長年の夢だった4年に一度の祭典、サッカーワールドカップの観戦を前に
不安と期待感が錯綜した。不安は慣れない海外旅行、ましてや大の「飛行機嫌い」、10回も乗換えることの苦痛感や米国、西欧との違い、ロシアは情報統制や治安等で負のイメージが強く、暗澹(あんたん)たる憂苦の日々が過ぎた。一方、ワールドカップサッカーで世界のスーパースターや名だたる強豪国の試合観戦、サポーターとの交流、ロシア観光やグルメ、ヴォッカ等を堪能できる高揚感がその不安を払拭した。
いよいよ、15日間の長旅、「失念」することが多々ある小生、海外旅行の知識は皆無に等しくロシアで斃死(へいし)してしまう心配、幸いにも「刎頸(ふんけい)の交わり」の同僚の「Y・T」氏が英断され、観戦ツアーに同行できるとのこと、なんとも心強く、反面、珍道中の楽しみが膨らむ。それと、3名の日本戦3試合連続観戦の「三勇士」も参戦、P・Jの「M」氏がナビされるとのことで旅の安全祈願の「成田新勝寺詣」は割愛。
宮崎からJALで羽田、成田に到着、円をルーブル・ユーロに換金。フィンエアーでヘルシンキに飛ぶ。10時間後眼下に美しい森と湖が見下ろせる。ヘルシンキ空港に到着。フィンランド観光もと思いつつ、2時間休憩後、モスクワ(シェレメーチェヴォ空港)へ到着、ついに異国の地に来た感動と安堵感が漂い、「西野ジャパン」への期待とロシア観光の楽しみが膨らむ専用バスから市街を眺めると近代的なビル、高級車、そして美しい町並み、ロシアのお堅く暗いイメージはもはや過去のものだった。「アヴィエーター」ホテルに宿泊後、専用バスで移動、白樺、ポプラ等の樹木の緑が美しい、なんとも雄大な景色に感嘆。
5時間後、リャザンに着いた。「オールドタウン」ホテル同様、市外の建物も瀟洒(しょうしゃ)で個性的である。カラフルだが落着いた色合いに長旅が癒され1時間ほど散策した。パブリックビューでチュニジアVSイングランド観戦中、チュニジアサポーターが集結、一気に応援し、いよいよワールドカップの雰囲気が高まる。
翌朝4時、合流した日本のサポーターと
専用バスでサランスクへ、バスの朝食のリンゴが美味だった。休憩時に人の良い農夫と遭遇。途中、警察の検問が2回、テロ対策も厳重だ。いよいよ、第1戦決戦の地、モルドビアアレーナへ、国旗、マフラー、ペインティングした熱狂的コロンビアサポーターが町並みを笛・太鼓で乱舞しながら闊歩。お祭り騒ぎだがとても友好的、早速スマホで撮影。
アレーナに着くと入場検査が30分バックを物色、厳重な警備だ。興奮しながらビールを片手に入場、周りはコロンビアS・Pでもはや完全アウェー、四面楚歌の状態。試合セレモニー、「君が代」が流れ、感動で涙。下馬評では日本勝利は希薄だが日本の勝利を確信。試合内容は割愛する。
日本勝利後、早く観戦席から退避しないとコロンビアサポーターからバッシングされるので危惧したが杞憂に終わった。すぐに日本の勝利を称え、ハグ。応援マフラーをコロンビアユニフォームとチェンジを要求、躊躇(ちゅうちょ)せず交換。試合に負けたのだがそのスポーツマンシップは賞賛に値する。日本とコロンビアはあとの2試合を勝利し互いに決勝トーナメントへの進出を願った。
試合後、専用バスでモスクワに向かうが10時間の長旅、スーパーでバナナ、トマトを購入。野菜は新鮮だ。バス内は日本が勝利したのにもかからず静かな雰囲気、これも国民性?それとも長旅で疲労困憊か?
早朝、モスクワのホテルに到着し、仮眠。隣の「ガンマイズマイ」ホテルにチェックイン。ホテルはクーラーなし、ロシアでは当然かもと納得。テレビの電源、風呂の設備が故障、これも日本勝利で帳消し。夕食はヴォッカで乾杯、ボルシチ、タラの煮込みを堪能。
翌日、地下鉄で「赤の広場」へ、パルチスカヤ駅を下車、観光客の多さには驚嘆。イルミネーションの「ニコリスカヤ」通りを過ぎるとヴァスクレンスキー門、カザンの聖母聖堂、国立歴史博物館、レーニン廊、カラフルな聖ワシリー寺院(見学350ルーブル)等を見学。モスクワ川沿岸を徒歩で5キロほど散策、橋からピョートル大帝像を眺望、救世主キリスト聖堂、ドストエフスキー像を通過し、レストランで昼食したが1時間待って、ようやくピザが食卓に‥、ポーランドSPとエール。
夕食はテレビでアルゼンチンVSクロアチア観戦、アルゼンチン完敗した途端、ウルグアイSP歓喜。やはり隣国で対抗意識が強いのか?
翌朝、ガイドの「Y・B」の流暢な日本語案内で、1937年完成した、地下鉄で移動。重厚・荘厳な内部、豪華な装飾・彫刻はまさに「地下宮殿」だ。55ルーブルと運賃も安い。モスクワ中央環状線に乗継ぐ。コンピュータで制御された近代的な列車である。
ルジニキ駅で下車、世界遺産のノヴォデヴィチ女子修道院・墓地を見学、フルシチョフ、ゴーゴリ、エリツィン等ロシアの歴史上の人物の墓を拝見。昼食は「ゴールビ」レストランで、クロビール、ピロシキは餃子のよう、ビーフストロガノフは絶品だ。
翌日、アエロエクスプレスで(500ルーブル)でドモジェドヴォ空港へ向かった。登場手続時にシステムダウンで、2時間遅延後、2時間時差のエカテリンブルグに到着した。三食付の「マリンズパーク」ホテルにチェックイン。夜の「エカテリンブルグ鉄道旅客駅」を見学、哀愁が漂う。次回ロシア旅行はシベリア鉄道でユーラシア大陸横断だと豪語。
夜が明けて、徒歩で血の教会、青色のヴァズネセンスキー教会を散策し、日本対セネガル戦の必勝を祈願した。
専用バスでエカテリンブルグアレーナへ、途中レーニン像が車窓から見え、スマホで撮影のため下車後、樹木や花の植栽で美しい通りを一目散に疾走、途中セネガルSPが行進に圧倒された。ようやくレーニン像に辿り着くと感極まる。
急ぎ足で会場へ。真新しいアレーナは美しいデザインで、サッカーを観戦するに臨場感、醍醐味を味わえるこの上ない特等席だ。左側ゴール裏はウルトラスが占拠しており、スタジアムは最高の雰囲気、試合は死闘の末、ドロー。特筆すべき結果だ。足取り軽く、ホテルの帰途に着く。
翌日、クラシックなバス(ファンIDで無料)空港へ。再び、モスクワまでのフライト。搭乗までの間、日本の有名人、数人と遭遇。「アエロテル」ホテルにチェックイン。
翌日、ロビーでメキシコ人歌手よりCDを貰い感激。観光のため地下鉄で移動。そこで「どんちゃん騒ぎ」のデンマークS・Pに遭遇、電車の中でも底が抜けるほどの狂喜乱舞。やれやれと思いつつ・・・、政治・文化・宗教の中心で城壁に囲まれた待望の「クレムリン」に到着した。
周辺は観光客でごった返しており入場券は2時間待ちとのこと。でもさすがはクレバーな同伴の三勇士、入場券を何時の間にかゲット爽快とトロイツカヤ塔を抜けると荘厳で静寂な雰囲気に息を呑んだ。クレムリン大会宮殿、ブラゴヴェチェンスキー聖堂、ウスペンスキー大聖堂、イワン大帝の鐘楼等を見学し、主なモスクワ市内観光を終えて満喫した。
翌日、予選3戦目のポーランド戦のあるボルゴグラード到着。大河ヴォルガに沿って南北に伸びている町で日本の真夏日ぐらいに暑く予想した気候とは大違い、改めてロシアの広さを痛感した。ママエフ・クルガン(母なる祖国像)を見学、その大きさに驚嘆した。ヴォルガ川の観光船に乗り、船上からサッカー場、ママエフを眺望。
ポーランド戦は惜敗し、試合内容で物議をかもした。コロンビアと決勝トーナメント進出が決まり、喜びもひとしおだ。
ハプニングで専用バスに乗らず、トラムに乗車したが行く先を誤り、下車。路頭に迷い、右往左往しているとロシア人夫婦がアクセスを親切丁寧に説明、理解できず、業を煮やしたのか車でホテルまで送迎するとのこと。約30分でホテルに到着。親切心に感極まり涙が流れた。最高の思い出となり応援グッズの国旗を贈呈した。
世界中の人との交流、素晴らしい思い出となったワールドカップ。ツアーを企画のP・Jの「M」氏、同伴の三勇士、友人の「T」氏には改めて感謝をしたい。