日本語ガイドと巡るウズベキスタン
世界遺産サマルカンドとタシケントの旅

期間:2019年6月9日~2019年6月12日
野口昇一 様

GON-001605

6月にカザフスタン、ウズベキスタンに行きましたが

中央アジアの最高の旅行シーズンでした。

タシケント空港では、新空港なので荷物の受け渡しにトラブルがありましたが、空港に迎えに来たくれた通訳のマルーフさん(法政大学に留学経験があり)のアドバイスもありそれほどのこともなく事なきを得ました。

マルーフさんの案内で日本人墓地や日本人が建設にかかわったオペラハウスを見学しました。戦後満州で戦争捕虜になった人たち約2万人がウズベキスタンに連れてこられインフラ整備や建物を建て、800人を超える人たちがこの地で亡くなっているとは考えもしなかったです。平和がいいですね。日本人墓地やオペラハウスには、安部首相も数年前に訪問したそうです。

中央アジアの食事は一般的に言って肉(牛、羊、豚など)が牧草を主に食べているので固く感じます。牧草でも乾燥気味で水分がすくないので固くなるのかな、など感じました。味は美味しかったです。

翌日約450km離れたサマルカンドにいきました。シルクロードの天山北路が舗装道路で、NHKで放送されていたころの面影はなくラクダはモニュメントの彫刻で見るだけ、ロバの荷車は一日2,3台見るだけでした。道路は良かったですが、悪いのはトイレ事情、都市部は急速に水洗トイレが普及しており少し大きなレストランやホテルは大丈夫ですが、街道にあるサービスエリアなどでは水洗トイレはまだ望めません。あと5,10年かかりますね。

道路わきの風景は遠くに天山山脈の雪をかぶった山々、雪解け水が育てた草原の緑が美しく、中央アジアがこのような緑豊かな土地とは知りませんでした。思えばアフリカを出た人類の祖先は一度中央アジアに集まりそこから世界に分かれて行った過去の歴史、紀元前にはアレキサンダー大王が中央アジアに遠征、その後もいくつかの帝国ができチンギスカンが遠征、チムールが帝国を建設等の長い歴史を感じさせる旅でした。サマルカンドはチムールが建設した「青の都」と言われるだけあって歴史の重みを感じました。

美しいモスクや建物、それを支えるレンガや建築技術、街の中の手工芸品どれをとっても人々の技術や営みを考えさせます。

バザールも活況を呈していて見て回るだけで楽しくさせてくれます。雨が少ない地域なので、果物は豊富でしかも甘みがありますが、できすぎるのか、ドライフルーツが盛んに作られバザールには山と盛られ売られておりました。

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人種的には多民族国家ですが、ニューヨークやパリ、ロンドンで見るように白、黄色、黒とはっきりわかるような人種のるつぼでなく、すべての人種をすり鉢で混ぜてできたような人種のるつぼで、不思議な印象を道行く人たちから受けました。

今回はサマルカンドだけでしたので、ブハラ等他の世界遺産の地も訪れたいとの思いを胸に、タシケントに戻りました。

ガチガチのイスラム圏と思っていましたが、サウジアラビアやイラン等の中近東諸国と違い女性でもスカーフを被らず、モスクは無理としても、霊廟と言われる建物の中に入れるのは良かったです。でも女性はスカーフを一枚持参なさると安心です。

最後に中央アジアはカザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメンスタンに分かれておりますが、スターリンがソ連の都合で線引きした国境だと通訳は嘆いておりました。

ツアープランナーからのコメント

ウズベキスタンの貴重な旅行記とお写真をありがとうございます。まだまだ足を運ばれる方が少ない国ですので、現地事情など、興味深く読ませていただきました。お写真も美しく、さらに興味がそそられます。ありがとうございました。

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