ロマンティック街道~古城街道~ミュンヘン
ドイツ南部周遊の旅10日間
期間:2018年7月11日〜2018年7月20日
Y.S. 様
1日目
予定時刻より30分遅れで成田出発。初めて使ったEtihad Airways、評判がよかっただけに、エコノミークラスでももらえるアメニティ、朝食用のおかゆがなくてちょっと期待外れ。おかしいな・・新しい情報のはずなのにと思ったら、経営が厳しいらしく大幅人員削減の計画と、帰国日に知った。あらあら、どおりで食事の間のスナックはしょぼいし、食事以外の飲み物は水だけ。
隣のロンドンからの年配ご夫婦とちょっと話。2週間、横浜発のクルーズを楽しんで、酒田で日本酒がおいしかったと。しかし、クルーズのOPツアー代金が馬鹿高く、$200/人もすると・・「え、そりゃ暴利でしょ。はとバスなら full day で$100/人ぐらいですよ。」と言ったら、「まあ、クルーズ客用のツアーだと、ちゃんと乗船時間に間に合うように送ってくれるから安心。だから仕方ない。」と。う~ん、「今度は、東京に飛行機で直接来ればいいですよ。」「そうよねえ。」
23時過ぎ、アブダビ空港到着。38℃ですと。外に出ると、ムッとする。アバヤ姿の女性やトイレをみると、中東に来たなあ、と思う。アブダビ空港の作りはあまり機能的でない。歩く歩道はほんの一部、かなりの距離を歩く歩く。しかも、狭く曲がりくねった通路だから、行き違う客と直前でかわす必要あり。
到着すると、円形の真ん中に店が集まり、そこから放射状に搭乗口が通路でつながっている。搭乗口の席数は少なく、時間が迫ると座れない乗客でごった返す。エアコンはあまりきいていないし、搭乗アナウンスもなく、皆が一斉に機内に入るから時間がかかる。日系と一部のコードシェア便は、エコノミー客は後方から入れていくのでスムーズなのに。毎度思うんですけど、頭使えって。何のために搭乗券に zone 分けがされているのよ。
2日目
6:10フランクフルト着。少し早めに出口に来たので、ガイドの姿なし。10分ほど待つと、それらしき人見つけ、アイコンタクトを取ると、やはりそうだった。今日と明日お世話になる Rommel さん。よろしくお願いします。
1時間ほど走ってハイデルベルク着。町がやけに静かだ、皆閉まっているし、と思ったら、そうだった、まだ平日の朝9時前。まだ皆さん、ご出勤中。駐車場からしばらく歩いて、フニクラに乗って半地下を進み、山頂駅へ。あっという間。車降りたら、自由時間でほっとかれるのかと思っていたので、一緒に行動してくれてありがたい。
ハイデルベルク城は、崩れかけた塔と城壁が目立つ。でも、ネッカー川とそれにかかるカールテオドール橋がはるか眼下に広がる。あの橋を渡りたい。有名な世界最大のワイン樽を見上げ、その横の狭い階段を上って今度は見下ろす。大きさが書いていなかったので、聞いたら Rommel さんが係りの人に聞いてくれた。直径9mですと。薬事博物館を覗いてみると、説明がドイツ語オンリーでRさんに「これ何?あれ何?」状態。これだけ世界中の観光客がやってくるのに・・何とかして。
From Heidelberg castle
11時、カフェで軽くランチ。ご当地名物フラムクーヘン(薄生地ピザ)とアップフェルショーレ(アップルジュースを炭酸で割ったもの)と炭酸水。フラムクーヘンは長方形で、横幅40cmはあろうかという大きさ。薄いので2人でペロリ。一番オーソドックスな、ハムチーズにした。一人でも食べられるが同じ味に飽きそう。シェアしてちょうどいい。
さて、リクエストしていた「学生のキス」チョコを求めて歩く。あらかじめHPをチェックしておいてくれたようで、店直行・・が、何か閉まっている雰囲気?ドアの張り紙を見てガーン、今日まで夏休みだって。HPには何にも書いてなかったとRさんぶつぶつ。でも近くのカフェでもチョコが買えるとあって、歩いていく・・と、城から見たカール橋に出た。橋の向こう側らしいので歩き始まると、いや待て、やっぱりこちら側のようだ、というので、Rさんは場所確認へ、自分はとりあえず橋を歩いてみる。ネッカー川は濃い緑色、かなり大きな川だ。橋の中央で写真を撮って引き返すと、Rさんが手を振っている。「あった、あった」と。さっき通り過ぎた店だった、気づかなかった。
中に入ると、保冷ケースの上にちょっとだけ。別の何とかというカフェの方がたくさんあるということで、今度はそちらへ。Rさん曰く、このチョコが有名になったのはここ2-3年らしい。あら、そうですか。円形で平べったい、結構なお値段がする。まあ、ここまで来たので土産用に買ってみる。他にも道すがら、試供品を食べて「これ、うま」となった店でちょっと買い物。
13時過ぎ出発。古城街道からロマンチック街道を通って、南下。途中渋滞にはまるも、アウトバーンが混雑して、皆、一般道に流れてきたらしい。
6時ローテンブルク到着。ホテルにチェックインして、バスルームをみてびっくり。大きな1/4円の扇方のバスタブがドーン。部屋と同じ広さぐらいあるようなバスルーム。冷蔵庫もあるし、さっそく持ってきた飲み物を冷やそう。その後一人で周辺歩き。土産店の品はこぢんまりとかわいく、日本的な繊細さがある。
17時ホテルでRさんと待ち合わせ。名物スウィーツのシュネーバル屋さんに連れて行ってもらい、小さな6種8つセットを箱に詰めてもらう。普通サイズはなんせ、こぶし大ぐらいあるので、いろんな味を試したいから小さい方にする。今晩のメニューも決まっているし、どうせ食べられないし、日本に持って帰れるから形崩れしないよう箱がいい、とRさんのアドバイス、なるほどそうします。
その後、Rさんお気に入りの自然化粧品屋さんへついていくと、日本人経営だった。じゃがいものハンドクリームというので、興味しんしん。ちょっと手につけてもらうと、まあ普通の白いクリーム。クリーム状と、ゆるい乳液状がある。この店、オーストリアからも輸入していたり、死海の泥まで取り扱い始めたよう。でもねえ、ちょっとお値段が高めかなあ。
flower house
Shneeball tower
一度ホテルに戻って荷物を置き、城壁散策。町をくるりと囲むように城壁があり、その上を歩くことができる。人とすれ違うには、お互い体をひねらないと無理なほど歩くスペースは狭い。木製柵は木組みで固定されており、後年になってだろうと思われる鉄釘がささっている。一部を歩いて下に降りる。ちょっと歩き疲れ、のど乾いた。
18:45 Dinner。Rさんが一緒に食べて、いろんなものをシェアしてはどうかと申し出てくれた。一皿のボリュームが多いので、私にとっては好都合、Rさんも一人で出かけるのは苦にならないが、食べるときは誰かとシェアしたいとのことで、意見一致。
今日のメニューは、日本を発つ前に作った「旅行中にこれ食べたいリスト」の中から、ニュルンベルクソーセージ(ここの名物)を含むソーセージ3種+ザワークラウト、マウルタッシェ(ビーフのラビオリ)、Weise beer(ノンアル)と炭酸水。マウルタッシェはその昔、職人禁止令が出た時に、修道士達がラビオリの中に肉を隠して食べたことが始まりらしい。水餃子のようなものを想像していたら、1個7~8cmもあって、中にビーフがこれでもかとぎっしりむっちり詰まっていた。きのこのクリームソースに絡めて頂く。4つを二人で2個ずつ食べてもうたくさん。ソーセージは3種類1本ずつ。ニュルンは小さいのでどうぞ、ということで頂いて、残りは皿からはみ出んばかりのサイズなので、半分に切って。普段日本ではソーセージは食べないので、何年ぶりに味わったが、ニュルンは固くしまっていて、スパイスが効いていて特においしかった。ザワークラウトの酸味が口直しによい。Weise beer は30cmもあろうかという細長いグラスに0.5L入って出てきた。日本のビールよりもコクと酸味・渋みが格段に強い。どのレストランにもこのご時世、ノンアルがあってうれしい。
食べながらいろんな話。Rさんの半生やら、自分の体験やら。ドイツ人のご主人と、ドイツ在住の方が日本の生活より長くなったらしい。とてもパワフルで実年齢より5~6歳若く見える。食べ終わった後、デザートいけるか、となり、Apfelstudel(ドイツ風アップルパイ)を注文。これも食べたいものリストに載っている。1人前頼んだら、大きな皿にアイスクリームと生クリームといっしょに出てきた。2人で半分こでちょうどいい。日本では大食いの自分、いかんせんちょっと一人では無理。
21時近くなり、お開き。自分のホテルはすぐそこだけれど、彼女はここから15分ほど歩くとのこと。え、結構あるじゃないですか、気を付けて。また明日。おやすみなさい。
部屋に戻ってまずお風呂。大きなバスタブにたっぷりお湯をはって、「あ~ごくらく、ごくらく」 い~ですなあ、やっぱり足を延ばして湯につかりたい。シャワーカーテンがないので、辺りを濡らさないよう気を付けてシャワーを浴びる。出てから今日の日記を書きつつ、疲れてコックリzzz。あきらめてちゃんと寝ることにする。ヨーロッパ典型のシングルベッド。行儀よく寝ないと落ちそうだ。お休みなさ~い。
3日目
7時ちょっと過ぎ、朝食。庭の見える一番前のいい席(3人掛け)をゲット。スタッフがにこやかで気持ち良い。コーヒーを頼み、好きなものを取りに行く。数種類のハム類・チーズ、パンも少しずつカットして持ってきた。大好きなグレープフルーツジュースを発見!珍しい、2杯おかわり。プラス、オレンジ用ジューサーがあるではないか。オレンジをナイフで半分にして、自分で今絞った出来立てジュース。これは、うま♡ ヨーグルトもあり満足満足。部屋に戻って荷物まとめ。
8時半、階下へ。Rさん、もう待っていてくれた。チェックアウトして出発、プレーンラインでちょっと下ろしてもらって写真撮り。と、日本人団体さんと遭遇。添乗員の声が朝の静かな町に響く。「私の声、聞こえてます?!」、他から離れて行動していた2名無言。「いや~ん、もうどうしましょう! ちゃんとイヤホンつけていただいて!」・・・ハハ苦笑。だから団体ツアーは自分には合わない。何するにも周りに合わせて気を使って旅行するなんて、窮屈この上ない。しかも毎日毎日・・冗談じゃない。
車中いろいろ話。日本の皆さん、ドイツの消費税は何と19%!(食品の軽減税率あり) Rさん「でも、それが高いとは思わない。ちゃんと私達のために使っていることが分かるから。医療は無料、教育制度も原則無料だし。」と。彼女の2人のお子さんももう仕事しているが、技術を学ぶ場合、給料もらいながら学ぶと言う場合もあり、ほとんど教育費がかからなかったそうな。
ヨーロッパ随一の経済規模を誇り、ギリシャ危機ではかなりの金融支援をして、シリア難民を山ほど受け入れて、他国から「やりすぎ」批判が出るほど、気前が良い・・・どうですか、この国。信じられない。日本人があと11%余計に消費税を払ったら、こうなると思いますか?まあ、国民が利益を受ける前に、家計がまわらなくなり、購買は必要最低限となり、喜ぶのは富裕層のみで経済が破たんするでしょうね。いったい何がどう異なるのか。ドイツの貯蓄率は低いって、それはそうでしょう。老後の医療費の心配がなければ、かなり楽。
10:00ネルトリンゲンでトイレ休憩。大昔、隕石が衝突してできた丸いくぼみを利用してできた町。くぼみのふちに沿って、丸い城壁があり、空撮写真を見るとその姿がよくわかる。以前、チリのアタカマ砂漠に降り注いだ隕石を集めた世界で唯一(と言っていた)の隕石博物館に行ったっけ。地球上にほとんど存在しないイリジウムを含んでいることから判別できる。地球の壮大な成り立ちを思うと面白いが、現代において、万が一、ネルトリンゲンサイズの隕石が落ちてきたら、全世界が大パニックになるだろう。
The house with stork nest
10時半頃 Harburg 城到着。ここは元々の予定にはなかったが、展望が良いとのことでRさんが提案してくれた。11~12世紀に建造された、南ドイツ最古の城。中庭から町全体が見下ろせる。赤茶色の屋根の家々、川に架かる橋、奥には緑の草原がずーっと広がっている。城下町とはこのことかなあ。この城、何とあのマイケルジャクソンが購入しようとして、許可されず断念したらしい。いやいややめてよかった。自分好みにいろいろ改築しそうだもの。貴重な文化遺産は社会全体で守っていかないと。
View from Harburg castle
12時半ごろ、Wies 教会到着。草原に立つ、有名マイスターの建築物で世界遺産。中に入ると、天井画はパステルブルーだし、ロココ調の派手な装飾はまるで宮殿のよう。女の子受けしそうな内装だ。外に回ると、柵の中に牛が放牧され、遠くまで草原が広がっていて、絵にかいたようなのどかな風景。
観光客たくさん・・ということで、見て歩いている間にRさんは併設レストランの席を確保しておいてくれた。(こういうところ、準備怠らず。道路情報も確認してくれているし、安心して旅行ができる。)
Wies church
13:15、ランチ。リストから Shweinebraten に spatzle を添えて、フライドポテト(ドイツまで来て? いいえ、ここはジャガイモの生産地&大消費地、よってジャガイモ料理はお得意。)、何とかいう(Rさんのオーダー、これが好きなんだそうな。名前聞いたけどメモらなかったので忘れた。チーズのクリームコロッケもどき)のにサラダを添えて。
驚くのは、一応メニューは見たけれど、これというものがなくて、食べたいものを組み合わせてオーダー、つまりメニューにないものばかり。「こういうフレキシブルさは日本にはないですよねぇ。」と言ったら、Rさん、日本のちゃんとしたレストランでサラダを注文して「ドレッシングはかけないで、代わりにレモンを持ってきてください。」と言ったら大騒ぎ。奥からシェフが出てきて「うちのやり方がお気に召さないなら、来ていただかなくて結構です。」と言われたそうな。・・ハア、それもすごいな。アレルギーの人とか宗教上の制限がある人にどう対応するんだろう。
日本では「お客様は神様だ」がベースのくせに、こと調理となると状況は一変する。客は文句言わずに、出されたものを食え的な。融通が利かない日本方式は世界的に見れば珍しい。何でもマニュアル通りの国民性か。経験上、同程度の添え物を「○の代わりに△にして」とか、「ガーリックが嫌いだから抜いて。」ぐらいは、たいていの国のちゃんとしたレストランではやってくれる。2020年オリンピックに向けて、まだまだ日本は世界標準を学ばなくてはいけない。これだけ食べて(飲み物水)折半して€15って、安い・・ここは特別らしい。
14時ごろテーゲルベルク山到着。ここを希望した人はかつていないようで、Rさんが驚いていた。ゴンドラ往復で€20.6と結構なお値段だが、高いところから全景をみるのが好き。10分ぐらいで1720mを一気に登る。Alpsee湖が遠くに見え、バイエルン地方の全景が見渡せ、ポストカードのように美しい。「これぞヨーロッパ」のような典型的な森、山、湖と草原のセットものという感じ。こういうところで生まれ育つと、アジアはまるで別世界に思えるだろうな。
ハンググライダーを飛ぶ人が、スーツを着て順番待ちだ。ちょっとあたりを歩いてみたが、急こう配のうえ、かんかん照りで息が上がる。あぢ~、帽子と日焼け止め必携。1時間ほどで地上へ。
Tegelberg山
待っている間、調べてくれた最寄りのスーパーREWEに寄ってもらう。土産用のチョコレート、グミ、入浴剤、自分用のダルマイヤーのコーヒー、即席クヌーデル、グヤーシュスープの缶詰、ジャム。それにホテルで飲む水とノンアルビール、アップルジュース、今晩食べるベリー3種パック。両手に買い物袋をぶら下げて車に戻る。ここからホテルはすぐ。
ホーエンシュバンガウのホテルミュラーにチェックイン。明日のノイシュバンシュタイン城の予約表をフロントに見せ、チケット交換を頼む。部屋はエアコンなしで、ちょうど西日が差して暑いので、氷をもらえるか聞いてもらったところ、厨房からピッチャー1杯の氷を持ってきてくれた。よかった~。Rさんは明日ミュンヘンで仕事があるので、これから向かう。いろいろお世話になりました。おかげで効率よく観光ができました。お礼を言って別れる。「気を付けて。」
部屋に戻り、さっそく教えてもらったようにアップルジュースと炭酸水をまぜ、氷を入れて手作りアップフェルショーレを作ってみた。うま♡うま♡
2人用の部屋なのでタオルが2人分、よかった。西日を避けるため、窓は開けて、厚カーテンを閉め、扇風機をまわし、冷たい飲み物。何とか快適になった。
落ち着いてふと気づいた・・・「ケータイとタブレットを車に置き忘れた―!!!」
あわててRさんに電話しようとすれど、部屋の電話機のコード接続が良くない。ブチブチ音がしたり、切れたり。あきらめ、階下のフロントにダッシュ、状況を話し、フロントから電話をかけてもらった。運転中だろうにRさん、すぐに出て、忘れ物のことを話したら一瞬絶句し、「わかりました。すぐ戻ります。」と即決。あ~全く、自分のせいで申し訳ない。スーパーの買い物袋に気を取られて、大切なものを忘れた。そのままミュンヘンまで持って行ってもらって、明日受け取るか・・どうしようかいろいろ考えたけど、戻ってくれると・・大丈夫だろうか、アウトバーンに乗ってしまっているだろう・・
18時少し前、フロントから電話、届いたと。あわてて下へ行くと。疲れた表情のRさん、申し訳ないのと、ありがたいのと、頭を下げるしかない。何事もないように「じゃあ。明日ホテルに電話しますね。」と去っていくので、車が見えなくなるまで見送る。往復させてしまって全く申し訳ない。助かりました。明日のミュンヘンの仕事が早く終わったら、ホテルに電話をくれるというので、部屋で電話が取れたら、お礼に夕食申し出よう。とにかく、明日から気を引き締めよう。
日が落ちてきて、少し涼しくなったので、ちょっと外へ。土産屋さんをひやかす。まあ、あまり買うものはない。部屋に戻り、日誌書き。昼の食べ過ぎで、まったくおなかすかないので、スーパーで買ったベリー3種を洗ってつまみながら、日誌書き。
シャワーを浴びてさっぱり。夕べも思ったけれど、バスルームの排水が良くない。洗い流した湯が足元にたまるので、時々シャワーを止めて排水を待たなければならないのが煩わしい。みんなこんなのかな・・ 明日は早いから今夜は早めに寝よう。おやすみなさい。
4日目
6:45起床、窓を開けてギョ、濡れている。何と雨か。あ~、せっかくの一大観光日に。小雨で寒い。すぐ出かけられるよう用意をして、7:00朝食。オープンと同時に入る。思ったより質素なメニュー。パンは焼き立てでないからボソボソなので、薄く切ってトーストしようとしたら、既に誰かのパンが・・?他に客はあっちにいるカップルしかいないはず・・?と思ったら、背後から「mine, mine」と白割烹着のお兄さん。厨房の従業員が、なぜ客と一緒に料理を取るのか?しかも、焼き方が足りず、もう1回無言でトースターをかけた。オイオイ 評判の良いホテルミュラー、ありえないでしょ。
仕方ないので、彼のパンが焼きあがるのを待つ。どうやら隣の部屋が従業員の食べるところらしい。「朝食7時から」とうたって、客を受け入れるなら、その前に取りなさいよ。おまけに別のウェイターにコーヒーを注文したのに、届かない。しばらくして、声をかけると別テーブルに置いたと。あなたねぇ、たった2組しか客いないんですけど・・。大分いいかげんです。昨日のホテルとは雲泥の差だ。
8:00前チェックアウト、昨日頼んでおいたチケットを受け取り代金支払い。荷物を預けてシャトル乗り場へ歩いていく。雨はほぼ上がったようだ、よかった。と、ちょうど出たばかりのシャトルとすれ違った。あ~、次はいつ・・人っ子一人いないし、時刻表も見当たらず、湖の方へぶらぶら歩き。ぐるっと見て戻ってくると、アジア系団体さんがぞろぞろ、ちょうどバスがやってきた。先に乗った中国人で満席。立っていると、欧米人カップルの男性が目の前の折り畳みシートを倒して、どうぞと彼女と私を座らせてくれた。シートに気づかなかった、ありがとう。
5分ほどでマリエン橋、いや~真正面にノイシュバンシュタイン城、雨も上がり、青空のバックにどーんとすばらしい。切り立ったがけ、橋のはるか真下には滝と川。下を見ると吸い込まれそう、ちょっとこわい。オリジナルは1866年に建設されたらしい、高さ90m、よくこんなところにつくれたものだ。
9:00城に到着。自分の番まで、周辺散策。電光掲示板に自分のチケットのNo.が表示される。No.は何と5分置き。さすがドイツですなあ~、時間に5分遅れたらチケット無効(正確・例外なし)。早めに来て良かった。
Castle from the valley
Hohenschwangau castle
Neuschwanstein castle
9:30過ぎたので、入口へ。時計の分単位を気にする。1分前、ゲートの前でスタンバイ、9:55きっかりにゲートオープン、すぐさま入る。1グループ25人ぐらいか。だいたい9:00のツアーに1か月ぐらい前に申し込んだのに、10:00発に割り振られた。それだけ混雑しているということ。それでも英語ガイドツアーなので、最も頻繁なはず。まあ、9:00だと散策の時間はなく、相当バタバタしたと思うので、ちょうどよかったかな。
ガイドのお姉さんについて歩く。城を作ったルートヴィヒⅡは、父親の死によって19歳で王位を継いだ。初期のころは、かなり有能と評判は高かったらしい。しかしながら、いわゆるLGBTのために初婚の段取りで挫折し、その後城造りに没頭して国の経済が傾いた。メンタル異常とされ、散歩に出かけた湖で突然溺死、享年40歳と、ミステリー小説にでもなりそうな最後であった。宗教心が高かったらしく、寝室の内部に小さな礼拝専用部屋がある。よく知られた洞窟部屋を楽しみにしていたが、案外こぢんまり、部屋と言うか、2つの部屋をつなぐ空間を利用して、という感じ。暗いので細部まで分からず、ぱっとみは、よくできている人工物だ。ガウディ的な感性か。
それにしても城の内部は薄暗く、壁中に絵画が飾られ、絵が描かれ、無地の部分がないから圧迫感がある。ヨーロッパの城はみんなこんな風だが、一日中こんなところにいたら気がめいるなあ。階段は多いし、ドレスにヒールでは部屋の移動も億劫だ。窓から見える下界はすばらしい景色だが、完全に隔絶された世界だ。王様の息子に生まれるのも楽じゃない。1884年といえば、日本は明治時代真っ只中。その頃、水道が城中に引かれ(高低差利用らしい)、セントラルヒーティングまである超モダンな建物で、その「世帯主」ってどんな気分かな。何だか人間関係、お隣国との政治的駆け引き、めんどくさそうだ。
ツアーはわずか30分、その後城建設についてのビデオを観て、へぇ~。元々廃墟の上に1883年に建築家がデザインして、その後、別の二人によって増築されていったらしい。こんな山の崖の上に堅牢な高層建築をよく建てたものだ。2018年のバスだってピンカーブを何回も折返して、城の入口よりだいぶ手前について、そこから結構な坂道を歩いていくのに、130年も前に資材を運んで積み上げるって、気の遠くなるような労力だ。今だって、重機を運び入れる道作りからといったら何年かかるだろう。シャトルバス乗り場までは来た道を戻るが、上り坂だ。息を切らしてひたすら歩く。やっと着いたら、11時、バスが来ていた。ラッキー、もう汗だく。馬車もあるが炎天下、ちんたら降りるのは耐えられない。エアコンのきいた文明の利器に頼ろう。
11:30ホテルに戻り、水をがぶ飲み。暑~い、朝の天気はいったい何。城に向かうバス待ちはもう長蛇の列だった。観光シーズンは、何事にも朝一で動くのが鉄則と確証。フロントのイスに座って休みながら日誌書き。やっと汗も引いて、落ち着いてきた。
12:40早めにタクシーを呼んでもらう。昨日フロントにいた同じ女性、「ちゃんと携帯持った?」とジロリ。「はい、はい、持ってます~!」 フュッセン駅までチップも入れて€15。13時になり、さすがに小腹がすいたので、駅のカフェで、カレーポテトチャバタサンドと、アップルシュガーパイでランチ。これ、中身は食べてから分かったこと。何せドイツ語オンリーで何が入っているんだかさっぱりわからない。見た目と値段で、しょっぱい系と甘い系を指差し注文。値段は安く、サンドは美味しかった。パイはちょっと甘すぎ。何ですな、書いてある文字を読めないのは、旅行するにあたって本当にネガティブ要因だ。見当がつかないので行き当たりばったりになる。食べ物アレルギーを持っていないからいいけど。語学は学ぶことより、続けることの方が膨大なエネルギーが必要だ。皆、それで脱落していく。
カフェ以外にもいくつか店があるが、プラットホームはどこ? 向こうから歩いてきた人に聞くと、彼女も「え・・と」と、建物の外を覗くとあった。2線のみ。”Just here?” と互いに顔見合わせ。あらまあ小さい駅だったのね。おまけにトイレを探してうろうろ、外側にあった。料金を入れて、引き戸と思ったドアと格闘。開かない、グリーンランプついてるぞ、え、どうなってるの??おお、手前に開くか・・中へ入ると制限時間が書いてあった。はいはい、すぐ出ます。
ホームに行ってもどっちの線かわからない。まあ、電車が入ってきた方だて。電光掲示板を見ると、次の電車の時刻ではなく、ただの時計だった。オイオイ。念のためホームにいた人に行き先を言って時間を確かめる。片言の英語でちゃんと応対してくれたドイツ人、ありがとう。14:06定刻発。まあ日本以外どこでもそうだが、列車は黙って入ってきて、黙って動き出すから不安になる。あちこちに泊まる鈍行。向かい合わせの4人分を占領して大スーツケースを手元に置く。乗客が少なくて良かった。草原や家々を見ながら、時々こっくりしながらの~んびり。牛馬はいても、羊の放牧は見かけないのがイギリスとの違いか。
15:00どこかに泊まって、何やらアナウンス15minuten だけ聞き取れた。何だって?何人かが慌てて降りて、隣のホームに後から来た電車に飛び乗っていく。駅はKaufbeuren 降りない客もいる。どうしよう、これはミュンヘン直行のはず。「15分停車するから、お急ぎの方は~」的なものか・・アナウンスがドイツ語だけでわからない。後から来た電車はすぐいなくなり、15分後我が電車も動き出した。まあ、行き先変更でないなら時間はかかってもこのままで大丈夫。2列前の韓国人らしき女の子達なんか、口開けたまま寝てるじゃん。きっとこの人たちもミュンヘンまでいくはず。と自分に言い聞かせる。
一面のトウモロコシ畑。Rさん曰く、コーン油をとって、絞りかすは家畜の飼料だそうな。途中、てっぺんにだけ葉が残った針葉樹の森を抜けた。かつて「黒い森」の環境問題がクローズアップされたっけ。昨日も一昨日も、風力発電の風車を結構見かけた。環境保護の盟主のようなドイツだが、Rさん曰く、それは表向きのようなところがあるそうな。
仏・ポーランドの国境ギリギリ(相手側)に原発建設予定があるそうで、そしたら安い電力をドイツは買うはず。自国領になくても、使う側じゃあまり自慢にはなりませんな。おまけに何かあれば、当然影響は受けるわけで、Rさんとしては「施設管理は、相手に任せるよりドイツ人がやった方がずっとまし。」と言う意見。まあ、ドイツ人なら何事も合理的にきっちりやりそうだ。フランスは経験があるからいいが、ポーランドはねぇ、未知数ですよ。
Wind -power generation
16:20 定刻ミュンヘン到着。電車とホームの間に段差があり、重いスーツケースを持ち上げようともたもたしていたら、先に降りた男性と、後ろにいた男性が当然のように手を貸して引っ張り上げてくれた。”Thank you.” ホントにこういうところが、日本人男性には決定的に欠如していることよねぇ。ホーム上をひきずり、道を渡って目の前のEden Hotel Wolff。当初別のホテルの予定だったが、部屋の設備の問題で、出発直前になってパーパスの担当者の方が見つけてくれた。駅から近くわかりやすく、こっちの方がmuch betterでした。
チェックインの時、「あなたここで仕事しているんですか?以前にもいらしたことありますね?」「いいえ、初めてです。」チェックインカードに記載されていた氏名は合っているが、住所と生年月日が違う。訂正してくれと言うので横線を引いて書き直す。予めリクエストしてもらったポットを聞くと、「もう部屋にあると思いますが、入ったらご確認ください。」と丁寧な応対。
エレベータが1台しかないのが難点だか、部屋に入るとポットがあった。決して広くないが、エアコン・バスタブ・冷蔵庫あり、ベッドもセミダブルぐらいはありそうだ。合格○ 若い頃は部屋の装備などあまり気にしなかったが、だんだん当たり外れがあることを学び、年齢と共に、より快適に過ごしたい、満足したいと思うようになった。同じホテルでも部屋のカテゴリーによって大きく違うし、よいところを経験するとレベルを落とすのは難しい。ヨーロッパのホテルは、部屋が狭い・ベッドが小さい・エアコンもファンもないことがあるので、今後は最初から具体的に確認するよう気を付けよう。
ところでエアコンの設定温度は変わるのに電源が入らない。フロントに電話をすると、”Hello, Ms.○○. Did you find a pot?” と、さっきのフロントの男性。さすがの対応。「ポットはありました。ありがとう。ところでエアコンが動かないんですが。」「わかりました、係りの者を向かわせます。」テキパキ、いいですなあ。
と、受話器をおいたらすぐ電話がかかってきた。出れば、Rさん。いいタイミング、ちょうど今部屋に入ったところ。「もしよければ、17~17:30ぐらいミュンヘンを案内しますよ。そのあと、打ち合わせがあるのでまた行かなくちゃならないんですけど。」って、なんて親切な人だろう。今日オーストリア内のガイドをしてお客さんをホテルに送り届けたはず。「また、仕事ですか?もし今日お会いで来たら、昨日のお礼に夕食でもご一緒にどうかと思っていたんですけど・・」打ち合わせはもともと決まっていたと。残念だ。忙しいのね。ホントにパワフルな人。
しばらく待っても連絡なし、15分ぐらいで着くと言っていたのにもう17時10分過ぎ。これはおかしいと思っていると電話、何とさっき電話したところにまだいると・・?!ミュンヘンが今日はとても混んでいるので、Park & rideで電車に乗ったら、車体の不具合で止まったきり、乗客全員降ろされたと・・・なんてこと。おそらくミュンヘンに行くのに1時間はかかるだろうって・・ハァ。 重ね重ね残念なことに、会うことさえかなわなかった。迷惑をかけたのにこんなに気にかけてもらって、本当にありがたいことだ。何度も何度もお礼を言って受話器をおいた。「お気をつけて。またどこかで会いましょう。」
意を決してホテルの周辺を散策することにする。カールス広場を目指して歩く。マリエン広場はそのまた先。何か雲行きが怪しいと思ったら、ポツポツ落ちてきた。傘はホテルに置きっぱなし。あわてて引き返す。そのうちゴロゴロ雷まで鳴り出した。これはいかん・・霧雨から小雨になってきた。人が多いうえ、あわてると方向音痴なのですぐ迷う。2人に聞きながら小走り、やっと駅にたどり着き、中に駆け込む。ちょっと濡れた。そのうち、ピカ!ドシャン!ザーッと本物の土砂振り。あ~よかった、とりあえず建物の中。たくさんの人が出るに出られず出入り口はごった返す。今晩食べるものをあちこち物色して購入、出口の所にくると、だいぶ小雨になって青空まで見えてきた。いや~何ですかね、この天気の変わり様は。朝雨 → カンカン照り → 夏雲もくもく → 夕方スコール&雷雨 → 青空って、まるで熱帯地方。
小走りに道を渡ってホテルに戻り、部屋で夕食。地下街のパン屋で買ったプレッツェルは冷えて固かった。出来立て食べたいなあ。昨日も一昨日も肉をかなり食べたので、今日は胃を休めよう。カットフルーツと、お湯を沸かして持参したドリップコーヒー。好きなように好きな時に好きなだけ。こういう気ままさがよい。
バスタブにお湯をはり、昨日Rさんのお勧めで買った入浴剤のユーカリを入れてみる。ざらざら小粒を溶かして、薄いグリーンでいい香り。足をいっぱいに伸ばしても届かないくらい長いバスタブ。あ~ごくらくごくらく。今日もよく動きました。おやすみなさ~い。
5日目
今日はいい天気だ、暑くなりそう。7:45遅めの朝食。しかしこのホテルは日本人が多い。新婚さんらしきカップル、少人数グループ、あちらこちらで日本語がとびかう。どのホテルも朝食にグレープフルーツジュースがあってうれしい。他国にはない意外な発見。初めてミュンヘン名物の白ソーセージを食べた。う~ん、好みでない。肉が柔らかくブワブワでスパイスはあまり効いていない「やさしい味」。皮を剥がした姿が、色の薄い肉団子みたいでなおさら好みでない。何か日本にありそうなソーセージだ。ま、何事も経験、一度食べればもういい。
10時前、集合場所へ。今日はバスツアーでドイツの最高峰ツークシュピッツェに登る。バスにはもう乗客が乗っていて、前方席は埋まっていた。2階建てバスの2階に乗客が集中しほぼ満席。ガイドのBarbaraおばさん、英語・ドイツ語2か国語だが、英語はおそろしくゆっくり話すので集中して聞くのが疲れる。今日の行程や時間の説明がなくて、スケジュールが分からない。12時にロープウェイ駅について、女性用トイレは長蛇の列。後ろに並んだ同じツアーの2人「今日のロープウェイはどのくらい時間がかかるの?説明なかったわよね」「Barbaraに聞きましょ。」てな具合。彼女が言ったことは「もしはぐれたら、電車はこの駅に着きますからね。決して○○に行かないように。」え、電車?各自で?どこから乗るの?何時?今からロープウェイでしょ?頭の中???である。
後から分かったことをまとめると、「まずバスで登山口に行く。皆でロープウェイに乗り換えて、山頂2962mに一気に登る。そこで自由時間。その後集まって皆で別のロープウェイでGlacier pointにいって自由時間、そこではそりで遊べる。その後また集まって皆で今度は登山電車に乗り、バスを降りたところに戻る。ランチは2回の自由時間にどちらでもOK。それぞれレストランが複数ある。集合時間は各ポイントで説明する。」Barbaraさん、こういう風に言えば、皆混乱しないのですよ。
1回目の自由時間に別のメンバーから「で、ランチはいつ食べたらいいの?ここ?次?」と聞かれ「私もよくわからない。まあ、今時間十分にあるからおなかすいているならここでもいいのでは?」としか答えられなかった。なんせ、30人もいる多国籍ツアーグループを目印のステッカーもガイド旗もなく、まとめるのはかなりリスキーだ。こちらだって常にガイドの姿を見失わないように気を張っていなければならない。
12時頃、ロープウェイで山頂へ。胃の膨満感がひどい。霧がさあーっとかかって真っ白になりほとんど見えない。Barbaraは気温4~5℃と言っていたが、半そでにカーディガン1枚で過ごせる。展望台はかなり大きく、ドイツ側とオーストリア側があり、あちこち見て歩くと、時々霧の晴れ間に下界が見える。本当の山頂点に行きたければ、手すりを頼りに崖を上ればいいが、ある程度の装備はした方が良い。展望台は観光客でごった返し、昼時と重なってテーブルもいっぱい。きちんとした料理を出すレストランと、軽食スタンドがあるが、胃の中パンパン。この感覚はかつて4000m以上に行ったときに似ている。今は3000m弱だから大丈夫と思っていたけれど、こういう時に食物を入れるのはやめておいた方が良い。
13:15集合、13:30別のロープウェイで少し下ってGlacier pointへ。そりで氷河すべりを楽しめるが、Barbara曰く、暖かいから最後は水の池のようになっていると、やめとこ。溶けてザクザク雪のようになっているところを上まで登ってみた。いい眺めで写真のとりがいがありますな。ベビーカーの子供や自力で歩けない身障者まで同じロープウェイに乗ってやってくる。ありとあらゆる肌の人間がいて、全く人の事は気にならない。日本だったらジロジロ見られたり、コソコソ何か言われたり、まだまだ自分たちと外見が違う人を受け入れる土台はできていないと思う。
To glacier point
14時をまわり、さすがに何か食べようかと言う気になった。セルフサービスのレストランに入ると、アップフェルショーレが€3.8と馬鹿高い。メニューを見たらKartoffel suppe(ポテトスープ)があった。Rさんと一緒のとき探したけれど、季節外れでおいていなかった。まだ胃が気になるのでこれにする。トレイを外に持って行って長テーブルで頂く。可もなく不可もなく、ドロドロのシチューですな、ニンジン固いよ。と、そこに山頂でランチのことを聞いてきた女性が「一緒にいい?」とやってきた。「どうぞ、どうぞ」彼女は、アメリカL.A.在住のベトナム出身のジーナ。イタリア風の名前はご両親の好み。ミュンヘンについてから。ツークシュピッツェのツアーを知って申し込んだらしい。旅行の話をいろいろ。細身なのに食べ物大好きな彼女。Food tour とBeer tour(というのがあるらしい)にも参加するそうな。
「昨日の雷雨ひどかったね。」とか、タイの洞窟少年救出ニュースとか、世界各地のでたらめもどき料理の話とか、旅先でのふれあいは楽しい。お互い情報交換もできる。“Are you retired?” と聞かれたときはさすがにギョっ。そんなに老けて見えるか・・「いや、40か国以上も行ったっていうから、よっぽどお金ためたのかなと思って。」はは、旅行のために一生懸命働いて、休暇を取って来てるのよ。これが生きがいだもん。
15:30 登山電車で皆、バス駐車場へ戻る。Barbara ”Please don’t go ○○.” と言っても、結局我々は分からんのよ、駅名を知らないんだから。「2つ目のEibseeで降りるように。」と言えば分かるのに。バスに乗って人数を数えて、”I’m happy to collect all of you.” って、まあよくこの多国籍グループが一人もmissing者いなく、戻ってきたと思う。ラテン系(時間に無頓着)と中国系(自分達が全て)がいなかったからかも。
16:30予定通り出発。アウトバーンはスピードリミットなし(一部あるところも)、でもこのバスは100km/hでロックされるよう設計されているらしい。2階建てで重心が高いから、安全第一です。(後日のガイドは、バスの制限時速は100km/hと。どっちがホント?)
国の最高峰に日帰りで行けるのは手軽でよい。登山電車で下ってくる頃には、胃の膨満感解消。やはり高度のなせる業だったか。無理しないでよかった。ところでHP記載のエッタール修道院てなんのこと?である。寄っている暇もないだろうけど、計画に入っていないなら削除すべきである。
18:20 中央駅に戻って解散。スーパーで買い物と思ってドアの前まで来て、ガーン。今日は日曜だった。この国はスーパーさえ休み。買い物あきらめ、道すがら中東風ファストフード屋さんで、farafel wrapとfrench friesを注文・・したはずがwrapでなくてただのバン。値段は書いてあるのより少し安い。写真付きのメニュー表示は何なんだ、いったい。いい加減・・まあ、こういう店は移民が経営しているので、仕方ない。
ホテルに戻って、一昨日買って冷蔵庫で冷やしておいたノンアルビールと共に夕食。食後のコーヒーも。これで満足。ホテルのレストランはドイツ料理と書いてあるが、ステーキだのパスタだの普通のメニューなのでパス。Wifiを使っていたら途中で消えて、つながらなくなった。全く。
それにしても日が長い。20時過ぎてもまだ夕方近くの明るさだ。ぼーっとしていると夜更かしをするので、時間を見て行動しようっと。今夜はフランボアーズの入浴剤。香りはないが、赤い色が映える。バスタブの排水は問題ないようで快適。おやすみなさ~い。
6日目
7時朝食。ニュルンベルクソーセージがあったのでかじってみた。う~ん、ローテンブルクのレストランの方が断然おいしかった。ま、朝食用じゃ仕方ないか。外を見れば、ザーザー本降りの雨、皆傘をさして歩っている。あ~あ、気がめいる。でも昨日こんなじゃなくてよかったと思う。傘を持ってきて本当によかった。
ここの天気はころころ変わる。ホテルを出るころにはほとんど雨はやんでいた。9:00発のツアー。大抵バスは20~30分前にスタンバイ。遠方方面のバスは次々に出発していく。9時10分前になっても来ない。9:40始発のHop On/Off Busまでやってきたのに我がバスが来ない。とうとう10分遅れでやってきた。やれやれ出鼻をくじかれる。
一緒にバスを待っていた男性がガイドのGordon。話し始めてすぐ思った、この人アメリカ出身だ。母国語が米英語(のはず)で、かなりのスピードで話す。「英語がダメな人は、オーディオガイドあるから言って」って、その早口をダメな人が聞き取れると思う?ドイツに来て20年、最初はミュンヘンでアートの勉強をしていて、ダッハウのガイドをして12年になるらしい。生き残りの元収容者といろいろ活動していると。こういう言い方、アメリカ人らしい。
ダッハウまで30分と彼は言ったが、途中工事中で道路ブロック。ドライバーはGoogle mapで地図検索を始めた。遅刻するわ、交通情報は把握していないわ、ヤレヤレ。しっかりしてよ。事前準備が足りん。到着した時には10:20 予定には、<2時間のガイドツアー+自由時間75分>とあり、余裕だと思っていた。しかし実際は、このツアーは体力が必要だ。3時間、休憩なしのウォーキングツアー、しかも炎天下(朝の雨はどこへやら、カンカン照り。日焼け止めを塗ってこなかったことを後悔。)をかなり歩かされる。収容所までにいろいろイントロ説明 → 収容所の門 → 博物館 → バラック(収容者の宿泊棟) → 敷地を縦断 → ガス室という流れ。
敷地のあちこちに当時の写真があり、いちいち立ち止まって話を聞くので、よく理解できるが3時間終わるころには脱水症状気味。中にはトイレに行きたいという人もいたが、入口のVisitor Centerにしかない。(その説明はなかった。)あげく、自由時間はそのVisitor Centerに戻って、たった20分。この間にトイレで並び、カフェで並び、何でもいいから飲み物とサンドイッチを「かっこむ」状態。急いで集合してバス乗り場に行けば、今度は事故渋滞でバスが来ない。木の切り株に腰かけて待つ間、思った。予めなぜドライバーにバスが到着していることを確認しないのか。バスが遅れるなら、自由時間をもっと取れたのに。大体、本日の行程を最初に説明しないうえに、タイムマネジメントが適当だからこうなる。Gordonのダッハウに関する知識と経験は素晴らしいが、スポットガイドではなく、スルーガイドということが念頭にない。
アメリカ人ガイドの特徴は、自国の(言葉が普通に通じる)客と個人的な話に夢中になり、全員を率いていることを忘れること。こういう人を何人も見てきた。帰りは帰りで、バスドライバーとずっとドイツ語でおしゃべり。今日一日のサマライズとかないのかね・・やれやれ。
それはそれとして、今日学んだことは、深く、重く、心に刻まれた。ダッハウは元々、ロイヤルパレスのあった重要都市で、芸術が盛んだったらしい。そこにダッハウ収容所がドイツ一番目の収容所として、1933年ナチスによって設立され、当初はドイツ人の政治・思想犯を収容していた。連れてこられると、まず受付と、個人の考え方(罪状)によってカテゴリー分けをされ、衛生のためバリカンやかみそりで強制的に丸坊主に剃られ、天井から水シャワーをかけられて汚れを落とし、パウダーを振りかけられ(Gordonの説明及び映像)・・・DDTのように見えるが、当時DDTをドイツ軍使用しておらず、これは何?)、No.の入った囚人服(夏冬兼用)をあてがわれる。日に何度か庭に整列して点呼を受けるが、どんな天候でも。病気で歩けないならひきずってでも外に出され、直立不動で長時間立たされ、具合が悪くて倒れれば懲罰を受け・・・そういう過酷な扱いで5人にひとりが亡くなったらしい。
宿泊棟では床のしみひとつ、テーブルクロスのしみひとつでも見つかったら鎖で吊るされる等の懲罰。しかも連帯責任で、そのグループなり部屋なり全員。その苦しむ声や姿を他の者に見せることで精神的に追い詰める、恐怖政治だ。今、自分が立っているところから、こちら方向に撮った写真と言われ、目の前の現実の風景と、当時の山積みの遺体を見比べる。やせ細って手足は棒切れのよう、体中の骨のありかが分かるほど浮き出て、頭がついているから人間と分かるくらいだ。折り重なり、放置され、どっちを向いているのかさえわからない。
Gordonによると、「犠牲者は、まず「シャワーを浴びる」段取りを説明され、更衣室で服を脱ぎ、シャワー室へ進む。天井にはご丁寧にシャワーヘッドがいくつもつけられていたが、単なるみせかけ。チャンバーのドアが閉められ、外でナチス兵がコックをひねるとZyklon-Bが温められ蒸気となって天井の別の穴から出てくる。」肺に入れば、確実に死に至るシアン化合物系の殺虫剤だ。基本的方法は後に設立された有名なアウシュビッツと似ている。ガス室に実際に足を踏み入れて、自分の足で立ってみた。入口には「シャワー室」とドイツ語で書かれてはいるが、天井はこの部屋だけ低く、レンガの内壁、窓もなく暗く、一見して異様だ。犠牲者は人生最後の何分かを、本当に水が出ると思っていたのだろうか・・天井を見上げてそう思うと、心がつぶれる。
さて問題は、上記説明には異論もあるということ。Gordonは生存者寄りのガイドのため、以下は自分で調べたこと。ダッハウのガス室は実際使われていなかったという看板が室内に建てられていた時期がある。(今は撤去されてない。)生存者の証言と科学的・法医学的根拠の整合性がとれないようだ。法廷に提出されたいくつかの検証によると、殺人の確固たる証拠がない。戦争末期に多数の死者が出たのは間違いないようだが、衛生状態の悪化でチフスが蔓延し、それを媒介するシラミ駆除のためにZyklon-Bが使用されていた。強制収容所は、アウシュヴィッツのような絶命収容所とは異なるという解釈だ。ダッハウを解放したアメリカ軍が、降伏したドイツ軍兵士を逆に虐殺した事実も確認されている。きれいごとではない混乱期。今でも賛否両論のようで、解釈が難しい。
さて、「ガス室」の隣の部屋は遺体の一時置場、そしてその隣は焼却室である。昔ながらの炉が4つ、外の古い建物に2つ。焼却に時間はかかったはず。戦争末期には隣国からどんどん収容者が運ばれてきて、収容所は過密を極め、当然死者も増えた。焼却用の燃料はアウシュビッツから運んでいたとのことだが、ドイツが劣勢となり石炭が届かなくなり、遺体が建物の外に山積みとなった。一部は穴を掘って埋めていたようだ。今自分が立っている、その目の前に、70余年前にあった実際の光景が写真に残っている。本当に凄惨なことだ。
しかしながら、我が日本も満州で同じようなことをやっていたと思うと、またこの大量殺人国家ドイツ帝国と同盟を結んでいたかと思うと、そういう罪深い歴史を背負った国民だということを忘れてはいけないと感じた。ドイツの若者は自分たちの負の歴史を学ぶ。この日もたくさんのティーンエイジャーが見学に来ていた。振り返って、日本は全く能天気だ。高学歴の同僚でさえ、自国の歴史はちんぷんかんぷん、またそれを何とも思っていない。権威に弱く、規則とあれば上に従う国民性はドイツと日本に共通しているではないか。一旦間違った方向に進み始めると、皆と同じ方向に盲目的に従うのは今も変わらないのではないか。
戦争中は、どこの国でも非人道的なことは多々あった。しかしドイツの特筆すべきことは、国家として組織的に自国兵士に暴力を訓練し、仕事を細分化して、人間を人間と思わずに「処理」する体制を構築したことだろう。ダッハウの後、ドイツ内外にたくさんの収容所やサブ収容所、物資補給庫が作られ、大きな地図にマークで記されていた。17か国、何十という数に驚く。いわば、国内外に展開する多国籍企業のようなものだ。パソコンやAIのない時代に、どこからどこへ何人の収容者をどうやって運び、彼らを管理し、必要物資の供給を滞りなく行い、監視人員の確保もする等、相当高度なマネジメント力が必要だったはず。収容所の管理システムを構築して、昇進していった幹部たち。サウンドオブミュージックで、長女リーズルの恋人ロルフが、心優しい好青年から、ナチスに感化され、表情も一変した冷酷非道な人間になったのを思い出す。
近頃日本では「忖度」が問題となっているが、組織の中で上の顔色をうかがい、出世思考を突き詰めた結果が官僚であり、ナチスであり、またオウムもしかり。皆、出世にはどうしたら近道かは知っていたけど、自分がしようとしていることが犯罪かどうかは考えなかった、ということ。よく似ている。
Gate sign
Gas chamber
inside Dachau
今日は、たくさん学び、みっちり考えた。この3時間の間に、自分はいったい何百の遺体を目にしたろうか・・じりじり暑くて脱水症状気味でも、収容者はこの炎天下、何時間も立たされていたのかと思い、砂利道をとぼとぼ。
ダッハウの後、一旦バスに戻り、近くの射撃訓練場へ。ここは訓練場兼敵国ソ連兵の銃殺場でもあった。弾を受け止める大きな岩が祭られている。1941~1942年に約4000名が処刑された。犠牲者の名前と「生年月日~処刑年」が彫られている。年齢を見ると、20代~40代、若者が多い。故国ソ連での奥さんとの幸せそうな写真を見ると、戦場に出たばかりにドイツ軍に捕虜となり、こんなところで殺されるなんて、何たる人生だったんだろうと心が痛む。人間はどの時代に、どの国に生まれるかで人生が左右される。現代だって、違う国に生まれて同じような運命をたどる人もいるわけで。これまでの人生が平和に生きてこられたことはありがたいことだ。どうか死ぬまで平和でありますように。
16時頃、中央駅に戻る。REWEスーパーでちょっと買い物して、一旦ホテルに戻り荷物を置く。ホテルが近くて本当に便利だ。念のため、傘は朝から持ったまま、マリエン広場へ歩いていく。結構な距離、月曜夕方だというのに、人・人・人・・皆さん、もう仕事終わったの? いかんせん、今日は歩き疲れて足が痛い。やっと広場に着くと新市庁舎の目にたくさんの人、皆、上を見上げている。と、鐘が鳴りだした、ちょうど17:00ぴったりだ。そして、からくり時計が動き出した。歓声が上がる。なんとまあ、どんぴしゃでこの瞬間にここにいた、今日初めてのラッキー!あまりに上で、見上げる首が痛くなり、片手でカメラ、片手で自分の首を支えしばし見学。馬上の騎士が槍突き、片方が突かれて後ろにのけ反るとまた歓声が上がる。見られてよかった~。
お目当てのレストランてこの辺・・と歩きつつ、Infoが目に入ったので、中に入って場所を聞くと、すぐ隣だった。まだ早いので、席は好きなところに座れた。ウェイターが”English?”と聞くので、”Yes” と答え英語メニューを持ってきてもらう。食べるものを決めてあるので、確認してすぐ注文。Shweinshaxeと炭酸水。しばらくすると、背中合わせの席に客。日本語メニューを頼んでる。全くどこへ行っても日本人の姿はあるのに、ダッハウではあれだけの人がいても、一人も見かけなかった。まあ、ほとんどの日本人には興味のないことなんだわね。運ばれてきたのは、豚のすね1本骨付きと、直径7~8cmのクヌーデル2個と、別皿に赤キャベツの煮込み。
ウェイターに”How many languages of menu do you have?”と聞くと、”Russian, Italian, English, Japanese, Chinese and German”、別のウェイターが”Where are you from?” ”I’m from Japan.”と言えば、このウェイターおどけて「いち、に、さん、し・・・」と数え始まったので、こちらも思わず”eins, zwei, drei, vier, funf, sechs, sieben・・・・“と応戦。するともう一度、「いち」から繰り返し、”Is that right?” “Yes, Correct” 挙句に”I like Japanese girl.” ハイハイ、もうgirlの域ではないんですけどね。最初のウェイターがあきれて笑っていた。
9年ぶりにハクセを食べた。クヌーデルは初めて。う~ん、「もちもち」な食感とは知っていたが、これはおなかにたまる。味もないから飽きる。赤キャベツの煮込みはRさんが大好きと言ってたっけ。ま、酸味があっていいけど自分はザワークラウトの方が好みかな。頑張ってブタと赤キャベツは完食。クヌーデルは一つの半分しか食べられず。デザートは胃薬。
おなかパンパン。30分かけてゆっくり戻る。チップの小銭をくずしたいのと、食後のコーヒーが飲みたくて、駅のスタンドでカプチーノを注文。普通サイズが€2.8って結構なお値段ですな。歩き疲れて足が痛いけど。腹ごなしにいい運動だった。部屋に戻ると、メモしておいたようにちゃんと、枕カバーとシーツが新しくなっていて気持ち良い。連泊すると、そのままになるケースがほとんど。しかし、ハンドタオルがないので、House Keepingに電話、しばらくして届いたのは、大きなバスタオルとフェイスタオル、あらあら、ま多い分にはいいけど・・”Thank you!” 入浴剤はマカダミア。オレンジ色の結晶が溶けて黄色に。毎日楽しみ。今日も一日お疲れでした。
7日目
6:30朝食。今日は隣国へ遠出する。バス乗り場へ行くと、既に長蛇の列。後ろに並んだペルー人一家4人がパスポートを持ってくるなんて聞いてないということで、出発間際にホテルに取りに帰ったり、最前列にいた女性一人が同じくパスポートなしで降ろされる。やれやれ・・。チェックインにもたもたして20分遅れの8:50出発。2階建ての大型バス。今日のガイド Jacklynは始めの受付で心配になったが。説明ポイントは明確でよい。
11時過ぎザルツブルク着。バス駐車場は分かりにくく、皆で歩いてモーツアルト広場へ。ここで2時間のフリータイム。とにもかくにも急いで橋を渡り、ホテルザッハーを目指す。フロントでカフェザッハーの入り口と、ザッハトルテを食べられるか聞く。フロントのお姉さん”Yes!”と満面の笑み。重厚なホテルの中を横切ってカフェザッハーへ。まだ客まばら。
窓際の席を取って、オリジナルのザッハトルテとロングエスプレッソを注文。本日のミッション①クリア。ケーキの中のスポンジはけっこうポソポソ、甘酸っぱい、が、コーティングのチョコが甘い。山盛り生クリームは甘くないので、いっしょに食べ、苦いコーヒーを飲んでちょうどよい。
後から日本人が2組やってきた。全く、食べるときはいつもそばに日本人て何だかねぇ。さて、ゆっくりしている暇はないので、ウェイターに声をかけて会計を頼む。€11のところ、€20札を出すと、€1を持っていないか聞かれたので、「探したんですけど、なかったのよ。」と財布の小銭を全部テーブルの上に出した。ウェイター”Ok, just give me 90cents.”というので、残りの5cと1cも指で差出し、”You can keep those.”と言ったら笑って受け取った。ウィーン店はいつも混んでいるらしいので、ちょうどよい機会を逃すまじ。こちらの方が名前由来のホテル併設だし。
さて、店を出て、今度はミラベル宮殿を目指す。近くのはずが見当たらない。と、前方に白人女性2人が地図を見て何やら探している。「すみませ~ん、方向をお聞きしたいんですけど・・」聞けば、ミラベルから今歩いてきたところだと。的確に教えてくれた。ありがとうございます~。
ちょっと戻って、交差点を言われたとおり曲がると、すぐだった。真正面に宮殿を見ながら前庭の白い砂利道を歩く。カンカン照りで暑い、汗ばむ。赤色の花がきちんと手入れされて、白い砂に映えて美しい。ここはサウンドオブミュージックの舞台でもある。遠い昔、高校の英語の教科書で、興味を持って、映画に出てくる挿入歌を全部歌えるように練習したっけ。ジュリー・アンドリュースの発音は、歌っていても明確でわかりやすく、勉強するにはもってこいだった。実話に基づいているというのが、また興味を引くのである。ミッション②クリア。
今度は別の歩行者専用橋を渡って戻る。次の目的地のレストランを目指す。同じところを行ったり来たり、でも見つからない。通りに名前が書いていないので、自分がどこにいるのか確信できない。時間が過ぎる。あきらめかけたところで、ある店の前で、どう見てもこの店の人が外にいた。地図に書き込んだレストランのスペルを見せて聞くと、教えてくれた。あ~やっぱり、通り過ぎたところだ。急いでいくと、ちょっと奥まったところにあった~!
Salzburger Nockerlとコーヒーを注文、「あまり時間がないので急いで。」というと、10分ぐらいはかかるという、OK。しばらく待って届いた時に、支払いも済ます。その名のとおり、ここの名物スウィーツだが山型3つ分が普通サイズ。Rさんも「いや~食べられないでしょう。」と言っていた。が、ここは「for one」をメニューに持つ唯一貴重なカフェなのだ。日本で偶然探し当て、地図にマークしてきた。ホテルでwifiがうまく入らないのでよかった。やっぱりアナログ、紙ベースが確実。形はかわいい、もこっとしたメレンゲのよう。かなり甘い。下にひいてあるラズベリージャムが酸味があってよい。ミッション③クリア。
Horse wgon in Salzburg
salzburger nockerl
ここで既に12:30をまわっていた。集合まであと55分しかない。さっと食べて行こうとしたら、なんと雷ゴロゴロ、雨が振ってきたと思ったら土砂振り。まじか~、出るに出られず。南国のように毎日スコール。でも短時間でやむ。祈るように時計と外をにらめっこ。12:50、もうこれ以上待てない。少し明るくなったし、と意を決して外に出ると、もうほとんど降っていない。ちょうど屋内にいた時に雷雨なんて、奇跡としか言いようがない。幸運だ。真っ直ぐモーツアルト広場を目指す。時計を気にしつつ、途中の店で少し土産を買って、広場に着くとまだ数分ある。
ここで、はっときづいた。同僚に約束したザルツブルクの塩、まだ買ってない!全然見かけなかった・・どうしよう。目の前のInfoに入って聞くと、それは昔の話でザルツブルクは塩の運搬で町が繁栄しただけ、というのはもうない、と。「でも小瓶に入った土産用のものの写真を見た。」と食い下がるが、”Sorry, no more here, madam.”と言われてぐすん。何て言おう・・甘いものが苦手で何を買って行っても手を出さないので、塩はどうかと冗談で言ったら、珍しく「それがいい」と。だめか~とあきらめかけ、まだ皆が集まっていないので、最後に入った小さな店。そこにあった!! 瓶入りのbath salt 、となりにtable salt、なんてラッキー!店の主人に食用であることを確認し、思わず「やっと、見つけた!」と事の次第を話したら、主人も喜んでくれた。ミッション④クリア。
しかし完全制覇とはいかなかった。Furstでしか買えないチョコは店を探す時間がなかった。まあ、初めての土地で2時間で4/5クリアできれば良しとするか。
13:50バス出発、Jacklynが1名missingと。あらまあ。この後、ボートツアーがあるので、万が一遅れた人がいても待たないで出発しますと、バスの中で説明していた。問題は、英語ツアーなのに英語をよく理解しない人たちが乗っていること。朝パスポートを忘れたペルー人一家(結局、取りに行って間に合った)がちょうど前の席に座っていたが、どうもわかっていない様子だったし。
15時過ぎ、ザルツカンマングート到着。湖クルーズまで30分フリー。ホテル・レストラン・土産物店が軒を連ねる一帯を歩きつつ、名物らしいジンジャーブレッドを探す。これまたあちこち覗いて見かけず、最後の突き当りのレストランで聞いたらあった。オリジナルを一つ購入。
15:40出航、30分間のボートクルーズ。船が出てから、Jacklynが3名missingと。あらまた?代金払って、このボートは我々のグループ貸切だってのに。昼の雷雨がうそのように晴れ渡り、ターコイズブルーの湖水が美しい。サウンドオブミュージックの映画の中から3曲(Opening theme, I’m 16, Edelweiss)が流れる。どの曲も一緒に口ずさみつつ、湖岸の景色を眺め、こんな風光明媚なところに生まれ育ちながら、国を捨てて他国に逃げなければならなかった本物のマリアとその家族たちの心痛を思う。
一歩間違えば、昨日見たダッハウの犠牲者と同じ運命をたどったろう。夫トラップ氏は、ドイツ海軍招集命令に反抗、ヒトラーの誕生日に家族で歌を披露する要請を断っている(映画との違い)のだから、まずい状況だったはず。本物のマリアは、後に亡命先のアメリカで、ジュリー・アンドリュースに語っている。オーストリアでは資産家だったのが、難民としてお金も権利も何にもない身分になったと。12人の大家族が、誰一人かけることなく、困難をよく生き残ったと思う。
Wolfgang lake
16時過ぎバスに戻って出発。途中、渋滞にはまりながらミュンヘン到着は19:20。3時間弱もかかった。おなかがすいた、何せ今日は、昼はカロリーはあってもおなかにたまらないケーキ2つ。
バスを降りて歩きだすと、向こうの空が暗い。また降りそうだ。駅内で急いでテイクアウトを探して注文。チキンと野菜のサンドと飲み物のセットにフライドポテトを付けて。これがいちいち通じなくて手こづる。態度の悪い兄ちゃん、ボソボソいうから聞き取れず聞き返すと、いやな顔して怒鳴る、の繰り返し。Diet cokeが通じないって、あなただけなんだけど。途中で気づいて”Cola light”と言えば、今度は「コーラかポテトかどっちなんだ?」という風に怒鳴るし。だから両方って言ってるのに、人の言うこと聞いてないじゃん。
全く「ドイツ語分からねェ客だ。」とあなたが思うのと同様、こちらも「1日の最後にこんな人に当たって最悪だ」。大体、この大都市ミュンヘンの中央駅で、1日に何百人の国内外の客を相手にしているの。今日のクルーズの駐車場のトイレのおばちゃんだって、”50cents, thank you.”って言ってたじゃん。そういう態度じゃ、何年たっても覚えないだろうし、低賃金から抜け出せないと思うよ。全くさ、ブツブツ・・
外に出ると、案の定、雨がポツポツ振ってきた。小走りで道を渡り、ホテルに駆け込む。ホテルが近くてホントによかった。部屋に入ってすぐ食べられるのは、何と楽なこと。今日は忙しかったけど、ミッションほぼ完了。
8日目
ミュンヘン最後の日。朝は青空。7:45ちょっと遅めの朝食。混雑していて、一度とった席を料理を取っている間に、別の人にとられる。テーブルの上の物をみなさいよ、全く。その後フロントで教えてもらったPCのところへ行くと、先客。「すみません。あとどのくらいかかりますか?」ときくと、女性「終わったとこ」とにっこり、よかった。明日のフライトのチェックイン、OK。これで安心。エレベーターで一緒になったのは、昨日のツアーでバスの後ろの座席に座っていた日本人女性2人組だ。朝食でも大声で話していたっけ。
9:40発のHop on/offバス、既に3台がスタンバイ。一番前のバスの傍にいた係員に聞くと、後方のバスを示す。2台目?3台目?どっち?と聞き返し、何だか信用できない。受付カウンターの傍にいた係員に聞けば、「彼に聞いて。ぼく、今日が初日なので。」はぁ、全くどれもこれも役立たず。3人目でようやく、別のチケットを印刷して「1番前のバスにどうぞ」、やれやれ。まだ誰も乗客おらず、2階の一番前をゲット。しかし後から後から乗ってきて、出発時には満席。朝の駅前、人も車もいっぱい。車の排ガスは臭わない、基準が厳しいのだろう。しかし、喫煙者が多い。歩きたばこばかりで、迷惑千万。これはなんとかしてほしい。
大都市ミュンヘン、交通量も多いが、自転車も多い。専用レーンがあるところは少なく、日本同様、車道を走ったり、歩道を走ったり、高いバスの上から見ると危険だ。ヘルメットをかぶっている人はごくわずか。女性はスカートのまま、かごは後ろの荷台においているタイプが多く、ハンドバッグがそのまま置いてある。しかも口が開いてたり・・・いや~こわいこわい。ひったくれられないのか心配になる。トラムが走っているが、車と共有のレーン、つまりトラムがいなければ車が走る。これでよく大丈夫だな。もっとも救急車は日に何度も目にするけどね。個人的には、トラムは道の中央2線を専用にして、車レーンと分けた方が安全だと思う。なぜ、そうしないのか。おそらく、ここは路上駐車が一般的で、それでもう左右2列がふさがっているから。縦列駐車ができないと、ここでは車を運転できない。ホントぎりぎりによく止めると感心する。この隙間では、日本車のバックセンサーはアラーム鳴りっぱなしのはず。
そうこうするうちに、10:20マリエン広場に着いた。見渡すと、おお、目指すヴィクトリアンマルクトがすぐそこではないか。ちょっとした野外ビアガーデンになっていて、既にビールでまったりしている人も多い。店は種類ごとにかたまっているみたい。肉屋コーナー、果物屋コーナー、軽食コーナーetc. 生ジュースのコーナーで立ち止まる。果物がドイツ語だからよくわからない。Blaubeereってbeer? 何?隣の客に聞くと言葉が??店のお姉さんが”Blueberry”と教えてくれた。よかった英語が通じる。
「これは?あれは?」と片っ端から聞くので、「甘いの、酸っぱいの、どっちがいいの?」「酸っぱいのがいい」「じゃ、これは。グレープフルーツ・オレンジ・レモンのミックス」「う~ん、でもそれって普通にあるから味が想像できる。何か珍しいもの、ここならではのものがいい。」わかったわかったというように勧められたのが、濃いオレンジ色のジュース「パッションフルーツ・パイナップル・オレンジ」それにしてみよう。口に含むと、結構酸味があってちょうどよい。果肉が舌に触る。店のイスに座ってゆっくり味わって飲む。こういう自由な時間がうれしい。
気の向くまま、自分のペースで人間ウォッチングをしながら、思えば明日は帰国日。何だか長いことドイツにいる気がする。最初の2日間は忙しかったなあ、移動しながらだったからね。ミュンヘンは観光バスが充実しているので、行こうと思えば、ここに滞在しながら全て行けた。しかし、団体行動+バスに乗っている時間が長く自由がない。高額でも専用車で、個人的にいろいろ話をしながら自由に安心して目的を達せられる心地よさは一度味わうと忘れられない。
さて、ジュースを飲み終わり、今度は果物コーナーへ。そうそう、ここのサクランボは大きくておいしい。朝食で見かけて一度つまんだら、うま♡ 日本で売られているアメリカンチェリーをふた回り大きくしたような感じで、味が濃厚、かじると中も暗赤色。500gと1kgの値段が書いてあるので、そんなにいらない、500gの半分ぐらいでいいと言ったら、三角の紙容器に入れてくれた。今晩食べよう。€3.1 安いよねぇ、これを食べたら日本のサクランボなんて食べられません。ちっちゃいし、味ないし、高いし。
ビアガーデンでランチと思ったけれど、いまいち食べたいものが見つからないので、マリエン広場に戻ろうとして、ふと・・そうだ、こっちの方にホフブロイハウスがあるんじゃなかったっけ、でも地図よくわからなかったなあ、Rさんがメニュー調べてくれたんだよね・・と試しにちょっと歩いてみると、すぐ目の前にハクセンバウアーの文字。オオ! こんなに近いの? ということはもう一つ先を右に曲がるんだったような・・向こうから歩いてくる人にホフブロイハウスの場所を聞くと、「そこ曲がってすぐだよ。」よかった! 見つけた~!!方向音痴の自分、おまけにwifiで直前確認できず、おそらく無理と思っていた地図上のごにょごにょしたところ。
中に入ると、見覚えのある長テーブルが並んでいる。まだ11時ちょっと過ぎでガラガラ。長テーブルを独り占め。メニューを見て確認。しかし、誰も注文取りに来ないというか、スタッフの姿ないんですけど・・ しばらく待って、う~ん、こりゃダメかなあとあきらめかけ、せめて写真だけでもと撮っていると、民族衣装のお姉さんがやってきた。Rさんに調べてもらったSurhaxeとノンアルビール0.5L、ザワークラウトをつけてと言ったら、元々ついていると。OK。
11:30を過ぎると、ぞくぞく人がやってきて瞬く間に長テーブルが埋まっていく。ラッキー、でもビールは届いたが、料理が来ない。巨大プレッツェルをかごに入れた売り子は2~3回まわってきたけど。客数に比べてスタッフが圧倒的に少ない。注文とるのに精いっぱいの様子。お姉さんにやっとアイコンタクトを取って、「料理まだ?」というジェスチャーをする。”Yes, yes,”とうなずきつつ慌ただしく動き回ること、10分ぐらい。12:00になってやっと料理を持ってきた。すかさず「今支払いたい」と、チップも入れて支払。これで安心。これが探しに探したアイスバインですよ!フランクフルト周辺ではいくらでも見つかったのに、こちらの地方では名前も変わっていて、ミュンヘンではここしか置いてなかった。ゆでた塩漬け豚肉、やっぱり焼いたものよりこっちが好みかなあ。でもベロベロ皮までついてきたので、剥がすのが大変。ありがとうRさん、直接レストランに電話して聞いてくれた。おかげさまで「死ぬ前にもう一度食べたい」と思っていたものにありつきましたよ!
12時過ぎて、吹奏楽の生演奏まで始まった。何てラッキー。なんだかんだいってこの旅は、幸運に恵まれている。普段ほぼベジタリアン状態の自分が、ドイツの肉料理は世界一おいしいと思うのだ。この1週間で、3年分ぐらいの肉を食べた気がする。Rさんは日本風の霜降りや脂身のついた肉が好みなんだそうな。肉屋で「脂身もつけて」、と言ったら「1匹丸ごと買えば?」と言われたらしい。自分は、赤身が好きなので、ドイツ風がいい。お互い、人生うまいこと行きませんな・・ そういえば、ドイツには「麺」を食べるところがほとんどない。圧倒的な「肉+パン+ビール」文化だ。ノンアルビールがWeise beer1種だけなのが残念。黒ビールのノンアル出して~!
さておなかがいっぱいになったので、土産物屋を覗きつつ広場へ。どの店も品ぞろえは同じなのよねぇ・・グラスにビアマグ、キーホルダー。Niciブランドの小さなマスコットを探しても全く見当たらない。フランクフルトではあちこちにあったのに。いろんな動物のモチーフがあり、どれもかわいいので9年前にあれこれ悩んだ末に、「1匹」買った。デュッセルドルフで友人に話したら、「ドイツでしまうま?」とあきれられたっけ。でもきょとんとした表情と小さなたてがみがかわいかったのよ。今回、兄弟分を買おうと思ってきたのに・・
Hop on/off バスの乗り場で待つこと20分。カンカン、ジリジリ、あぢ~。ふと遠くを見上げると塔の上に小さな人影。あっ、しまった、市庁舎の展望台に上るのを忘れた・・しかしもう気力がない。ちょうどバスがやってきた。この暑さの中を歩くのをあきらめ、バスで中央駅に戻る。1度ホテルに戻り、サクランボを冷蔵庫へ。電池が切れたカメラを充電しようとしてできず。??どうしたのか?とりあえず、また出かけて、スーパーで土産物のラスト買い出し、駅で今晩の夕食用サンドイッチを買う。時々ドイツ語がふと理解できる瞬間があった。” Zwei dreißig” とか “Zwanzig minuten” とか。遠~い昔の記憶がひょんな時に蘇るのか、不思議。
明日はちょっと早い。今日は早めに寝よう。日本は35~36℃ですと、数字見ただけでげっそり。秋冬まで湯船につかることもないだろうから、ドイツ最後の夜はMellise(レモンバーム)、ストレスによいという青色の入浴剤。おやすみなさーい。
9日間
朝一で最後の朝食。
7:45発エアポートバス。乗り場もホテルからすぐ。土産で重くなったスーツケースを引きずるので、この近さはありがたい。雨でなくてよかった。朝の風景を眺めながら50分ほどでターミナル2へ。搭乗券を確認して降りたのに、ぐるっとまわってもチェックインカウンターはルフトハンザのみ。ん?係員に聞くと、階下だという。下はターミナル1、ん?ん?チェックインはターミナル1、搭乗口はターミナル2、搭乗券には搭乗口のみ記載ってか?よくわからん。
さて、身軽になって、土産店を覗く。思い出した、しまうまの兄弟分。空港がラストチャンス。フロアの端から端まで歩いて探す。おもちゃ屋に入ると、別メーカーの物はあった。レジの女性に「すみません、niciブランドのぬいぐるみを探しているんですが。」女性、あっちと指を指す。指した方向のぬいぐるみはさっき見た。「皆、シュタイフとかテディベアとかで、niciじゃない。」とたたみかけると、”See you” はあ?? 分けわからず。と、”Next shop.” あ~、そういうこと。隣の店名が「Cee’ U」だってさ。いそいそ入ると、あったnici。でも品数が少ない。あきらめて搭乗口へ。もうひとつ、Cee’ Uを見つけた。今度はと・・う~ん、いまいち、やっぱりだめか。もう歩き疲れた。奥に違う店、なんとなくふらふら入ると、niciコーナーがあるではないか。あら、見ると結構違うのがいる。ホントはladybugを探していたけど、turtleかわいい。もうこれが最後の買い物だ、ちょっと迷ったけれど、よし連れて帰ろう。後はアブダビ経由で帰るのみ。
今回もいろんなことを経験して、充実した旅になりました。パーパスの担当の木村さんとRommelさんには大変お世話になりました。ヨーロッパはまだまだ自分にとって未開拓の地が多いので、またどこかでRommelさんに会ってお礼ができればと思います。
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