マドリード~アンダルシアまでスペイン周遊10日間

期間:2018年10月1日~2018年10月10日
S.M 様

GON-001426

73歳(男)の気軽な一人旅。
ラ・マンチャとアンダルシア地方。お目当てはドン・キ・ホーテに書いてあるラ・マンチャの赤茶けた大地。

旅のルート

10月1日

夕刻 マドリッド着

空港からホテルまで30分。大きな町だ。町に入ってから20分走り続けても街並みが途切れない。

10月2日

ラ・マンチャ地方の最初の目的地、エル・トボソ迄約2時間南に向けて車で走る。

道の両側は赤茶けた土地が地平線まで続いている。これは荒地と思っていたが、目を凝らして観察すると、休耕地だ。土地が痩せているので、雨の中の滋養分を土に取り込み、苗を植えるまで、何年か待つのだろう。この赤い大地の1―2割がオリーブやブドウの畑で緑色が鮮やか。土を手に取ると、少なくとも表土は土と言うより砂であった。これでは、大根、ほうれん草は無理だ。

下の写真は手前がオリーブの苗畑、奥が成長したオリーブの畑。

写真

昼頃エル・トソボに着く。

この村はセルバンテスがドン・キ・ホーテを書いた所でいかにも中世の面影を宿している。舞台となった古民家を訪ね往時の家の佇まい、調度品等をみる。なるほどこれがキ・ホーテの思い姫が住んでいたところか。。。

運転手がしきりに修道院に行こうと言うので行く。敷居の窓越しに尼さんが現れる。とても愛想が良い。やむなく手製の菓子を15ユーロで買う。菓子はそのまま運転手に渡した。

エル・トソボ

この村から30分車を走らせカンポ・デ・クリプターナに着く。
丘の上に幾つもの風車が観光用に残されている。風車は回っていない。横浜の風車のように。

カンポ・デ・クリプターナ

ここから30分ほどでコンスエグラに着く。
ここにも風車群がある。やはり丘の上にあり、昔の要塞がある。ここからの眺めは絶景である。

丘の下に見える村の奥にかすかに見える赤茶けた大地がオリーブ、ブドウ園等の休耕地(準備地)。

コンスエグラ

ここ(コンスエグラ)より約1時間北西に行きスペインを代表する古都トレドに夕方着く。

10月3日

トレド徒歩で歩き回る。
町全体が古都である。日本で言えば京都よりは奈良に近い。

狭い狭い路地が蜘蛛の巣のように街を覆っており、うっかり2,3分ホテルから歩いたらもう帰れなくなった。家修理中の大工さん(美しい女性と中年のおじさん)に聞くと手を休めて、スマホ片手に一生懸命にこちらが「分かった」と言うまで教えてくれた。

下の写真はトレドの全貌。川に囲まれた小山である。端から端まで30分で歩ける。

トレド

トレド

トレド

トレドには二つのシナゴーグ(ユダヤ教会)がある。下の写真はその内の1つ。イスラム支配の時代は寛容に扱われたが、中世のキリスト教徒の時代は迫害され、辛くも生き残ったユダヤ人の教会。

シナゴーグ(ユダヤ教会)内部

下の写真はトレドの象徴であるカテドラル。荘厳というより豪華絢爛である。さすがカソリック。

カテドラル

カテドラル

10月4日

トレドから一旦列車で北西のマドリッドに向かう。約1時間。マドリッドからはAVE(新幹線)で約2時間南下。

セビージャ駅に着くと専用車の運転手が待っていてくれた。新市街を周ってもらった。1992年のセビージャ万博で街が一変したようだ。道は広く大使館もメイン道路に集中している。地元をホームグランドにするサッカーチームのサッカー場があり、運転手が興奮して教えてくれた。トレドもそうだが、市民のほとんどがアパートに住んでいるようだ。一戸建ての家は大金持ちに限られているようだ。ワーカーのアパートも町はずれに用意されている。万博やオリンピックがあるとスラム街が一掃され、それなりの住まいが用意されるのは北京五輪やアトランタ五輪の時と同じだ。その必要のない東京は確かに凄い。

郊外のローマ時代の遺跡も訪れた。ローマ風呂、ローマ人の居住跡、円形闘技場跡を見る。闘技場では、ライオンと人間、ライオンとライオン、人間と人間のように色々な陰惨な闘技をローマ貴族たちが楽しんだのだろう。下の写真はローマ風呂跡と闘技場跡。

ローマ風呂跡
ローマ風呂跡

闘技場跡
闘技場跡

10月5日

朝食には野菜がたっぷり。久しぶりなので沢山食べた。マドリッド、トレド、セビージャで計3つのホテルに泊まったが、朝食に野菜が出たホテルはこのセビージャだけだ。いずれもバイキング形式。

買い物に出かける。洋装店で6,7点を買う。Barでいつものように、昼ごはん。宮殿とカテドラルを観ようとしたが、諦めた。長い長い列が出来ていて、1、2時間は待つことになる。30℃近くあり、蒸している。直射日光は厳しく木陰もない、風もない。朝早くオープン直前に来るべきだった。やむなくホテルに戻ってごろ寝した。部屋をギンギンに冷やし、冷たいコカコーラを3杯も飲む。軽い熱中症か?

体力が回復したところで、パーパスジャパンが予約してくれたフラメンコを観にゆく。
約2時間、迫力満点だ。最前列。歌と踊りとギターのいずれも優れものだった。若く美しい女性は10分弱踊り続けた。体はしなやかで、長い長いドレスを踏みつけることもなく、足で床を踏み鳴らしていた。若い男性ダンサーは床を踏み鳴らす音量が大きく、それも厳しく鋭い音だ。これは女性ダンサーにはできない。最後は40代か50代の女性。踊りはしなやかで優美。しかし、終わった後はぐったりしてしまい、倒れそうだった。可哀そうだった。

カテドラル前を観光客を乗せた馬車が行く。馬糞が道路に落ちないように、お尻の下に浅い袋をぶら下げている。馬は競馬馬のように身が引き締まっており性格は穏やか。

宮城前で並ぶ観光客
宮城前で並ぶ観光客

観光客を乗せた馬車
観光客を乗せた馬車

10月6日

朝10時頃車で白い村(アルコス・デ・ラ・フロンテーラ)へ向かう。南南東へ120キロ位。
ここアンダルシア地方はオリーブ、ぶどうに加え綿、オレンジの畑もある。白い村は文字通り白い。家は皆漆喰の白。

村全体が丘の上にあり、車は辛うじて石畳みの狭い道をぬうように登って行く。歩行者の事を考えると車で来るのはまずい。村人は観光収入かそれとも丘の下に広がるオリーブやブドウ畑で収入を得ているのだろうか??

白い村(アルコス・デ・ラ・フロンテーラ)
白い村(アルコス・デ・ラ・フロンテーラ)

白い村の頂上にあるカテドラル正面とキリストの生々しい十字架像。巨大なカテドラルよりはこういったこじんまりした教会の方が親しみを持てる。

カテドラル正面
カテドラル正面

十字架像
十字架像

皆路上のテーブルで食事やワインを楽しんでいる。朝早くから夜まで開いているので、観光客にはとても便利。

ここに限らず、トレドもセビージャもこの手の店が旧市街では軒を連ねている。Barと呼ばれている。レストランはこれとは別にあり、正式なメニューで本格的なスペイン料理を楽しむことが出来るそうである。夜8時半以降開店なので、私は行くことは出来なかった

路上でワインを楽しむ人々
路上でワインを楽しむ人々

カテドラルの近くで鷹を腕に乗せた。怖い顔をして、私を威圧する。

飼い主にエサはどうしているのかと聞く。放す、勝手に近くの森で小鳥を食べて来るとの答え。エサをくれないのになぜ帰って来るのかと返したかったが、止めた。

幾らかと聞くとおまえの自由だと言う。2ユーロ渡した。

鷹を腕に

白い村を後にして、欧州最古の都市カディスへ。約1時間。ここも暑い。

ジブラルタルより北西にある大西洋に面した港町。ここからコロンブスが出航した。旧市街はやはりアパートの連続で道も狭い。ただ、トレド、セビージャと違い何度も建て替えられたと思われる。造船所もある。ビーチもあり、10月にも拘わらず多くの海水浴客がいた。

はしゃぐ少年とおばあちゃん。
はしゃぐ少年とおばあちゃん。

【 雑記 】

人: 皆親切で人懐っこい。自然体で接してくれる。屈託ない人々だ。セビージャのスペイン人は
   アフリカのイスラムとの混血が多いためか皮膚は小麦色か多い。もっともマドリッドより北
   ではどうなのかは分からない。専用車の運転手は3人とも明るくて真面目だった。運転も制
   限速度を完全に守っていた。それでも、他の車に抜かれることはほとんど無かった。多くの
   人が穏やかな運転だ。

家: 旧市街も新市街もほとんどアパートのように見える。日本で見るような一戸建てはセビージ
   ャの新市街の一角、トレドの新市街の一角で見つけた。旧市街はアパートもあるが「アパー
   トもどき」もある。この「もどき」は一戸建てを幾つもくっ付けた感じ。大きい玄関と小さ
   い通用門がセットであれば、それが独立した一軒に相当すると説明してくれた。塀はない。
   門もない。狭い道とアパート群が一体化している。家は漆喰かペンキで塗られているので、
   木造かレンガ、石か良く分からない。旧市街の廃屋の崩れかけた壁を見ると石やセメントの
   ように見えた。

言葉: 行く前3か月ほどスペイン語を勉強した。これで最低限のコミュニケーションはできた(
    できたつもり)。先生に感謝!Bar,ホテル、カテドラルでは英語が通じる。しかしタクシー
    は通じない。料金は乗る前に口頭ではなく書いて確認すべき。ただ、彼らの名誉のために
    言っておくと、ぼられたことは無い。誠実だった。専用車の運転手は最初の2人は英語が
    上手だった。最後の一人は出来ないので、かなり苦労した。

スペイン人の昼食: セビージャの運転手から聞いた話だが、彼らは昼食が中心だそうだ。昼、
          家に帰って2時間位かけて家族と食事し、その後1時間位寝る。それから
          職場に戻って8時頃まで働くようだ。夜は軽い食事。どおりでレストラン
          の開店が遅いわけだ。

車: 車はフランス車が半分位、ドイツ車が3割位、日本車が1割位か。アメリカ車ではFordが
   一人頑張っていた。イタリア車が少ないのは意外だった。起亜、現代も僅かだが走っていた。
   スペインにも車メーカーがあったが、今ではどこかに吸収されてしまったようだ。

気候と服装: 10月初旬であったが、セビージャは蒸し暑かった。半袖でも暑い。Tシャツを
       持ってくるべきだったと後悔した。マドリッド、トレドは日本の10月の気温。
       湿度も低く過ごし易かった。問題は飛行機の中だ。とにかく寒い。イベリア航
       空は欧米人に会わせているのだろうか、長袖、ジャケットの上から毛布を肩ま
       で被ってもまだ寒い。

出発前の準備: パーパスジャパンの方より、注意事項としてスリに気を付けてと言われた。
        そこでしっかり腹に巻きつくポーチを購入した。現地では、移動の時を除き
        手にバッグ等は持たなかった。現金は必要最小限しかポーチに入れなかった。
        しかしスリには遭わなかった。ポーチのお蔭かそれとも貧乏人とみられたか。
        スマホを現地対応にするため、出発前にau shopで設定方法を確認。インタ
        ーネットを使うためには、24時間単位で千円のコスト。Google map は
        確かに現在地を教えてくれるが、あまり役には立たなかった。

両替: 往きは成田でユーロに替えた。帰りは残金をマドリッドで替えようとしたが、1ユーロ
    112円。7日間で20円も円高になったのかと聞くと答え無し。成田で替えると1ユーロ
    129円。両替はすべて成田でやるべし。

ツアープランナーからのコメント

お帰りなさいませ。今回のご希望は、お1人で、スペイン周遊と自由に町の周りを見てみたい、ということでしたので、専用車をつけて特に場所を決めずに周遊していただく形にさせていただきました。ご旅行記を拝見すると、ご自身のペースで町の中を散策されたり、町の外の風景など非常に細かに描写いただいていて、実際に行ったような気持ちになりました。ありがとうございました。

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