ベトナム縦断紀行
ハノイ・ハロン湾・ホーチミンシティ滞在11日間

期間:2018年12月20日~2018年12月30日
Y.S. 様

GON-001446

食道楽ベトナム旅行記

<ベトナムで学んだことダイジェスト>

* 市内の歩道=バイクの駐輪場、と思うべし・・人間は車道を歩く。
* 道を渡るときは、前を見て一定のスピードでゆっくり堂々と歩くべし。
                ・・・バイクと車の方が避けて通る。
* 大きめの財布を用意すべし・・ベトナムの通貨は紙幣のみで財布が膨らむ。
* ハロン湾クルーズは、意図して泳ぐつもりがなければ水着もビーチシューズも不要。

1日目

初めてのベトナム航空機は定刻出発。ハノイまで6時間ちょっと、ミールサービスも1回。可もなく不可もなく。ハノイに着いたら、あづ~い。イミグレは長蛇の列。荷物はなかなか出てこないし、待っている間に汗ばむ。人が多くて到着口はごった返し。ネームカードが見当たらないので、先に両替をしようとカウンターへ行けば、3~4人の係員がそれぞれに複数の客を次から次へ相手をするからカオス状態。多量の紙幣がカウンターの上にむき出しで置きっぱなし。一人ずつ着実にこなしていけばいいのに。50万ドン札を10万ドン札にしてもらう。札をしまっているそばから「タクシーは?」、「SIMカードは?」と聞いてくる。もう何の店だかわかりゃしない、やれやれ。

ネームカードをよく探せど見当たらない。歩いているうちに外に出てしまった。後ろを振り返ると「A-1」、あ、こっちからでてもうた・・中で確認して出てきたつもりが。別の出口に、人をかき分け歩いていくと、いたいた、よかった。Hungさん、よろしくお願いします~。

しばらく走って旧市街のホテル到着。チェックインの間に、ウェルカムドリンクとスナック、おしぼりが出てきた。ハノイのホテル選びは苦労した。最初の提案ホテルの立地が不便だったのと、気になる口コミがあったので、あちらこちら探して最終的にEmerald Waters Trendyにした。ここはスタッフの評判が良い。なるほどその通りだ。ドアボーイからトラベルデスクの係員、英語が流暢なフロント、皆目が合うと微笑み、非常に礼儀正しく応対する。

部屋はSuite Balcony with city view、一番上のカテゴリーだ。HPに乗っていた写真よりはやや狭いが、バルコニーは丸テーブルと4人分のイス、大きな植木があって、もう一部屋作れそうな広さ。見晴らしは、よろしくない。ここを含めてお隣4件が全てホテル。間口が狭く、ウナギの寝床のような建物が通りに沿ってびっしり並んでいる。当然、低層階は隣のビルとくっついているわけで、窓なし部屋ができる。7Fのスイートまで登って、やっと道路の向かい側のオンボロビルと、遠くに空の一角が見えるというわけだ。ドアにのぞき穴はなく、避難経路の表示もない。う~ん、まあ火事になったら、ベランダ越しに隣の建物に移るか・・・ミニホテルの弱点はこういうところ。考えたくないが、非常事態になったら、逃げようがないかも。

荷物を少し整理して、近くのスーパーへ。もう17:00だ。途中の小学校がちょうど終わったのか、子供達とお迎えの親で大混雑。めくらめっぽうに走り出す子供達にぶつからないようによけながら歩く。スーパーは思ったより小さかった。野菜果物はたくさんあるけれど、今すぐ食べられそうなものは売ってない。仕方ないので、戻って角を曲がったところにバインミー屋さんがあったはずと、上を見上げてキョロキョロ、ちゃんとドアがある(これは貴重)小さな店があった。ドアなしオープン店は衛生面が不安。ベジタリアンバインミーと冷えたペプシライトを買って、部屋に戻って夕ご飯。全部で\230位。フランスパンがうま。今日はほとんど動いていないので、これだけにしておこう。

そういえば、店で大きな札を使おうとしたら断られたので、ホテルに戻った時、細かくしてもらおうとフロントに近づいたら”Ms. ○○, may I help you?” ときた。えっ?チェックイン時にいたっけ?このフロントマン・・もう、ちょっと感動もの♪ 客の名前が即座に出てくるとはすばらしい。まあ、確かに今回は連泊するけれど。

明日はハロン湾クルーズに出かけるので、1泊分をボストンバッグに詰め替える。寝るころにはちょっと小腹がすいたけど、朝のフォーを楽しみに、早めにお休みなさい。

2日目

6:00起床。すぐ出かけられるよう用意をして、6:30レストランへ。最上階の8Fなので、階段ですぐ。これは便利だ、何せエレベーターはたった1基。1番乗りで窓際の席をゲット。ベトナム風サラダは、少しずつ全部食べてみる。2皿目は温かい料理。3皿目はフルーツ。グアバに、ドラゴンフルーツ、大好きなパッションフルーツ、これはうれしい♡

滞在中に一生分食べるぞ~!一通り皿にとって、そろそろ時間が気になる、というころに個別メニューの注文にやってきた。もっと早く言って。ベジタリアンフォーを頼む。どの位かかるか聞いたら、10分と。OKって、5分もしないで持ってきてくれた。やさしい塩味。だしが効いているが魚しょうの味だ。チンゲン菜とコリアンダーの鮮やかな緑。野菜のゆで具合は絶妙。しかし、麺がやわらかい。あれ、本場のフォーってこんなん?う~ん、「麺はコシが命」派なので、あまりにふにゃふにゃで、口へ運ぶ前にちぎれるのはちょっと・・

そそくさと食べて、部屋に戻って支度して7:30にチェックアウト。スーツケースを預かってもらう、フロントは極めて丁寧。接客サービスは抜群ですな。と、すぐ迎えがやってきた。アオザイ姿のお姉さん。ここはホテルフロントもフライトアテンダントも、女性はアオザイを着ている。迎えは、最初が私で、これからあと8人をピックアップするという。「Alisaに乗るんですねえ。彼氏が乗船しているんですよ。」とちょっと自慢げなお姉さん。「あら、じゃあいさつしなくちゃ。」「オペレーティングをしているんです。」「ああ、じゃ会う機会はないかな。」リムジンバスにしてよかった。

両側の窓沿いに一列の席。まるでマッサージチェアのようなどっしり・がっしりしたイス。座り心地抜群。この時間帯はラッシュアワー。時間にスタンバイしていない客を2か所で待って、全員集めたころには既に50分経過。混載のデメリットはこういうところ。時間にルーズな人間が必ずいる。そういうのに限って、他人を待たせておいて、平然と乗り込んでくる。

ハノイの郊外に出ると、やっと空間が目に入るようになる。市内は空きスペースというものがなくて息が詰まる。交通ルールなど関係なし。バイクは車道のど真ん中を、我がバスはバイク用の側道を無理やり走り抜け、前の車を追い越す。バスのドライバーがシートベルトをしたので、あわてて自分も。乗客には何も言わず、自分だけシートベルトを締めるドライバー。我が身は自分で守れってか。

ベトナムの街並みは本当に特徴的だ。通りに沿って巨大な本を縦に並べたよう。背表紙のみ、通りから見え、お互いにぴったり隙間なくくっついている。定められた間隔をあけなければならない日本と対照的。節税対策のため、通りに面した「背表紙」は狭く、後ろに細長く伸びている。サンフランシスコの古い街並みがやや似ているか。あれは、急こう配の坂に隙間なく建てることで、地震の際に互いに支え合って倒壊を防ぐ目的らしい。サンアンドレアス断層があるからね。ここベトナムは、「壁に穴開けたら、隣んちに突き抜けた。」なんて、現実にありそうだ。

途中1回ドライブインで休憩。ハロン湾周辺のホテルに滞在する人もいて、ホテル2か所で降ろしつつ、約3時間かかって港に到着。長い道のりだ。途中で、バスの係員のお姉さんが、復路は別のバスになるというので、別の会社のバスがピックアップしてくれるのか、と聞くと”I’ll ask my boyfriend.”と言って、すぐ聞いてくれた。船のスタッフがちゃんとわかっていて、客をバスに振り分けるそうな。ありがとう。こういうところ、アジア的。自分の仕事の範疇外でも、できるだけのことをしてくれる。これが、欧米だと(特にアメリカ)”I don’t know.” と肩をすくめて終わり。

船ごとにチェックインブースが分かれている。チェックインすると”Alisa 1”というので、聞いたらやはり2船あるそうな。お姉さんが今日はAlisaは客が80人もいると言っていた。1隻でそんなに乗れないから、もしかしてと思っていた。ドックには2隻のAlisa Cruiseが並んでいる。う~ん、左がいいなあ、ベランダがクラシックで、でもなんとなく新しそうだ。係員の後について皆でゾロゾロ乗船。ざ~んねん、右の船でした。

まずダイニングルームで説明を受ける。あれ、キャプテンからじゃなかったっけ。通訳ガイド担当のお姉さんが、安全上の注意と装備品について説明。部屋にライフジャケットがあるのは心強い。いざとなれば、さっと羽織って、ベランダから飛び込めばよい。そしてクルーの紹介。キャプテンって、あらさっきチェックインの受付してくれた人だ。まだ若いね。今日と明日のスケジュールがテーブル毎に配られる。部屋は201、2Fか。一番上が良かったな。続いて、ディナーのメニューを持って係員がテーブルをまわる。アレルギー等食べられないものの確認だ。ガーリックが嫌いな旨を伝えた。テーブルひとつひとつ周るから時間がかかる。もう少し効率的にできませんかね。

13:00やっとランチ。おなかペコペコ。朝あんなに食べたのにね。ビュッフェ形式なので、各種サラダ、海鮮スープ、暖かい料理、デザート、ひととおり食べて満足。デザートコーナーで ”sticky rice” という真っ黒なものを勧められて、何だこれは、とおそるおそる口に入れた。ああ、お汁粉もちなしだ。ほんのり甘くて、豆はあずきよりだいぶ小さいものがたくさん。ウェイターがテーブルのそばを通り「どう?」と聞くので、「とても似たスイーツが日本にあるんだわ。」「ああ、食べたことあるんだ。」

レストランの入り口からすぐのところが部屋。トイレの隣と言うのが何とも、ですが。入ってみると、HPの写真より小さい。プロのカメラマンはさすが。まあでも、海側は一面ガラス戸で、ハロン湾に浮かぶ岩山が目の前に浮かぶ。引き戸を開けると、すぐ手すり。ガラス戸の傍の一人がけソファに座って、外を眺めて満足。い~ですなあ。一面いっぱいの景色を独り占め。いろんな船が見える。海面との距離も近すぎず、遠すぎず、ちょうどいいみたい。

Halong bay
Halong bay

Halong bay from Alisa
Halong bay from Alisa

1時間ほどしてボートに戻る。途中でカヤック組を拾ってAlisaへ戻って休憩。今度は16:00、スンソット洞窟に向けて出発。朝のハノイはどんよりで、雨の確率も高く心配したけど、何とか天気はもっている。他の船のグループも次々とやってくるので、暗い洞窟内ではぐれないようにガイドにくっついて歩く。中はライトが設置され、足元もきちんと舗装されて歩きやすい。もっと自然に近いアドベンチャーかと思っていたけど、観光用にかなり整備されている。あちこち、ごみ箱まで設置されていて興ざめ。色が周期的に変わるライティング、大きなチャンバーは、歩道のライティングがずっと続いていて幻想的ではある・・・まあ、こういうところが先進国のコンセプト:「安全性を確保しつつ、できるだけ自然に近い状態で」とは対照的。

多人数グループであること、またガイドが小柄で客にまぎれてしまうことから皆、彼女の姿を探して時々キョロキョロ。時々立ち止まっての説明は、昔のドラゴン伝説うんぬん・・まあそういうことより、地質学的なことが聞きたいなあ。成形過程は?色の違いはどんな成分?「次はピンクの服を着てきます。どこにいるかすぐ分かるように。」って、ガイドとしては基本中の基本ですよ、お姉さん。目立つ服装(常識内で)かつ目立つものを持ってガイディングしないとね。見学中の階段の段数は計720段ですと。いい運動になりました。

スンソット洞窟から
スンソット洞窟から

17:00過ぎにAlisaに戻る。部屋にいて大音量とビート振動にびっくり。うるさ~い!何なのいったい!? 18:30クッキングクラスがあるので、3Fに行ってみた。大音量の元はテラスバーの大きなスクリーンだった。現代欧米の多分ホットな音楽がガンガン。お~い、何たるミスマッチ。これから伝統的春巻きのクッキングだというのに、隣でまぶしい光と大音量。ハロン湾の星風に静かに吹かれたいのに・・周りが暗い海だから余計にきんきら。作り方の説明がよく聞こえないじゃん。見よう見まねでやってみる。既に具材は混ぜられているので簡単。ライスペーパーを湿らせ、適量の具材を乗せてくるくる巻き、端を折って、後はスタッフが揚げてくれる。待つ間、ピーナツと揚げせんをつまみながら、夜景を眺める。あちこちに船が浮かんでいる。しかし、大音量がうるさい。生バンドを入れて、演奏させればいいのに。少なくともベトナム音楽にすべき。何も春巻き作りながら、欧米の音楽をがなり立てなくてもさ。そんなもの、いつでも聞ける。全員ほぼ、一生に一度のハロン湾上の夜でしょ。揚げ春巻きの出来立てをもらってハフハフ味見して、そそくさとルーフトップへ逃げる。ここは静かだ。海上に浮かぶあちこちの船の明かりが、暗闇に浮かんで夜景が美しい。やっぱり1泊にしてよかったなあ。日帰りでは忙しくてもったいない。

19:15 ディナーへ。コース料理で、まずパンプキンスープとガーリックブレッド(何のために、ガーリックがダメって最初に言ったのよ!)、マンゴーサラダと焼きカキ(加熱しすぎか身が縮んで殻と不釣り合い。おまけにガーリックの薄切りが乗っていて間違って口に入れて吐き出した。重ね重ね、全く。)、焼きエビ、メインは春巻きを自分で作りながら食べる方式。白身魚をテーブル毎の加熱鍋で焼きながら、具材としてくるくる。魚はあらかじめ焼かれたものが配られるので、生焼けはないが、手は油で汚れるし、固形燃料1つに対し、1人分の少量の具材なので、途中から焼け焦げて真っ黒。頻繁にひっくり返すも、魚が熱くてライスペーパーは破れるし、もうさんざん。面白いけどテーブルの上がすごいことに。ライスペーパーも魚も追加されて、おなかいっぱい。デザートはパイナップル&チョコレートケーキ。頼んだコーヒーは、非常に苦く真っ黒に濁って粉っぽい。う~ん、いったいどうしたことか。

食べ終えたのは21:00近く。客数に対してスタッフが足りないので、料理と料理の間の待ち時間が長い。食事に1.5hrねぇ。一人旅にコース料理は時間の無駄が大きい。話し相手もいないし、テーブルでぼーっと待っていなくてはいけないし、退屈この上ない。隣のテーブルといっても、皆家族や友人同士でかたまっているし。全食事ビュッフェ形式を希望したけれど、そのような船が見つからなかった。ま、1泊が限度ですな。おなかパンパンで部屋に戻って胃薬。イカ釣りはもう結構。バスタブはジャクジー、これもカラーライティング付。湯船につかりながらディスコ気分てか・・笑える。周りにシャワーカーテンがないので、水浸しにならないように気を付けて入る。日記を書いて、00:00お休みなさ~い。

3日目

6:30起床。早朝ヨガはスキップして、7:00朝食。昨日から食べてばかり。パッションフルーツジュースとコーヒー、キュウリとトマト、スイカを少々。しかし皆さん、よく食べるなあ、オムレツバーに行列。夕べ21:00まであれだけ食べて、朝から卵肉なんて、とても入らない。

部屋に戻って支度。夕べ、バスルームの換気扇が故障。スイッチを切ったら、二度と入らなくなった。スイッチにひびが入っていて何だろうと思っていたのよね。2017年造船のまだ新しい船なのに、きっと皆同じようにon/offを思い切り繰り返した結果か。ルームライトもちょっとおかしかったし。接触不良かな・・・いや~このクラスの船のシニアスイートでこれですからね。船に乗るときはとにかく「ケチらず、なるべく上のクラスを」と、かつてアラスカで知り合った、ハワイで旅行業を営む日本人に教わった。全くその通りだわ。

7:50 小型ボートに乗ってTi-top島へ。滞在1時間。ビーチにいるか、頂上の展望台に行くか選択。片道400段と聞いて、気持ちがしぼむけど、食べてばかりだから頑張ってみるか。狭い階段がくねくね。下る人の列をときどき待つので、ちょうどよい休憩時間。汗をかきつつやっと着いた。いい眺めだけど、人でごった返し、入れ代わり立ち代わり写真撮影で忙しい。眼下には大小さまざまな船がいっぱい。大観光地ですな。海も汚れるわけだ。そろそろ規制が必要かもよ。下りは楽。重い体重に膝がちょっと心配だけど・・汗びっしょりでビーチチェアで一休み。欧米客は泳ぐの好きなのよね。とてもこの中に入ろうとは思わない。

8:50 ボートでAlisaに戻って荷物をまとめる。9:45 ブランチ。はぁ~しかし、これでもかというくらいの食事量。どの船も似たり寄ったり。でも4回目のこの食事が一番口にあった。飲茶、カニの甲羅の詰め物、ベトナム風チャーハンに焼きそば、フォーも作ってくれた。デザートはまたまたパッションフルーツにドラゴンフルーツ。フォーの肉は選択できるが、真っ赤な生肉が・・そういえばそういうのもあったっけ。いや~常々ステーキもウェルダンしか頼まない。安全第一ですよ。  飲み物は全て別清算なので、食事の後に支払い。4食でしめて$10。ま、観光客値段です。ベトナムコーヒー$3って、高くない?普通のコーヒーのつもりで注文したのに、ベトナムコーヒーをブラックで飲む人いないんでない?どおりで濁って苦かったわけだ。  11:00 帰港。スタッフのあいさつの後下船。出迎えはどこ?人込みのカウンターで聞くと、「BUS 3」の紙切れ。来たら呼ぶと。12:15? はあ?あと1時間もあるじゃん。荷物を引き取り、待合室でこっくり。とにかく船上は時間刻みのスケジュールで疲れた。

11:50 バスコール、ちょっと早めでよかった。ベトナム風の三角麦わら帽をかぶったお姉さん、バス乗客の点呼を取って「忘れ物ないか、ダブルチェックして。長いこと待たせてすみませんでした!」と降りて行った。こういうところ、日本に似ている。他国なら無言か、「バスが早く来てラッキーだね、君達。」となる。お国によって大違い。

満席で隣は知らない人。足が伸ばせない。ちょっと走るとバスを止めて運転手が”Sorry, 2min.” と降りて行った。数分経って、やっと戻ったと思ったら今度は紙とペンを持ってまた降りる。いったい何?乗客の一人が後を追う・・・いったい何が起きているのか見えない、説明ない。10分後にやっと戻ってきた。何なんだ?しかもこの運ちゃん、運転中ず~っとスマホとガラケーをいじりっぱなし。電話が何度もかかってきて、話しながら片手運転。まるで株のトレーディングでもオンタイムでやっているようだ。ちゃんと運転に集中してよ!この渋滞の中を両手でハンドルを握った時間は、3.5hr中トータル10分もないのでは。あきれる。途中の休憩は往路と同じ場所。ちょっと土産と今晩用のカットフルーツを購入。ハノイに入って、最初に降ろされた。ラッキー。

ホテルに入るとフロントの女性が立って近づいてきて、「お帰りなさい。ハロン湾どうでした?」と。覚えていてくれた。バウチャーを見せなくて済んだ。飲み物を聞かれて「何か冷たいものを」とソファに座ってちょっとおしゃべり。「あの、もしかしてあなたJasmineさん?」と聞くと、やはりそうだった。「あなたね、とてもいい評判ですよ。名前は知っているけど、どの人かわからなかった。もしかしてと思って。」彼女、嬉しそうに「どうやってこのホテルを見つけましたか?」「この辺のホテルは全部チェックしましたよ。設備、位置、口コミとか。旅行会社は違うところを提案したけれど、ここがいいと思って。」「ああ、どおりで。予約は皆旅行会社から入るのに、個人名だったからどうしてかなと思って。ありがとうございます。」と・・・パーパスの担当者の方に、契約ホテルではないところの予約を入れてもらったからかな・・このホテルのフロントは皆、ベトナム訛りのないきちんとした英語を話すので楽だ。日本のどこに住んでいるのかと聞くので説明。何でも妹さんが千葉にいるので会いに行くのを楽しみにしているそう。2日間、船上でほとんどしゃべらなかったので、久しぶりに会話が出来てうれしい。スーツケースは既に部屋に置いてあると。一昨日と同じ部屋と言って、荷物を持って部屋まで来てくれた。何か問題はあるかと。いいえ、大丈夫、ありがとう。

荷物を整理して、ちょっと小腹がすいたので、ドライブインで買ったジャックフルーツを食べてみる。見たことも触ったことも有るが、食べたことない。ほんのりドリアンに似た香り。濃い黄色のすべすべ果肉。房状の果肉ひとつひとつに大きな種が入っている。味はほんのり甘い。食感は独特。果物のジューシーさはなく、ちょっと野菜的。甘くてコーヒーが飲みたくなった。一昨日、水道水を加熱して飲んだら濁って塩分を感じたので、ペットボトルの水を沸かして、日本から持参したドリップコーヒーを入れてみる。う~ん、うま♡ いかに水が大切かよくわかる。やっぱりコーヒーは濁りなく、香りが大切。世界のあちこちで飲んだけど、トルココーヒーより、アラビックコーヒーより、ブラジルの本場高級ブルーマウンテン100%より、スタバの豆を買って挽きたてを入れるのが一番好みって笑える。

バスタブに湯をためてみた。湯量は一昨日確認済み。持ってきた「登別の湯」を入れて足を延ばす。「あ~あ、ごくらくごくらく」やっぱりお湯に浸るとリラックスできる。このホテルの設備は大したものだ。Wi-Fiもちゃんとつながるし。お風呂から出て明日の天気をチェック。ん?雨?気温下がるな、傘を持って行こう。長袖にするかな。日本を出る直前にGoogle mapが開かなくなって原因不明。Updateが入っていたのでやってみたら、復活!よかった~。ちょっと時間に余裕があるのでTVをつけてみた。National DiscoveryでChina Airlinesの事故調査について。航空機事故は明日は我が身だから興味がある。22年前のしりもち事故がそもそもの発端て・・そんな機に乗るかどうかなんて「運」以外の何ものでもない。ホーチミンへの国内線、大丈夫かな。

4日目

7:00 朝食。ちょうど空いた窓際の席をゲット。ふと外をみて固まる・・ドシャぶりだぁ・・・なんてこと、今日は市内観光なのに。しかしこのホテルの朝食はまるでランチ並み。いわゆる西洋文化の朝食とはまるで違う東南アジア的、シンガポールやマレーシアに似ている。メニューも一昨日と違うのでついついとりすぎ。オーダー制のメニューをにこやかに持ってきて「どうですかぁ~?」と聞かれて、ついストロベリーワッフルを頼んでしまった。食べ過ぎです。明日からは気を付けよう。小さなホテルなので、皆個人客。欧米人カップルにアジア系少人数グループ、静かでこじんまりしていてよい。が、8F最上階というのに、下界のクラクションや騒音が響いてくる。レストランのベランダに出て下を眺めてみる。我が部屋のベランダの幅=このホテルの幅、ということか。ベランダから覗くともうお隣のホテル。日本の自宅の幅より狭いんじゃない?ゆっくり食べて部屋に戻る。そういえば、あのどしゃぶりは、食べている間にいつの間にかやんだ。助かった。でも湿度が高いので蒸し暑く感じる。やっぱりTシャツにしよう。

8:30 ロビー。Hungさんがいた。「お早うございます~。」Jasmineにもあいさつ。さて今日は、最初にホーチミン廟に向うも、車の中から見えた長~い行列にあ然。え、ここに並ぶの?どのくらいかかるか聞けば、1時間半くらいって。は?何ですと?ディズニーじゃあるまいし、2度聞き。日本語間違ってない?いつもこのくらいって、いや~冗談でしょ。予定変更、タンロン遺跡に向かう。ベトナムの古い何代もの王朝歴史、フランス統治時代、そしてベトナム戦争の大まかな流れがわかる。しかし、Hungさんの日本語がかなり心もとない。語順、時制、発音どれも弱い。聞き返すうちにだんだんイライラしてきて、英文の説明を読むからちょっと黙ってて(とは言わなかったけど)。○○王朝の時代といっても、順番を覚えているわけではないので、年代か世紀で言って。後から聞くに、日本に3~4年いて、最初の2年間日本語学校に通ったらしい。ベトナムにはガイドの資格はないそうな。まあそうでしょうね。いい人なんだけどねぇ。日本語ガイドとしてはもっと勉強しないといけません。数字の言い間違い、さっきと言っていることが違う、発音が微妙で時々わからない。「これは池です。」って、見りゃ分かるさね。歴史遺産の説明中、時制の文法があやふやだと分けわからん。あ~頭痛い。国によってガイドの力量は天と地ほども差がある。観光に力を入れるなら、国の制度が必要だ。国によっては、どのガイドも大卒以上、やたらと英語が流暢だと思えば、英米留学したうえ、その地で企業勤務していた技術者だったりしてぎょっとしたこともある。だから下手に日本語ガイドを頼むより、英語ガイドの方が一般的に役に立つ。タンロン遺跡には学生がたくさん。女性は白黒のアオザイ姿。制服ではなく、礼服らしい。皆で写真撮影だ。何のため?と何回か聞いたが、「皆、たくさん撮りますよ。」って、は?何か会話がかみ合わない。

次に再度ホーチミン廟に戻ってみる。また朝のようならあきらめるつもりだった。でもちょっと列が短くなっていて、30分ぐらいというので貴重品だけ持って列に並ぶ。後から分かったが、結局、上野動物園のパンダ見学のように(例えが不謹慎で失礼)、皆ぞろぞろ歩いて一回りするだけなので、長い列だが、泊まらずにゆっくり歩き続けるのだ。所々に儀仗兵が立っていて、廟の建物に近づくと、帽子を取れ、サングラスを外せと言った指示をする。外は蒸し暑いが、廟の中はおそろしくエアコンが効いている。ライトアップされたガラス張りの中にご遺体が横たわって、四隅を白服の儀仗兵が守っている。Hungさん曰く、ロシアから技術者を招いて遺体保存をしたそうな。具体的な方法は公表されていないらしい。ロシアは防腐処理ならお手の物だわね、北朝鮮にも近年技術協力したはず。社会主義国は著名政治家の遺体保存が慣習化している。でも本人の遺言は荼毘に付して3つに分け、北中南に安置してほしいとのことだったって。遺言を守らずに、勝手に死亡時のままの姿を50年間もさらすってどうよ・・・自分だったらいやだなぁ。結婚せず、子供もいなかったから反対する家族もなかったってことか。はた目にはベッドに横になって、まるで寝ているように安らかに見えた。

廟を出ると、かつての執務室のある建物とか、ソビエトから寄贈された車が展示されていて、晩年を過ごした居住場所をぞろぞろ見学。ベッドはあっても、トイレも風呂場もないけど?と聞いたが、よく分からずじまい。「ロシアの前はソビエトです。知ってる?」って、知ってます!はぁ~消化不良。知りたいことたくさんなのに。ちゃんとしたガイドが欲しい!これを英米人客相手にやると、クレーム対象になりますよ、ほんと。

近くの一柱寺って、ほんとに階段の上に祭壇があるだけ・・・これを見るころにはポツポツ雨が降ってきた。建物のサイズをゆっくり説明しようとするので、悪いけど「もういいから、戻りましょう!」と振り切った。後でネットで調べるからいい。足早に歩いて、迎えの車にあわてて乗り込む。エアコンが気持ち良い。ドンスアン市場に向かう途中で、ランチのレストランを予約してもらう。朝から言っているのだけれど、「お勧めは・・・」だから、そこはタクシーで戻らなくてはいけなくて、店に呼んでもらうか、自分でぼったくりでないタクシーをひろうか、いずれにしてもめんどいから却下と言っているでしょう!何回かやり取りして最後には、「いいから、このレストランに予約を入れてください!窓際の席ね。」ああ、じれったい。

市場は予想通り、多量の小物・衣類・化粧品等が所狭しと並んでいる。ちょうど昼時で、売り子たちのランチを大きな盆に載せて運ぶ人もいて、ぶつからないようにそろそろ歩く。ちょっと目についた雑貨、値段を聞くと70,000VNDという。「2つ買ったら値引きしてもらえる?」「う~ん、じゃ、130,000」「100,000でどう?」「じゃ120,000」「No」これ以上は出しません。「110,000 just give me 10,000」向こうも粘る、じゃあいい、といって立ち去ろうとしたら「OK, madam. 100,000」商談成立。傍で見ていたHungさん、外に出てから「お客さん、すごい。私、出来ない。」はは、あなたベトナム人でしょ。この手の交渉は百戦錬磨です。物の価値を一旦判断したら、相手がどうだろうと、引きません。どうしても手に入れたいものなんて、そもそもない。

Cau Go Restaurantはハノイのベトナム料理で検索すると、必ず出てくる評判の高い店だ。ホアンキエム湖を眺められる窓際の席がマスト。入口が分かりづらく、店内までHungさんが案内してくれた。ありがとう。エスコートとしては十分なんだけどね。一旦彼とは別れる。  Traditional なんちゃらという魚料理と生春巻きをオーダー。生春巻きはプロが作ると、形がしっかりして、太巻きで、かじってもぼろぼろ崩れなくてよい。魚料理は、テーブルの傍で作り出してびっくり。写真をとりつつ見学。香草を炒めて、あらかじめ火を通した魚を入れて焼き直す。米粉ヌードル、別の生香草、ピーナツの砕いたものが別々に運ばれてきた。“○○source” と言われて、3度聞き直してやっとわかった。”prawn source”、発音難しいからね。食べ方が分からず、ウェイターに聞く。小さな器に好きなものを好きなように入れて、ソースをかけてまぜまぜするのか、なるほど。お会計はtax 15%込みで、¥2,620。外国人相手と言うことがよく分かる。席でのパフォーマンスも、窓からの眺めも、衛生面も込々と思えば仕方ないけど、この国の物価から言えば、とんでもなく高価だ。

下に降りると週末の歩行者天国。人がいっぱい。ちょっとぶらぶらして、デザートが欲しくなり、コーヒー店に入って、ベトナムコーヒーを注文。甘いのでちょうどいいデザートになる。ホテルに戻ろうとして、またウロウロ。いつもの方向音痴がまた始まった。二人に道を聞きながら、やっと見覚えのあるところに出られた。

14:00 ホテルの部屋でジャスミンティーを入れて、休憩と日記書き。15:40 近くのスーパーに買い出し。入口でガードマンにとめられる。荷物をロッカーに入れろと。先日はスルーだったから、いつものバッグで来てしまった。ちょっともたついたら、「ああ、いい、いい」というように手振り。「どうも~」って、まあ、このいいかげんさよ。ロッカーに預ける方が怖い。飲み物を安く仕入れたので、部屋の冷蔵庫に入れておこう。

16:50 ロビーでHungさんと再会。水上人形劇へ。今ではホーチミンでも楽しめるが、元々ここハノイの、ホーチミンが建てたタンロン劇場が元祖らしい。楽しみ。歩けば、10分ぐらいの距離なのに、車は渋滞に巻き込まれ、時計を見れば17:08をまわった。「大丈夫?もうこんな時間」「15分からだから大丈夫」って・・だからもうあと5分なのに、まだ車の中にいるんだわよ。やっと正面入り口について、大急ぎで中に入る。案の定、もう既に客は皆着席していて、席は列の真ん中。座っている人の前を”Sorry, sorry”といって、着席。ああ、やれやれと思ったらすぐ開演。はぁ~ぎりぎりセーフ。全く、もうちょっと余裕もって行動できませんかね。16:50で大丈夫か、自分は何時でも構わないと、念押ししたじゃない。

隣の日本人は大きなカメラを構えてカシャカシャしっぱなし、前の欧米人男性の頭がじゃまでよく見えないので、背筋をピンと伸ばして身を乗り出して見る。内容はというと・・・う~ん、まあ意見はいろいろあるでしょうが、熟練技が必要とは思えない、人形らしい制限された動き。伝説・風俗的な内容。そもそもが、ネットゲームがない時代の子供向け娯楽なのだ。腰まで水に浸かって人形を操るのは楽ではないだろう。ステージ両脇の伝統楽器の演奏と歌は非常に中国的。値段も値段だし、他の演芸と比較しても仕方ない。これで採算がとれるのは、外国人観光客相手の伝統的夜のエンターテイメントに他ならないと思う。競合するものが他にないからやっていけるのだろう。18:00終了。

車をしばらく待ってホテルに戻る。ホテル近くのバインミー店に2回目の買い物。バインミーと夕方にスーパーで買った甘いふんわりパン、日本のドリップコーヒーで満足。しめて¥232のディナー、何て安上がり。今晩は、最初はレストランディナーを組み込もうと思ったけど、やめて正解。3食レストランでがっつりは重すぎる。今日もバスタブにたっぷりのお湯、「箱根の湯」でごくらくごくらく。一日、いろんな経験をしました。

5日目

7:00 朝食。昨日と同じ窓際の席が空いていた、ラッキー。今朝は何だかメニューがすごい。ターキー丸ごと?おお、クリスマスイブだからか・・まるでディナー並み。ベトナムに来て思う。サラダって、こんなにバラエティ豊かに作れるんだと。マンゴーの細切りが入ったり、紫玉ねぎと思ったらイカだったり、口に入れて思わぬ食感や風味が広がって「へぇ」と思う。そして毎日、ドラゴンフルーツとパッションフルーツが食べられるこの幸せよ・・一生の中で今だけだ。満腹と思っていたら、また違うものが出てきた。ん?寿司・・?これは味見せねば。濃い紫色の酢飯は何だこれ?・・・う~ん、もち米。ものすごい粘り。斬新というか、味は全く寿司とは別物ですな。酢を使ってないし・・楽しくて笑える。

8:30 ロビー Hungさんに、お早うございます~。今日はまず古都ホアルーを目指す。2時間かかるというので、途中休憩をリクエストして出発。市内の渋滞を抜けると、両側に開けた土地、田畑が見えてきた。所々に墓地。都会は火葬、ここら辺の田舎(Hungさん曰く)は土葬だそう。クリスチャン墓地もあった。どれも水田のど真ん中にこぢんまりとある。病院は、都会の高所得者は保険に入って3割負担(日本と同じだ)、でも田舎は無保険でめったに病院にはかからないと。どうしてもの時は全額負担だと。それは大変だ。あちこち牛も放牧されているが、いかんせん道路わきのプラスチックごみが多い。典型的途上国の現実。間違って食べないでね。

ドライブインは土産物店併設。中国人団体が大型バスで乗り付けゾロゾロ。しばらく走ってホアルーへ。門を入るとすぐに水牛を発見、いた!観光写真用。馬・ロバ・ミュール・象・ラクダ・ダチョウには乗ったことがあるが、水牛は初めて。立派な角を持っている。こんな近くで見るのも初めて。踏み台から背中へ。ごつごつして乗りにくい。ススキと三角帽を貸してくれて、写真を撮ってもらう。子供に戻った気分。

969年から2代王朝の首都だった2つの寺を見学。1つ目の王朝の王が亡くなり、その息子が6歳と幼かったので、残された奥さんが別人と再婚して、その2番目の夫が次の王朝の王となったということらしい。この基本的な流れを理解するのに、すったもんだ。説明もうちょっと何とかなりませんかね。やっと理解して、木造仏を見ていたら、隣の客の英語ガイドが同じことを10秒で説明。あ~そうよ、そういう風に言えば一回で分かるんだって。3つの王朝が出てきて、1つの王朝の中にも何代か王がいるわけで、どの人を言っているのか外国人に分かるように説明の仕方を工夫しないといかん。王が何人いるのかわからんのに、個人名で言われても、ちんぷんかんぷん。日本語ガイドと英語ガイドの決定的相違点は、数値と客観性にある。上海の日本語ガイドも同じ問題を持っていたのを思い出す。「唐の時代に云々・・」と言っていたが、唐って300年近くも続いて、いつのことだかわからない。重要な事実を客観的に説明するのもテクニックが必要だと、しみじみ。こちらもせっかくなので、理解したいと思うから、聞き直し、質問し、また前の話に戻ってと、だんだん疲れてきた。彼は今までクレーム受けたことないと言っていたが、それは日本人客は大抵、よく分からなくても適当に流すから。「きのこん」って聞いて、きのこが生えているのかと思ったら、「木の根」。「じゆうきょう」って自由教?住居?と思ったら「儒教」。一応訂正したけど、それを記憶にとどめないと意味ない。暑くてベタベタするし、人が多い中でずっと説明に全神経を集中するのは消耗する。

ホアルー(世界遺産)
ホアルー(世界遺産)

寺を後にしてすぐランチタイム。11:40 まだお腹すかないけど。ここのご当地料理はヤギ肉料理。途中、道のあちらこちらに放し飼いのヤギがいた。皆、食用か。ご愁傷様です。

Hungさん、メニューを持ってきてくれたのはいいが、ベトナム語を指して、たどたど日本語に訳し始めたので、「併記の英語で分かるから大丈夫」と遮る。コース料理のようだ。豆スープ、ヤギ肉の揚げ物、揚げ春巻き、豚肉の煮つけ、チキンとパイナップルの炒め物、ごはん、もやし炒め、フルーツはバナナ1本。目の前に並んだ量にあぜん。小皿だが、これはどう見ても2人前はあるぞ・・少しずつ全部味見してみたけれど、とても全部食べきれない。ヤギ肉は臭みのある固い牛肉っぽい。一度食べればいい。胃薬を飲んでおく。ドリンク代別で、缶入り炭酸水が\200って、観光客値段だ。

併設の土産物店をぐるりと見ると、大量のバッグが積んである。フクロウのモチーフで、ひとつひとつ少しずつ形や大きさがことなり、よくできている。でもねぇ・・買って帰っても実際使わないしね・・と見ていると、Hungさんがやってきて「私も買った、娘さんに」といってスマホの写真を見せる。4歳だそう。いいお父さんなんだ。ハノイに単身赴任しているから、2月に旧正月に持って帰る予定。「喜びますよ~」って、自分がとっても嬉しそう。かわいい盛りだものね。ちょっと老婆心ながら日本語レク。あのね、身内には「さん」はつけないんですよ。ま、最近の若者は自分の妻を「私の奥さん」と平気でいうけど。

さて、午後はいよいよチャンアンクルーズ。1hr、2hr、3hrコースがあるというので、直前まで散々迷って1hrにした・・つもりだった。しかし、あれよあれよと言う間にボートに乗って出発したらHungさんが2hrになったという。ハァ~、何がどうなっているのか??何のために迷って決めたんだか・・

ボートは全部で2000艙もあるそうな。次から次へと観光客がやってきて、1グループごとにボートに乗って出発していく。漕ぎ手はほとんど女性。我々は客2名だからいいけど、4名も乗っているボートもある。小柄なおばちゃんが全身を使って漕いで行く。気になっていたライフジャケットもちゃんとボートに積んであって、出発してすぐ着用。これで安心。割としっかりしたボートだ。両側は切り立った山がそびえ、川岸には巨大なススキが茂っている。洞窟を4つ潜り抜けるが、頭をぶつけそうなくらいの高さなので、上半身をできるだけ低くして進む。面白い♪ 開けたところに来ると、他のボートに抜かされまいと、どのボートも客がオールを握って漕ぎ始める。まるでボートレースだ。よし、自分も漕いでみよう。おばちゃん一人じゃ気の毒。Hungさんも、3人でせっせと漕ぐけれどすぐ腕が痛くなる。明日筋肉痛になりそう。

所々に上陸して見られる寺があって、他の客はボートを降りて見学。遠くに橋が見えて、指差すとあっちの寺で降りて橋を渡ってこっちにこられるらしい。もう、ちゃんと説明して。ミスった~。そんなわけで、ふと気づくとあれほどいたボートが周りに一つもなくなり、一艘だけに。漕ぎ手のおばちゃんからアンケートを渡された。ボートの安全性や快適性、チップの要求の有無など、英文で書いてある。意外にきちんとしていてびっくり。コメント欄に「予想していたより楽しかった。女性が一人で漕ぐのは大変だと思う。ありがとう。」の旨、書いておいた。

今日は涼しく、曇っていて日焼けも気にならず、アドベンチャー的でよかった。のんびりしていたら、だんだん人の声がして、ふと見るといつの間にか他のボートが追い付いてきた。ラストは二艘がさながらレースのラストスパート。掛け声をかけながら、全員で必死に漕いで、先にゴールしたボートは、威勢のいいお姉さんが片手を突き上げて歓声を上げる。何なんだ?笑える中国人パワー。下船するとき、おばちゃんに礼を言ったら、満面の笑みでバイバイと手を振っていた。こちらもうれしくなる。

チャンアン
チャンアン

チャンアン洞窟
チャンアン洞窟

車に戻る前にトイレに行くと、有料。2,000VND 細かいのがない。100,000札を見せると、係りのお姉さん”No” 釣りがないようだ。財布には1,000札一枚。「これしかない」と見せると、”Ok” って。すみませんねぇ。何がルールだかわかりゃしない。 いかんせん疲れてこっくり、Hungさんもこっくり。ドライバーはいつも真面目に静かに運転してくれて、朝晩挨拶すると言葉は通じなくても、にっこり。ハロン湾からの復路ドライバーとは雲泥の差だ。

16:40 ホテル到着。いつものようにホテルのスタッフは、にっこり出迎えてくれた。きもちいいなあ。「ただいまぁ」 部屋で一休み、カメラの充電。チャンアンで撮りすぎた。

17:40 暗くなったので、遅くならないうちにディナーへ。Jasmineに聞いておいた、バインセオ屋さん、ホテルから10m。便利だ。店員がすぐ出迎えてくれて、普通に英語が通じて楽。ベジタリアン用のバインセオとsoda water と、フライドポテトを注文。「ベジタリアンなら、このフライドライスはどうですか?」「Fish source とsoy sourceがありますが、soy にしますか?」とか気にかけてくれる。「いや、ベジタリアンでなない(もう肉ばかりで飽きた)ので、fish sourceで。」いろいろ小皿が出てきて、これまた食べ方が分からない。教わって、なるほど。ベトナムはユニークだ。世界広しといえど、こう頻繁に食べ方が分からない国もない。道路に向いたカウンターで一人食べていた初老の男性が、会計の後、後ろを振り向いて、”Give me”と店員に言って我がテーブルに手を伸ばす。何?と思ったら、テーブルの上の箸立てから、一膳分を手に取った。店員”Ok”って。使い捨てでないちゃんとした箸ですよ、気前いいこと。こちらを振り返った店員と目があって、お互いにっこり。

6日目

7:15 朝食。二人掛けのテーブルが満席だったので、スタッフに声をかけて3人掛けのテーブルへ。広くて楽ちん。今日はクリスマスだけど、通常メニューだ。昨日のイブが特別か。ハノイ最後の日。日が差している。暑くなりそうだ。日焼け止めを塗って出かける。

まずは電気自動車乗り場へ。チケット売り場のあねごが、3つのコースがあるからマップを見て選べ、と怒鳴る。ふ~ん、やっぱり旧市街と湖の周りをまわるコースにしよう。1時間で¥1500、ま、ここの物価にしては高いけど7人乗りの電気バスを独り占め。ドライバーの隣に座ってしゅっぱーつ! 楽しいけどこわい。前後左右、バイクに車がいつもすれすれ。両脇はオープンだから、手や荷物がはみ出ないように気を付ける。引っかけられてけがをしそうだ。ドライバーは英語が通じる。7年間この仕事をしているが、無事故だと。「多分、ラッキー」と謙虚だ、というかそれが正しい見解。バイクに車、歩行者、天秤棒を担いだおばちゃん、大荷物で自転車が埋もれて見えないくらいのおじちゃん、ありとあらゆるものが縦横無尽に行きかう。運転席のパネルを見ると、時速がデジタル表示されている。6~7km/hrだ。ま、そうでしょう。「ハノイを運転できれば、世界中で運転できるといわれる。」とドライバー。まあ、ここはスピードをそれほど出さないからまだまし。モロッコはひどかった。旅行中、毎日事故を目撃したもん。

通勤ラッシュ
通勤ラッシュ

ドンスアン市場でストップ。前に来たけど。コーヒー店でもストップ。ジャコウネコのフンからとったコピルアク。豆の香りを嗅がせてもらったら、確かに濃厚ではあるけどねぇ。何も動物の排泄物から掘り出さなくても・・・「希少価値」って・・世の中にはいろんな動物由来の「高級」コーヒーもあるそうだし。何に価値を見出すかは人それぞれ。自分は、コーヒーは、木から採れたそのままがいい。いろんなフレーバーを後から付けたものも苦手。コーヒーそれ自体の風味が分からなくなる。湖の反対側にある統一教会の周辺はおしゃれな店が集まっていて、いかにも観光客向けの一帯。最初はこの近くのホテルを探していたけど、ここに滞在するのと、今の場所とでは印象が結構違うな。交通量が多く、クリスマスで人も車もごった返し、クラクションは鳴りっぱなし、警官が交通整理しているけど。「悪いけど、ここで停止できない。警官にどけって言われるから。」とドライバー。はいはい、わかりますよ、これじゃ身動きできない。50分ほどで元の場所に戻ってきた。ありがとう、バイバイ。

湖の中ほどに、昔とれた大カメの剥製が祭ってあり、欄干橋を渡って見学。湖と言っても水は緑色に濁っていて、どちらかというと大きな池に近い。のどが渇いたので、Jasmineに教わったTi-tok 通りを目指す。往来の激しい道路を渡るのも慣れてきた。バイクと車を避けて通るのではない、発想は逆。ゆっくり渡ればあちらがよけて走る。小走りに渡るのはかえって危険。郷に入れば郷に従え。天秤棒のおばちゃんがいるときは、くっついて渡れ。この通りにたくさんあるはずのチェーの店を探して行きつ戻りつ。ないなぁ。ガイドブックの写真を見せて尋ねれば、「これならある(できる)」というジェスチャーのおばちゃん。欲しかったものじゃないけど仕方ない。どう見ても地元人むけの店。小さなイスに座っていると、ガラスコップに小豆の煮たものを入れて持ってきて、テーブルの上に置きっぱなしの練乳をスプーンで入れて、床おきのクーラーボックスに直に入っていた砕いた氷をプラスチックお椀ですくって、これをかけて食べろと身振り手振り。甘い・・この氷大丈夫か?これはカケですな・・今考えても、よくぞお腹をこわさなかった。こういうものは口にすべきではないのが鉄則。・・自分で食べたいと言った手前、引くわけにもいかず。¥100を払って、血糖値スパイクの気分。ぶらぶら歩いて、湖のほとりでアイスコーヒー¥125。欧米風の普通のスタンドで安心して頼んだが、いや~何この苦さ。手持ちのペットボトルの水で薄め薄め飲む。

土産物店を見ながらホテルに戻ったら11:40。便利な立地なので、ちょっと休みに戻れて使い勝手が良い。13時近くになって、ホテルのレストランにランチに行くと、ん?従業員がまかないランチの最中。言葉がよく通じないので、仕方なくフロントに行ってブンチャ―を食べられるところを教えてもらう。後から知るに、部屋にあったレストランのメニューはどうやら近くの姉妹ホテルのレストランのものらしい。ルームサービスは受け付けるが、そこから持ってくるという仕組み。そういうことは書いていなかったので、勘違い。

フロントで教わったブンチャ―店を目指して歩く。通り沿いの店一つ一つ見上げて、住所No.を確かめながら歩く。21番ってどこ?100mぐらい歩くのも大変だ。なんせ歩道はバイクが「敷き詰め」られていて、足の踏み場なし。車道の側溝の上を歩くことになる。当然、バイクや車がガーピーいいながら真横をすりぬけていく。バッグを体の前に両手で抱えて、後ろから引っかけられないよう気を付けて。足元はゴミが散乱、でこぼこ。この排ガスと埃の中で、地元人は平気で道の上で食事している。ダストアレルギーの人はここでは生きていけない。見逃したかと不安になった時、あったあった、Bun Cha Ta よかった~。ドアを開けると(このドアのある店というのが貴重)、女性定員がすぐ応対してくれた。ちゃんと英語が通じるし、食べ方も教えてくれる。ハノイ発祥のブンチャ―を滞在中にどうしても食べたかった。つけ汁には既に豚肉の揚げたもの、薄切りタケノコ、にんじんが入っている。米粉ヌードルのブンと、かごに山盛りの香草とレタス、唐辛子少々を入れて混ぜて食べる。別皿の揚げ春巻きとのセット。だしとうまみはいい。結構油を使っているかな。ベトナム茶がさっぱりしていてよい。なんだかんだ言って、生野菜やら氷を食べてもおなかをこわさないのだから、それほど衛生上問題はなさそうだ。モロッコとインドでは最高レベルの警戒態勢(自分の中では)を取っていたにもかかわらず、ひどいめにあった。今日のランチは計¥525、おなかいっぱい。

ホテルに戻る。荷物を整理してのんびり。TVを付けると、テスラの電気自動車のモデルカー制作について。エンジンルームが必要なくなり、前にトランクスペースを持ってきて、後ろには座席をもう2つ作れると。マフラーがなくて後ろすっきり、ゼロエミッション。運転席には大きなタッチパネル。全てそれで制御するから、フロント周りもすっきり。最近の車はハンドルにいろんな機能のボタンがずらっとついていて煩わしいのは確か。でも、全て電気制御、タッチパネルの基盤がいかれたら、車はどうにもこうにも動かないってことだわね。便利になる分、人間は頼りきりになるってこと。目の前の現実との落差よ。

7日目

6:30 このホテル最後の朝食。朝いちで行ったのに既にもう2組が食べていた。最後の日に窓際が取れず残念。軽めに食べて部屋で支度。トイレの水を流した途端断水。え、シャワーの方も一滴も出ない。おいおい、仕方なくペットボトルの水で手を洗う。どうしたことか。ラストモーメントでセーフ。下に降りると既にHungさんがいた。チェックアウト時にフロントに言うと、1Fはちゃんと水が出ているらしい。高層階だからか?ということになる。ともかくも部屋の蛇口を確認してください。このホテルは快適に過ごせた、Ms. Jasmineによろしくと言ってホテルを出ると、フロントの女性がホテルの外まで出てきて、車のすぐ横で頭を下げて見送ってくれた。こんなこと初めて。日本の旅館ならともかく。アンケートを書く時間がなくてすみませんね。

40分ぐらいで空港到着。ホーチミン行はベトナム航空が1時間おき、他の航空会社も飛ばしていてドル箱路線と言うことが分かる。9:00発便の客の手続きを待ってから我が便のチェックイン開始。Hungさんがチェックインまで付き添ってくれた。終わって歩きだしたら、チェックインカウンターの女性が後ろから何か呼んでいる。ん?と二人して振り向くと、何と預けたスーツケースの検査をするという。「え?私、何か問題なもの入れたっけ?国内線でしょ?」と頭の中?? カウンターの後ろの別室に通され、男性係員が”miju” ?? Hungさん「みじゅ、持ってますか?」 「ああ、水ね、入ってる入ってる。」本当に水か検査するというので、スーツケースを開ける。ホーチミン用に2Lのペットボトルと小さなものを入れてある。係員、手でガシャガシャ振って “Ok” という。ノートにサインして終わり。やれやれ。世界あちこち行きましたけど、スーツケースに入れた水を見せろと言われたのは今回が初めて。セキュリティの列まで来てHungさん「じゃここで」と何だか急いでいる。お世話になりました。

ホーチミン行きは定刻出発。毎日十分睡眠時間は取っているのに、疲れか爆睡。2時間ほどしてホーチミン着。機外に出るとムワッと蒸し暑い。ハノイ空港でごたごたあったから、スーツケースがちゃんと出てくるか不安。しばらく待って見つけてホッ。出口を出ると、すぐネームカードを持ったCuongさんがいた。よろしくお願いします~。車の中で予定の確認、日本人スタッフが描いたと思われる手書きの中心部地図をくれた。必要な店が分かりやすく描いてあって実用的。スリ、ひったくり、ぼったくりタクシーの注意。ハノイより都会のようだ。天秤棒を担いだ人はいない、というか、バイクの多い普通の都市。

13:30過ぎ、ホテル到着。すぐチェックインできた。7Fのシニアデラックス。窓の下にはモスク、その隣にはシェラトンがそびえたつ。スーツケースを広げても十分広く、快適なシティホテルだ。バスローブもあるし、バストイレはTOTOの陶器製。まだ新しくて気持ち良い、日本のビジネスホテル並みという口コミもあったが、おそらく部屋のカテゴリーの問題か。バスアメニティは、一昔前の日本のように過剰包装。全てが小箱に入っていて、ゴミ箱は小箱の山。もったいない。

ちょっと荷物を整理して、ランチに出かける。途中でCuongさんに教わった近くのフエ料理レストランに入ってみる。店員は見向きもしない。席も勝手に座れってか。いきなり現代社会に戻った気がした。その都度遠くから呼んで「メニュー持ってきてください。」「こっち、こっち。注文したいんですけど~」。こちらから動かないと誰も相手にしてくれない。注文しても無言でうなずいて、無言で持ってくる。メニューは写真付き・値段明記だし、店内設備も日本と同程度だけど、何だかねぇ、現代化とはこういうことかな。フエ風の混ぜご飯、野菜とbaby clamが上に乗っている。つけ汁をちょっとかけて、混ぜ混ぜ。やさしい味。日本並みに少ない量。バイン・ボ・ロックは半透明のもちもち外皮に包まれたエビ。つけだれにちょっとつけて食べる。これがうま♪ ガイドブックの写真を見て、ぜひ食べたいと思っていたのよね。予想通り弾力があって、もっちもち。この食感大好き。パッションフルーツジュースも酸味があっておいしい。ペロッと平らげ、う~ん足らん。店員をまた呼んで、メニューを再度持ってきてもらい、コム・センを追加注文。具だくさんの混ぜご飯をハスの葉で包んで蒸し揚げたもの。ベトナムのチャーハン類は歯ごたえがあっておいしい。満足して会計¥760。ベトナムのレストランでちょっと立派なウェットティッシュが出されている場合、自動的に加算される。¥10~20だけど。

空はどよ~んとあやしい。Cuongさんが昨日も一昨日も15時ぐらいからどしゃ降りだったと言っていた。傘はもっているけど、振られる前にホテルに帰りたいなぁ。周辺を歩いて、めぼしい店のチェック。人気スーパーで買い物。生鮮食料品はない。土産物は山ほどそろっていて、ついつい物色。パッケージがいろいろあって、コーヒーや茶など、何がどう違うのか分からない。例のジャコウネコのフンコーヒーもいろいろ。ばらまき土産をついついかごに入れて、結構な金額になり、レジのお姉さん「これプレゼント」といって、クッキー1箱を入れてくれた。

重い荷物をひーひー言いながらやっとホテルに戻る。飲み物を冷蔵庫に入れて、ベッドの上に横になると、そのままウトウト・・ゴーゴー・ザーザーの物音にはっと目が覚めた。外を見ると、ものすごいどしゃ降り。雷ゴロゴロ、稲妻まで光る。ひぇーよかった。熱帯地方のスコールですな、これは毎日傘を手放せない。日記を書きつつ、しばらく雨がやむのを待つ。薄暗くなって、ちょっと夕食の買い出し。昼間のレストランの入り口にあったバインミー屋台でひとつ。帰り道のサークルKで、レジ横のケースの中(中身がなんだかわからない)中華まんを2つ。レジのお兄ちゃん、値段をちゃんと英語で言った。バインミーのパンはカサカサで、中身のハム類がちょっと胸につかえた。(翌日、Cuongさんに言ったら、あまりよろしくないからと気を付けるよう言われた。)中華まんは、いもあん入りと、小豆っぽいあん入り。下の紙はただの白い紙なので剥がそうとすると、まんじゅうの皮もベロり・・・昔の日本みたい。改良して、現在の日本ではグラシン紙になっているわけだ。部屋にバスタブはついているが、初日はシャワーで様子見。湯温は大丈夫だが、水圧がやや弱いのが気になる。(後日、ちょっとシャワーを出しっぱなしにしたら、最後は湯温が下がってきた。あぶない、あぶない。)

8日目

6:00 朝食 広いダイニングルーム。一番乗りで、窓際の席をゲット。立派な設備の割にメニューが少ない。おまけにありきたりのものが多くてがっかり。サラダは普通のレタスとトマト、ゆでただけのブロッコリー/カリフラワー。フォーコーナーに行って注文。一人分のベトナムコーヒーセットがあったので、お湯を入れて作ってみる。なるほどエスプレッソ並み。ミルクとお湯を足して、やっと飲める状態になった。このホテルで食べ過ぎの心配はなさそうだ。

7:30 ロビー。今日はクチとメコンデルタの観光。ホーチミンのハイライトで楽しみにしてきた。クチまで1.5hr。Cuingさんが車内でベトナム歴史の概要を説明。長い中国による支配、19cから100年間のフランス統治、そしてベトナム戦争。中国の影響は現在でもあちこちに見て取れる。ベトナム語や人名の発音自体は中国語に似ている。フランス統治下時代に、現在のベトナム語表記をフランス人が発案したのだそう。だからフランス語風の記号がついている。へぇ~、そうだったの。元々漢字を使っていたのに、文字が変わるって、それは大革命だ。

ベトナム戦争は、北部群(ベトコン)と南部郡(サイゴン軍)、それぞれを支援するソビエト+中国vsアメリカ+韓国:社会主義vs自由主義の代理戦争。日本で有名なベトちゃん/ドクちゃんは、メディアで取り上げられたために分離手術ができて、むしろ幸運だったと。障害者は国内にたくさんいると。彼の説明は非常にわかりやすく、日本語も適格だ。どこで習ったのか聞けば、ホーチミンの大学で4年間勉強したらしい。日本へは行ったことがないという。ここにもいた、才能をもった努力家。日本人ネーティブにはあまり教わっていないのに、文法・発音にほとんど問題がない。奥さん (ちゃんと「私の家内」と表現。すばらしい) は日系企業に勤めていて、日本へも仕事で行ったことがあるらしい。子供が大きくなったら、いっしょに京都へ行きたいと。是非どうぞ。あなたなら、どこへ行っても言葉には不自由しないでしょう。

9時過ぎ到着。地下道の入り口を通って、まず記録映画を見る。何と言語ごとに分かれていてびっくり。日本語だ。白黒のプチプチとぎれとぎれの昔の記録映像。かつては平和でのどかな農村だったクチが、非常なアメリカ軍によって破壊され、村中総出で徹底抗戦をしたというナレーション。ジャングルの地下壕で生活しながら、若い女性が笑顔で、銃を構えている。太平洋戦争中の日本の記録映像のように、ずっと音楽が流れていて、悲壮感はない。ちょっとナレーションが偏っているように思えたので、見終わった後、英語の方も見たいとリクエスト。隣の半地下の塹壕に移動して、途中からだったがちょっと見て気が付いた。基本的に映像は同じだが、ひっきりなしに爆音と銃撃音が鳴り響いている。遺体が並んでいるシーンもあった。そうでしょう、それが現実のはず。どういうわけか、日本(日本人向け)は、戦時中のみならず現在においても、そういう場面を放映しない。ある意味、当局がふさわしくないと判断すれば映像をカットする中国の統制と同じだと思う。現実を見せないで、ゲームの世界で殺傷するから、若い人には現実の悲惨さ、残酷さが実感として伝わらない。人一人がやっと通れる穴に、アリ塚に巧妙に作られた空気穴。落ち葉が重なって全く分からないトラップもいろんな種類の模型が展示され、ひとつひとつ見せてくれる。米兵が踏み抜くと、四方からアイスピックのようなものが出てくるトラップ、しかも先は釣り針と同じかぎ型になっていて、容易に抜けない仕組み。見ただけでぞっとする。聞いているうちに自然と眉間にしわが寄る・・どこに仕掛けられているか分からない落ち葉の上を、重装備で銃を構えながら、とてもじゃないが歩けない。

地下トンネルを実際に歩く体験ができる。20m、40m、60mから選べる。「ずっと腰をかがめたままで心臓の悪い人はダメ」というので、心臓は大丈夫だけどちょっと弱気になって、真ん中の40mにしてみた。中は湿度がさらに高く、ムッとした汗のすえた臭い。ところどころ観光用にライトが埋め込まれているが、それでも暗いので、1組に1人案内人がついて、懐中電灯を照らしながら先導する。中で分岐点があるので、案内人がいないと、どっちに行ったらいいかわからない。腰より、膝と首にくる。大した距離ではないのに、地上に出た時には汗が服の中を流れた。あち~・・このあたりの固い岩盤をよくぞくりぬいて作ったものだ。

昼間は地下壕に隠れて、夜に地上で行動したらしい。ずっと腰をかがめている生活だったので戦後、腰に問題のある人が続出したそう。米軍にしてみれば、ゲリラ戦ではらちが明かないので、空から枯葉剤を撒いて見通しを良くして一気に相当しようとしたのだろう。1991年に初めて、人体への影響を公式に米政府が認めたらしい。自国の帰還兵にも被害訴訟までおこされているのに、である。ベトナム人の暴露者は400万人ともいわれ、奇形や障害の影響は3代にも及ぶという。ダイオキシンの散布ですからね。とんでもないことをしでかしたとしか言いようがない。ベトコンの武器は米軍が落とした不発弾の再利用や、タイヤを切ってサンダルを作ったり、何でも廃物利用、手作り。大きなミサイルの両側に座って、ノコギリのようなものでギコギコ切っている動く人形が展示されていた。「え、こんなんで切れるの? っていうか、危ないでしょう。」と言ったらCuongさん曰く、今年ニャチャン(リゾート地で有名)で、爆発事故が起きたと。何でも、不発弾を切っていて爆発したらしい。「何のためにまた、不発弾を切るわけ? この現代に」と聞けば、旧正月に使う爆薬を取り出すんだそう。そばにいた一家6人全員死亡だって・・・はぁ~何と言ったらいいか、絶句・・・乾季の今でこの湿度だ。雨季には地下壕は過酷を極めただろう。蚊はもちろん、サソリに毒蛇もいるらしい。

ひととおり廻ったところで、当時主食にしていた「タピオカいも」(と、Cuongさんは説明)と笹の葉茶で休憩。真っ白ないもはほくほくして味がないので、砕いたピーナツと砂糖を混ぜたものを付けながら食べる。もぐもぐしながら、何かこの食感好み、どこかで食べた・・あれ、キャッサバに似てるん?・・と思った。後で調べたら、タピオカって原材料はキャッサバだった、やっぱりそう。日本人にはタピオカの方が分かりやすいと思っての事だろうと思うけど、あれはまさしくキャッサバだ! 平たく伸ばして乾燥させたキャッサバブレッドは、ベネズエラで食べて病み付きになり、日本に持って帰ってきた。

時々、射撃音が響く。最初は音響効果で流しているのかと思ったが、ジャングルの歩道を歩いていくうちになんとなく衝撃音を感じるようになった。何?と思ったら、本当に野外射撃場があった。10発¥3,000と聞いて、どの銃を使うのか尋ねると、ガラスケースを指す。何か旧型だな。やってみようかなと言ったら、Cuongさん「え?やりたい?? うちの会社はダメです。」と胸の前で両手で大きなバッテン。「ダメ?どうして?危ない?」と聞くと、ちょっとあきれて「どうしてもやりたいですか?会社の日本人に聞かないと。」とドギマギ。やりたいなど言い出す日本人はまずいないんでしょう。「撃った時に時々後ろに飛んでくるから」、と顔のあたりのジェスチャー。まぁ、熱い空薬きょうは飛ぶわな。「前に韓国人がここで自殺した。」と、どうにかして止めようとしている? 実は射撃は結構好きなのよね。昔、フィリピンのガンショップに行ったら、女性は誰もいなくて、店中の店員&客の視線を集めてびっくり。コルトからショットガンまで撃ち比べして面白かった。セミオートはアメリカの射撃場でも、事故が発生しているからやらない。しかし、銃のメンテが不十分だと、バックファイアの危険がある。撃っているところがよく見えないが、イヤーマフがちょっと使い古しで、安全上の装備が適当そうなので、結局辞めた。Cuongさん、ホッとしたみたい。

11:00に車に戻って今度はミトーを目指す。南西へ105km、2時間かかる。エアコンが心地よくてこっくりこっくり。高速道路や水浸しのでこぼこ道を移動。

13:00過ぎ、メコン川沿いのレストランに到着。楽しみなご当地料理、Elephant fishが一匹丸ごと台座に乗って置物のように出てきた。タイぐらいの大きさだ。まん丸球形のRice ball(もち米を揚げたもの)は直径15㎝ぐらいか。スープは大きなボウル入り、皿にチャーハン、デザートはモンキーバナナ。ものすごい量なんですけど・・・後で聞いたら、魚は3人までは1匹だそう。何でも独り占め。

最初にスタッフが食べ方のデモ。ふむふむ、ライスペーパーに野菜とブンをのせて、魚を適当にちぎって乗せてくるくるか。魚は白身でサバに近い食感。薄い塩味で揚げてあり、それだけでもおいしい。元々はメコン川にたくさん生育していたが、乱獲で数が減り、今では養殖だそう。よく聞く話だ。大きくてもったいないので、魚をバクバク食べる。チャーハンとスープは味見だけ。Rice ballははさみで小さく切ってくれる。中にモチが入っていて、少し甘く、外皮ももちもちでおいしい。おなかいっぱい。胃薬飲み。

ミトーの名物料理を食べられてよかった。ガーリックを使わないよう、途中でCuongさんがレストランに電話を入れて、念押ししてくれた。お世話様です。

Elephant fish
Elephant fish

食後はボートに乗って、4つある島の一つへ渡る。おばちゃんの運転でモーター船一艘、貸切だ。着いたらまずそこで採れたはちみつの試食。はちみつの味の違いは分からない。ロイヤルゼリーは香り×、酸味があって味も微妙。手の甲に塗ってくれたが、ベタつくのですぐ水道水で洗い流す羽目に。村の中を歩けば、あるお宅では野外で大音量カラオケの真っ最中。何だいったい? 犬を飼っている家が多い。そういえば、ハノイでもホーチミンでも犬・猫をほとんど見かけない。次は、小柄な馬の1頭立て馬車に乗車。御者のおじさんと3人なので、軽やかに走る。ホントにちょっとだけ。

次は果物試食。食べてばっかり。マンゴー、ドラゴンフルーツ、竜眼、パイナップル、スイカがそれぞれ小皿に盛られてきた。隣のテーブル4人分も量はいっしょ。おなかをさすりつつ食べる。もったいないけど、食べきれない。竜眼はビニール袋に入れて持ち帰る。ランチのモンキーバナナももらってきた。余興の音楽と歌の演奏は、誰かの旅行記にあったが、ちょっとねぇ。テーブル毎にチップ用のかごを置いてまわる割に、程度が学芸会レベル。「給料なしで生活大変だから」というけれど、あのお姉さん、自分の番が終わったらイスに座ってスマホいじってるじゃん。何も入れないのも何なので、小銭を整理しておいた。

fruits taste
fruits taste

さて、いよいよデルタクルーズ。しかしボート乗り場には列。ボートは大渋滞。ボートの前後に漕ぎ手が一人ずつ乗るが、隣のボートを手でかき分け、かき分け前に進んでは止まり、前後左右ボートだらけ。おまけに乗り場が3か所もあって、前方から客を乗せて、ボートが動き出す、といった具合。乾季で流量が少なく、まるで側溝の底を進んでいるようだ。両岸はむき出しの泥壁、ヤシの根っこが丸見え、ゴミもへばりつき、所々に流入する水は生活排水も交じってるか? 茶色の泥水、何だか下水の側溝のようで気分がすぐれない。Cuongさんに言われて見ると、時々泥に跳ねているムツゴロウ。雨季ならあと2mは水位があるだろうに。まあ、雨が降っていないだけましといったところか。しかし、ベトナムの女性は良く働く、タフで辛抱強い。男性に交じって平気で同じようにこなす。船頭の女性は汗だくだ。皆、家族で漕いでいるとのこと。お疲れ様です。ありがとう。

ボートから降りて、ココナツキャンディの作業場をちょっと見学。3人の女性が一つ一つ手作業で紙に包んでいる。恐ろしいスピードだ。一度でよく分からなくて、じーっと見て理解。右手でキャンディを、左手で中紙を用意し、右手で最後を折る間に左手で外側の紙を用意し、両手で四隅を織り込んで完成。隣で売っているけど、素手でくるんだものなのでやめておこう。

往路と同じおばちゃんのボートで本土へ戻る。ヤシの実をカットしてストローを指してくれた。あら、ありがとう。すすりつつ、メコン川を渡る。大きな川だ。遠くに見える橋は国産、8年前に完成したそうな。でも4島のうちの2島をつないでいるだけ。まだまだこのボートが重要な手段。降りるときもおばちゃんが手を貸してくれる。本来、自分が手助けするような年齢の女性だ。すみませんね、お疲れ様です、ほんと。中国とは明らかに異なる気質だ。町中、ゴミだらけなのは同じだけれど、一般に働き者で誠実な印象を受ける。

メコンデルタ
メコンデルタ

16:00 車に戻って一路、ホーチミンへ。途中、ニューラン(お勧めのバインミー屋さん)で止まってもらえないかリクエストしたけれどダメ。方向が違うと。帰宅ラッシュにはまり戻ったのは18:00少し前。スーパーもないし、テイクアウトできる店もパン屋もない。仕方ないので、サークルKで降ろしてもらってカップ麺を買って戻る。お昼の残りのモンキーバナナと竜眼、木からもぎ取ったローズアップルひとつ。今日は疲れた。もう出かけたくない。Cuongさんも帰りの車の中で居眠りしていたね、おつかれ~。

9日目

7:30朝食。相も変わらず同じメニューで飽きた。今日はフルーツさえ、世界中どこでも出てくるスイカ、メロン、パイナップルだけ。

8:45 ホテル出発。さあ、今日はまずサイゴン川を目指す。歩いて意外と近かったが、川の前の通りは4車線でものすごい交通量。これはちと無理なので、信号機のあるところに移動。ワンランクアップならここと言われたルネサンスリバーサイドホテル、さすがに立派。道路から見上げると、まだ客が朝食中。窓際の客が今持ってきた皿の上には山盛りの料理。う~ん、さすがにいい物のようだ。高層階の部屋なら、窓の下にはサイゴン川だろうな。さて、押しボタン式のようなので、押してみると、確かに車道は赤になり、正面の歩道の信号は青になった。しかし、問題は、車は止まってもバイクは止まらないということ。そして、バイクの方が多い。3~4列で、ひっきりなしに川のように流れていく。川を渡るにはコツがいる。左右を見ず、まっすぐ前を向いてゆっくり堂々と渡ること。横を見ると、自分に突っ込んでくる何台ものバイクに、人間の心理として思わずひるんでしまう。これが危ない。お互いに「どっち、どっち」となる。自分は一定のスピードで一定方向に動くべし。バイクが避けて通れるように。「道を渡るときは、左右をよく見て」というのは、ここでは通用しない。見ても誰も止まらないし、スピードも緩めないし、途切れない。いつまでたってもそこに立っていることになる。しかしねぇ・・やっぱり怖いのが本音。日本の常識的には、「自殺行為」そのもの。

川を傍で見てげんなり。ごみやら植物やら、いろんなものがプカプカ。対岸は霧(マスクをしなくてものどは痛くならないので、スモッグではなさそう)でかすんで見えない。川の水が茶色いのは底泥のせいだろうが、写真と現実はこうも違う。蒸し暑くてベタベタ。引き返して、今度はBitexco Financial Towerへ向かう。オフィスやテナントが入っている地上68階建ての超高層ビル。入口を入り、インフォのお姉さんにCafé Eonに行きたいというと、あっち、そっちと3人ぐらいをリレーして専用エレベーターで50Fへ。まだ時間が早かったので、サイゴン川が良く見える席に案内された。パッションフルーツのスムージーを注文。眼下にはさっき見上げたビル群とサイゴン川。対岸の景色もかすんではいるが見える。さすがにこの高さからはゴミも見えない、騒音もない、ベストビュー。夜景はさぞかしきれいだろう。サービス料を含んで、¥924のスムージー。49Fの展望デッキの入場料¥1000よりちょっぴり安く、しかも作り立て冷えた飲み物がついて、かつ1階分高い位置。事前リサーチの賜物。

リフレッシュして汗も引いたので、下界に降りてドンコイ通りに戻る。まだ時間が早いので、初日に行ったスーパーで2回目の買い物。1Fの雑貨売り場は客引きがすごい。「おねえさあん、みてって~」とあちこちから日本語で声がかかる。売り子たちの貪欲なこと。手作りポーチやら小物入れ、バッグからスカーフ、キーホルダー、財布、何でもござれ。ちょっと立ち止まって見ただけで売り子が吹っ飛んでくる。旅先に持っていくのに薄くて軽いボトムスをみると、電卓片手に日本語で攻勢がすごい。「2枚買ったらいくら?」と聞いてみた。電卓はたいて「750Kをおねぇさん、700Kにする。」「はぁ?日本で買ったって1枚¥500位でしょ。」ここで電卓を渡されたので、「200K」と見せると、売り子があきれ顔。「これかわいい、スカートは?」「スカートいらない」「みじかいのは?」「短いのいらない。この長さでいい」ごちゃごちゃ違うものを勧めてくるので、いろいろ攻防。売り子が決心して「250K」 この期に及んでまだ言うかな。「ノー、200Kでないならいらない。」と持っていたハンガーごと2着を返すと、売り子「OK、わかった。にじゅうまんどん」商談成立。ずーっと「ごぅひゃくえん、ごぅひゃくえん・・」と首をかしげてぶつぶつ。あのね、今時、衣類は本当に安いのよ。もうちょっとしっかりしたボトムスだって¥500位で実際に売ってるし。ベトナムの相場なら、もっと安くてもいい。日本以上の金額は出しません。3Fのスーパーで土産物を追加購入。また大荷物になった。全部スーツケースに入るかなぁ。

ちょっと早いけど、荷物を持ったままランチへ。おすすめのホアンイエン。11:30 混雑を避けて、ちょっと早いけど。ヤムいもの紫スープとお気に入りのコム・セン、またまたパッションフルーツのジュースを注文。ベトナム料理もいろいろ試したので、自分の好みがはっきりしてきた。きれいな紫色のドロドロスープには、大きなエビがごろごろ。コム・センうま♪。値段が高めだけあって、量も多い。普通の日本人女性なら二人で2~3皿をシェアすれば十分だろう。もったいないので、最後は意地になって完食。おなかパンパンで胃薬飲み。最近、毎日胃薬のお世話になっている。会計¥2,000弱。いい値段だ。一度ホテルに戻って荷物を置いて一休み。

ヤムいもスープとコムセン
ヤムいもスープとコムセン

午後はスパの予約を入れてある。ロビーで待っていると、つっかけサンダルに短パンのお姉さんがやってきた。たどたどしい日本語で名前の書いてあるメモを見せるので、「はい、そうです。」よかった、ちゃんとピックアップに来てくれた。お姉さんの後をついて、赤信号の道路をつっきる。さすが地元人、全く躊躇しない。建物に入ると、看板も日本語、受付の取締りあねご姉さん(失礼)が、流暢な日本語で「ホテルに電話したら、そういう名前の人いないって言うからびっくりした。あのホテルに泊まってない?」と聞くので、「いや、泊まってますよ・・う~ん、何でかな。旅行会社を通して予約したから、もしかしたら個人名じゃないかも。」

肩こりがひどいと言って、コースの内容を一部変更、オイルマッサージから指圧マッサージへ。2時間コースで¥4725。まあ、日本に比べれば安いけど、いい値段だ。客は日本人ばかり。足湯に10分、全身マッサージ、ホットストーンの足マッサージ、最後にハスのお茶を飲んで終わり。一人の女性がずっと、1時間50分、ほぼきっかりマッサージしてくれた。整体師のようにはいかない。ちょっと素人的で、力が足らない気がしたけど、気持ち良くて途中、意識が遠のく。ただ、アンダーウェアだけになるので、タオルはかかっていても、同性でないと無理がある。男性客の声もしたけど、フットマッサージだけだったのかな。首・肩・腕・背中をマッサージしてもらい、大分肩が軽くなった。頭皮までツボ押しするので、髪の毛ボサボサ。

筋金入りの方向音痴なので、この碁盤の目のような町が大の苦手。ちょっとぼーっとしていると、コーナーでどっちに曲がるのか分からなくなる。歩いていると、目の前に高級食材店。おお、こんなところに出てしまった。試しに覗いてみるかと入ってみて正解。1Fはいわゆる世界中からの輸入品がお高く陳列されている。2Fは何と、デリカテッセン。我々の常識の範疇の「スーパー」だ。野菜、果物、パンに肉製品、小規模だけれどそろっている。ザボンのカットされたものが入ったもの2パックと、パッションフルーツ丸ごと3つ、出来立てクロワッサン一つを購入。昨日のカップ麺が悔やまれる。ああ、ここを知っていれば。高価なだけあって、品質管理もレジシステムも行き届いて安心して買い物できる。客層は、欧米人と日本人が多い。まあ、世の中、金を出せばいいもの、いいサービスが手に入るのは共通している。

17:00 ホテルに戻る。今日も一日よく動きました。ミッション完了。アッザーンが響く。窓の下にはモスク。近年、何だか毎年聞いているな。まさか、ベトナムでアッザーンで朝目が覚めるとは思わなんだ。夕食は部屋で、冷えたザボンの大きな房をムシャムシャ。うま~♡ ザボンはどのホテルの朝食にも出なかったなあ。パッションフルーツそのものは、ホーチミンに来て初めて口にする。満足、満足。

ザボン
ザボン

10日目

7時過ぎ起床。体が重い、さすがに疲れがたまった。外が明るいと思って、カーテンを開けてびっくり、真っ青な空。日本を出てから初めて見た色。こんなに天気のいい日もあるんだ。7:40 ベトナム最後の朝食。メニューが同じで食べたいものがない。フランスパンでも焼いてみるか。ラッキーなことにドラゴンフルーツがあったので、食べ納め。

さて、今日は川と反対方向に歩いてみる。と、しばらくして行き止まり。あるはずの建物がない。ん? 制服を着たホテルボーイらしき人に聞くと、流暢な英語が返ってきた。ベトナムはコンビニの店員から、運転手、レストラン従業員まで、たいてい最低限の英語が通じるので街歩きに支障はない。振り返って、オリンピック間近の日本はお寒い状況だ。やはり言葉が全く通じない国は、一人で自由に行動できない。日本はもっと英語併記を増やすべき。もっとも、アメリカは言葉が通じる通じない以前に、侮蔑的態度をとる人間が多いけど。最近「ベトナム代表は英語ができない。」とSNSで発信して炎上したミスアメリカ代表は、ある意味正に「アメリカ代表」だ。ニュースを知って、あるある、と思った。同じ英語圏でも、UKは異なる印象だ。アメリカより大分小さい島国なのに、英語が母国語でない人間に対する差別的態度の人間は格段に少ない。多民族国家と言う意味では、アメリカの方がよほどなのに不思議。

とにもかくにも、何とかVincom Centerに到着。新しいショッピングモールだ。時間通りに開くのかな・・半信半疑で待っていると、警備員らしき人が中からドアを解除。9:31 やるじゃん。テナントは、先進国並みのブランド店ばかり。エレベーターで上に登ると、フローズンヨーグルトの店が目に入った。ちょっと普通の物が食べたくなって、近づく。店員がベトナム語で話しかけてきたが、英語で「酸味のあるフレーバーが欲しい」というと、すぐ「あれは、これは」と提案してくれた。Frozen yogurt blended with mulberry & strawberry にしよう。トッピングが一つ選べるらしい。たくさんあるので端から順にあれで、これで、と説明してもらう。ん?何?ポーポー?「ポーポーって何?」と聞いたがさすがに答えられなかった。ポーポーで知っているのは、果肉がオレンジ色の果物。しかし、目の前には、真っ白な小粒真珠のような玉がたくさん。何だか分からないので、試してみることにした。店員が水とナプキンといっしょにテーブルに運んでくれた。何だろう、この白い玉々は・・・恐る恐る口に入れると、プチンとはじけてトロリと液体が出てきた・・味がない。う~ん、何だこれ? 後で調べたけれど分からずじまい。誰か知っている人、教えてください~。

一回りして、今度は道の反対側のParkson Plazaに入ってみる。古くからあるショッピングセンターらしい。Vincom Centerと比べると、照明が暗く、あまり客もいないし、見劣りする。

frozen yorgurt & popo
frozen yorgurt & popo

外に出て歩き出すと、地下鉄工事の垂れ幕が目に入った。JICAの事業で清水-前田JVが請け負っているらしい。VIETNAMとJAPANの文字とそれぞれの国旗の下に、大きく書いてある。初めての地下鉄なのでホーチミン市民はとても楽しみにしていると、Cuongさんが言っていた。ちょっとうれしくなる。

ドンコイに戻って最後の土産さがし。いわゆる「お勧めの店」というのは、店にドアがあり、エアコンが効いていて日本語が通じるということと理解。当然、日本人客が多くなり、定価販売となる。2,3件をまわったが、ガンとして値引きせず、価格も高い。コットンのトートバッグが¥3,500?は?刺繍があるから?今時、刺繍なんてミシンでやるに決まっているでしょ。クチの塹壕だって、足踏みミシンを持ち込んで兵士の服を縫ってたって実演までしていたでしょうが!こういうのを日本人は黙って買っていくわけか。冗談でしょ。

疲れたので、ホテル近くの有名なカフェに入る。パッションフルーツ&ハニー&パイナップルジュースを注文。しばらく休んで、最後のランチに行く。隠れ家というべき、袋小路の奥にあるビストロ。予約なしなので早めにいくと、窓際の席に座れた。といっても、窓の外の景色は駐輪されたバイクの列だけれど。蒸した春巻き、カニ入りビーフンのポット入り、パッションフルーツジュース。金額も結構するし、量も多い。二人でシェアしてちょうどいいかも。かにはたっぷり上に乗っていて味もちょうどいい。が、ビーフンはなべ一杯詰まっている。もったいないから、せっせと食べるも完食できず。胃の薬飲み。サービスチャージが15%もかかるので、しめて¥2,690。まあ、ビストロでアラカルト注文ですからね。チェーン店で食べるときの3倍の金額だ。ベトナム最後の外食だからね。

ホテルに帰る前に残りのドンを円に戻す。ひっきりなしに客が来るが、皆小額ずつドンに代えているようだ、それが賢い。そういう情報、及び両替所がこんな手近にあるという情報がなかったので目算誤り。こういう実用的な情報を日本を出る前に欲しいのよね。

国によっては、そこら辺に両替所はなく、一旦市内に出ると銀行に行かざるを得ないところもある。そういうケースは、空港で滞在中の分を(例えレートが悪かろうが)替えておく必要がある。旅行中にパスポートもって、銀行の窓口に並びたくはない。

13時過ぎホテルに戻る。フロントに明日の早朝チェックアウトの件と、朝食代わりのテイクアウトを念押し。パーパスさんからも、Cuongさんからも聞いてもらってはいたけれど、念には念を入れて。ついでにモーニングコールも頼んだ。もう外に出たくない。

明日は早い。スーツケースに買ったものを隙間なく詰め込む。青空はいつの間にか黒い雲に覆われ、すぐにザーザー雨が降ってきた。今晩は昨日買った、ザボンとパッションフルーツ。これで食べ納め。明日の夜には自宅に戻る。日本海側は大雪の大寒波ですと。たった数時間のフライトで、世界はこんなにも違う。明日は3時おき。早めに寝よう、お休みなさーい。

11日目

3時起床。外は当然真っ暗。3:30にはちゃんとモーニングコールが鳴った。4時出発だけれど、ちょっと早めに下へ降りると、既にCuongさんが待っていた。真っ暗なロビーにボーイも待機。ホント24時間体制なのね。フロントを呼んでチェックアウト。頼んでおいた朝食バッグもちゃんと用意してくれた。やるべきことをきちんとやって、気持ちいい。

空港に向かう車の中でCuongさん、「昨日からベトナムは(年末の)休みに入って人が多い。クチに行ったら渋滞で大変でした。」その前の日は雨に降られて、デルタクルーズはカッパを着てボートに乗ったらしい。はぁ~大変だそれは。「じゃ、私はラッキーだったんだ。」とつぶやくと「はい、ラッキーでした。」って。彼の日本語は全く問題なくスムーズ。空港に着くと、途中まで案内してくれた。ありがとう、お世話になりました。

成田行きベトナム航空便は定刻出発。安心して爆睡。疲れた~。食道楽ベトナム。またフルーツを食べに行こうか。

ツアープランナーからのコメント

ご旅行お疲れ様でございました!連日観光に食事にと、今回もパワフルに動かれましたね。初めてのベトナムは同じアジアでも日本とは文化が全く違うので、異世界の体験を満喫されたのではないでしょうか?食事も安く取ることができるので、また機会がございましたら是非訪れてみてください。

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