ポーランド&ドイツ2カ国周遊 ワルシャワ&ミュンヘン6日間
期間:2017年10月22日〜2017年10月27日
S.M 様
今回、ポーランドのワルシャワとドイツのミュンヘンを訪れました。
目的は、ワルシャワは、ショパン巡り、ミュンヘンは、ルートヴィヒ二世ゆかりのノイシュヴァンシュタイン城と彼のお墓参りです。
先ず、ポーランドは、「(色々な国からの侵攻に遭った)かわいそうな国」と歴史で教えられてきました。そして、第二次世界大戦で、壊滅状態にあったところから、這い上がり、今は、見違えるように近代的になったと言う話を聞いていたので、どのように近代的なのか、見てこようと言う思いもありました。
行ってみると、日本の東京ほどではないですが、開けた地方都市という感じで、ホテルの近くには、大きなショッピングモールがあったりと、利便性は、東京と同じ位ありました。
ポーランドに着いた翌日
現地の日本人ガイドさんが案内するメロディというツアーに参加して、ワルシャワ市内を1日観光しました。ショパンの像のあるワジェンキ公園、ヴィラノア宮殿、キュリー夫人の生家、コペルニクス像、旧市街などを見て回りました。
ガイドさん曰く、「ポーランド人ならば、必ずここを訪れる」というヴィラノア宮殿では、ポーランドの歴史について関係者の肖像画とともに教えていただきました。
そこにあったナポレオン像。それは、ナポレオンがフランスだけでなく、ポーランドでも英雄であったことを示していたのです。ナポレオンは、それまで、分断されて、世界地図から姿を消したポーランドを復活させた救世主ということでした。ナポレオンのロシア遠征も、ポーランドの復活を名目としていて、結局は、敗退に終わりましたが、ポーランドでは、未だにナポレオンを英雄として称えているのだとか。私は、ナポレオンのロシア遠征をこれほど評価している話を聞いたのが初めてでしたので、とても驚きました。
戦時中は全壊したものの、美しく復活した旧市街
ヴィラノア宮殿
ロシアの置土産、文化科学宮殿
ヴィラノア宮殿のナポレオン像
ナポレオンは、決してポーランドに愛国心があった訳ではなく、たまたまポーランドの人々と利害が一致したので、協力したわけですが、それだけポーランドの方の愛国心や、国を立て直そうと言う気持ちが強かったと言うこと、ポーランド人の底力を感じました。第二次世界大戦から見事に復活したのも、各国からの侵略の歴史が彼らを強くしたのだと思います。
ポーランドでは、本題のショパン巡りもしました。
ショパン一家が住んでいたという大学の一角や、残念ながら、遠くから眺めるだけにとどまりましたが、ショパンの心臓が安置されている聖十字教会を見学、ショパン博物館も行きました。そこでは、ショパンが晩年に使ったピアノやショパンのデスマスク、左手が展示されていて、ショパンをより身近に感じることができました。
ショパン博物館にあるショパンのデスマスク
夜、ミュンヘン空港に着いて、空港バスで、ホテルへ。
翌日は、ヴィース教会とノイシュバンシュタイン城を巡るツアーに参加しました。
先ず訪れたのは、ヴィース教会です。ヴィースとは、ドイツ語で「草原、牧草地」と言う意味だそうで、その名の通り、のどかな自然の中に、ヴィース教会はありました。外観は、普通の修道院のようでした。
それでも、内部は、天井一面のフレスコ画、絢爛豪華な説教壇、パイプオルガンなど、息を呑むほどの美しさで、私達ツアーのメンバーは、殆ど会話するのも忘れて、写真撮影に夢中になっていました。
ヴィース教会内部にある美しい天井画とパイプオルガン
それから、しばらくまたバスに乗り、牛がすぐそこで草を食む田園風景を眺めていると、段々と白いお城、ノイシュバンシュタイン城が見えて来て、おとぎ話の中に入って行くような、ワクワクする感覚になりました。ノイシュバンシュタイン城の麓にあるお土産屋さんで休憩し、そこのお店を出た所で見たお城は、バスの中よりも、とても立派に聳(そび)え立っていました。
そして、徒歩とシャトルバスでお城に向かいました。シャトルバス乗り場から少し見上げた所に。ルートヴィヒ二世が幸せな子供時代を過ごしたホーエンシュヴァンガウ城と言う、綺麗なレモン色のお城が聳(そび)えていて、こちらも行って見たかったです。
段々と近づいてきたノイシュヴァンシュタイン城
ノイシュヴァンシュタイン城の有名なアングル、マリエン橋の上からの眺めは、最高で、下は、川になっていて、吊橋の上は怖かったですが、皆で立ち止まって写真を撮りました。
城内では、ワーグナーの曲が流れるオーディオガイドを聴きつつ、主な部屋を見学。あの時代に、調理場から食事を運ぶエレベーターが備わっていたのは、何とも驚きでした。
玉座の間から、最後は、キッチンまで見学して、30分程の見学ツアーを終えました。噂で聞いてはいましたが、お城の中の豪華さは、言葉では表現し尽くせないものがありました。でも、お城の中よりも、外からの眺めの方がロマンチックだと思いました。
ルートヴィヒ二世は、現実逃避の為にお城を造って、浪費を繰り返し、最後は、幽閉されてしまいますが、彼の造ったノイシュバンシュタイン城は、ドイツでも有数の観光名所と言うことで、ドイツにとって、欠かせない存在です。それを考えると、人間、どこでどう評価されるかは、亡くなってからも分からないものだと思います。
お城から降りていった所にあるドイツ料理のレストランで昼食。リンゴジュースと、肉料理にマッシュポテトを食べました。そのマッシュポテトがもっちりしていて、食べ応えがありました。あんなに弾力のあるマッシュポテトは、初めてです。
マリエン橋から見たノイシュヴァンシュタイン城
ノイシュヴァンシュタイン城の見学を終えた後のランチ。マッシュポテトの美味しさは格別でした。
次は、ヒュッセンへ。ガイドさんが、しきりに、「皆さんは、本当にラッキー」と言うように、とてもお天気が良かったですが、ヒュッセンでは、ちょうど一番暑い時間帯で、上着も脱いで、街中を散策しました。
メルヘンチックなお店の建物を楽しみながら、ヒュッセン市博物館、聖霊ジュピタール教会を経て、レヒ川のほとりに辿り着いた時には、とても美しい景色が広がっていました。本当は、「ロマンチック街道終点の門」を見たかったのですが、どこにあるのかよく分からなかったので、後は、ツアーの集合時間まで、近くのスーパーなどで、お土産選びをしました。
ヒュッセンの町並みから少し進んだ所にあるレヒ川のほとりにて
10月26日 最終日。
帰国の飛行機が夜出発だったので、日中は、ミュンヘン市内を観光しました。
ホテルの目の前にある、ミュンヘン中央駅から徒歩圏内に、観光名所が沢山あり、まず向かったのは、レジデンツです。レジデンツは、目もくらむばかりの銀食器や、ヴィッテルスバッハ家の一族の肖像画などが飾られた部屋がいくつもあり、その豪華さに、圧倒されるばかりでした。しかも、かなり広いので、旅行の最終日としては、結構体力の要る見学先でした。
新市庁舎のある、マリエン広場に行き、ちょうど、しかけ時計が動き出すところを見ることができました。マリエン広場では、彫像に扮した方などもいて、とても賑わいを見せていました。
それから、ミュンヘンで最も古いペーター教会の尖塔を拝み、「悪魔の足跡」伝説があると言う、フラウエン教会を訪れて、最後に、ミヒャエル教会に行きました。
ミヒャエル教会では、教会自体は無料ですが、地下墓所は、2ユーロかかります。英語がちゃんと通じないチケット売り場のおじいさんから何とか大人2人分のチケットを購入して、地下墓所へ。この旅行の目的の一つ、ルートヴィヒ二世のお墓参りを済ませました。
彼のお墓は、他のヴィッテルスバッハ家の一族のお墓の中で、一番大きく、多くの花束が飾られていて、人気があるのがよく分かりました。
マリエン広場から見たペーター教会
ルートヴィヒ2世のお墓
昼頃には、ミュンヘン観光を切り上げ、ミュンヘン駅前のパン屋で買ったパンを、荷物を預けていた泊まったホテルで頬張った後、ミュンヘン中央駅から空港リムジンバスに乗り、空港に向かいました。
帰国便は、ANAの直行便だったこともあり、殆どが日本人。おまけに、知り合いが前の席だったりして、驚きの再会を果たしました。日本人の行き届いた心細やかなサービスに触れて、大満足の空の旅でした。
まとめ
今回、4泊6日で2ヶ国と、かなり過酷なスケジュールとなりましたが、そんな限られた時間の中で、有意義に周れるように、パーパスさんには、ショパン博物館に行く時間が取れるように、飛行機の時間をずらして下さったり、最終日のミュンヘンで、ギリギリまで遊べるように、帰りの飛行機を、夜出発にして下さったりなど、色々と気を遣って頂きました。
また、宿泊した2つのホテルとも、四つ星で、お得に泊まらせて頂きました。特に、ポーランドで宿泊したポロニア・パレスホテルは、アイゼンハワー元大統領が泊まったと言うだけあって、近代的ながら、とても豪華な感じで、スタッフは、とてもフランク。立地や由緒正しさから言っても、申し分ないホテルでした。
ドイツのホテル、エデン・ホテル・ヴォルフは、建物が古くて、老舗旅館のような感じがしましたが、スタッフの親切さ、心地よいドイツ訛の英語には、とても救われました。
ポロニア・パレスホテル
ポーランド伝統料理、ジュレックスープ
何度かパーパスさんを利用させて頂いている中でも、一番のハードスケジュールでしたが、そのような旅行の中でも、しっかりと旅の目的は、果たして、思い出深い旅にして下さる、それがパーパスさんの良さだと思いました。
今回も、お世話になりました!
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