マイペースにチャータータクシーで周る 大分&竹田 満喫9日間

期間:2021年12月01日~2021年12月9日
石岡 様

GON-001666

大分の観光資源

大分の観光資源としては、(1)別府や由布院の温泉、(2)日田を中心とするムギ焼酎、(3)高崎山のさる、(4)関サバ、関アジ、お土産としての乾燥シイタケ、それに加えて文化遺産として、平安後期以降に作られた摩崖仏がある。

JR大分駅のモニュメント
JR大分駅のモニュメント

1)宇佐神宮

この神宮は全国に散らばる、仏教と神道を統合した八幡社の本宮で、725年頃から国家権力と結びつき、伊勢神宮に次いだ、国家神となった。

大鳥居、裏から撮影
大鳥居、裏から撮影

展望台から周辺の風景
展望台から周辺の風景

本殿奥左側の宮
本殿奥左側の宮

西大門
西大門

下宮
下宮

本殿、右隅に歩く巫女
本殿、右隅に歩く巫女

内部の住吉神社
内部の住吉神社

屋根の側面
屋根の側面

若宮神社
若宮神社

能舞台
能舞台

2)富貴寺

天台宗の寺で、平安後期(12世紀後半)の建立。本堂の最近の修理は1950年の大修理。1965年に屋根を葺き替えた。(内部の写真は撮らせてもらえないが、本堂内側の壁には色が抜けかかった絵が多数残っているが、現状を放置するのみで、補全の意欲は感じられなかった。)

富貴寺

3)妙経寺

日蓮宗の寺で、本堂の奥に寄進された庭がある。年号の彫り込まれた石と、寺としては意外な内容の彫刻がある。

以前は庭の奥でお茶を飲ませていた時期もあったとのこと。寺の外部に表示はまったくなく、近所の通行人に聞いても、庭については知られていない。

表からは見えない庭
表からは見えない庭

本堂の額
本堂の額

4)長昌寺

この寺には江戸初期の枯山水の庭があり、表示に従い庭の脇から入って自由に見学できる。トイレもある。

山門
山門

枯山水の庭
枯山水の庭

5)食事

(イ)大分での食べ物と言えば、関サバ、関アジがある。
大分市の南、佐賀関には専門の店もあるが、大分市内でも日中に食することができる。(JR大分駅の観光案内所では午後5時以降に開店する高級店のみを紹介する。)

関サバ、関アジの合わせ盛り
関サバ、関アジの合わせ盛り

(ロ)ダンゴ汁
名称は別として、実態はかなり幅の広いウドンの入った野菜入りミソ汁である。朝食に提供されることもある。お昼であれば、それだけでも十分満腹となる(写真は富貴寺向かいの食堂で撮影)。

メニュー
メニュー

ダンゴ汁

(ハ)ミソ漬
臼杵の野上弥栄子の実家(の分家)の食堂(外見は土産物屋で食堂と判別できない)で、クチナシの実で色付けしたご飯に卵/豆腐のミソ漬を組み合わせた定食(みそ汁御膳)が提供されている。
この地の豆腐はしっかりとした硬さがあり、ミソの味が移り美味。卵は黄身を分離して漬けこんでいる。(この本家でミソが製造されている。)

全体に意外に薄味
全体に意外に薄味

(ニ)サフランご飯
竹田市街地に埋もれた(滝記念館向かい近く)の7席の小さい店でサフランで炊きこんだご飯にルーを掛けて提供されている。一緒に供されるおかずも手数をはぶかずに丁寧に調理されていて、極めて好感がもてる。

ご飯全体に着色
ご飯全体に着色

【 参考文献 】
(1)国宝宇佐神社、宇佐観光協会 宇佐部会、2020.12
(2)きごころ、在京大分県人会、創立90周年記念誌、在京大分県人会事務局。2018.10
(3)大分県観光マップ、印刷年記載なし
(4)六郷満山 富貴寺、印刷年記載なし
(5)大分国東半島、(一社)国東観光協会、印刷年記載なし
(6)国宝宇佐神宮 散策マップ、印刷年記載なし
(7)おんせん県おおいたエリア、英公社株式会社、2020.11
(8)小手川商店(ミソ汁御膳が提供されている)、印刷年記載なし

竹田

この地は九州中部の農業地帯の集落で、JRは来ているが、主要な交通手段は自動車で、道路は補修され続けている。主要産品はカボス(絞り汁をびん詰めにして販売)、シイタケ(乾燥品が海外用のお土産となっている)、サフラン(出荷量は極くわずかで、お土産品としてもほとんど目に付かない(単品に加えて、加工品としている)。

公共交通機関として地域内バス、大分・熊本間の特急バスもある(JRよりも便利)が、地域の足としてはJR竹田駅を拠点とする地元の合同タクシーが主体となっている。主に隣の豊後大野市にある摩崖仏観光の起点として極めて有用。

岡城跡は左手奥、市街中心は中央右
岡城跡は左手奥、市街中心は中央右

タクシーの外装表記
タクシーの外装表記

1)JR豊後竹田駅

大分からは途中1回乗り換えになることが多い。熊本からはJRでは来ずらい。
駅舎は極めて特徴的。

駅舎全体、表から
駅舎全体、表から

駅舎中央部の表記
駅舎中央部の表記

2)岡城址

1594年に拡張されたが、明治政府により破壊されてしまった。城壁のみが残り滝廉太郎の「荒城の月」の原風景とされている。

残った城壁から周辺を望む
残った城壁から周辺を望む

古い大手門
古い大手門

上り階段、右に手すり用のかまぼこ石
上り階段、右に手すり用のかまぼこ石

城からの遠景
城からの遠景

花びらの形に組んだ城壁の石
花びらの形に組んだ城壁の石

3)旧竹田荘

竹田出身の江戸末期の地元文人の旧宅。地域の文化館とセットになっている。

母屋入り口付近
母屋入り口付近

4)武家屋敷跡

道路添いに壁が残るのみで実態はない。

通りは清潔
通りは清潔

門の内部はカラ
門の内部はカラ

5)滝廉太郎記念館

館内で説明ビデオを流してもらえる。
近くのトンネルでは通過すると、荒城の月のメロディが流れるようになっている。

記念館入り口
記念館入り口

記念館内の立像
記念館内の立像

6)音楽と芸術の広場

近くの岩壁に「荒城の月」の音符を刻み込んであり、その近くにこの眺めの良い広場がある。

展示されているピアノ
展示されているピアノ

中央のメトロノーム
中央のメトロノーム

7)隠れキリシタン資料館

看板、マークが独特
看板、マークが独特

創生館、ここにも同じマーク
創生館、ここにも同じマーク

8)三日月岩

制作年(元禄15年)の記載があり、赤穂浪士の吉良邸討ち入りを記念したものと伝えられている。(前を流れるのは稲葉川)。

前を流れる稲葉川,夏は手前の広場でフェスティバル
前を流れる稲葉川,夏は手前の広場でフェスティバル

通常は対岸から見るだけ
通常は対岸から見るだけ

9)足湯(花水月の玄関脇)

街路灯、台に乗っている
街路灯、台に乗っている

右脇にタオルがある
右脇にタオルがある

【 参考文献 】
(1)たけたStyle,竹田市総合観光ガイドブック、竹田市、2020.3
(2)岡城跡、竹田市教育委員会、印刷年記載なし
(3)滝廉太郎記念館、印刷年記載なし
(4)旧竹田荘、竹田市教育委員会、印刷年記載なし
(5)竹田市ガイド、たけた城下町散歩、2020
(6)竹田市みどころマップ、竹田市観光ツーリズム協会、2020
(7)岡城跡みのがしスポット、岡の里事業実行委員会、2020
(8)竹田ウオッチング、一竹、印刷年記載なし
(9)城下町パスポート案内、竹田市役所、商工観光課、印刷年記載なし

大分の摩崖仏

石で作られた通常の仏像は切り出した石の塊を削り出して像にしたものだが、摩崖仏は岩の壁に像を彫り込んだもので、移動させることができない。現地での表示は「石仏」としてある場所もあるが、本編では一括して「摩崖仏」としてまとめる。

1)熊野摩崖仏(国東)

2つの像があり、大日如来(高さ約6.8m,平安中期)と不動明王(高さ約8m、鎌倉初期)である。共に雨除けの覆いはない。途中の自然石の石段は雨が降った後は(落ち葉は常に取り除かれているとはいうものの)石は濡れると滑りやすいし、手すりは途中欠けている部分もあり、昇降(特に降りること)は厳しい。

登り始めの地点の表示
登り始めの地点の表示

大日如来
大日如来

熊野磨崖仏

中間に彫られている顔2つ
中間に彫られている顔2つ

2)元宮摩崖仏(国東)

高さは1.3~2mの像が壁に彫られている。平安時代に作られたとする説がある。像の足元に穴があるので、覆いが付けられてい た可能性がある。

壁面全体
壁面全体

顔の表情が見える
顔の表情が見える

比較的輪郭がはっきりしている
比較的輪郭がはっきりしている

3)川中不動尊

天念寺の向かいにあり、文字通り、川の中にある、安土桃山時代に作られた像である。

不動尊全体、水に浸っている
不動尊全体、水に浸っている

中央部拡大
中央部拡大

4)福真摩崖仏

自動車道に表示があり、2カ所の戸を順に開き、田と小川を越え、段を上り、低い鳥居をくぐりさらに段を登ると、鎌倉時代に作られたと推定される、7体の仏がある。

急な階段の上に雨除けが右に見える
急な階段の上に雨除けが右に見える

右側の5体の像
右側の5体の像

壁面全体
壁面全体

中央部の像
中央部の像

5)元町石仏(大分市内)

平安時代に作られたと推定されている。中心は薬師如来で、岩薬師と呼ばれた時期もある。顔は向かって左端が剥落している。塩(主に硫化ナトリウム)の晶出による像の破壊を少なくするための作業が続けられている。

顔左下が剥落している
顔左下が剥落している

6)岩屋寺石仏(大分市内)

平安後期に作られたと推定される摩崖仏が17体確認できると言う。

前段は石の立像、後ろの壁に摩崖仏
前段は石の立像、後ろの壁に摩崖仏

摩崖仏1体
摩崖仏1体

7)伽藍石仏

制作は鎌倉から室町時代、天台宗ゆかりの寺と推定され、中心は阿弥陀如来で色が少し残っている。

全体、窟が3カ所
全体、窟が3カ所

窟内部の像、非常に暗い
窟内部の像、非常に暗い

8)曲石仏

窟(間口は約2.8m、高さ約6m、奥行約7m)は釈迦堂と呼ばれ、平安末期の作と推定される。中心像は如来であるとされるが、損傷が激しく確定できない。

入り口左側の像
入り口左側の像

本尊
本尊

9)高瀬石仏

12世紀末に作られたと推定され、赤い色が残っている。

外観全体
外観全体

232中心の像
232中心の像

225,232の右の像
225,232の右の像

10)犬飼摩崖仏

凝灰岩(火山灰の固まっただけで変性を受けていない柔らかい岩)の岩壁に彫られ、鎌倉末期の作と推定されている。中心は高さ7.6mの不動明王。但し、崩れていて、顔の表情は判別できない。

堂全体
堂全体

本堂隣の岩壁、窟が彫られ、仏が置かれている窟もある
本堂隣の岩壁、窟が彫られ、仏が置かれている窟もある

中心像の拡大
中心像の拡大

11)菅尾摩崖仏

石の鳥居の先(急な階段の脇に曲がった緩やかな坂道もある)の岩壁に5体の仏が彫られている。平安後期の作と推定されている。現在は雨除けで保護している。

登り始めだけ緩やかな登り道
登り始めだけ緩やかな登り道

一体の像の拡大
一体の像の拡大

仏像4体
仏像4体

12)緒方宮迫東石仏

宮迫西石仏と共に平安末期(から鎌倉)の作と推定され、中心は大日如来で、合計5体の像が彫られている。

大日如来像
大日如来像

摩崖仏から下方向の風景
摩崖仏から下方向の風景

13)緒方宮迫西石仏

阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来の3体が並列している。色は昭和9年に塗りなおしたと表示されている。

3体が並列している
3体が並列している

一体の拡大
一体の拡大

14)軸丸摩崖仏

「1525年に建立した」と看板に記載。

途中の道、殆ど人は通らない
途中の道、殆ど人は通らない

片方の窟の残る像
片方の窟の残る像

窟は2つ
窟は2つ

15)普光寺摩崖仏

中心は11.3mの不動明王で、鎌倉時代の作。現在の普光寺は江戸時代に真言宗の寺として再興されたもの。

窟内部の彫り込んだ像
窟内部の彫り込んだ像

窟左側の2体の摩崖仏
窟左側の2体の摩崖仏

参道の途中にあった石蔵
参道の途中にあった石蔵

窟と摩崖仏全体、右の建物の隣にも摩崖仏がある
窟と摩崖仏全体、右の建物の隣にも摩崖仏がある

右側の庵の右側の壁の摩崖仏
右側の庵の右側の壁の摩崖仏

16)妙見寺(天台宗)

制作年代は裏付け記録がなく、推定できないが、鎌倉期以前とする説がある。

雨除けは付いている
雨除けは付いている

石の覆いの下に下水摩崖仏(?).見えない
石の覆いの下に下水摩崖仏(?).見えない

17)大迫摩崖仏

この摩崖仏は大日如来で、石で作られた基本構造の上に、腕と手首は粘土、衣は漆喰を付けて仕上げられている。現在の像は江戸時代に作られたとされる。崖は柔らかい凝灰岩であるため、痛みは激しい。

本尊
本尊

大迫摩崖仏

18)木下摩崖仏

立て看板によれば、この摩崖仏は南北朝時代に作られた。

壁面全体
壁面全体

中央付近の像
中央付近の像

左側2体の拡大
左側2体の拡大

19)上畑釈迦堂摩崖仏

室町末期の作。合計13体が認められ、所々に色が残っている。

階段登り口の表示
階段登り口の表示

隣の4体の像
隣の4体の像

正面の3体、色が残っている
正面の3体、色が残っている

臼杵摩崖仏

(20)臼杵

ここも凝灰岩に平安後期から鎌倉にかけて彫られた仏像群である。地上に落ちていた古園石仏の大日如来の頭は最近、胴の上に持ち上げられ一体化した。

中央部に摩崖仏が彫られている
中央部に摩崖仏が彫られている

首に繋いだ跡が残る
首に繋いだ跡が残る

阿弥陀の顔
阿弥陀の顔

如来三尊
如来三尊

左隣の三尊
左隣の三尊

第二窟の如来三尊、穴は経を収めるためのもの
第二窟の如来三尊、穴は経を収めるためのもの

中心の地蔵、背景付き
中心の地蔵、背景付き

古園大仏とその右側
古園大仏とその右側

左側の三体の仏
左側の三体の仏

顔は落ちている
顔は落ちている

中央隣の阿弥陀
中央隣の阿弥陀

更に右隣の三尊
更に右隣の三尊

三尊の左側の一体
三尊の左側の一体

地蔵十王像
地蔵十王像

左:山王山石仏、右:如来
左:山王山石仏、右:如来

古園大仏の顔、拡大
古園大仏の顔、拡大

宝印塔
宝印塔

【 参考文献(摩崖仏共通)】
(1)摩崖仏、Wiki打ち出し 2021.12.18
(2)熊野摩崖仏、熊野摩崖仏管理委員会、印刷年記載なし
(3)大分元町石仏、大分市教育委員会、平成28年3月
(4)伽藍石仏、Wiki打ち出し 2021.12.16
(5)菅尾摩崖仏、おおいた豊後ジオパーク推進協議会、印刷年記載なし
(6)石仏、Wiki打ち出し、2021.12.16
(7)臼杵石仏、臼杵石仏事務所、印刷年記載なし
(8)大迫摩崖仏、おおいた豊後ジオパーク推進協議会、印刷年記載なし
(9)大迫石仏の由来、大迫摩崖仏、平成5年8月
(10)うすき充電中、臼杵市観光パンフレット、2021.10
(11)小手川商店(みそ汁御膳提供店)、印刷年記載なし
(12)臼杵市全域マップ、2019.10
(13)上畑釈迦堂摩崖仏、Wiki打ち出し2021.12.18

ツアープランナーからのコメント

石岡様、この度もお写真と旅行記をお送り頂き誠に有難うございます。
摩崖仏がテーマの今回のご旅行。昔お手伝いさせていただいたウクライナの木造教会巡りを彷彿とさせる、なかなかに壮大なご旅行となられましたね。ウクライナの時もあちこちに佇む木造教会をひたすらにめぐられて、ご帰国後はご本も出版され、石岡様には、興味関心を持つことのすばらしさを教えていただきました。また、コロナ禍においてもわれわれ旅行会社を応援してくださり、積極的に旅なさっていただき本当にありがとうございます。
『一人でも九州に興味を持つ人が現れれば、、』と何ページにもわたる旅行記をお送り頂き、しみじみ励まされました。

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