学には2時間以上かかった。本当に珍しいものばかり並んでいたが、最も私の印象に残ったのは、「アニメーション」と「ポスター」。構成主義の画家リシツキー作品も展示され、「美術」としてでなく実用的に使われていたことが実感できた。タイポグラフィや画面構成など、「バウハウス」との関連もあり興味深かった。
また、旧東ドイツ国民だった年配の方々にとっては、単なる「展覧会」以上の意味があるのだろうと感じた。
美術館の建物をつなぐ空間を通りレストランのある建物に入ると、そこには女神たちの彫像があり、私が惹かれたのは本を読み耽る女神。「戦いの女神」との説明があるので、その本を覗いてみると市街図だった。戦略を練っているのだろうか。
レストランも天井の高い優雅な空間、くつろいで昼食を摂った。
友人たちへのお土産を買いに寄った「KaDeWe」を出た時はもう夜で、ホテルに帰るのにツォー駅へ向かっていたら、「カイザー・ヴィルヘルム教会」が美しく青い光を放っている。
想像以上に素晴らしい。外から観られただけで満足しようと思ってそのままホテルに帰った。
しかし、朝になって「可能なら中を見たい」とテーゲル空港に行くバスの発着所を、アレクサンダー広場 → ツォーに変更。スーツケースを引いて教会前に行くと「えっ?13~15日は大掃除で閉鎖!」知らなかった人が多い模様、ここにも大勢集まってきていた。
ヨーロッパには「春の大掃除」の習慣があることを、本では読んでいたが、本当だった。
沢山のお写真とご旅行記をお送り頂きありがとうございます。
28年前のドイツと現在、当時の記憶を辿りながら巡るご旅行は、さぞ印象に残るものだったのではないかとお察しいたします。
来年はバウハウス設立から100周年を迎えます。ドイツだけでなく日本でもバウハウス関連のプロジェクトが展開されるようで、今から楽しみにしております。この度は弊社をご利用頂きありがとうございました。