クノッソス宮殿
この宮殿はクレタ島のイクラリオンの中心部から南へ約5km離れた場所にあり、約4000年前(紀元前1450-1300年、年代記載は文献により様々)に栄えたミノア文明の非常に洗練された社会を示す遺跡である。なお、現地にはコピーが置いてあったり、写真が撮りにくい位置関係だったりしているが、宮殿にあったフレスコ画現物はイクラリオン考古学博物館に展示されている。考古学博物館は元々は1930年代に建てられたが、現在のものは2014年にリノベされたものである。
期間:2019年1月16日~2019年2月14日
ペンネーム:パク 様
GON-001465
この宮殿はクレタ島のイクラリオンの中心部から南へ約5km離れた場所にあり、約4000年前(紀元前1450-1300年、年代記載は文献により様々)に栄えたミノア文明の非常に洗練された社会を示す遺跡である。なお、現地にはコピーが置いてあったり、写真が撮りにくい位置関係だったりしているが、宮殿にあったフレスコ画現物はイクラリオン考古学博物館に展示されている。考古学博物館は元々は1930年代に建てられたが、現在のものは2014年にリノベされたものである。
1)ヘビの女神
考古学博物館で展示されているミノア文明の作品。現地の奉納庫から発見された。
発見者エバンスが命名。これもミノア時代(紀元前1450-1350年のもの。著名な巫女と推定されている。
3)ユリの王子
壁画だが、広場から少し引っ込んだ位置にある。現地と博物館では画の周辺部分の記載が少し違っている。
4)王座の間壁面に想像上の動物(グリフィン)が何体か描かれている。
5)牛の壁画現地では画の前に柱があり、写真が撮りにくいが、博物館には縮小コピーがある。
6)青い婦人
これも博物館に現物があり、見やすい。名前の由来は不明。
7)女王の間のイルカのフレスコ画
現地では壁一面に多数のイルカが描かれているが、写真は撮りにくい位置にある。
7)牛の上のアクロバット
クノッソス宮殿の西ウィングの壁に描かれた象牙入りの画。紀元前約1500年の作と推定されている。
9)Corridor of Procession
供物を運ぶ人(Cupbearer)の行列(たった2人ずつだが)が行く通路。
10)両刃の斧の広間
11)壺
同様の多彩色の壺はクノッソスの墓場から多数発見されている。模様はアッティカ風(紀元前約700年)。液体や穀物を貯蔵するための大型の壺が多数ある
12)円形の穴
紀元前1900-1700年に作られたと推定されるが、機能は不明。
参考文献
1)Lonely Planet, Greece, 2018 年版、p.450~
2)世界の遺産100,朝日ワンテーママガジン49, 1995, p.185~
3)Heraklion (Crete)、City Map
4)Archeological Museum of Heraklion (案内パンフ)
ギリシャ本土からクレタ島の中心都市イラクリオンにはプロペラ機でアテネから南に約50分で着く。クレタ島はギリシャの最大の島であり、イクラリオンにはフェリーが出入りしている。本土等に脱出する芸術家(スペインに行ったエル・グレコはその一例)のゆりかごともいうべき場所のようである。ギリシャ本土では、クレタ出身の芸術家の作によると記載された美術品が数多く認められる。
1)イラクリオン
イクラリオンは近くのクノッソス宮殿(別報)が有名であるが、町の中心部には博物館等もあり、バスの起点ともなっており、便利である。
1-1)ベネチア時代の要塞(Koules Fortress) 16世紀に建てられたとされ、町を外敵からの侵略を守ってきた。6年間の補修作業後、2016年に再び開館した。現在、内部には砲弾としての丸石も残っているが、屋上からの眺めが最大の利用価値であろう。
1-2)クレタ歴史博物館
1952年に建てられ、3世紀頃からWWIIまでの美術品 織物、楽器、焼き物を収納していて、その中には、クレタ島出身でスペインで「ギリシャ人(エル・グレコ)の名で活動していた画家(ドメニコス。テオトコポールス)のクレタ島で制作された小さな作品2点が展示されている。
1-3)ロッジア(現在の市庁舎)
何回か破壊され、現在の建物はフランシスコ・モロシーニが建てたもので、市庁舎として利用されている。
1-4)モロシーニの噴水
1628年にこの噴水の設置が祝われた。ライオンの像が4体付いている。ポイントは水を
この場所に運んでくる技術とか。
1-5)St. Titus教会
10世紀に建てられ、1925年にギリシャ正教の教会になった。 外観[6857]は教会らしくないが、参集する人は絶えない。
1-6)St. Minas大聖堂
1862-1895年に建てられた、クレタ島最大の大聖堂。
1-7)St. Mark(展示場)
外観は教会で、それらしい内装も残されているが、現在は無料の展示場として利用されている。
1-8)St. Peter教会
公開していない様子だった。しかし、周辺は修復する様子。
1-9)通り
昔、町を囲っていた擁壁に付けられていた門の一つ。門の隣には展示スペ-スがある
イラクリオンからほぼ1時間に1本の頻度でバスがある。行政の中心だった時期もあった。
イクラリオンから約3時間で着く。ハニアのバス停から海の方向に移動するとVenetian Portという地域があり、昔の倉庫的な建物が残っている。
#2-1)シャニサリー・モスク
補修中。
2-2)灯台
2-3)教会
2-4)武器庫
2-5)食後のシメの一杯
味はほとんどないが、アルコール度数は高そう。同様の飲み物がイクタリオンのホテル入り口にも客用に置いてあった。
1)Lonely Planet, Greece, 2018年版、p.438~
2)Heraklion (Crete), City Map
3)Chania info Guide, 2018, (案内地図)
4)Holy Church of Titus, The Apostle5)Historical Museum of Crete(案内パンフ)
アテネ中心部の岩山の上に紀元前8世紀頃から建物が作られ、紀元前4000-3000年頃には人が住み着き、6世紀後半までは人が住んでいたが、その後、アクロポリスは神の住宅であると宣言され、聖域として機能するようになった。
プロピレア:アクロポリスへの入り口。紀元前437-432年に作られた。
アテナ・ニケ神殿:建物はほぼ4角形。紀元前424年に完成。木製のニケ像を収容。2003年以来、鉄を使わない方法で、再建作業中。
建物は紀元前408年に完成。少女像は紀元前約415年に完成。オリジナル5体は博物館で展示。建物は2つに分けられ、一方はアテナ(Caryatids)、他方はポセイドンに奉じられている。
イロド・アティコス音楽堂:161年に建設された。
ディオニソス劇場:アクロポリスの南側の斜面に作られている。紀元前342-326年に改装されている。収容人数:1.7万人。
アテナに奉じられた以前の少なくとも4つの神殿の場所に、紀元前432年に完成。1687年にベネチア軍により大破されたが、修復作業中。破風にある彫刻の一部は博物館に展示。
アクロポリス博物館の他の展示物。博物館の地下に遺跡があり、直接またはガラス越しにみられるようになっている。
アクロポリスの丘の下にも遺跡がある。
ゼウス神殿:紀元前6世紀から作られ始めたが、2世紀(紀元131年)、ハドリアヌスの時代に完成。柱はコリント式。神殿としてはギリシャ最大。
ハドリアヌスの門:これも2世紀(期限132年)に建てられた。多分、ゼウス神殿の完成を祝うために作られた。
参考文献
1)Lonely Planet, Greece, 2018年版、p.67~
2)Acropolis Museum 配置図
3)Chat Tours プログラム、2018
4)絶対に行きたい世界遺産101、中経文庫、2011, p.154
5)高階秀爾、西洋美術史、美術出版社、1990, p.27~
6)ソフィア・コキヌウ、ギリシャ神話、S.Nanos, 1991
オシオス・ルーカス修道院
961年に作られたこのビザンチン様式の修道院はデルフィとアテネの中間にあり(デルフィの南35km、車で約30分で着く)。16世紀のクレタ人画家、ダマスキノス、のイコンもある。
1011年(又は1022年)に作られたと推定されている。ギリシャ正教のビザンチン様式の平面が8角形の壁の上にド-ムが乗っている。
天井画:現場の堂内は暗くて見えにくい。
博物館:以前は僧の食堂だったが、現在は、博物館として使用。
Panayia教会 (処女マリアの教会)
僧房
僧房
1)Lonely Planet, Greece, 2018年版、p.211 (かこみ記事)
2)Hosios Loukas (案内パンフ)、 Hellenic Republic Ministry of Culture and Sports
3)オシオス・ルカス修道院、Wiki打ち出し、11/21/2018
アテネは人口約60万人の1834年以来のギリシャの首都で、アクロポリス(別報)を含む古代からの遺跡が多数存在している。現在、ヨーロッパ北方を目指すシリア、アフガニスタンを含む多くの地域からの難民が留まっている。
1)古代 (Ancient) Agora ソクラテスがここ(Stoa of Zeus Elutherios)で弁論した。この場所は初のショッピングセンタ-である。1931年から発掘を開始した。
#ヘファイストス神殿:紀元前450~440年に、パルテノン神殿とほぼ同時期に建てられた。ギリシャで良く保存されたドリス式神殿である。
#マタロスの柱廊:紀元前2世紀に作られた。この地域で発掘された美術品はここに設置された博物館で展示されている。
#アグリッパの音楽堂:紀元前15世紀頃作られ、3体の巨人の像のみが残る。
10世紀後期のビザンチン様式の教会で、イスラム風の装飾が施されている。紀元49年にパウロの説教を記念して建てられた。1954-1957年に19世紀に付加された装飾を取り除いた。
紀元前1世紀~紀元2世紀のアゴラ(市場)の跡地。
#Gate of Athena Archegetis:シーザーの援助により、紀元1世紀頃に建てられたとされる。ドリス式の柱が付いている。
#Tower of Winds:1世紀に建てられ、塔の上部8面にレリーフの像が付けられている。
3)ハドリアヌスの図書館
2世紀頃ハドリアヌスが作ったローマのアゴラの北側にある。図書館とは言っても、音楽が奏されたり、弁論も行われていたとのこと。
4)ミトロポレオス大聖堂
1840年から15年かけて造られたアテネ最大のギリシャ正教の教会。
隣にある小さな教会(アギオス・エレイテリオス教会)は11世紀に作られた初期キリスト教のもの。内部は公開していない。
5)Holy Church of Kapnikarea
11世紀に建てられたギリシャ正教の教会。
6)街中
Monastiraki広場
1)コリントス
アテネから西に車で約2時間で着く。この地は紀元前6世紀頃から地中海貿易に便利だという地理的優位性のために、古代ギリシャで豊かな街となった。紀元前6世紀に作られた貯水槽のグラウケの泉の他には紀元前5世紀に建てられたドリス式アポロ神殿が目立つ。
Temple E神殿の柱
ローマ時代のagora (市場)
BEMA:パウロもここで伝道をしたとされている(でも、失敗だった)
博物館は2016年に開館し、アルカイック時代、 古典時代の像、モザイク、壺(紀元前750-730年)、陶器等を展示している。
コリントスから南下した場所にある。この地には紀元前3000年から人が住んでいた。紀元前1600-1200年の400年間、この街は ギリシャで最も力があり、ギリシャの他の街に影響を及ぼした。トロイ戦争のトロイの相手はミケ-ネだった。ホメロスが書いた詩、オデッセイ、イリアドを基に1874-1876年にドイツ人シュリ-マンが発掘し(金のデスマスクはアテネの考古学博物館に展示)、神話の内容が歴史的事実となった。
ライオンの門:紀元前1200年頃に、巨大な石を積み上げて造られた。
円形墓地:6個の内5個は1874-1876年の間にシュリ―マンが発掘した。紀元前15世紀頃までは高貴な人の死体はこの穴に投入していたが、その後、蜂の巣状の墓に投入するようになった。
アガメムノンの王宮:紀元前15世紀。敷地全体の北西の位置にある。
北門:城壁の重なり部分に付けられている。
住居(邸宅)跡
職人の作業場:同時に発掘されたものから職人の作業場と推定された。紀元前13世紀のもの。基礎部分だけ残っている。
古代ミケーネ博物館:この場所に展示しているものの多くはコピーであり、本物はアテネの考古学博物館にある。
3)コリントスの運河
この運河はコリントスの遺跡から約12km離れた所にある。高さ約90メーター、幅23メーターで、イオニア海とエーゲ海を繋いている。計画は紀元前7世紀に遡り、アレキサンダー大王も関与したが、最終的にはフランスの工事会社が1893年に完成した。運河内ではバンジー・ジャンプも楽しめる。Isthmosで橋が架かっている。
1)Lonely Planet, Greece, 2018年版、p.141(コリントス)p. 145/146 (ミケーネ)
2)コリントス、ミケーネ、ネフプリオン、ピタウロス(案内パンフ)2006、ギリシャ政府観光局
3)世界の遺跡100、朝日ワンテーママガジン。1995, p.180~
4)カラー版西洋美術史、美術出版社、1990, p.22~
神話を根拠に遡ると、紀元前2000年頃のミケ-ネ時代からこの地域では神託が行われるようになり、紀元前590年から実質的な歴史が始まった。紀元前191年にロ-マの統治に入り、381年にはこの地域が閉鎖され、大地震等で埋もれ、19世紀末にフランス考古学会により発掘された。現在は道路で二分され、上部は囲われ、博物館も含め、入場料を取っているが、下の区域は自由に見られるようになっている。
1)アテネ人の宝庫
1906年にフランス考古学会が復元したもの。紀元前490年の対ペルシャ、マラトンの戦いでの勝利を記念して建てられたとされる。
2)アポロ神殿
現存するものは紀元前4世紀に建てられた3回目のもので、1回目は紀元前7世紀後半に作られ、2回目は紀元前514-506年に作られた。ホ-マ-にも記載があるとのこと(現地表示)。
3)古代劇場
紀元前4世紀のもの。観客席からの舞台背後の山が借景となる。
4)Ex-voto of Aristaineta
5)Tripot of the Crotoniates
現在1本立っているのは、複製品。
アテナ・プロナイアの神域:紀元前380年の作。デルフィに来て「最初に訪れる場所」の意。3本の柱だけ1940年に復元された。アポロ神殿から1.5km離れている。
この地に着いたら、プロナイアの神域からアポロ神殿に入る前に体を洗った場所。泉そのもの(水の出口)とプールがある。
7)スタジアム:入れない(従って、入場料も減額されている)
紀元前8世紀頃からの作品が展示されている。
ライオンとウマ(?): 表面が部分的に剥離していて、図柄全体が掴みにくいが、このデザインはライオンがウマ(?)を襲って春を引き寄せることを示しており、考え方はイランの建物の入り口の上の絵や建物のレリーフに多く認められるものとまったく同一である。
Sphinx of the Naxian:この像は紀元前560年の作とされる(Naxos島から奉納された、紀元前6世紀のアルカイック様式)。このデザインの像は他の多くの場所にも認められる。
「御者の像」:紀元前478年頃の古典時代の真鍮製の作品で、シシリア島からの奉納。
カリアティデス:建物の入り口に置かれていたと推定される。
円形の祭壇:髪飾りを付けている人物が12体彫られている。
破風の彫刻。
アクノニオスの息子:紀元前5世紀の運動選手と推定される。
埋葬品:模様を付けた薄い金箔。
デルフィ・ビール:ご当地クラフトビ-ル、味はしっかりしているが、観光価格。
1)Lonely Planet, Greece, 2018年版、p.199~
2)デルフィ、ギリシャ政府観光局(案内パンフ)、2006
3)Delfi, Plan and Reconstruction of the Archeological Site (地図)
4)アフロ、絶対に行きたい世界遺産101、中経文庫、2011, p.158
7)無名戦士の墓
シンタグマ広場と国会議事堂の中間に位置し、民族衣装(エプゾナス)を着用した衛兵2人で守っている。
8)シンタグマ広場(“憲法広場”の意)
デモの恰好の準備場所となっている。
9)国立考古学博物館
1] ポセイドン:エビア島付近の海中から1928年に発見された。
2] ミロス島のポセイドン:紀元前130年頃の作とされる。
3] アフロディテとパンとエロスの像:ミロス島(ミロのビーナスのミロ)で発見された。紀元前100年頃の作。
4] 黄金のマスク:紀元前16世紀のデスマスクと推定されている。
5] 馬に乗る少年:紀元前約140年の作。
6] ボクシングをする少年
7] ミケーネの壺:紀元前1125年
8] 石の墓碑 紀元前340年の作
9] 海でのボ-トレ-ス勝利記念:163/4年の作
10)Zappion展示場
国立庭園の隣のザピオン公園にある1874-78年に建てられた展示場。(一般人が入れるのは正面ロビーのみ)
11)ノミの市
常設の土産物通り/広場で、通りの店は新品、広場の店は主に骨とう品/中古品を売っている。
12)ピレウス
シンタグマから地下鉄1回乗り換え、南に10km、約30分で着く。島に行くフェリーの発着場。WWIIで破壊された。
途中乗り換え駅
アギア・トリアダ大聖堂
WWII中1944年に破壊され、1950年に再建された(教会の表示)。
13)スニオン岬
アテネから約70km南のアッティカ半島先端。紀元前444年に建てられたポセイドン神殿がある(Ancient Agoraを作ったと同じ人が建造)。ドリス式の円柱が残る。
1)Lonely Planet, Greece, 2018年版、p.82~, p.134(スニオン岬)
2)アテネ案内図 (Amaria Hotel)
3)City Sightseeing, Hop On Hop Off, バス案内図
大雑把には11世紀頃からカランバカ付近にビザンチン流の教会が作られ、(外敵から)襲われたために僧が近くの岩山の洞窟に逃れ、さらに奥の岩山の頂に逃れて庵を作った。この庵の数は16世紀には24にもなったが、一度はすべての庵で僧が住まなくなり、廃墟となったが、しだいに再開され、現在は6院が活動している。
メテオラそのものには宿はないので、メテオラの修道院に行くためには、旅行会社の仕立てた日帰りバスに乗るか(メテオラ滞在時間はほぼ3時間で、修道院は最大2院ぐらいしか訪問できない)、アテネから直行列車が来ているカランバカに行くことになるが、2019年現在、列車はアテネからは実質1日1便のみ。しかも、この列車は途中、バスでの振替輸送が入っている。
カランバカはWWII時にはナチによりほぼ完全に破壊され、街の建物はほぼ全部新しい。例外は街はずれ、修道院に登り始める道の入り口に建つThe Church of the Assumption of the Virgin Mary である。
この教会そのものは、4世紀からあったが、街中の表示によれば、現在の建物は9-11世紀に作られ、内部に隙間なく描かれているフレスコ画は14~16世紀に描かれた。1995年に国はこの地域を「神聖不変不可侵地域」と指定した。
岩の壁面の窪みを利用して、縄梯子によりたどり着ける逃げ込み場所としている。これらの庵は元々は14世紀頃に作られ、16世紀 頃まで改良され続けてきたと推定されている。俗称「鷹の巣」。
#聖アントニオスの庵
修復後の形ではあるが、一見するとたどり着く手段は縄梯子のみ。しかし、現在は電気が供給されている様子。
#ステファノス修道院
標高528メーターの岩の上に現在の建物が1798年に作られ(最初の聖堂は1350年頃に作られていた)、近年(1992~1996年)ギリシャ人宗教画家が堂内の「キリストの生涯」に手を入れた。1961年に尼僧用の修道院となり、現在は出版活動も行っているとのこと。
聖ハララレンボス聖堂:この内部に画が多数描かれている)左に下がっている横木は、合図用のもの(鐘の代わり)
博物館:入り口の右に販売用の印刷物が並べてある)
#ルサノー修道院
標高484メーターの岩の上に1527-1529年に建てられた。1988年以降は尼僧用になっている。
#アギア・トリアダ修道院
標高535メーター(参考文献3)記載の数値)の岩の上にあり、一度谷底に降りてから1925年に作られた狭い急な階段130段を登ってから、1475-1476年に作られた建物に入れる。現在は荷物運搬用に簡単なケーブルカーが設置されている。
建物の天井ドームの画は 1741年に描かれたもの。このフレスコ画がある部屋は参観者がいなくなると、直ぐに閉められてしまう。WWII時に、多くの遺物が略奪されたが、手書き文書は現在48冊が確保されている。
#バルラ-ム修道院
標高551メ-タ-の位置にあり、元々14世紀に建てられた庵を1544年に聖堂を建て直して修道院とした。壁画は1548, 1566年に描かれ、1637年にも追加された。小さい博物館があり、美術品が展示されている。1930年代まで使われたロープによる荷物/人間昇降用のバスケットが残っている。
#ニコラオス修道院
標高419メーターの位置の非常に狭い面積の場所に建っている。この建物は15世紀に建てられ、クレタから来た画家がフレスコ画を描いた。建物の外の階段を登った場所に鐘楼がある。
#メガロ・メテオロン修道院
この修道院は標高613メーターの位置にあり、この岩はこの地域では最も広い。ほぼ14世紀から作られ始めた。白い塔状の部分は1922年に付けられた200段の階段である。2019年2月は補修工事のため入場できなかった。
メテオラのドライバー/ガイドさんと。
参考文献
1)Lonely Planet, Greece, 2018年版、 p.237~
2)The Byzantine Church of Virgin Mary, Wiki 打ちだし 3/7/2019
3)アギア・メテオラ、聖ステファノス修道院
4)D.Z.Sopfianos, Holy Meteora of the Great Meteoron, Itinerary, 2012
5)Fr. G.D.Metallinos, The Way, An Introduction to the Orthodox Faith, Holy Meteora, 2013
6) Meteora MAP (現地案内地図)
7)世界の絶景100、幻冬舎、2015. P.175
ペンネーム「パク」様
この度は素敵なお写真と壮大な旅行記をお送り頂き誠に有難うございます。30日間という長いご旅行でいらっしゃいましたが無事にトラブルなくお帰り頂けて良かったです。お問い合わせをいただいた時からとても楽しくやり取りさせて頂いて嬉しかったです。次回のウクライナのご旅行も精一杯努めさせていただきたいと思っておりますので、引き続きどうぞ宜しくお願いいたします。