世界遺産と自然の宝庫 クロアチア周遊
ザグレブ・プリトヴィツェ・スプリット・ドブロブニク周遊10日間

期間:2019年4月25日~2019年5月4日
Y.S. 様

GON-001512

<ダイジェスト>

* 大混雑を避けたければ、クロアチアはGWに行くのがベター、ただし天候は運次第。
 夏に行くなら何をするにも大行列を覚悟せよ。
* 観光立国クロアチア。
  メリット:旅行用インフラは整い、英語が通じる。
  デメリット:観光地はどこもツーリスト価格。地方ホテルの浴室は、問題あり。
* ポーランド航空での乗継は注意。
 乗継時間を短く設定、結局遅れた便を待って遅延出発が当たり前。

1日目

地元の成田行きバスの発着所へ、タクシーで十分余裕をもって着いたはずなのに、既にバスに乗り込む人の姿。そんなはずは・・聞けば、ひとつ前の便だった。こんな早朝にそんなに頻繁に出ているんだっけ・・「どうします?乗っていきます?」と聞かれて、二つ返事で飛び乗る。オンラインチェックインしたのに、座席指定ができなかったので、成田で再トライせねば。少しでも早く着いたほうがよい。ラッキー。

チェックインカウンターには既に長い列。でもbaggage dropはガラガラ。カウンターで聞いてみると、前方通路側が取れた。よかった~。これで一安心。なんせ、約11時間のロングフライトだからね。

定刻発の初めてのポーランド航空。後方エコノミーは日本人団体客。その前の中央セクションには、そうでない人(外国人と個人客)が集められている。不思議なのは、経験上万国(万路線)共通の様だということ。いつもこうなのは、ツアー料金を抑えるためか?でも、個人でとっても大概後ろしか空いていないけど。今回はたまたま中央セクションをとれた。

787 Dreamlinerにしては、タッチパネルの不調やら、狭いトイレにちょっと変わった開閉ドア(1枚ドアが斜めに回転)、便座のふたは座ると背中に倒れてくるし(このタイプはけっこうある。製品欠陥か。)、いまいちパッとしない。10時間超のロングフライトなのに、2ミールのみ。まあ、この情報はつかんでいたので、途中ギャラリーへ行ってカップラーメンをすする。自席の周りはかしましい。団体客のようだ。どこの国?言語の判別ができない。いろんな顔立ち。皆、そこここで立ち話、かっぷくがよくてあちこち触るので気になる。後ろの客は、PCを開いているから座席を倒すなと文句をつけてくるし。あのねえ、お姉さん、この狭いエコノミーで、そのどでかい普通サイズのラップトップをトレイテーブルにおいて作業しようってのが、土台間違っているんだわよ。こっちだって腰が痛くて10時間も直角に座っていられない。前の客だって倒してくるし・・全く世の中、どこへ行っても自分の都合しか考えない人間が多くてうんざり。PC作業をやりたいなら、ビジネスクラスでどうぞ。倒しては戻し、また少し倒し、前の客が席を立って戻らないので、手を伸ばして前のシートを元に戻しと、しばらく攻防戦。周辺があまりに騒がしいので、隣の客に聞いてみた。イスラエルからの団体客だ。ふ~ん、ヘブライ語か。全く判別できなかった。東京からワルシャワに飛ぶとは、世界1周でもしているのか。年配者が多いし、リタイア悠々自適集団か。

着陸寸前に、この団体の添乗員らしき人がフライトアテンダントに質問。どうやら乗継時間が短くて心配しているようだ。そうそう、同じ。ほぼ定刻に着いたけれど、1時間しかない。一目散に降りて、セキュリティチェックポイントに向かう。隣のトイレに寄ったのが大きなミスだった。出てくると、30~40人がごった返す状態。もう15:00。並んでいる男性に話しかけた。搭乗時間は?15:10向こうも行き先を聞いてきた。同じ便だと分かり、ちょっと安心したのもつかの間、全く列が動かないし、降り曲がって先が見えない。男性の連れが前方偵察へ。戻ってきたので、何列あるか聞けば、1列と。は?こりゃ間に合わん。そわそわいらいら。と、さっきの男性が「前に言って、先に行かせてもらえるか聞いてみるか?どうする?」と聞くので、”Yeah! Let’s go!” 即答。3人で、X線機器の手前に言って、男性が、並んでいる女性にダメ元で聞いてみた。とその人も「私達なんか、14:55だわよ。」といいながら、「いいわよ、行って。」と前に入れてくれた。ありがとう!!そそくさとクリアして、急ぎ足で歩く。男性を振り返りつつ”Gate No. 17, right?” と聞くも、“I don’t know.” オイオイ。立ち止まって確認している暇はない。自分の記憶を信じて、ゲートを探す。やっと行き先を確認して、安堵。間に合った~::ああ、心臓に悪いよ、これ。すぐ搭乗開始。中へ入るとガラガラの機内。え?こんなにすいてるの? と、機長のアナウンス。”We are waiting for a last passenger.” 一人かと思いきや、しばらくしてぞろぞろやってきた。日本人団体客と中国人グループ。結局みんな揃うまで、待つんかい。予定より30分遅れで出発。もう疲れてこっくりこっくり。今日は一日移動だ。

1時間20分でZagreb到着。外に出ると、ドライバーがスマホに自分の名を表示して待っていた。おお、今どきですな~。ラッシュアワーだから別の道を通るとドライバー。村の中を通り、ゴミ処理場があるからちょっと臭うけどと、なるほどその通り。10秒我慢して、脇をすっ飛ばす。天皇の代替わりで10連休だというと、「どおりで日本人が多いと思った。」だって。

ホテルまで30分もかからなかった。チェックインしようとしたら、システムダウンでPCが使えないので、紙ベースで管理しているとフロント。あらあら・・色々ありますな。ルームキーがちょっと変わっていて、使い方を説明され部屋へ。もう18:30過ぎ。疲れたから今日は外に出たくない。おなかもすかない。日本から持ってきた加賀の湯でゆったりバスタブ・・・あ~あ。ごくらくごくらく。(この時はこの天国バスタイムが特別とは思いもしなかった。)Wi-Fiも問題なく、同僚へメッセージ。やりかけの仕事、どうしたか・・

2日目

朝寝坊しようとしたけれど、6:45パッチリ目が覚めた。7:00朝食。標準的品ぞろえ、野菜もあって満足。部屋に戻れば、ルームキーが不調、ドアが開かない。またフロントへ戻って、別のカードキーにしてもらう。エレベーターが1基しかないので不便。仕事が気になる。4月に人事異動で毎日ドタバタだった。難しい案件が現在進行中のところに、緊急事態も発生。何とか見通しを付けて休暇に入ったけれど、連休中に出勤せざるを得ない者もいるので、状況確認と支持出し。時差7時間を考えると、朝のこのタイミングなら、日本ではまだ仕事中。いろいろやり取りしていると、はて、ふと今日は何をするんだっけ・・厚い雲からちょっと日が差してきた。出かける用意をしなくちゃ。

9:00出発。ぶらぶら歩きながらケーブルカーの方へ。ホテルの目の前のイェラチッチ広場には初代王の銅像。トラムがひっきりなしに行きかう。新旧入り混じった街。まあ、人生もこれだけ長く生きていると、大概のものはデジャヴになる。広場はミュンヘンに似ているがやや小さい。トラムが行きかう様は、イスタンブールのイスティクラル通りの面影あり。ケーブルカーはなるほど短距離。これなら歩いて登れそう。脇の木製階段をてくてく・・さすがに上に着くころにはゼーゼー、やれやれ腰が痛い。3月から調子が悪く、リハビリに通っている腰。ハワイとモロッコで、ぎっくり腰を発症、動けなくなったので注意しながら歩く。ふむ、まま眺めはよろし。赤茶色の旧市街が広がる。ギャラリーや博物館もあるようなので、ひとつひとつ見たら半日ぐらいかかるんだろうな。くるりと見て、同じ階段を降りる。評判の良い雑貨屋さんを見て、ホテルに戻る。ちょっと時間に早い。ロビーのトイレに行くと、部屋のカードキーがないと入れないシステム、ちゃんとしたセキュリティだ、安心安心。

10:00ぴったりに隣のビルへ。受付でZagreb 360°に行きたいというと、係員がまだと言うので、少し待つ。ほどなくエレベーターでやってきた軽い感じの私服のお姉さん。後から来た二人組と16Fへ。ビルの周りに人一人が歩ける通路が3方面に作られ、鉄格子がはまっている。下を覗くと、広場全景がよく分かる。大聖堂の塔も、教会も、遠くには緑が多い。皆さん、一眼レフで写真をパチリパチリ。まあ、よくある「○○タワー」のような、全面ガラス張りの展望台ではない。入場料\1,200の割にはちとしょぼい。夜景はきれいかもしれないが、外にテーブルを置くスペースはない。屋内はカフェのようだが、この雑多な作りはもったいない。うまくプロデュースすれば、絶好のデートスポット(→ドル箱)になりうるのに。12月に行ったハノイの眺望レストランを思い出す。外のベランダにテーブル席があって、評判が良い。昼間は暑いので、可動式のサンシェードを付ければ完璧。

Zagreb plaza
Zagreb plaza

下界に戻って、今度は広場の反対方向の青空市場へ。たくさんのパラソルの下に、果物、野菜、売り子も買い物客もたくさん。屋内には魚市場、階下には肉市場もある。イルクーツクの市場に似ている。ちょっと気になったのは、外は歩いていると汗ばむくらいなのに、屋内市場も外気温と同じで暖かい。もうちょっと冷やさないと、衛生面がどうかな・・なんて大きなお世話か。いちごが安いので、買ってみた。物価の高いこの国で、約¥200/kgです!干しイチジクも味見して、酸味のある方を500g、¥300。レタスやトマト、リンゴ、かんきつ類は朝食にあったからいらない。今朝食べた、ご当地みかんは小さいけれど味が濃くておいしかったな。

あちこち歩いて、1.5kgが重く感じてきた。荷物置きにホテルに戻ろう。ホテルの立地は本当に重要。疲れた時、荷物が多いとき、直ぐに帰れるのはとても便利。まだ昼前なので、ベッドメーキングは期待していなかったけれど、済んできた・・ゴミは捨てていなかったけれどね。大量のイチゴは底の方がつぶれて汁が染み出している、危ない危ない。水道で洗うと、結構痛んでいるものが混じっていた。まあね、あれだけカートに積み重ねて、kg単位で、巨大スコップでガサガサ紙袋に突っ込めば、こうなるさね。日本のように物を丁寧に取り扱う文化の方が珍しい。

フロントに近くのスーパーの場所を聞いて、炭酸入り水を、戻りがてらパン屋で何だかわからないデニッシュ系を2つ購入。中身を聞こうと思ったけれど、別の客に対する店員の態度を見て諦めた。忙しいのは分かるけど、態度が悪い。そういう時に人間性が出るんだわよ。肉がダメと言っていた・・アレルギーの人は大変だわよね。英語は通じるというか、流暢に話す店員が多いのに、表示がクロアチア語だけで分からない。日本も同様。人間を教育するのは時間がかかるので、とにかくオリンピックに向けて、何につけても「英語表記を増やせ!」の一言。飲食店、土産物、看板、標識、注意事項、全てにおいて。

12:30部屋に戻ってランチ。パンは、チーズとオリーブオイル、アニスシード?いちごは大味だけど、惜しげもなくバクバクムシャムシャ、満足満足。一度では無理なので、残りは夕ご飯用、冷蔵庫に保管。 今頃日本は夜。皆、仕事終えて帰ったかな。明日から連休。今日は定時に帰るよう、朝メッセージを送った。何も連絡は入っていないのでちょっと安心。外の店先のフリーWi-Fiで個人的なやり取りはしたくない。いつでもホテルに戻れるのは、大きなメリットだ。いい部屋なので、ちょっと斜めだけれど広場も教会も窓から見えるし、キングベッドは快適、バスルームはピカピカ、広いワーキングデスクに、一人がけのソファが2つ、コーヒーテーブルがひとつ。それでもスーツケースを広げて十分な広さの部屋。(旅行中、ここが総合評価ベストでした。)

さて、ちょっと日記をつけて再度出かける。午後は大聖堂へ行って見よう。道沿いにある土産物屋はどこも同じような商品、いまいちパッとしませんなぁ・・高いし。チョコレート有名店Krasの直営店は、ご贈答用が並んでいる。この時期、チョコレートは柔らかくなるし、ひと箱買って分けてもありがたみがねぇ・・ 大聖堂のツインタワーのうち一つは修復中。事前リサーチの写真と逆だと思ったら、交互に工事しているみたいでしばらくかかりそう。中へ入るとひんやり。遥か上方にステンドグラス、立派な祭壇。ガラス張りの箱の中に大司教を模した体が横たわっている。(ご遺体そのものは地下だそう。)ホーチミン廟を思い出した。あちらは実物で厳重警備だった。

外へ出て、ぶらぶら歩いてスーパー2件を見つけた。ご当地チェーンのKONZUMと、ヨーロッパでよく見かけるSPAR。中のベーカリーで夕食用パンの調達。外のパン屋より安い。ここで外食ばかりしていると、エンゲル係数がとんでもないことになりそうだ。ホテルに戻りつつ、ふと目に入ったスウィーツ店。入ってみると、ショーウィンドーにケーキが並んでいる。と、見つけた! クレムシュニテ。ああ、これ、ご当地名物だった。隣に似ているけど白いケーキも。店員に違いを聞くと、クリーム色のオリジナルは火が通っていて、白い方は生クリームのようだ。より甘い方はどちらか確認して、甘みの少ないオリジナルとコーヒーを注文して、外の席へ。自由に歩いて、こういうふとしたチャンスに巡り合えた時、個人旅のありがたみをしみじみ思う。15:30のお茶タイム。今日は理想的な時間配分で我ながら満足。高さ7~8cmはあろうかという四角いクリームの塊が、底地とトップのパイ生地に挟まれて皿の上に「立って」いる。なるほどあまり甘くないから、巨大なケーキもペロッと完食。コーヒーはねぇ・・ブラックを注文したけれどエスプレッソ並みの苦味。香りは焦げたカラメル臭。う~ん、あまり好まない。この系統はミルクを入れれば風味が増すのだけれど、アメリカンタイプのブラックが好きなのよ、コーヒーらしい鼻に抜ける香りが命。道行く人を眺めながら一休みして、ホテルに戻る。

Zagrebはさらっと見るには1日あれば十分。都市部の観光はすぐ慣れる。明日から自然の中へ。明後日は世界遺産、プリトヴィツェなのに、雷雨の予報・・何ですか、雷雨って。明日は3食レストランだから、今晩は昼に続き部屋食。日本から持ってきたドリップコーヒーがうま♪ クロアチアの水は飲用可をうたっているだけあって、ポットで沸かしてコーヒーを入れて問題ない。インドでは沸騰させても、塩分過多で飲めたものではなかった。昼の残りのイチゴも完食。ちょっとテレビを見て、お風呂はゆずの香りでごくらく。今日も一日、無事に過ごせました。

Zagreb bread & strawberry
Zagreb bread & strawberry

3日目

あまりに外が明るくて、6時過ぎに目が覚めた。真っ青な青空。ここはこんないい天気なのに、これから向かうところは何だって、悪天候なのかと恨めしくなる。

6:45朝食。さすがに人が少なくてよい。たっぷりの野菜、生ハム、ヨーグルト、珍しくグレープフルーツジュースもあった。並んでいるジャムの瓶に”plum”と書いてある真っ黒なものを発見。席に戻って一口、やっぱりそうだ、プルーンジャムだ。うま♡ ヨーロッパのジャム類は、甘みが少なく酸味があって好み。日本のはどれもこれも甘すぎ。

部屋に戻ると雲がかなり広がってきた。変わりやすい。プリトヴィツェ方面の天気予報を祈る気持ちで見れば・・・降水確率100%、予報「雷雨」・・ハア・・日本だってこんな予報は台風直撃くらいじゃないの。せっかくの旅のハイライトなのになあ・・しかも何だか寒そうだ。重ね着できる用意をしてフロントへ。

08:50 チェックアウト。 City taxが¥400。時間きっかりにやってきたドライバー、ネームシートを持って、バリバリのビジネススーツですけど。黙ってスーツケースを持って歩き出すので、ついていく。この辺はホテルの前に車を止められないから不便。セダンのフロントシートを希望して乗り込む。何も言わないので、自分から名前を言ってあいさつと握手。

しかし、これだけ世界のいろんなところでいろんな人と会ってきたけど、まだまだ予期せぬことってあるのよね。ちょっと話していると、「アメリカに住んでいたことがあるのか?」と聞く。”You speak good American English.” いいえ、それなりの努力の結果です。日常で全く必要としないし、最近忙殺されてブラッシュアップもできないので、かなり単語とフレーズを忘れた自覚あり。まずいと思っている。そういうこのドライバーこそ、何者?と思い始めていた。やけに英語がうまいというか、アメリカ人と話している気分になるほどの語彙力と正確な文法、スピードも早口ネイティブ並で、たまに聞き取れないぐらい。何なの・・と思っていたら、なんと彼、アメリカ大使館の元SP。ボストンで高等教育を受け、特殊車両の運転技術や武器の訓練を受けて、要人警護の任務に当たっていたと。はあ・・・「で、何だって今、旅行者のドライバーやってるの?」と聞けば、トランプになっていろいろ変わって、まあ職を失ったということらしい。

なぜクロアチア政府で仕事をしないのかと聞けば、8割はプライベートライフを犠牲にして任務をこなし、2割は家族持ちらしいが、勤務時間は不規則だし、いろいろ制限があって、給料も安くて大変らしい。既婚で子供もいるしで、自分の会社を立ち上げ、民間ドライバーとして仕事をしながら、トランプが去るのを待っていると。アメリカ移住を蹴ってまで母国に戻った愛国者だ。「あなた、こんな仕事ふさわしくないでしょう。まあ、人生いろいろあるけど、まだ若いから・・」と言いかけたら、なんと27歳と言う。思わず顔を見つめた。え?若いと言っても、30代半ばかと思った。話す内容がとても20代には思えなかった・・・なんとまあ、こんなところでエリート青年に会うとわね。

途中、急にスピードを落とすので、「何?」と思うと、スピード取締りのカメラがあるという。はは、まあプロ中のプロドライバーにお任せ。のろい車の後をひたすらついていき、後続車が追い越してもそのまま。直線になったところで一気に加速。カーブのところは危険だと。本当のプロはそういうところを手抜きしない。

途中、指差す方向を見ると、クリーム色の壁にボコボコ跡がある家。住民が去った廃墟には、4年間の戦争中に受けたオートマシンガンの跡が今でも残っている。何だってこんな田舎の村で戦闘があったのか・・彼は母親の母国のブタペストに疎開していたと。今では世界中から旅行者がやってくる平和な土地なのに。人生、何に巻き込まれるか分からない。

10:35 Rastoke村に到着。川のところで下車、あの橋を渡って・・と説明を受けて、じゃあ後で、と別れる。写真を撮りながら歩いていくと、道の両側にカフェや土産物屋がある場所に出た。ねぇねぇ、どうでもいいけど、Mr. Driver、あなたとっても目立ってます・・・こんな田舎ののどかな村で、周り中見渡しても、サングラスにビジネススーツの人、他に誰もいないし。マンハッタンに出勤できそうだ。まあ、スパイ活動ではないから、要人警護は皆こんな恰好か・・・ドラマやニュースを思い出し、笑えてくる。カフェでスマホに夢中な姿を見ながら通りすぎようとしたら、こちらに気づいて、手を振る。そうそう、常にクライアントから目をはなしてはいけません。プロのボディガードに守られている気分で、思わずにやけてくる。

上り坂を少し歩くと、入口。おお、入場料がかかるのね。あちこちに大小の滝があって、美しい。芝生の広場に昔の水車やログハウスが展示されていて、滝や川に降りる階段が続いている。イギリスのコッツウォルズに似ているが、あちらは実際の小さな村々が点在し、観光地化されていても、実際の住人もいる。こちらはもっとこじんまり、きれいに手入れされ、かなり「作られた感」あり。歩いているうちにポツポツ落ちてきて、そのうち小雨模様。あ~あ、傘は車に置きっぱなし。ころころ変わる天気についていけない。急ぎ足で戻り、ドライバーの後ろ姿を確認してから、カフェで一休み。Mineral water with lemon を注文したら、ワイングラスに氷とレモンひとかけ、瓶入りソーダが出てきた。水ではないが、うす味ソーダで意外とよい。トイレを借りて、ドライバーのところへ。ちょうど電話中だったので、目で合図をしてちょっと待つ。専用車は自分のペースで動けるので本当に便利。

プリトヴィツェに向かう途中、とうとう本降りの雨と思いきや、何やらゴトゴト音がし始めた。フロントガラスには氷・・あ~あ、なんて悪天候。しかし、30分も走ると道路は乾いているし、ちょっと青空も見えてきた。何て変わりやすい天気か。私を降ろしたら、ザグレブに戻るのか尋ねると、”Yes, Ma’am.”  日本にいたら、絶対話す機会がなかった。世の中にはいろんな人がいる。またひとつ視野が広がった。ありがとう、安全運転でね。

12:30 まだ部屋の用意が出来ていないと言うので、荷物を預けて、エントランス2へ急ぐ。小さな窓口には、先客が一人のみ。公園入場のバウチャーをチケットに交換。次にレストランを探すが、表示も何もなくウロウロ・・人もいなくて、リネン作業場の裏手に迷い込み、外で休憩中のお姉さんたちに声をかけると、仲間に英単語を教わりつつ方向を指差しした。その方向へしばらく歩くが、人っ子一人いない山道、団体バスが止まっているが、入口らしきものはない。どうしようと思っていると、向こうからオレンジ色のつなぎを着た2人組の男性がやってきたので、聞いてみると「よかったらいっしょにどうぞ」という。助かった。同じところに行くらしい。「消防の人?」と聞くと、言葉に詰まる。「救急の人?」と聞くと、そうだとうなずいた。

やっとたどり着いたレストランPoliana。入口には中国人団体客。地球上、どこへ行ってもこの厄介な集団が目につく。大声で騒ぐ、列に並ばない、後ろから割り込む、20年たってもこの国民性は変わらない。ここにはフルサービスのレストランと、セルフのカフェテリアが併設されている。お金持ち中国人はレストランへ。よかった、静かに食べられる。マスのグリルを注文、付け合せはトマト煮のリゾットにした。フライドポテトと言ったら、時間がかかるというので、既に皿に乗っているチーズパイのようなものと、瓶入り水をトレイに乗せる。これで、¥1,600ちょっと。いい値段だ。昼時で混雑、席はあるかと店員に尋ねると、「外へ」というので、テラスのテーブルを確保。太陽が顔を出すと、途端に暑くなる。帽子をかぶり、眩しさに目を細めつつ食べる。ふむ、マスはマスですなあ。まあ、一応ここのご当地ものなので一度は味見しないとね。

食べ終わって、今日のこれまでの支払いを計算していると、急に陰って寒くなってきた。日記を書いていると、ポタンと水滴、まずい、また雨が降ってきた。あわてて荷物をまとめて、ホテルへ向かう。結構距離があるのよね。小雨の中を急ぎ足で戻るとちょうど14:00。チェックイン時間だ。団体さんの手続きをちょっと待って、「部屋の用意、出来ましたか?」と同じフロントに聞くと、覚えていた。スーツケースを引き取り、3Fへ。バスタブ付のことをフロントで確認済み。中へ入ると、シンプルで狭い。正面入り口のほぼ真上の部屋だ。ベランダがあり、イス2客と丸テーブルがあるのを除けば、日本のビジネスホテル並みか。ドライバーが「古いホテルでソビエト時代みたい」と言っていた。まあ、国立公園内のホテルだからね、フラットスクリーンTVあるし、エアコンないけど・・冷蔵庫あるし、ティッシュないけど・・・ドアキーは、昔ながらの鍵をぐるぐる回すタイプ。あちこちの部屋で、キーをドアにぶつけながらガタンゴトンと出入りの度に大きな音が聞こえる。

荷物をちょっと整理して、出かける。とにかく今日チケットで入園しなくては。空が怪しいので、傘を持って歩き出した途端、傘を開くことに。ヤレヤレ・・階段をずんずん下ると、P1のボート乗り場に出た。あれ、ST2はどこ?ウロウロしてまた階段を上って戻る。これは足に応える、明日大丈夫かな。ST2を探しているうちに、どしゃ降りになってきて、皆雨宿り。傘だけではしっぱねがひどいので、建物の軒先に避難。バスでST3まで往復しようと思ったけど、こりゃ無理だわ。

15:30 諦めてホテルに戻る。ズボンのすそが濡れて冷たい。フロントでチケットに明日用のスタンプをもらって、部屋へ。蒸し暑いので、ベランダに出ると、ほんとにどしゃ降り。おまけに稲妻まで光った。オイオイ、勘弁してよ・・・天気予報のとおりだ。窓を開けたまま外気を取り込み、Wi-Fiをつないでみる。こんな山の中でも通信は問題ない。これはちょっと意外。天下のハイテクドイツでさえ、Wi-Fiが繋がらなくて昨年困った。おまけにカメラの充電も不調となり帰国後修理する羽目になったっけ。悪天候で午後の予定が狂い、時間がたっぷりあるので、ドライバーの言っていたtactical drivingを検索。Wow!

知っている、こういう訓練を受けたんだ。なるほどねぇ。やってみたいな。どういうわけか、昔からこういうことに惹かれるのよね。Shootingしたくなってきた・・うずうず。もっといろんな話聞きたかったなあ。訓練に使用したのはどんなgun typeか聞きたかったけど、いかんせん、危険人物と思われたらと躊躇した。アタックされると、身を挺して守るから誰かが犠牲になると言っていた。現実はそうでしょうね。ドラマの世界から飛び出してきたような人がすぐ隣にいた。もう少ししたら、元の仕事につけるといいね。彼の能力を考えれば、あまりにもったいない。

18:00レストランへ。係員に聞いたら、アラカルトとビュッフェ2つのタイプから選べると。ついついビュッフェを選んで、う~ん失敗。思ったより品数が少ない。またマスのグリル?ポークもチキンもありきたり。後から中国人団体がゾロゾロ。やかましい。飲み物と税込で計¥3,200ほど。内容が伴わない。明日はアラカルトにしよう。

部屋に戻ると、まだ明るく、青空。何で今頃・・明日の予報も降水確率100%。なぜこんなに不安定なの。バスルームが生臭いので気になる。換気が弱いことはままあるが、ここは換気口そのものがない。密室のユニットバスって初めて見た。誰かの旅行記に「下水の臭い」とあったのを思い出す。いや、硫化水素ではない、何週間も取り換えていない魚の水槽に顔を近づけると、こういう匂いがする。生臭いのである。お湯を張ってみたが、シャワーの位置が真ん中なので水栓が邪魔で入りにくい。おまけに水はけがとんでもなく悪い。何度も途中待つことに。泡だらけのお湯がいつまでも足元にたまり、気分悪。

とにもかくにも明日に備えておやすみなさい。

4日目

締め切ると暑いので、ベランダ開けっ放しでちょうどよかった。真夏にエアコンなしはつらいかも。まだ早いかと7:00に朝食へ行ってびっくり。中国人団体客でごった返す。通路も大混雑。料理が取れない。はぁ~本当に迷惑だ。人の少ない一角の空いている席へ。朝食開始時間の前から食べているの?この人たち・・早くに出発するんだ。大自然のど真ん中、小鳥のさえずりが聞こえるくらいなのに、この一団が目覚めるや否や、北京の雑踏と化す。世界中どこへ行っても、皆が眉をひそめているが、金を落とすからどこの国もwelcomeだ。Money has power.の世の中。ますます席巻されるのか・・嘆かわしいことよ。部屋に戻ると、今度は真下の正面玄関にさっきの中国人団体が大勢。3Fの部屋まで、外からワーワーと大声が聞こえる。バスはアイドリング中。もう、さっさと出てって。

8:00過ぎ、やっと静寂が戻った。雲が多いが少し青空も見える。問題は午後だ。かさとポンチョを持って行こう。9:00出発は遅くないか・・・既に朝起きた時より、だいぶ雲が出てきた。昨日のような間欠どしゃ降りの時に、ハイキング真っ最中というのは避けたい。全ては今日のガイドの力量次第、頼みますよ。

8:55ロビー。9時を5分過ぎてもそれらしき人がいないので、フロントに電話を頼もうと声をかけたら、”I know her.”と目を向けた先に女性。やれやれ。Marianaさん、よろしくね。自分の事前リサーチでは、まずST2からバスでST1へ行って、見どころの多い下湖群からハイキングと思っていたら、彼女はST3へバスで行って上湖群からスタートと言う。午前中の方が朝日が当たって美しいと。まあ、プロに任せよう。電気バスに乗り込んで20分。ST3から木製トレイルを歩く。高度は648mからどんどん下って行って、501mまで。こんな程度なのに、なぜ天気がころころ変わるのか。大抵の人は下湖群に近いEntrance1から始めるので、この時間は混雑するそうな。確かに午前中は、あまり人もいなくてストレスなく歩けた。

日光が差すと、湖面の色が美しい。濃いエメラルドグリーンだ。ここの地質は炭酸カルシウムだそうな。だから岩盤のように見えて、実はもろい、カルスト地形なのだ。あちこちに点在する湖や滝も、流れが変わって干上がったところもあるそうな。説明されなければ気づかない大きなくぼ地は、かつての湖、木の根基にある穴はかつての滝、水は生きているのだ。大小さまざまな滝、自然にできた段々畑を水が流れ下って行くイメージ。ハイシーズンの7、8月には、小さな滝は涸れ、干上がる湖もあるという。今は水があふれ、ところどころ足元の木板すれすれまで流水が迫っていたりする。木々は緑鮮やか、水の透明度は抜群、底の倒木がくっきり見える。

しかしながら、その清らかな湖に泳ぐ小魚は実はコイだとMariana。間違いかと思って二度聞き、いやコイは自然にはいないでしょう。誰かが持ち込んだコイとカワマスが、固有種のマスを駆逐してしまったんだそうな。有毒へびも生息しているし、ネズミにいたっては不用意に接触すると感染症を引き起こすと注意される。確かに枯葉や、トレイル用に細断した木片置き場に小さいネズミがあちこちでうごめいていた。ガイドブックには風光明媚なことしか載っていないから、ガイドがいないと決してこういう情報は手に入らない。自然の中を歩くとき、素手であちこち触るのは危険なのだ。特に、手先が荒れてテーピングだらけの自分は気を付けよう。

Pritvice upper lake
Pritvice upper lake

11:30ごろP2ボート乗り場に到着。船が一隻着いていたが、乗り切れずに次の船を待つ。100名も乗船できるのに、である。Marianaは周りの人たちと話し始める。人人人・・ほとんどクロアチア人だそうな。この時期限定でチケットが半額になっているらしく、多くの国内観光客が来ていると。チケット売り場の係員が2名だけで、多人数をさばききれないらしい。繁忙期のみの臨時雇用。昨日のエリート青年同様、Marianaも政府がうまく機能していないことを嘆く。収賄が横行して、税率は高く生活は楽でないらしい。将来に希望を持てずに国を出ていく人が多いと。でも彼女はここで生まれ育ち、ずっと住みたいと思っている。2人の子供を持つ国を愛するお母さんだ。20分ほど待つ間に、階段の上まで大行列が出来た。

やっと来た次のボートに乗り込んで、一番外側の最後の一席をget。眺めを楽しみながら休憩していると、ポツポツ雨が湖面に同心円の跡をつくる。あ~あ、振ってきた。一番大きなKozjak湖を横断して、P3へ。ここでランチ休憩1hr。レジで注文して、支払いを済ませ、レシートを持ってカウンターへ。これが全く非効率的。順番に流れ作業をすればいいのに、調理人がバラバラに動くから、オーダー受取順もバラバラ。さっきから待っているのに、といらいら。毎日同じことをやっているのに、少しは頭を使って改善しないのか。ファーストフード店並みにレジ入力と同時にオーダーが入り、レシートNo.で呼ぶシステムにすればいいのに。これじゃ真夏は、建物の外にまで行列が出来るの間違いなし。

やっとそろったものをトレイごと外のテーブルへ。メニューが限られているうえ、観光地料金でびっくり。500mlペットボトルコカコーラはなんど¥400。パサパサパンに挟まれたハム&チーズサンド、とフライドポテトで¥1,000超。クロアチア人はランチ持参で来ているようだ。そうでしょう、この値段でこの内容じゃね。足指がひりひりするので、見てみると、擦れてマメ化している。バンドエイドで応急処置。

13:00に再会して、午後は下湖群へ。人が多くて狭いトレイルを1列になってすれ違う。小雨が降ってきて、傘を差しながらなので行き違いも難儀。View pointで止まって写真を撮るも、大混雑。天気が良ければ、さぞかし美しいだろうと思う。雨でぬれて、木製トレイルが滑りやすい。細長く裁断した木材の表面を削って並べて打ち付けてあるだけなので、隙間はあるし、階段状になっていても非常に見にくい。もう少し手を加えて成形すれば歩きやすいのに。ちょっと雑。高い位置から下方の全景を見下ろせる場所が一番印象的。ちょうど雨がひどかったのが残念。

Entrance1まで下って、今度はST1へ向かう。昨日Marianaはインド人一家をガイドしたらしい。小さな子供二人がトレイルを外れて走り回るので、制するのに大変だったと。両親はそれを見ても何も注意しないので、3時間でぐったりだったと。インド人・中国人はね、子供を甘やかすからね、ガイド業も楽じゃない。トレイルの外に出るのは禁止されているらしいが、注意書きがないから写真に夢中の人が水の近くまで踏み込んでいく。何人かに注意していた彼女。観光客が踏み荒らすと、自然へのダメージが大きい。特に同国人と中国人がひどいらしい。まあ、中国人はともかく、国内の人間はどうにかしないとね。もうちょっとあちこちに”NO ENTRY”, “DANGER”といったサインボードを立てた方がいいでしょう、少なくとも。こういうところも公的機関がちゃんと機能しているかどうかの問題、教育もね。もっとも、優秀な人材は国を出ていくらしいので限界はありそう。

Pritvice lower lake
Pritvice lower lake

ST1でバスを待つ間、立ち話。1991~1994年の紛争では、最初に犠牲者が出たのはこの国立公園内だったらしい。何だって、この大自然のど真ん中でドンパチやるのかね。前でおしゃべりしている女性2人を見て、「あの人たち、スロベニア人だ」という。文字は同じでもアクセントが違うらしい。今でも心の奥にはわだかまりがあると言う。まあ、わずか25年前、あれだけ激しく戦えばそうでしょうね。例えるなら、東日本と西日本に分かれて殺し合って、2つの国に分裂したようなもの。関西弁や標準語をお互いに聞くと、「ああ」となる感じなんでしょう。

Marianaの妹さんが、今日本を旅行中と。あら、そうなの。送ってくる写真の花がとてもきれいで、是非日本へ行きたいという。今は春のいい季節だからね。春か秋がお勧めですよ。日本の教育制度や医療制度を尋ねてくるので、概要を説明。こちらは、土葬と火葬が混在しているが、田舎はまだ土葬が主らしい。ローンを組んで立派な墓を建てる習慣があるが、彼女は両親に「自分にそういうことを期待しないで」と言っていると。そうね、親の死後、ローンを支払うより、自分たちの生活の方が大切なのは現実的に理解できる。どこの世界も、どちら様も皆問題を抱えつつ生きている。いつまでも話しはつきないが、やってきたバスに乗るとST1から5分で出発地点に戻ってきた。ホテルの駐車場でさようなら。チップを渡しつつ握手。お世話になりました。

部屋に戻ってWi-Fiをつなぐと、仕事の報告が入っていた。10:46 歩いている最中の圏外で、気づくのに遅れた。もう日本は夜中だ。あわてて返信。連休中にお疲れ様でした。

18:00 今日は迷わずアラカルトレストランへ。Lunchがしょぼかったので。おなかすいた。きのこのリゾットとフライドポテト、ノンアルビールに水。大ぶりのマッシュルームがゴロゴロ入っていてうま♡ ちょっと量的に少ないけれど、部屋に戻って、昨日ザグレブの朝食でもらってきたリンゴ丸ごとを冷蔵庫から取り出してデザート代わり。日本のリンゴに味・食感が似ている。

さて、決心してシャワーを浴びることにする。とにかく水はけが悪い。たびたびシャワーを止めて泡だらけの湯が流れるのを待つ。顔を洗っては待ち、髪の毛を洗っては待ち、全くどうにかして。ここに長居はごめんだ。お風呂がストレスになる。最後は汚れた足首から先に石けんをぬってスタンバイ。水はけが終わったら、シャワーで流し、足元にまた汚水がたまる前に片足をバスタブの外へ、もう片足をシャワーで流しつつ外へ。はあ~もういやだ、こんな状況。明日からのホテルはお願いだから、まともでありますように。今日は8kmぐらいのハイキング、いい運動になった。お休みなさ~い

5日目

7:15 朝食。相も変わらずごった返している。国立公園内にある大型ホテルだから団体客が多い。こじんまりの方が好みだけれど、ある程度の設備を求めると仕方ない(その排水設備がこれではねぇ)。今日は朝から雨がシトシト。どよ~んとしてまるで梅雨空。昨日はラッキーだった。一日中傘をさしてトレイルを歩くのはちっとも楽しくない。

今日はSibenik、Trogirに寄りつつSplitを目指す280㎞の移動日。3都市とも予報は、雨・雨・雨。やれやれ、心がしぼむ。休日出勤して仕事をした同僚とそのサポート役にメールを送る。連休が終わるまで、もう突発的なことが起こりませんように。

9:00 ロビーで待っていると、それらしき人がやってきた。本日のドライバーDusha、よろしくね。黒のビジネススーツがびしっと決まっている。ドライバーはラフな格好の人間が普通なので、一昨日のエリート青年といい、彼といい、ちょっと珍しい。アメリカなんて、走り出した途端自分の朝食用にマックによって、ムシャムシャ食べながら運転したりするのもいた。服装・言動ともにきちんとしている方が、やはり印象はいい。

黒のメルセデスバン、一人にはだいぶ大きい。まだ新車の香りのするピカピカのブランドニューだ。ナビ画面の地図も自由に操作できるし、電話はスピーカーで話せるし、移動が多い人にはこのくらいの性能は今時必要かもね。

ワイパー全開で雨の中を進む。途中でかかってきた電話に出て「今のは何語か分かる?」と聞く。「え?クロアチア語じゃないの?」首を横に振って「スロヴェニア語」って、分かるわけないじゃん。聞けば、彼はスロヴェニア出身、家もあちらにある。クロアチアで仕事をしているという。彼の母方がクロアチア系なんだそうな。昨日のMarianaの話を思い出す。ユーゴスラビア紛争後、スロヴェニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、セルビアに分裂して、政治的に複雑な地域。同化ももちろん進んでいるが、民族固有のアイデンティティも残っている。

しばらく走ると、長いトンネルに入った。真っ直ぐで広く、まだ新しそうな立派なトンネル。トンネル内のスピード制限が100km/hなんて、日本ではありえない。それほど路面が整備され、ライトも十分にあって明るいし、ちょっとびっくり。長いトンネルを抜けると「そこは青空だった」で、思わず歓声をあげた。青い空に、白い雲、日光がサンサン、これぞ求めていたもの。さっきまでのどしゃ降りはどこへ。「だから言ったとおりだろう?」とちょっと得意げなDusha。両側には緑の草原台地、はるかかなたに山々が連なり、大自然の中にどこまでも続く道路。ゴミひとつ落ちていない整備された美しい道だ。たまにすれ違う対向車・・まるでアメリカにいるような錯覚を覚える。こんなに広い国土だっけ、クロアチアって。

途中、トイレ休憩をはさんで10:40ごろSibenik到着。車を止めるスペースを探しつつ、「どこが見たい?」と聞くので「大聖堂と砦」。世界遺産を見るためにわざわざ立ち寄るわけで。砦のふもとの駐車スペースも満車。「一緒に登るか、それとも一人で行く?」と聞くので、「あなたは車に残った方がいい。今止まっている場所は、ちゃんとしたエリアでないから移動させないと。」と言って、一人で砦に向かう。下から見上げると廃墟のように崩れかけている。上に行くには入場料・・見ると¥1,200ほど。「メンテナンスが必要でうんぬん・・」と言い訳みたいな説明。いやちょっと、金額に見合わないでしょ。周辺をちょっと回り込むと、真っ青な海のはるか向こうに大きな白い橋が架かっていて、そのコントラストに息を飲む。アドリア海は青が濃い。瀬戸大橋をちょっと思い出した。

Great view in Sibenik
Great view in Sibenik

車に戻ると、ちょうど1台出るところで、すかさずそのあとに駐車。Dushaと歩いて大聖堂へ。階段をどんどん降りて海岸に出る。「待っている間に、地元の人と話したら、この辺の海は今頃泳げたと言ってた。今は季節が1か月ずれて、まだ冷たくて泳げないらしい」と彼。ふ~ん。温暖化の影響で、季節が1か月遅いという話は、前にも聞いた。

しばらく歩くと、世界遺産の大聖堂とちょっとした広場に出た。見学している間に車をまわしておくとDusha、一旦分かれる。気が利くなあ、ありがたい。万が一のために、彼の携帯番号を聞いておいた。中へ入ると外観どおり、非常に古い。1440年代にできたと書いてある。「一死虚しき応仁の乱」の時代かあ・・そりゃ古さが目立つわけだわ。コンクリートむき出しのような白い石造りの内観。こぢんまりとして、ザグレブの大聖堂の1/3~1/4位の広さか。ステンドグラスも1枚のみ。門外漢には価値がよくわからない。

外に出て、有料トイレに入ると、レシートまでくれた。飲み物を買って、階段を下ると車がちゃんとスタンバイ。専用車は本当に時間ロスがない。

昼近くなったので、Dushaが誰かに教わったというシーフードのレストランを目指すが、よくみるとチェーン店だという。海沿いのPrimostenという町を目指す(これが失敗の元。大聖堂の近くにあった海沿いのレストランにしておけばよかった。)右手にはアドリア海が広がる。青い空、白い入道雲に紺碧の海。もうこれ以上ないくらい、美しい取り合わせ。こういうところに住みたいなあ・・しかし、ふと思い直す。この美しい場所に住んでいる人々は、この景色以外の世界を見る機会は、人生の中であまりないはず。普段は仕事場と家を往復してせかせか生きている自分の方がむしろ、よほど恵まれているではないか。これまでの人生の中で世界をいろいろ見るチャンスを持てた。負を知っているから、良のありがたみが分かる。たまにリチャージするから、また仕事を頑張れる。

13:00をまわってもレストランが見つからない。まだシーズン前で、オープンしている店が少ない。ナビに飲食店のマークは出るけど。おなかがすいた。「もうTrogirに行っちゃおう!」と促し、加速。Trogirは観光客が多く、飲食店ばかり立ち並ぶ。駐車スペースがないのはどこへ行っても同じ。街中で私を降ろして、Dushaは駐車場を探して橋の反対側へ。しばらく待って合流、店を物色しながら歩き出す。タコサラダが食べたいと言い続け、店に確認してから席に着く。狭い通路の外の席。建物の間の通路の壁にぴったりテーブルがセットされている。日本なら風雨で汚れて触りたくないところだけれど。運ばれてきたのは、オリーブの実とトマト、生オニオンとあえたタコサラダ。バルサミコがアクセントでオリーブ油がたっぷりかかっている。Dushaも同じものを注文。彼もタコサラダは好きだけれど、こういう味付けは初めてだと。「これ、何かギリシャ風じゃない?」というと、うんうんとうなずく。

食べながらいろいろ話。元々銀行員と聞いて、え?そうなの。仕事を辞めて、NZで住み込みで農家の手伝いを1年、今は観光業ねえ。ほんとにいろんな経歴の人がいる。「銀行員とドライバー、どちらが好き?」と聞くと、「ドライバー」と即答。へえ、そうですか。NZで食べた寿司がおいしかったと懐かしそうに言うけれど、しょう油と味噌の区別がつかないので説明。自宅はスロヴェニアだから、クロアチアの事を聞いても、あまり詳しくない。ちゃんとローカルレストランをリサーチしといてね、とやんわり注意。ナビであちこち探して、14:30にやっとランチはちょっと手間取りすぎです。

ま、それでもクロアチアに来てもう4人と1:1でいろいろ話をした。世界中、どこへ行っても、人それぞれの人生があり、様々な考えをもっている。一人でプライベートガイド/ドライバーを頼むのは、非常に割高だけれど、現地の社会・文化・人々に直に触れるのは、良くも悪くも貴重な経験。スロヴェニア人と一緒にランチとは思わなかったな。自分の休憩時間を持ちたい人間の方が多いので、一緒に食べてくれるのは、いろんな話が出来て(言葉が通じれば)楽しい。

15:30 途中スーパーによってもらって、水と夕食用のパンを購入。郊外のスーパーなら、品ぞろえも、売り方もグローバルスタンダードで、値段も手ごろだ。旅行者はアクセスする「足」がないのが問題。ポツポツ振ってきたら、すぐ傘を出してくれるし、車から2回、ホテルに電話して迎えを手配してくれた。ありがとう。私を降ろした後どうするのか聞くと、プリトヴィツェに戻るという。え、かなりの距離だわよ。直行すれば所要3時間と。気を付けて戻ってね。チップを渡しつつ握手。ありがとう。

駐車場には既にホテルのスタッフが待っていた。スーツケースを持ってくれて、後についていく。まあ、分かりにくい。何せ地下に降りてちょっと歩き、階段の手前を左に曲がると、工事現場のようなドア。それを押して外へ出るなんて、初めてだと躊躇する。ホテルの小さな入口、これまた見過ごしそうだ。フロントはまるでスピーチ題ぐらいのサイズ。

明日、ボートツアーに行きたいことを説明して探してもらう間に部屋へ。建物が不思議な作りでエレベーターの両サイドにドアがある。3階のどっち側に降りればいいの? その上は4/5って何? 3Fと表示があって、実は4階のよう。窓は4か所あっても、壁でほとんど眺望なし。室内は石壁むき出し、このあたりは城壁をそのまま利用している建物が多い。昔のバーカウンターにありそうな、ふさ付の巨大ランプシェードが天井から3つも垂れ下がり、イスはむき出しのステンレス棒で作った型に黒皮一枚を張っただけ。窓には真っ黒の舞台カーテン。モダンと言うか、先鋭的。世界遺産の城壁壁とこのミスマッチ、どうよ・・・さらに、バスルームを覗いてびっくり、立派なジャクジー。おまけにシャワールームも別にある。洗面シンクは、巨大陶器製ボウル、幼児が水浴びできるサイズ。

3日ぶりにゆったりバスタブでリラックスしよう。ジャクジーは満足満足。さて、その後の水はけが、これまた輪をかけて悪い。髪の毛を泡だらけにして、排水を待つこと15分くらいか・・寒いわ、液体が目にしみるわ、どうしてこうなのか。洗面の排水は、問題なし。プリトヴィツェもそうだった。浴槽だけなぜ。日本なら、故障修理のレベルだ。明日はやり方を変えねば。時間ばかりかかってリラックスどころではない。

6日目

6:50にパッチリ目が覚めた。歯を磨いていると、大音量の鐘の音、しかも長い。ハハ、ここは目覚まし不要だわ、いやでも7:00にはたたき起こされる。

7:10 朝食。小さなダイニングルームに既に何人もの姿。アメリカ人団体さんだ。友人グループ化と思ったら、互いに知らないらしい。カリフォルニアの野菜の話をしている。この国の朝のメニューの定番は、ピーマン・マッシュルーム・ズッキーニとなすの炒め物。シンプルな塩味。ここは味付けがやや濃いめ。焼き立てのアップルパイにプルーンジャムがおいしい。コーヒーとジュースは、プリトヴィツェにあったものと同じマシーンから。コーヒーは1杯ずつ入れるが、古くなったインスタントコーヒーのように苦く焦げた真っ黒の液体。ジュースは、着色・香料付液体。そのうち、目の前の席に日本人夫婦がやってきた。スーツ姿のご主人に、メイクばっちりの奥様はきちんとした服にフォーマルハンドバッグ。これから学会にでも行くのかな。ご主人は日本語の単行本を食卓に広げて、終始無言でムシャムシャ。相手がこれではつまらないだろうと思う・・大きなお世話ですね、ハイ。

8:30 出発。雲が多いが青空も見える。まずは、歩いてすぐの聖堂とJupiter寺院の見学、¥500。ベルタワーは修復中でclose、残念。昨日フロントが言っていたとおり。寺院と言っても一つしかないドアを入ると、銅像と石棺らしいものがあるだけ。くずれかけの宮殿を利用して、地下は土産屋、広場の周辺はカフェやレストラン。世界遺産の建築物をそのまま利用しているという珍しいところ。上を見上げるとかなり傷みが目立つ。あまり地震はないのだろう。

ぶらぶら歩くと、銀の門に出た。この一角だけあきらかに価格が安いので、品質を確認してちょっと買い物。どこからと尋ねるので、日本からと言うと、おじいちゃん店主が熱心に売り込む。その歳で、よくそれだけの日本語を覚えたものだ。観光客に教わったと。

門を出ると市場が目の前。朝だから品ぞろえもいい。イチゴをどうしようか迷う。ザグレブであれほど食べたでしょ。後ろ髪をひかれつつ市場を後にする。ふと、カメラの電池残量が少ないことに気付いた。しまった、昨日までfullだったから安心していた。ボートに乗る前に充電しなくちゃ。一旦ホテルに戻ろう、近くにあるというのは本当に便利。戻って入口を一歩入ってびっくり。アメリカ人団体御一行様であふれている。こんなに大団体だったの? 30人ぐらい? このホテル、そんなに泊まれるの??

部屋に入って、急いで充電。最初の計画では、今日はヴィス島の青の洞窟に行くはずだった。イタリアのように、平服で洞窟遊覧のイメージだったが、終日、水着を着たまま、いくつかの島に寄って泳ぐスケジュールと知ってやめた。外を歩くにもジャケットを着てちょうどいいくらい。海に入ろうとは思わない。昨日、Dushaも水温は20℃に届かないだろうと言っていた。若い時なら渡来したかもしれないが、今は風邪をひくのがおちだ。外から讃美歌の合唱が聞こえてきた。

10:00再度出かける。まず海岸沿いのチケット売り場で、ボートツアーを尋ねる。売り子のお姉さん、陸路のランドツアーの説明を長々、写真をめくりながら始めた。横目で見た90分のボートクルーズ、話をさえぎり、「こっちがいいんですけど!」 出航まで少し時間があるので、周辺をぶらぶら。仮設ステージ上では、いろいろなグル―プがダンスパフォーマンス、見物人から拍手を贈られている。小学生からセクシーお姉さん系まで、どういうわけか女性ばかり?

11:00出航。客は全13名。皆、2Fのオープンデッキで思い思いにくつろぐ。ソファに陣取る。日が差すと暑いのに、陰ると途端に肌寒くなる。半島に沿ってぐるりと一周するだけなので、揺れもなく風景はやや単調。海上は風が冷たい。ジャケットを着こみ、スカーフを巻いて、首をすくめる。毛布を借りてくるまっている人もいる。これじゃ、海の中に入るなんてとんでもない。

12:30 岸に戻って、Fish Marketの近くのレストランでランチ。カラマリ(イカのフライ)フライドポテト付、と暖かい紅茶を注文。タルタルソースと書いてあったので、代わりにレモンにしてもらう。冷えた体に紅茶がしみる。素揚げに塩とレモンだけ。シンプルな方が素材そのものを味わえる。しかしね、物価は高め。これで¥2,600ぐらい。日本なら、ランチ二人前は食べられる。

お腹が満足して、ぶらぶら歩きながらホテルに戻る途中、ふと気づくと、なんとFroggylandが目の前に。行きたいと思いつつ、地図の道が複雑であきらめていた。1910-1920年に、もの好きな人がカエルの剥製を使って、人間のように生活場面を表現した博物館。規模は小さいが、TripAdvisorで評判となり、2013年の約1900人→2016年は約3800人と口コミ数が倍増。中へ入ると客は自分だけ。学校の場面、運動会の場面、家庭生活、裁判所etc. それぞれの場面にちょっとした説明書きがあって、「ふふ」と笑えるユーモアが楽しい。どれも細部までよくできていて、芸が細かい。よくこれだけのカエルを集めたものだ。どれも茶系に模様が入っている種類で、アマガエルよりは数倍大きい。分厚いvisitor bookが年ごとに展示されていて、ぱらぱらめくると、皆、目がテンの様子に笑える。ぐるっと回ってでてくると、入口のお姉さんが「どうでした?どれが一番面白かった?」と聞くので、「えっと、全部よくできているし、笑えるし。」「ちょっと気持ち悪いでしょ。」「まあ。でも、とてもユニークだわね。」 何しろ1910年代という時代(日本では明治から大正へ)に、現代人でも笑える感性で「こんなもの」を作ったことが驚きである。100年も昔にねぇ。

外に出て、途中で恵方巻きそっくりのパンを見つけたので夕食用に購入、土産物店で職場用をゲット。日差しが戻って暑くなってきたので、昨日から気になっていたレモンフレーバーのアイスクリームでベンチ休憩。市場はこの時間になると、だいぶ店じまいを始めている。やはりイチゴが気になって、1パック購入。小銭がたまって財布が重いので、じゃらじゃら渡したら、「何じゃこりゃ」と店主に呆れられた。スーパーで買い物すると、きちんとおつりが戻るから、こんなになったのよ、しょうがないでしょ。

15:00お腹も荷物も重くて、ホテルに戻る。イチゴを洗って冷蔵庫に入れて、ベッドに横になったら、そのままウトウト。プリトヴィツェのハイキングより、街中を歩く方がよほど疲れる。気づくと16:00。ああ、民族博物館にいかなくちゃ。重い体を起こし、外に出ると、大勢の観光客。韓国人団体、日本人団体にもまれながら博物館の入り口に行くと、矢印。そのとおりに進んだのに、1周して元にもどってしまった。Closeだ、残念。ひと回りして、前庭と言われるところに行くと、吹き抜け天井の円形の建物で、男性コーラスが始まった。黒の上下を着たクインテット。アカペラの低く美しいハーモニーが壁に反響して、ステレオサウンドのよう。大勢の人がスマホを向けている。ホテルの部屋に響いていたのは、彼らの歌声だった。目の前で聞くと、地面から響いてくるような低音にうっとり。上を見上げると、高く丸い吹き抜け天井に、青い空と白い雲。レンガ造りの建物のてっぺんに、たった一輪の花が生えているのが目に入った。高さはどのくらいだろう。崩れかけた宮殿のあんな高いところにぽつんとよく生えたものだ。遠すぎてよく見えないが、花は赤~ピンク色のようだ。毎日、あんな高いところから下界を見下ろしているのかなと、花の視点で、今立っている自分を想像してみる。何だか絵になる光景だ。

ホテルに戻るといつもフロントが”Hi”と声をかけてくれる。ソファに座りこむと、「疲れた?」「ちょっと疲れた・・人がたくさんで。」「ツアーはどうだった? どのくらいかかった?」「ボートクルーズの事? 90分」「どんなボート?」「2階建てのクルーザーで、船は良かったけど、寒くてみんな縮こまってた。」ま、雨は降らなかったから良しとしよう。ちょっとおしゃべりして、フロントにあるオレンジシナモンティーをもらって、部屋へ。

夕食は、山盛りいちごと巨大恵方巻きサンド。イチゴはザグレブで買ったものより小ぶりだけど、どれも新鮮で傷みは全くない。結構甘い。日本だと、何粒食べたかをつい考えるけど、今は、これ全部食べきれるかを考える。何というぜいたくか。明日は移動だから持ち運べない。恵方巻きはベジタリアンにしておいてよかった。おなかパンパン。胃薬飲み。好きなものを好きなだけ、好きなことを好きなように。自由な旅が大好き。

さて問題のお風呂。昨日の教訓を踏まえて、ジャクジーで湯船につかった後、シャワー室に移動することにした。ジャクジーに至っては、底の栓を抜いたままお湯がたまるし、ジャクジーもそのまま使える笑える代物。シャワー室の排水は、まあ普通か。しかし、次の問題はドアだ。ガラスドアがちょうつがいでブラブラとついているだけ、底は空いているし、ドアの隙間から漏れて、床は水浸し。足ふきようのタオルも半分濡れた。シャワーから出て、濡れたスリッパの水をふき取り・・・・こういう造りはヨーロッパに多い。

まあ、何ですな。シャワーを浴びて、そのままポトポト水を滴らせながら、床をべちゃべちゃ歩くのが苦にならない人、また多少泡が残っていてもバスタオルで拭けばいいと思っている人が多いということなんだわ。子供の時からそういう習慣なのかもしれない。フィンランドでは、床の水はき用の巨大「水かき棒」がシャワーの隣に立てかけてあったし。最初、掃除の際に置き忘れたのかと思った。「そもそも水が床に行かない構造にすればいいじゃん」と思うのは、部外者であって、「水浸しになったら、水かきすればいいじゃん」という考えなんだわ、きっと。

しかし、4晩続けてお風呂がストレスだ・・Zagrebのホテルはさすがにまともだったなあ。Dubrovnikはアパートだから、期待できないだろうな・・やれやれ。

7日目

今日から令和。今まで4人に天皇の代替わりの事を話したが、誰も知らなかった。夕べドイツのニュース番組でちらっと報道していた。まあ、そんなものよね。よその国の国王が替わるって聞いても、顔も名前も知らないものね。

7:00朝食、今日は人が少ない。日本人が2組、ヨーロッパはどこに行っても日本人を見かける。  今日は、ボスニア・ヘルツェゴビナへ入ってMostarに寄ってからDubrovnikへ移動。内陸へずいぶん寄り道するから、移動距離は360㎞ほど。まあ、モロッコの700km/日に比べれば半分だけど。天気は曇り。

9:00フロントは一人、電話対応中でチェックアウトにちょっともたつく。また税金¥760、Zagrebより高い。ちょっとずついろんなところで出費するから、ちりもつもればだ。神経質そうな顔でフロントにいたのが今日のドライバーだった。Marianおじさん。英語は×だと言う。はあ?あれほど、日本でベテランをリクエストしたのに。今日は長距離ドライブなのに、言葉が片言しか通じないとは・・ロシア語とクロアチア語は話せると。「クロアチア語は?」と聞いてくる始末。あのね、世界各国から一生に一度やってくる旅行者の中に、いったい何人クロアチア語を話せる人間がいるのよ。ホテルはもちろん、店員も窓口も皆、英語を話すのに、なぜこの人に当たったかな・・・勘弁してよ。ベテランてね、30年もドライバーやってればそりゃそうでしょうが、そういうリクエストをしたのではない。大体、この国のドライバーはA→Bの2地点専門システムだって、この数日のうちに理解した。同じ道を一方通行で客を乗せているわけで、1年もやれば、どの時期にどの道路が混んで、どのレストランがいいかぐらい、わかるでしょう。今日は最後の話のチャンスだからどんな人と会えるか楽しみにしていたのに。

クロアチアの家はどれもこれも白壁にオレンジ色の瓦屋根。何か規則があるのか、それ以外の色をなぜ誰も使わないか、あの手この手で身振り手振り聞いたが、よく分からない。あ~、頭が痛い。・・・後で調べたら、他の地方では違うパターンもあるようで、それでもZagrebから南に移動していて、ずっと不思議だったオレンジ色は、地元産の土の色だの、安価だの、説は見つかったが結局何だかよく分からない。

今日、Dubrovnikに私を「配達」したら、またSplitに戻るようで、何だか急いでいる。やたらととばすけど大丈夫か・・運転席の速度を横目でチェックして、ギョッ。110km/hでトンネルに突っ込むのやめて。

ボスニア・ヘルツェゴビナとの国境。パスポートチェックがある。まず、クロアチア出国、ちゃんとスタンプが押される。そして、ボスニア入国、またスタンプ。Marianは運転免許とIDを見せている。ボスニア側にも所々にトンネルがあるが、明らかに老朽化しており照明なし。天井は黒ずんで、今にも崩落しそうでいや~な感じ。短い距離だからいいけど、Splitへ向かう途中のあの最新の立派なトンネルと比較すると、こればソビエト時代の代物かと思う。

村々を通り抜け、11:40 Mostar着。2時間フリーと言う。え、ここ駐車場から「Stari mostはどう行くの?教えて。」と言っても、”3 minuta”あっちという手振り。仕事めんどくさいのかな。全くさあ! 紙とペンを取り出して確認。“Now, it’s 11:43 → 13:50~14:00 here, I’ll meet you , ok?” わかっているのかいないのか確信できないので、危なくて仕方ない。

人が歩く方向についていくと、石畳の路地に出た。狭い通りの両側に土産物店がぎっしり。ふと看板にランチを食べようと思っていた店名の文字。橋を見てから戻ってlunchが理想的だが、一度通り過ぎて「いや待てよ。この混雑ぶりでは、おなかすいていないけど今の方がいい。」と判断。外の席を案内され、4人掛けのテーブルに1人。せっかくなのでご当地料理を食べたくて、ウェイターに聞いてボスニア料理のミックスプレートと紅茶を注文。料理を待つ間にすぐ満席になった。団体がひっきりなしに路地を占有して大混雑。ああ、よかった。深底のプレートには、少しずついろんなものが乗っていて、面白い。ご当地ハンバーグの細長いチェバブチチと丸型のもう1種、ライスとひき肉をぶどうの葉で巻いたギリシャ風煮込み料理、同じくライスとひき肉をピーマンに詰めた煮込み料理、玉ねぎに詰めたもの、ライスとホブス風のパンがついてきた。う~ん、なるほど内陸の肉料理、しかもひき肉づくしだ。まあ、一度食べればいいかな。おなかいっぱい。€12ほど。ここは€が使えて便利。

狭い路地は押し合いへし合い、そぞろ歩くほどの激混み状態。橋に出て、下方の深い流れを見下ろす。こちら側はキリスト教の教会や聖堂、あちら側は、モスクのミナレット。まあ、とにもかくにも紛争が起こりやすい状況ではある。この橋も戦闘で破壊されて、再建されたもの。たかだか25年ぐらい前の話。今はこうして観光客であふれている状態がむしろ信じられない。橋を渡って対岸に行くと、見慣れた風景が広がっていた。トルコの青い目玉やロクムを売っている。モスリムの女性も歩いている。ほっとする自分にちょっとあきれる・・よくよく中東文化に慣れたんだわ、自分は・・・人の後をそろそろ歩いて、流れに乗って戻る。四方八方人間に囲まれているから、荷物には常に注意を払う。ボスニア料理は少し塩味が強かったかな。

甘いものが欲しくなり、アイスクリームを購入、ちょっとした段差に腰かけて食べる。あちこちにネコがうろついているのも中東らしい。そろそろ車の方へと戻り始めて、店先のジャムの瓶が目に入った。ご当地のいちじくのジャムが欲しいけど、クロアチアは皆高かったのよね。持ち帰るのにちょうどいい大きさの瓶、1つ€3、2つで€5というので、消費期限の長いものを見つけていちじくとローズヒップを購入。

Mostar bridge
Mostar bridge

しかし皆、英語が流暢だ。いわゆるブロークンではなくて、きちんと会話になる。有料トイレによってから、駐車場へ・・・と、ここで道に迷う。同じところを3往復、戻るにも人の列に従うので時間がかかる。あれ?おかしい、こんな風景ではない。GPSで現在地は分かるが、そもそも車を降りて確認しなかった・・どこだっけ?時計を見ながら焦る。一旦レストランへ戻り、記憶を思い出す。何人かがちょっと外れた方向へ歩いていくのでついていくと、それらしき風景が。ああ、よかった。Marianが待ちわびたようにこちらを見ていた。”Who are you!”って、whereのこと? 14:01、1分の遅刻。「とにかく、方向音痴だから」と別れるときに言ったけど、どうせ通じていない。言葉が分からないから、電話番号も聞かなかった。自分がドライバーで、言葉の通じない海外観光客を案内していたら、何かあったらどこでもいいから店に助けを求めて電話してもらえと、紙に自分の電話番号とメッセージを書いて渡すけどね。まあ、今までそういう人がたまたまいなかっただけでしょう。体調不良で倒れて戻ってこられないかもしれないし。困るのは自分なのでは?危機管理の意識がない。

大急ぎで車を吹っ飛ばす。が、クロアチアに戻る国境でとんでもない渋滞にはまる。ボスニア出国はスムーズ、少し行くと長い車の列。Marianがうめく。14:50大型観光バスの後ろにつけた。何分待っても、何台も先の黒い車はずーっと動かない。人々は降りて前方に状況確認へ歩いていく。Marianも歩いて、後ろのドライバーと立ち話。いったい何がどうなっているの?戻ったMarianに聞くと、人の話をさえぎって”Map, please!!”と叫ぶ。日本でプリントして持ってきた地図を渡すと、別の道路を探したらしく”no good”とあきらめたよう。オイオイ、自分のスマホのGoogle mapを確認してよ。他の道の状況がどうかなんて、ベテランなんでしょ? 大体、今私たちは、ボスニア出国して、クロアチアにまだ入国していない緩衝地帯にいるわけで、逆方向はスイスイ流れているけど、別の道って簡単に引き返せるのか?

“Holiday”って、ああ今日はメイデーですよ。だから日本で確認したでしょ。「移動日、しかも国境越えで5月1日で大丈夫ですか?」って。交通状況、イベント等、店等の休業を心配したわけよ。「影響ない」との回答だったでしょう。全く、重ね重ね。20分待って、20m動いて止まる。Marianはエンジンを切る。「Holidayだと検問は一人になるわけ?Policeは24hr、7daysでしょうが!” 思わずブツブツ。彼は両手を広げ、肩をすくめて ”Sleep! ” 。全くさ、ついてないったらありゃしない。

呆れて、たいくつで、そのうちウトウト。気づくと検問ボックスで自分の番。やっと来たか~、時計を見ると16:40。はあ~、1時間半もここにいたわけ。もう、腰が痛い。とんでもない時間ロス。しばらく爆走して、17:00ドライブインで休憩。

Dubrovnikに着いたのは18:00過ぎ。途中でアパートに電話してくれて、Pile門に着いたので、Splitの時のように出迎えてくれると思って安心していると、自分で歩いて行けという。ハア? 「いや、アパートのスタッフがPile門に迎えに来てくれることになっている。さっき電話してくれたんでしょう?」と、よく通じず、再度車の中で電話して、何か言い合っている。で、結局誰も来ないという。Marianがスマホを取り出し、何かタイピングして、英訳したものを読めと見せる。何々・・見て、あきれて、プチ切れ。「迎えが必要なら、24時間前にリクエストすべし、つまり昨日電話すべきだった。そうすればだれか迎えに来たけど」って、ハア? 聞いていることと違う!思わず抗議すると、Marianも自分はドライブだけと、たどたど・・わかっています。あなたにクレームを言っているんじゃない。こういう事態にならないよう、日本であれほど念を押したのに!もう、重ね・重ね・重ねの3連発ミスリレーション。「言葉の通じないドライバー+メイデーの大渋滞+Pile門出迎えなし」どれもミスるとは、いったいどういうことか。

Marianが観念して、スーツケースを持っていっしょに歩いてくれた。7つ目の路地を入るって、どこが一つめ?道の名は?彼も途中で道を聞いてやっとたどり着いた。アパートのスタッフが外に出て待っていた。まず口を突いて出てきたのはクレーム。彼女は彼女で「一人しかいないから、ここを留守にできない。出迎えのリクエストは聞いてない。」という。あ~あ、こういうミスリレーションはうんざり。だから細かいことをひとつひとつ、しつこいほど念を押すんです。今までさんざんこういう目に会ってきたから。今日1日でぐったり。

とにもかくにも説明を受けて、3Fの自分の部屋へ。フルキッチンにソファ、リビング・ダイニングにベッドルーム。ここに住めるわ。自宅のキッチンよりハイグレードだし。もう19時過ぎだし、ランチの肉で胃もたれ、レストランで食べたくない。教わった近所のスーパーに行けど、果物・野菜はヨレヨレなのであきらめる。部屋に戻り、お湯を沸かしてミントティーにZagrebのカフェでついてきた、クッキー1枚があるのを思い出しポリポリ。

バスルームにはロシアタイプのロケット型シャワーブース。水はけはまあまあ。気密性があって(というか、スライドドアを閉めると普通にちゃんと閉まるので)、水が外に漏れることはない。しかし!!また新たな問題。タンク式給湯器なので、途中で水になった。容量少なすぎ・・これは日本に帰るまで風呂がストレスだ。こんな国も珍しいな。

あ~あ、令和初日は一生忘れない。とんでもついてない一日。

8日目

これまで毎日規則正しく起床していたので、いつもと同じ時間に目が覚めた。Dubrovnikの朝は遅い。朝食は8時から。夕べ、遅くまで通りの喧噪が聞こえていた。皆、宵っ張りなのだ。

8:00 朝食。アパートだから、レストランはない。提携している近くのレストランに歩いていく。いくつかコースの種類があって、Healthyを選んだ。Muesliのヨーグルトかけ、小さなカットフルーツにパン3個、コーヒーにオレンジジュース。ずっと肉だ、油いためだ、魚だと続いたので、シンプルなものが欲しくなった。普段の自分の朝食に近く、夕食なしだったからとてもおいしく感じる。ここのコーヒーマシーンは、アメリカンに近いものが出てくるのでなおさらよろし・・ただ、サービスがかなりスロー。朝一番目の客で、上記の物を用意するのに結構時間がかかった。自分のすぐ後に着席した夫婦は、暖かいものを注文したので、なおさら。こちらが食べ終わって席を立つのに、まだパンしか届いていない状況。明日は空港へ行くから気を付けよう。

一度アパートへ戻り、支度をしてLet’s go! 日差しがまぶしい。今日はまず城壁歩き。Pile門はとにかく混雑するので、反対側から入場。すぐチケットを買えたが、また値上がりしたようだ。¥4,000ほど。いい値段だ。アップダウンのある急な階段。朝日が反射して眩しい。いい天気だと海の青が引き立つ。さすがにいい眺め。皆、写真を撮りながら歩く。

城壁は一方通行なのに、Pile門の入り口に来たら、途端に人が増え、狭いところを他人の後についてぞろぞろ。さすがに団体さんはいないが、中国人・韓国人は年配者が多く、やかましいうえに、人に道を譲るということを知らない。ハイハイ、狭いんだから道の真ん中で立ち止まらない、写真を撮るときは後続者に気を使う、大声出さない・・・子どもと同じ。歩いているうちに、息が上がり、汗ばんでくる。8時オープンと同時スタートがいいのだが、何せ朝食と時間がかぶるので仕方ない。今の時期でこうなのだから、7-8月のピークシーズンは大変だろう。9:00スタートで休憩なしで、ちょうど1時間ぐらいで一周2kmをまわった。階段を降りて、大聖堂に入るとひんやりして気持ちいい。イスに座ってしばし休憩。ちょっと疲れた。

港の方へ歩いていくと、ボートツアーの売り込み。45分のクルーズで、¥1500程。ああ、これを探していたのよ。30分おきに出航とのことで、ラッキー、10:30のチケットを購入。時間までちょっとランチのメニューを物色。港の前の2つのレストランは、イカのグリルがないなあ。どこで食べようかなあ・・  

時間になって、乗り込むと、乗客5人。グラスボトムになっている。城壁の周りをまわりこんで、小さな島をぐるっと回って戻る。途中でカヤックをしている人たちがいた。階上から見ると、ドブロブニクの町全体が要塞であることがよく分かる。紛争でかなり破壊されて、町は火の海になったそうだが、その後再建されて、その面影はない。城壁は一分の隙もなく鉄壁の守りに見える。ここを攻撃するには、上空からの爆撃しかないだろう。水の色は、深さと底地と太陽光の角度が重要なのだと実感する。青空なのに、海面からだと光が乱反射してよく分からない。城壁の上から遠くを見れば、鮮やかな紺青~エメラルドグリーンだったのに。11:15港に戻る。

昨日、アパートスタッフのお姉さんに勧められたアパート近くのシーフードレストランへ。11:30 ちょっと早めで客が少なくて良い。立ち止まってメニューを見ていたら、すぐそばの席で一人で食事していた男性が、こちらを見て「ここ、おいしいよ。」というので、「人に勧められたので、来てみました。」イカのグリルが食べたくて、詰め物の中身をきいたらハム&チーズというので却下。ただのグリルにして、でも付け合せは・・と迷って、最後のランチで奮発。Mixed seafoodにして、イカスミのリゾットの代わりにエビのリゾットにしてもらった。イカスミはスペインで経験済み、好まない。蒸したムール貝、小エビのグリル、イカのグリル、スズキの塩焼きがワンプレートに、リゾットは別に出てきた。小ぶりのイカはちょうど日本のいかめしと同じサイズ。柔らかくて、味付けもちょうどよくて思わず「うま~」。ああ、ごはんが欲しい~。ムール貝は火を通し過ぎで、身が縮んで残念。スズキって、見た目はマスと似てたのね。一瞬、え、またと思ってしまった。海魚の方が臭みがなくてよい。シーフードには、やはりパンより、ごはんの方が合うよね~。リゾットもよろし。満足したけど、値段もよい。水と合わせて¥4,800程。ちょっと高級店でした。食べ終わる頃には、11人のグループがやってきた。とにかく観光客があふれているので、何事も一歩早めの行動が肝要。

12:30ぶらぶらとPile門へ。土産物屋は、どこも同じ品ぞろえ。マグネット。ショットグラス、オイルや石けん。職場用のスウィーツ的なものが見つからない。困ったな、明日空港がラストチャンスかな。・・・と、目の前に見覚えのある人が。アパートスタッフのお姉さん。”Hi” 向こうも気づいた。あれ?客待ち?留守にできないって昨日言ったじゃん。

城壁内の町は非常に特殊な作りをしている。中央に1本メインストリートがあり、その両側に石造りの建物が、ひとつづつ細い隙間を空けて立っている。その隙間は2mほどか。片側には飲食店のテーブルがくっついて並び、もう片側は通路になっている。メインストリートの片側は平坦なので、奥にも狭い道がメインストリートと並行してあり、また同じように建物が立っている。しかし、メインストリートの反対側は、丘陵地形のため、細い路地が階段状になっていて、奥の道に出るには階段を上る必要がある。その奥にも階段があり・・・つまり段々石畳に町を建設したよう。飲食店は、普通の都市なら、ゴミが散乱しているような暗くて狭い路地にひしめいているのに、スーパーやパン屋がほとんどない。同じ港町に滞在するなら、Splitの方が便利だ。メインストリートのアイスクリーム店には、店からはみ出した客の列が通りの中央まで伸びている。

old town in Dubrovnik
old town in Dubrovnik

Boat tour Dubrovnik
Boat tour Dubrovnik

Fort view Dubrovnik
Fort view Dubrovnik

13:00アパートに戻ると誰もいない。コードを入力して中へ。ソファに寝そべって日記を書いていたら、うとうと。ごみひとつ、しみひとつないきれいなアパートで、出入り口は今時のハイテク仕様だし、一番上の階なので、屋根裏的な三角計の作りがちょっと何ですが、スーパーさえあれば、ここで暮らせる。食器洗いもオーブンもあるのに、食材を買う場所がないのは皮肉だ。

夕方、ちょっと出かけてアイスクリームを食べつつ、夕食用の買い物をして戻る。明日の朝は余裕がないので、今日のうちにパッキング。残金の確認をして、空港で何が何でもお土産をそろえなければいかん。オンラインチェックインをしようとしたら、ワルシャワ→東京間しかできない。オイオイ、ドブロブニク→ワルシャワはサポートされていないだ?もう。結局、チェックインカウンターに並ぶってこと。朝、アパートのスタッフはちゃんといるかな、不安。今日は午後、誰もいなかった。

クロアチアは、英語が通じるし、観光地は問題ない。問題は、移動。ハイシーズンでもないのに、これだけ混雑しているということは、公共交通機関で都市間を移動するなんて、安いけど丸一日無駄になるだろう。今回は島に渡る時間がなかった。モンテネグロにも行けなかった。また来る機会はあるだろうか。

昨日の教訓から、シャワーの入り方を変える。洗濯は最小限、ちまちまとシャワーをストップ。余計な湯を使わないようにしたら、ちゃんと最後までお湯が出た。やれやれ。まあ、このくらいはその気になれば可能。インドでは、4つ星ホテルの給湯ボイラーが故障。数多くの客と従業員がいながら、最初に気づいたのが自分。最初部屋の問題と取り合わなかったが、再三クレームをつけ、やっと重大事と判明して、大騒ぎとなった。フロントから熱湯をバケツ2杯、部屋まで運ばせてお湯浴びをしたっけ。ホント、いろんな経験に鍛えられる。

9日目

08:00ラスト朝食。誰もいないので、声をかける。もう時間すぎてまっせ。もたもたしているので、「これから空港に行かなくてはいけないので、急ぎでお願い。」とリクエスト。時間のかからない、昨日と同じメニュー。何も用意されていないのか、あわてて持ってきたけど、パンはてんこ盛り、必要なスプーンはなくて、厨房に取りに行く。20分すぎて、やっとウェイトレスが登場。お姉さん、遅刻です。

アパートのスタッフが誰もいないので不安。出かけるまでに来てくれ、と祈りつつ支度をして。08:55下へ、誰もいない。オーナーに電話をするか、09:30にPile門でドライバーと落ち合うのに間に合うか…電話ねえ、国際電話か・・また余計な出費・・と躊躇して、出口であたりをきょろきょろしていると、階段の上のレストランでこちらを見た男性一人。駆け下りてきたので「あなた、ここの担当の人ですか?」と声をかけたら、そうだった~、よかった、助かった。チェックアウトをして、また税金を払って、ちょっと立ち話。本当に皆、英語がうまい。しかも、イギリス英語ではなく、米語に近いので違和感がない。ああ、これも理由を聞き損ねたなあ。地理的にはイギリスに近いのになぜだろう。

Pile門には自分で歩いていくことにする。場所さえわかって、天気が良ければ、ゆっくりゴトゴトスーツケースをひきずって行けばよい。石畳だから、ひきずりにくいけど。しばらく待っていると、団体バスが到着して、また大混雑が始まった。車は渋滞、人はわんさか、こんなんでは空港まで時間がかかるのでは、と心配になる。早く来てよ。時間は09:28おいおい、どうしたとイライラしていると、白い紙をピラピラして、男性がスマホに夢中になっている。近づいて、紙の文字を確認、それでも気づかない。もしもし!声を2回かけて、やっと気づいた。あのね、時間ぎりぎりに到着したら、まず、この雑踏の中、女性で一人、スーツケースを持って待っている人間を探せ!スマホに夢中になる前に。見当たらなかったら、ちょっと待って、それでもいなければアパートに電話すべし。それがあなたの今日やるべきことです。全く、「ぼーっと仕事してるんじゃないよ!」(チコ)

車に乗れば、渋滞がひどくて、上から(どこ?)ここまで20分かかったと。でも時間通りだったって、あなたね、聞けばここで生まれ育ったんでしょ。時間通りにいて当然です。渋滞も混雑も見越して、動くのがプロの仕事です。5分前行動なんて、概念はないんだわ。

途中、スルジ山に曲がる車でちょっと渋滞したけど、ほぼ予定通りに空港到着、すぐにポーランド航空のカウンターを探すと、既に長蛇の列・・・ああ、なんてこと。しかもスロー。隣のビジネスクラスの列はガラガラなのに。カウンターで手続きをしているところで、バッグを開けて中身を取り出したり、もたもた段取りの悪い乗客がいる。ほんとにいらいら。後ろの客に、目的地と便名を聞いたら、同じだった。しばらく待ってやっと自分の番。ビジネスクラスのカウンターが空いたので、そちらへ呼ばれた。オンラインチェックインやろうとしたら乗継便しかできなかったこと、通路側希望の事、乗継について確認して、すぐ終了。急いで、セキュリティを通って、免税店へ。さすがに空港。パッケージも品ぞろえも文句なしにそろっている。使い残しの通貨を全て、足りない分を€で支払。重い手荷物が増えた。本当は街中で買い物して、スーツケースに積みたかったな。

ワルシャワ行きは定刻通り。問題なし。ワルシャワについて、乗継便を確認すると、delayの文字。今朝、45分遅延のメールが届いていた。乗継時間が1時間しかなくて、往路は冷や冷やしたので、ちょっと安心したが、それがまた10分遅れの表示。いやな予感。少しずつ、ずるずる遅れる場合は、何か解決見込みのない問題が発生していることが多い。ポーランドの通貨のレートなんか調べていない。カードでドリンクを買ったら、500mlのペットボトル一本が¥250。はあ、観光地価格。国際線発着ターミナルなのに、ちょっと飲食店や店がしょぼい。トイレは長蛇の列。ポーランドは今までも今後も旅の予定にないが、今回の経験から、ますます気分が遠のく。ショパンの曲は好きだけれどねえ。

結局1時間半くらい遅れて、やっと出発。何でも、どこかの便が遅れたからだそうな。乗継時間を短く設定しておいて、どの便かが遅れれば、結局それを待つってこと? アメリカ方面サービスカウンターは大混雑だった。どう見ても乗継失敗者だ。ポーランド航空と別のキャリアを組み合わせるのはやめた方がいい。普通は、待ちませんから。その代り国際線乗り継ぎ時間をそんなに短く設定することもないけど・・・実質的運用に問題のあるリスキーな独特のシステム。到着予定時間を見ると、地元に帰る成田発のバスに間に合わない。これまた1時間半後のバスに遅らせなければ。やれやれ・・・  

総じて、クロアチアは、山あり、谷あり、川あり、湖あり、海岸線ありと自然が日本同様にバラエティに富んでいる。その複雑な歴史背景と地理的条件から、周辺国の文化の影響をいろいろ受けてミックスされた印象を受けた。イタリア、トルコ、ロシア、ギリシャの影が見え隠れ。今回、日数が足りなくて、島とモンテネグロに行けなかった。次に行ける時まで、このまま平和であれ。

ツアープランナーからのコメント

いつも当社をご利用いただきありがとうございます。今回も旅行記をお送りいただきありがとうございます。現地のドライバーやホテルのスタッフ、町々で出会う人々など、一期一会の出会いを楽しまれたことと存じます。またご旅行に行かれる際はお声がけいただけますとうれしく存じます。

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